<天理・大本・キリストの神典研究:48>
  三つの島開きの秘密


 大本の出口なお開祖、出口王仁三郎聖師ら一行五人は、明治三十三年(1900年)旧暦六月八日京都府舞鶴市沖の冠島(おしま)の老人嶋(おいとじま)神社に参拝し、さらに一ヵ月後の旧暦七月八日、開祖・聖師ら一行九人は冠島に並んで浮かぶ沓島(めしま)に参拝している。これが冠島沓島開きであるが、この冠島の老人嶋神社の老人とは老であるが、老とは限り有る有限の生命のことである。なぜならば永遠の生命は不老不死、不老長寿で、不老、老にあらず、老ではないから、老である老人は永遠の生命ではない、限り有る有限の生命ということになるのである。(「浦島太郎の話」参照)
 また沓島の沓は、水が上で日が下であるが、水はミ・身・体であり、日はヒ・霊であるので、沓は水・体が上・主で、霊が下・從の体主霊従となる。すなわち冠島沓島は限り有る有限の生命、体主霊従ということになる。
 後年、京都府綾部市の聖地の池である金竜海に、この二つの島を型どった小さい島が築かれた。
 さらに大正五年(1916年)六月二十五日(旧暦五月二十五日)兵庫県高砂市の沖合いの神(上)島に聖師ら一行六〇人が参拝、神事をおこなった。続いて九月八日(旧暦八月十一日)には聖師ら一行六人が再び参拝している。そして十月四日(旧暦九月八日)開祖・聖師夫妻ら一行百数十人が九隻の船で参拝している。高砂港を出港したのは翌日五日(旧暦九月九日)
 この三回目の参拝の時、聖師の四女と五女が無心に松の枝でその辺を掃きだし、おのずと高砂の尉(じょう)と姥(うば)の型をさせられたという。
 高砂の尉と姥とは能楽の高砂の曲(結婚式で謡われる曲)の尉(おじいさん)と姥(おばあさん)であり、これもやはり冠島と同じ老人・老、限り有る有限の生命である。
 また九月八日の二回目の参拝の際に聖師は海岸の岩の洞穴で神宝を受けて帰ったという。
 十月四日の三回目の参拝の時、開祖は八十一歳(数え年)であり、当初一行の人数は八十一人であった。(途中で各地からの参加者が加わって百数十人となった)八十一は九九(クク)八十一で、九九・九分九厘である。また一行が高砂港を出港したのは旧暦九月九日であるが、この九九も同じく九分九厘を表している。これらのことから、この神島開きは九分九厘の御用であり、九分九厘は有限の生命であり、大本もまた九分九厘、有限の生命であることが判る。さらにこの三回目の参拝の時、出口聖師の御霊がミロクであるとの筆先が出たが、これもミロクが九分九厘で有限の生命であることを表している。
 有限の生命、体主霊従の冠島沓島に参拝し、聖地の池、金竜海に二つの島を型どった島を築き、高砂の尉と姥の神島に参拝し、神宝を受けた大本が弾圧で潰されたことは、有限の生命破壊の仕組であった。
 旧約聖書創世記によれば、アダムとエバが神から食べることを禁じられた知恵の実を食べて楽園を追放され生命の木、永遠の生命とも離れて死ぬ者、限り有る有限の生命のもとに生きる者となった。そこで神は人を再び生命の木、永遠の生命につなぎ直すため有限の生命破壊の仕組をしたのである。有限の生命を破壊してしまえば、人は有限の生命のもとに生きることはなくなるからである。
 またこの三回目の神島参拝の時「出口聖師より先に上陸してはならない」との指示があったにもかかわらず京都市在住の女郎屋の親父が飛び降りて駆け出しヒックリ返るという事があったというが、これはイロの乱れのヒックリ返しである。イロとは通常色、色情のことであるが、神の経綸においてはそれだけではなく、神・宇宙の法則規則秩序の意味でもある。(色にはこの他にも形にあらわれた一切のものという意味もある)要するにイロの乱れとは天の規則破り、神則違反のことである。イロの乱れが世の乱れの元である。そのイロの乱れの世をヒックリ返すのである。
「綾部の大本の御世継は末代肉体が婦女(おんな)であるぞよ」と神定されたことにより大本の代々の教主は女性であるが、これは女が主、先で男が從、後の女主男從(じょしゅだんじゅう)である。女が先で男が後の女主男從は古事記のイザナギノミコト・イザナミノミコトの国生みにおいて、女のイザナミが先に声をかけて生まれたのがヒルコ(骨なし子)で流し、次に生まれた淡島(あわしま)も御子の数には入れられなかった。そこで高天原に行ってお伺いを立てると天の神は「女が先に声をかけたのがよろしくない。再び帰ってやり直せよ」と言われたので、そのとうりに行った、とある。すなわち女が先で男が後の女主男從は神則違反イロの乱れということである。(女のイザナミがこの時天の御柱を右回りに回っているが、右は水極で水はミ・身・体であるから右回りの女は体となり、女主男從イロの乱れは体が先の体主霊従となる)
 また女のエバが先に知恵の実を食べたのも女主男從イロの乱れである。(エバをだましてイロの乱れ世の乱れの元を作ったサタン蛇の滅びの仕組も神は既にしている)
 女が主で男が從の女主男從が神則違反イロの乱れであるから、やはり女主男從の大本は当然神則違反イロの乱れであり、その大本の出口なお開祖、出口王仁三郎聖師も共に同じく神則違反イロの乱れである。
 大本は神則違反イロの乱れであるから、国生み、地上天国建設実現はできない上に既に御用は終わっている。(「みせん山の秘密と一厘(輪)の火水の神」参照)
 弾圧で大本が潰され出口王仁三郎聖師が倒され出口なお開祖の墓が三度も破壊されたことは、神則違反イロの乱れの終(しま)いの仕組である。
 なお大本では、能楽が盛んであるが、能楽は翁(おきな=おじいさん・老人)の曲を最も神聖な曲としている。
 
