嫌だ嫌だ
こういった日記形態のページは絶対に作りたくなかった。
文字を書くことは決して得意な方ではなく、まして追われるように文章をつづるなど死んでも嫌だった。
それがどうしたことか。自分でもよくわからない。
だいたい、日記のようなものは人に見せるものではない。
見せるべきではないはずだ。
見せないという前提があるからこそ、真情の吐露ができるのである。
少なくとも私はそういう風に捕らえている。(エッラソウニ)
したがって、タイトルは memorandum 。雑記帳=覚え書きである。
恐るべし
先日、娘のためにホームページを準備してやった。
親ばかである。
まず、子供達用のPCにホームページビルダーをインストールしてやり、テンプレートを使用した作成法を教えてやる。
たいした時間をかけなくても一通りは理解したようだ。
この、理解したという意味は、このソフトを使えばホームページが作れることがわかったという程度であり、
けっして操作を理解したわけではない。
所詮小学校5年生、難しい説明をするだけ無駄というものだ。
FTPの設定と、フリー掲示板の設定は私がしてやる。
こんなものは、3年もすればクリックひとつでできるようになるに違いない。
これも覚えるだけ無駄である。
そばで見ていたので、アップロードの方法も教えてやる。
あとは、素材集を提供しているホームページをいくつか探してやっただけ。
結果は私も驚いた。
ソフトに付いている midi を仕込むは、掲示板で友人を作るは・・・・
今日は、私の設定したテンプレートのレイアウトが気に入らなかったようで、アイコンや文字の配置を全て変えていた。
マニュアルなんぞ見ずにである。
もっとも、見ても読めない字が多いはずだ。
恐るべし小学生。
判官びいき
昨日の件で、アップルとマイクロソフトのことを考えた。
現在は Windows が多くのシェアを占めているが、そもそもこの GUI ( graphical user interface ) の環境はアップルが始めたものである。
しかも、一般ユーザーにコマンドのようなわかりにくいものを見せるべきではない、との非常に進んだ思想があった。
一方、マイクロソフトは、アップルのような高度なものを持ち合わせていないが為に、多くのものを公開した。
日本においては NEC が多くのビジネスソフトを提供していたために、アップルのほうが進んでいるとわかっていても、MS-DOSが採用されてきた。
結果、不出来な MS-DOS に対して、多くのユーザーが工夫を凝らし非常に有用なソフトが生まれた。
建築設計業界での定番ソフトである JW_CAD 等はよい例であると思う。なにしろ、いかなるソフトメーカーのCADソフトよりも、パソコン通信で無料で配布されるソフトのほうが定番化されている。
他にも私のPCにインストールされているソフトだけで、秀丸エディタ、Susie、Lhasa、がある。
これらは全て、一般ユーザーが開発を手がけたものであると聞いている。
アップルは、一般ではあるがヘビーなユーザーの力量を軽視する過ちを犯したのではなかろうか。
そして今、マイクロソフトの強引な経営に対する非難が高まり、オフィスソフトなどに仕込んだ独自の設定について、
我々一般ユーザーでさえも気づいている。
傲慢なマイクロソフトに一太刀浴びせるのは、誰であろうか。
判官びいきは、PCの世界においても存在するというお粗末。
バイオリズム
今度の日曜には吉備路マラソン20kmがある。
のだが、今週は、まるで走っていない。
前の日曜にたったの70分走っただけで靭帯が痛くなったためだ。
1ヶ月と少し前に痛めたものだが、軽くなっては走ってぶり返すを繰り返している。
いや、今日はこんな愚痴を書く予定ではない。
Java のページを探していたら、バイオリズムを作成してくれるサイトを見つけた。
それはここ。
みなさんも、試しにやってみて下され。
占いと違って、バイオリズムだけはある程度信じている。
特に「身体」の項目は当たっていると感じることが多い。
練習などしていて、気分が乗り、好調に練習できる期間と、
ま、いっか、いっぱい飲んでテレビでも見て寝よ。
そんな期間がわりかし顕著に現れるのである。
そんな時、バイオリズムを見てみるとぴったりと一致することが多い。
もっとも、感情と知性の項目は、当たっているのかどうかすらわからないことが多いのだが。
どうも私は感情と、知性の部分が変化に乏しいようである。
いつも、"まいっか"の世界がいけないのか。興味が湧かなければ動こうとしないのがいけないのか。
話を戻そう。
だからといって、なにをどう気をつければよいのか?
