<天理・大本・キリストの神典研究:47>

  二十二の秘密


 昭和十年(1935年)十二月八日の大本二次弾圧はよく論じられ研究もされているが、大正十年(1921年)二月十二日の一次弾圧はあまり取り上げられていない。そこで今回この大本一次弾圧の、特に二月十二日という日付の数字に的を絞って述べてみる。
 二月十二日は二・十二=二十二であるが、この二十二は二二(にに)となる。にに・二二とは「天理大本の経綸仕組の解明解説」で述べられている桜のコノハナサクヤヒメと結んだニニギノミコトのことである。(ニニギノミコト、コノハナサクヤヒメについては前記の「天理大本の経綸仕組の解明解説」と「かぐや姫とミロクの世」参照)
 ニニギノミコトは天皇の先祖であるから(古事記では初代神武天皇はニニギノミコトのひ孫)二月十二日の大本一次弾圧はコノハナサクヤヒメと結んだニニギノミコトの子孫・天皇を頂点とする大日本帝国の倒れる型、仕組であったということになる。
 また出口王仁三郎聖師の王仁の文字を分解すると二十二人となる。(イは人である)このことから出口聖師は「二十二人生」というペンネームを使用しているが、この二十二もやはりニニギノミコトの二二であり、出口聖師はニニギノミコトの子孫天皇の型であることを表している。
 また霊界物語第二二巻第二十章「三(みつ)の魂(みたま)」に玉能姫(タマノヒメ)初稚姫(ハツワカヒメ)が言依別命(コトヨリワケノミコト)から大切な秘密の御用を承ったとあるが、この秘密の御用とは二二巻の二二がやはりニニギノミコトの二二、二十二であるから、この秘密の御用はニニギノミコト、コノハナサクヤ、そしてニニギノミコトの子孫天皇に関した御用ということになる。天皇家は従来よりユダヤと関わりがあるといわれている。したがって結論として、この秘密の御用はニニギノミコト、コノハナサクヤヒメ、ユダヤの御用ということになる。
 またこの二二巻第二十章は第一巻から通して七一二章であるが、この七一二は出口聖師の誕生日、明治四年(1871年)旧暦七月一二日と関連があるといわれるが、この七月一二日は七十二、七二であり、七が二つで七月七日、七夕(たなばた)を表す。七夕は織女(おり姫)の星祭りであるから機織りとなる。古事記・日本書紀ではアマテラスは機織りとなっているが、アマテラスは天皇の祖先神であるから七月一二日生まれの出口聖師は、やはり天皇の型であったということになる。(「七月七日、七夕の日の同時テロを考える」参照)したがって霊界物語第二二巻第二十章七一二の秘密の御用は、やはりニニギ・コノハナ・ユダヤの御用といえる。
 ちなみに霊界物語は八一巻であるが、81は9×9、99で九分九厘である。九分九厘であるから一厘(輪)の秘密、一厘(輪)の仕組の真相は明かされていないのである。また八一巻から天祥地瑞九巻を除くと七二巻となる。(霊界物語は第何巻という巻数が重要)
 大本開教の明治二五年(1892年)から一次弾圧の大正十年(1921年)まで二九年。この二九は二つの九、九九で九分九厘の終わりである。
 大正十年(1921年)から大東亜戦争敗戦の昭和二十年(1945年)まで二十四年。この二四は二つの四、四四(シシ)で十六となり、十六菊の天皇(天皇家の紋は十六菊)を頂点とする大日本帝国の終わりとなる。
 明治三十二年(1899年)出口聖師大本入りから大正十年(1921年)まで二十二年、二二はこれまで述べてきたようにニニギノミコトで、出口聖師の因縁と御用を表す。この二十二年で「二十二人生」出口聖師は検挙され未決監に収容される。
 以上は一次弾圧をめぐる出来事である。
 なお昭和十年(1935年)の二次弾圧の引き金となった昭和神聖会の発会の日は、前年の昭和九年(1934年)七月二十二日であるが、この二二もやはりニニギノミコトの二二であり、一次二次弾圧の仕組で、ニニギノミコトの子孫天皇を頂点とする大日本帝国が倒れたのである。(二次弾圧については「天理大本の経綸仕組の解明解説」参照)
                            

2008(平成20)09.29 小田 朝章・記


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