 神の経綸はおおまかにいって、
 有限の生命の破壊。
 宗教、特に世界の九つの宗教の滅びと九分九厘の神仏の引退。
 悪神の滅び。
 であるが、これらの仕組は総て十二月八日の仕組で大日本帝国が倒れた昭和二十年(1945年)八月十五日大東亜戦争敗戦の日をもって完了し決着がついている。(十二月八日の仕組については「天理大本の経綸仕組の解明解説」参照)そしてこれらの仕組は総て大本がおこなったのである。
 総ての仕組をおこなった大本は九分九厘であるから、大本の御用の終わりはまた九分九厘の終わりでもある。(大本の御用の終わりについては「みせん山の秘密と一厘(輪)の火水の神」参照)したがって大本の御用の終わった今日は既に一厘(輪)の御用の段階である。一厘(輪)の御用とは、一厘(輪)とは九分九厘の画竜点晴であり仕上げであるから、九分九厘の仕組の解明であり、一厘の御用とは日本に咲いた梅の花一輪、三千世界一つに丸めて治める日本の神国の一つの神の王、一厘(輪)の火水の神を明かすことである。
 神の経綸仕組の中でも中心となるのは「世界の九つの宗教の滅びと九分九厘の神仏の引退」である。
 宗教・神仏の問題は人類の魂、精神世界の根本に関わる問題である。したがって神の経綸仕組は人類の根本的問題であり、人類の魂・精神世界の立て替え立て直しである。
 なお一厘(輪)の秘密とは、日本の神国の一つの王、一厘(輪)の秘密(火水也、言霊也=ひみつなり、ことたまなり)の神が三千世界を一つに丸めて治める経綸(しぐみ)である。

2008(平成20)09.29 小田朝章・記)


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