重井博 博士感謝の碑銘文



感謝の碑下面文は次の文です。

 このヒイゴ池湿地は、岡山自動車道の建設に伴って消滅する運命にあったが、自然をまもることの大切さを身を呈して教えてくれた高梁川流域の水と緑をまもる会(以下「まもる会」という。)の故重井 博会長と、それに応えた多くの人々の努力によって、保存することとなった。そのことに感謝すると共に後世に伝えるため、この感謝の碑を建立する。

 
 平成五年(一九九三年)、岡山自動車道の予定ルート内に湿地が存在することが確認され、同年六月、まもる会の重井 博会長他七名の植物・昆虫の専門家が緊急調査のため初めてこの湿地を訪れた。


 まもる会は、調査の結果、絶滅に瀕している貴重な種が数多く存在することを確認し、日本道路公団に対してルート及び工事の設計変更を行い約二・五ヘクタールに及ぶ湿地を保全するよう申し入れた。


 当初日本道路公団は、工事の設計を終え発注段階にあること等からルートの変更には消極的であったが、まもる会、岡山県、総社市及び地域関係者との再三の協議の結果、道路の設計変更及び調整池の設置場所等計画の一部を変更することにより、湿地が保存されることとなった。


 このヒイゴ池湿地の保存運動の中心的な役割を担ったまもる会の会長の重井博先生は、大正十三年に倉敷市に生まれ、医師として人命尊重の理念に立ち病院経営をされる一方で、自然を愛し、慈愛の心を持って昆虫、植物等の研究に打ち込まれ、多くの人々に敬愛された。


 また、重井 博先生は「倉敷の自然をまもる会」会長を長年お務めになり、平成三年六月には「高梁川流域の水と緑をまもる会」を創立された。高梁川流域の自然保護活動に熱心に取り組まれ、岡山県知事表彰をはじめ、平成五年には地域環境保全の功労によって環境庁長官表賞を受けられるなど多くの賞を受けられた。特にヒイゴ池湿地の保存については、病身を顧みず、運動に尽力されたが、保存湿地の完成を見ることなく、平成八年八月七十二歳をもって他界された。


 まもる会及び重井博先生のヒイゴ池湿地の保存における取り組みは、道路公団、県及び市の環境保護行政にも一石を投じる結果となった。


 総社市をはじめ、多くの人々のその後の努力により、現在では四季折々に可憐な花が咲き、トンボが飛び交い、鳥が子育てをし、自然を愛する多くの人が訪れている。 


                 感謝の念を込めてここに碑を建立した。
 
                      ヒイゴ池湿地を顕彰する感謝の碑建立有志の会
                                       2000年7月吉日

 この感謝の碑の8トンの原石は、重井博先生が最も残して欲しいと要望していた三室峡のダム底となる部分の美しい渓流の谷底から岡山県の許可を得て、1999年に採取し、鳥取県境港市の石彫家のもとへ運搬した後、加工して建立した。
詳細はこちらをご覧ください。

      
           

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