長い間そう思っていた。
が、さきほど気がついた。
身体の曲線が上昇しているときに気をつけることだ。
体調がよいから練習に励むことが出来る。
そこで、自分の能力以上のことをやってしまうからいけない。
結局は曲線のピークのところで体の方がついていけなくなり、故障を起こしてしまうようだ。
これからは、体調が上り坂のときにも気をつけて練習をしすぎないようにしよう。
んっ?
じゃ、いつするんだ?
バイク
私が Bon Vivant に通い始めて随分経つ。最初は、ひょろさんが MTB を購入したのがきっかけだ。
MTB がブームになってしばらくの頃で、 Bon Vivant のステッカーのついたバイクがあちこちのおしゃれなショップのディスプレイに使われていたり、さりげなく店の表に立てかけられたりしていたものだ。
自転車が欲しいと思ったのだが、天の邪鬼な私は、MTB ではなくロードレーサーに決めた。もちろん、それなりの価格がするロードレーサーをいきなりポンと買えるわけがない。いきなりというのは、レースに出ようとか、サイクリング旅行をしようとかの目的を持たずにという意味である。
そこで購入したのは、中古のミヤタのレーサー。しかも、購入した店は Bon Vivant ではない。買ったバイクをいきなり全て分解した。全塗装と、パーツの洗浄のためだ。分解にはそれなりの専用工具が必要だ。通販で購入したり、出張のついでに立ち寄った大阪のショップで揃えた。この頃は、雑誌も読み漁っていた。塗装したバイクにステッカーチューンを施し、(カーショップなどで、それっぽいイタリアンカラーのシールを手に入れて貼り付けるだけのこと。)灯油で洗浄したパーツを組みつけてみた。出来上がってはみたものの、そこは年代遅れの安物のレーサー。少しずつパーツの交換を始めた。Bon Vivant では、パーツだけの購入も心よく引き受けてくれた。ホイール、ブレーキレバー、ギアとリアディレイラー、フロントディレイラー、クランク。リビングに持ち込んで、バーボンロック片手に部品の組み付けをする。車いじりはこうはいかない。出来もしないが、仮に出来たとしても、油まみれで、とてもバーボン片手では出来ない。シフトがカシャンと決まった瞬間。リムの振れ取りをきちんとすれば、ブレーキのギャップを詰めることができる。レスポンスのよいブレーキフィールになる。そのうえで、角度をつけると始めじわっと、のちにぐぐっと・・・・、たまりませんな。
この頃には、ロードレースやデュアスロン(当時はバイアスロンとよんでいた。スキーと射撃のバイアスロンと混同するので、デュアスロンと呼ばれるようになったのであろう。)も、始めていた。車もそうだが、私は走らせてナンボと思っている。だから、飾ることはしない。掃除もあまりしない。しかしパーツのチューニングだけは、最適の状態になるように注意している。私のこだわり。
私は、ある計画を抱いていた。いくらバイクといえども、分不相応な最高級パーツで固めた、マシンとも呼べるような代物は非常に値が張る。お買い物自転車なら10台も買えそうな新車を購入するには妻の目は恐ろしい。何しろ趣味は他にも持っていた。ジムカーナやゴルフも少しはかじっていたので、正攻法では駄目だ。そこで、パーツをひとつずつ交換していったのである。最高級のパーツでも5万もあれば手に入る。社員旅行で行ったパリで、カーボンのサドルまで購入していた。ちなみにこのサドルは、かなりのバイク好きでも所有者は滅多にいないと思う。世界一軽いサドルだ。1年くらいはかけたであろうか。フレーム本体以外は全て新しくなってしまった。三日坊主ではない証拠にと、レースも経験してきた。
機は熟した。
念入りにカタログを研究した。雑誌も数誌読み比べた。Bon Vivant にて、何度も相談した。決めたのは TREK のカーボンフレーム。グリーンだ。AHEAD 用のヘッドパーツがつけられるようにオーダーした。うれしかった。届くのを待ちわびていた。
そんなある日事故はおきた。吉備路の自転車道でおばあさんの自転車と正面衝突。私は腕を骨折し、相手は肋骨2本と鎖骨を骨折していた。そんなにスピードは出ていなくても、当たり所というものだろう。単純骨折だが外れやすい個所だったので、手術となってしまった。天罰!
退院して事故に遭ったフレームを試してみると、外見ではわからなかったのだがまっすぐには走らない。なんとよいタイミングで、フレームを注文してあったことか。すぐに組み付けて新車の完成。
よかった、よかった。
なにが?
