ひいご池湿地
  重井博先生との想い出
  一人の医師が 「高梁川流域に水と緑をまもるために」 病と戦いながら駆けていった

      詩人のなんばみちこ先生は、
                                      重井博先生のご活躍の話に感激されて、詩集「IKi」に一遍の詩を載せられています。
                    その一節をご了承を得て一部掲載させて頂きます



重井先生の活動は、左右の思想、宗教等を排し、純粋な学者、医師としての自然崇拝,自然擁護に尽きるものでした。高梁川を中心とした「高梁川流域の水と緑をまもる会」を1991(平成3年)年6月1日に設立
  このさとは清き流れがありてこそ!
  ふるさとは豊かな緑がありてこそ!
をスローガンにして、高梁川流域を主として学者、自治体、漁業、教育、団体関係者、政治家など広範な人材を集めて活動されました。
ほどなく会員も流域をはじめとして
1000人を超える流域にかってない会となりました

 
会員に秋の虫の音を聴く会を催されたり多忙な毎日でした

重井博先生は一日置きに透析をうけながら高梁川流域に水と緑をまもるために一身を捧げられました。
水源流域の各所に植樹をされたり、流域の無秩序な開発からまもることを実践されました。




 三室峡のダム建設予定地での重井先生インタビュー風景
           1992年5月



発行されていた機関誌1996(平成8)年8月24日突然重井博先生がお亡くなりになるまでの日々は、高梁川流域に発生する難題との戦いでした。


   油野川改修工事視察風景
          1992年
1994年2月20日付け山陽新聞はみんなで地域を考えようと題して(P13)小生にも意見を求められましたので拙文を紹介いたします。

 英知を絞り後世に尊い自然を残そう
地球の地上や地下のすべてのものを資源という名のもとに使用

し、他の生物を排除し、不自由さを解消してきた私たち人類も、歴史をさかのぼってみると、現在ほどには自由に地球を侵食し、生物を多く絶滅させたものではありませんでした。

日本の人□が三千万人程度に維持されていた近世までの人々の生活には、節度ある穫物の収穫と、自然をあがめる敬愛の精神が存在していました。

 しかし、現代では、自然保護よりも開発が優先され、初期の衣食住を満足させるためのものから、快楽や便利さを満足させるためのものへと質的な変化がみられます。

 私の住む総社市にも、数億年前に日本が大陸と地続きであったあかしとなる生物たちが、いつ滅ぼされるやもしれない運命を精いっぱい生きています。
 最近では福井地区にあるひいご池上流に、県南では他にみられない約2.5fの大規模な湿原の存在が指摘され、調査の結果、貴重なサギソウやムカシヤンマなどの植物、昆虫の確認がなされ、この湿原を通る中国横断自動車道(建設)工事の変更が要望されています。開発には英知を絞り、後世に尊い自然を残したいものです。

   ヒイゴ(ひいご)池湿地に感謝の碑
      重井博 先生の想い出の総社市福井の ヒイゴ(ひいご)池湿へ、平成12年(2000年)六月二十一日に感謝の碑が建立されました。

  この日はちょうど平成5年の保然保護運動の始まった日に当たります。翌年の三月三十一日に終えた保全運動の結果、保存することが可能となったものです。

感謝の碑はダム建設前の三室峡から8トンもの原石を入手して建立されました。詳細はこちらから

 今では四季折々に野草が美しい花を咲かせ、トンボが飛び交い、野鳥が子育てをし、自然を愛する人々が訪れています。

 自然をまもることの大切さを身を呈して教えてくださった重井博先生と、万難を排してそれに応えた日本道路公団、岡山県、総社市及び地域関係者など多くの人々による努力が実を結んだ結果です。
  湿地を保守管理してくださる方々の努力にも感謝すると共に、このことを後世に伝えるために、感謝の碑を建立しました。
                                     
          平成十二年六月二一日

         ヒイゴ池湿地を顕彰する感謝の碑建立有志の会
                        

     感謝の碑に関して詳細をお知りになりたい方は

          ここ感謝の碑詳細 Documentをご覧ん下さい。

         2000年6月21日


 総社市に感謝の碑寄贈されました

感謝の碑に関して詳細をお知りになりたい方は

          ここ感謝の碑詳細 Documentをご覧ん下さい。

         2010年8月24日
ヒイゴ(ひいご)池湿地において、感謝の碑の前で総社市長より北の吉備路保全協会が感謝状を贈呈されました。

岡山自動車道予定地にヒイゴ(ひいご)池湿地が存在することが判明したのは1993年、通過予定場所の変更を当時の日本道路公団に申し入れました。
 自動車道建設前のひいご池湿地遠望
       1993.8.29



 自動車道建設前のひいご池湿地
       1993.8.2
9


 半年間の運動の結果、日本で最初ではないかとされている道路構造の変更等による約1/3の0.9fの湿地を残すことができました







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 2010年8月24日は重井博先生の14回目のご命日でした。
奥様の重井春江様、室山孝義倉敷文化連盟会長、萱原潤総社市議会議長を来賓に迎え、ひいご池湿地の保全を通して自然保全の体験学習を学んでいる総社北小学校の生徒と共に、永年の自然の保全活動に対して市長より感謝状を頂きました




       一人の偉大な医師によって、高梁川流域に貴重な自然が残った。
     
それは、北の吉備路一円に緑を復活させた宇野円三郎が去った約100年後のことである。


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