<天理・大本・キリストの神典研究>
  かぐや姫とミロクの世

 今まで浦島太郎と桃太郎の桃の実について述べてきたが、今回はかぐや姫の話の解釈と共にミロク(弥勒)について少し述べてみる。
 かぐや姫の話が出ている竹取物語は日本人なら誰もが知っている昔話であり、竹の中から現れたかぐや姫が育ててくれたおじいさん・おばあさんとやがて別れて月の都に帰って行くというおなじみの話であるが、おじいさんはかぐや姫を見つけてから後、黄金の入った竹を見つけることが続いて金持ちになったとされている。このことはかぐや姫は黄金をもたらしたということであり、かぐや姫は黄金を象徴するということになる。したがって、かぐや姫の話は一種の黄金伝説といえる。
黄金伝説は世に数多くあるが、その中の一つに奈良県吉野の金峰山(きんぷせん)に伝わる伝説がある。それは釈迦が入滅してより五十六億七千万年後に弥勒(ミロク)菩薩が下生するのが吉野の金峰山であるというもので、そのとき黄金を敷きつめて黄金社壇(こがねしゃだん=黄金の社殿、やしろ)をこしらえる。そのために黄金、金鉱脈が隠されているとされている。すなわちミロクもまた黄金なのである。
 なお、この吉野の金鉱脈はかつて「仏説観弥勒下生経(ぶっせつかんみろくげしょうきょう)」の著者である古神道家で鉱山の山師(やまし)ともいわれた大石凝真素美(おおいしごり・ますみ)が幻視して「吉野金山の秘図」を遺している。(この秘図は後に焼失したといわれている)
 またミロクは、聖書の黙示録、
「ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間を指すものである。そしてその数字は六百六十六である。」(第十三章十八)
 の六百六十六、三つの六、三(ミ)六(ロク)の獣であり、ミロクであり、天理の神言、
  しかときけ三六二五のくれやいに
  むねのそふぢを神がするぞや    (天理筆先第三号六十四)
 の三六でもある。そして大本では理想世界をミロク(みろく)の世としている。
 しかしミロクは黄金である。黄金は金・お金・物質である。それ故ミロクはお金・物質であり、ミロクの世はお金・物質の世、強い者勝ちの弱肉強食の獣(畜生)の世となるのである。したがってミロクの世とは、お金・物質中心で弱肉強食の競争社会である今の世、現在の世の中のことなのである。
 ミロクと同じ黄金のかぐや姫はやがて月へ帰って行くが、その日は八月十五日であった。かぐや姫が帰った、いなくなったということは、終わったということである。そして八月十五日は大日本帝国が終わった日、昭和二十年八月十五日大東亞戦争敗戦の日であるが、大日本帝国はいわゆる軍国主義国家で、武力・軍事力中心の国、世であった。武(ぶ・たけ)は竹で、竹の世・大日本帝国は竹の中から現れたかぐや姫が月に帰った日に終わったのである。そうしていよいよこのたびは黄金・お金・物質中心のミロクの世、今の世が終わって行くのである。
 かぐや姫がいなくなったことをおじいさんは嘆き悲しみ血の涙を流したと物語にあるが、お金・物質の世、ミロクの世は、お金・物質に執着する者の涙と嘆きと共に暮れて行く、終わって行くことになる。
 なお物語の最後に、かぐや姫が奉った不死の薬を、帝(みかど)が「かぐや姫に逢えない悲しい自分にとっては長生きしたいとも思わぬ」と、その不死の薬を勅使に命じて駿河の国(静岡県)の山で焼却させた。これによりこの山を不死の山・ふじの山・富士山と名づけたとあるが、不死とは死の否定、死のない永遠の生命の意味である。その永遠の生命、不死の薬を焼却したことは、永遠の生命を失った、否定したということになる。そしてこのことを富士山で行なっていることから、富士山は名前は富士(不死)でも実際は不死・永遠の生命の否定、永遠の生命ではない限りある有限の生命の象徴となる。
 富士山が有限の生命の象徴であることは、富士の浅間(せんげん)神社の祭神からもいえる。浅間神社の祭神・富士の神霊は木花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)で、桜の花で象徴されているが、桜の花はパッと咲いてはかなく散る。はかない永遠性のない限りある有限の生命の象徴であり、(コノハナサクヤヒメについては「天理・大本の経綸仕組の解明解説」参照)この有限の生命コノハナサクヤヒメの神霊の山・富士山は、やはり有限の生命である。(黄金伝説の地・奈良県吉野は桜の名所である)
 今の世は明らかに永遠の生命と断絶して生きる有限の生命と黄金の世である。したがって今の世はお金・物質中心のミロクの世であると同時に、有限の生命コノハナサクヤヒメ、桜・サクラの世ともいえる。サクラは花の他に大道商人等が品物を売る時に客のフリをして品物をほめたり買ったりして客が買うように仕向ける仲間のことでもある。要するにニセの客、ニセモノである。であるから、今のサクラの世はニセの世、ニセモノが大手を振ってまかり通る世、虚仮(コケ)の世である。そしてこの虚仮の世がやがて倒(コ)ケルのである。それによってお金・物質中心のミロクの世も、黄金のかぐや姫が月に帰って行った、いなくなったように、大日本帝国がかぐや姫の帰って行った日・八月十五日に終わったように終わって行く。そして永遠の生命につながった神人合一、万民和楽の光輝く地上神国天国、透き通った水晶の神世(かみよ)が実現していくのである。
 (2005.11.12 小田朝章)
 

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