吉備路マラソン
今日は大会での事を書かねばなるまい。
出場したのは、20kmロードレース。
結果は2時間12分台。私の過去の成績で、最悪から2番目のレースであった。
朝、いつものように近くのカイタックの駐車場へ車を置き、会場へ向かう。途中、友人へ電話してみる。彼は、ボランティアスタッフとして、沿道で整理する予定になっている。私がリタイアした際に手助けを依頼するために。が、当てにならないことがわかった。彼の持ち場は17km地点らしい。17kmまで行けたら、ゴールした方が早いよな。おまけに17km地点つったら市街地に入ってるじゃねえか。人が多い場所でリタイアするのは恥ずかしいって。
つぎにBon さんへ電話してみる。いつも早めに行く人だから、既にどこか陣取っているはずだ。もしもし・・・・んっ?なんか声が沈んでいるなあ。体調悪いのかな?・・・な、なんと欠場。やられたっ。しゃあない。他にも誰かいるでしょ。
荷物を置くため、体育館2階へ行く。いたいた。Tさん夫妻だ。挨拶を交わす。彼らはファミリーの部に出場予定。ご主人の方は、トライアスロンもやっていたのに、長い休眠状態。夫婦で気楽に5km走って帰るようだ。「軽く走ってくるかな。」・・・こんな感じが、私は好きだ。苦にならない範囲で好きなように楽しんでいる。
そうこうしているうち、時間が迫ってきた。ゼッケンをつけトイレを済ませ、スタート地点に並ぶ。以前は軽くアップをして体を温めたりもしていたが、今年は完走重視。制限時間オーバーは最初から覚悟している。したがって、スタートしてからアップすることにした。つまり、思いっきりゆっくり走り始めるのだ。弱気な自分がよくわかる。
スタートの合図が鳴った。最後尾に近いあたりだったので、しばらくは歩く速度。そのうち、流れはゆっくりと走り出す。後ろの方で鈴の音が、規則的にシャンシャンシャン。音の主は、備中神楽の鬼の面をかぶり、背中に備中高松城の絵を書いた看板を背負って走っている。彼は、昨年も同じ格好で出場していた。10km地点までは追い風。背中に帆を掛けた状態の彼は、風が強い地点ではいきなりスピードが上がる。見る見る離されて見えなくなってしまった。どうせやるなら翼もつけてみたら?後ほど、向かい風に変わった土手の上で、思わず歩いていた彼を追い越した。ご苦労さん。
マラソン大会といえども、一般車両との交通問題は避けられない。たとえ、自転車道を走っている区間でも、一般道を横断するケースは幾度もある。その際、基本的にはランナーを優先するように交通整理をしてくれているのだが、あまり遅いとランナーを止め、車両を優先させることがある。車両の渋滞が長くなるためだが、大きな交差点では止められる事はまずない。小さな道の横断で止められることが多いのは、なぜなんだ。ちなみに同じ場所で昨年は、ベンツに乗っているカップルがランナーの合間を強引に横切っていた。皆さんの協力で楽しませてもらっている私が言うのも何なんですが、あの警備員はヘタッ。
10kmから15kmの間では、向かい風が強く吹いていた。2時間を切れそうだという期待は、もろくも崩れ去ってしまった。快調だった脚の方もぼつぼつ痛み出した。しかも気になっていた部分を無意識にかばって走っていたためか、いろんな個所が痛くなってきた。いつもなら、沿道で応援してくれる人にありがとうと声を掛けながら走るのだが、今回はそれどころではない。やはり練習不足だ。何度か20kmの大会に出場してきて、なめてかかっていたのがよくわかる。普段ならキャンセルしてもおかしくない状態にもかかわらず出場したのは、この大会に小学校の校長を誘ったからである。誘った本人が欠場したのでは、あまりにも無責任というものだ。だから、ちゃんと練習すればよいものを。いまさら悔いても後の祭り。これをバックフェスティバルと呼ぶそうだ。(オヤジギャグ)
15km以降は、ほんとうに苦しかった。いや、痛かった。心臓は「もう少し行けまっせ」状態だが、脚が動いていない。気分はあせる。しかもゴールが近づくにつれ、沿道の人は増えてくる。意地でも歩きたくはなかった。何とかゴールしたものの笑顔のゴールとは程遠いものとなってしまった。安堵感は確かにあった。完走だけで充分と言いたかった。しかしレースを楽しめたかというと、はいとは返事できない。来年は楽しめるレースになるよう努力しよう。
(本当にそう思うなら明日から練習しろよな。)
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