<天理・大本・キリストの神典研究:52>
 エホバとミトラと日本の神


  聖書の内容は旧約聖書創世記第1章から第11章1までは、人類的であり創世記第12章から新約聖書の最後の黙示録まではユダヤ的であるといわれるが、神は悪神(サタン)の滅びという救いの仕組を人類的内容といわれる旧約聖書創世記第1章から第11章までの中の第3章15の予言の成就として行った。
(蛇の滅び参照)このことは神のこの救いは人類的であり、神もまた人類的であるということである。そして、この人類的神は日本の宗教大本と大日本帝国という日本の国とを用いて仕組をしているので、日本の神といえる。
もし、救いの仕組をユダヤ的内容といわれる創世記第12章から新約聖書の黙示録までの中の予言の成就として行ったのであれば、当然その救いはユダヤ的救いであり神もまたユダヤ的であるということになる。
ユダヤ的救いとは、救いの為に選んだ民族、ユダヤ民族を用いての救いであり、ユダヤ的神、ユダヤとは救いのためにユダヤ民族を選び用いる神、ユダヤ民族の祖アブラハムと契約を結んだ神、モ−ゼの前に現れた神・エホバ(ヤハウエ)である。
そしてこのエホバの神がアブラハム(アブラム)と契約を結んだ時、アブラハムとは99歳であった。「アブラハムの99歳の時、主はアブラハムに現れて言われた、私は全能の神である。
あなたは私の前に歩み、全き者であれ。
わたしはあなたと契約を結び、
大いにあなたの子孫を増すであろう。」
アブラハムはひれ伏した、神はまた彼にいわれた。
わたしはあなたと契約を結ぶ。
あなたは多くの国民の父となるであろう。
あなたの名はもはやアブラムとは言わず、
あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。
わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。」
(旧約聖書創世記第17章1-5)
エホバの神が99歳のアブラハムと契約を結び、アブラハムはユダヤ民族の祖である。このことからエホバの神とユダヤ民族、ユダヤは99ということである。
この99という数字について大本の出口王仁三郎聖師は次のように述べている。
「黒は白王(はくおう)と書く、百の字から一をとったのが白で、九十九の数を現す。九十九は数の終わりである。
九十九になって長寿を祝うときには白寿(はくじゅ)の祝いというが、九十九王(くじゅうくおう)は王の極(きょく)で普通の王ではない。以下略。」
(出口王仁三郎聖師・玉鏡と王より)これにより九十九のエホバ・ユダヤは白でありユダヤの王は皇ということになり、ユダヤの王の道、ユダヤの道は皇道ということである。
そして九十九は九九(くく)九分九厘の意味でもあるから、皇道大本は九分九厘の道、ユダヤの道大本ということである。
そしてエホバ神は裁き審判の神である。また、大本においては仏教の弥勒菩薩はインドのミトラの神である。ミトラの神は東へは弥勒菩薩として中国、朝鮮半島、日本に伝わり、西はミトラ教として地中海世界、エジプト、古代ロ−マ帝国に伝わり、ヘルシアのゾロアスタ−教でも崇拝されている。
ミトラとは契約という意味であり、ミトラの神は太陽神、光明神、豊作神、軍神、来世における審判神であり、伴侶ヴァルナと一緒にミトラ・ヴァルナと賛えられる場合は水分(みずわ)けの神であり、ミトラの神もエホバの神と同じ裁き審判の神である。
古代エジプトのユリアヌス暦では、毎年12月25日を冬至と定めこの日を太陽の誕生日とし、
この日から太陽の力が次第に強くなってくると考え、古くからミトラの誕生日と信じられていた。
後にキリスト教がこれを取り入れ十二月二十五日をキリスト生誕の日、クリスマスとしたのである。
エホバの神もミトラの神も共に裁き審判の神であるが、裁き審判とは自己に従う者、自己の気に入ったもの、自己の眼鏡にかなった者は助け救うが、そうでない者は滅ぼすということであって、これは明らかに差別であり、我良しであり利己心であり身びいきでありエゴであり人類の選別である。
一方、日本の神は「餓鬼畜生昆虫までも助ける神であり、裁き審判人類選別の神ではけっしてない。(ユダヤと日本参照)」
裁き審判は終末の形を以って現れる。人々は終末から逃れよう救われようとして裁き審判の神の顔色を伺い、ご機嫌を取り結ぼうとひたすら裁き審判の神に従おうとする。
日本の神はこれをよしとせず、裁き審判の神を倒し人類を裁き審判の神から解放し救う為、皇道、ユダヤの道大本と筆先でミロク(ミトラ)と神定された出口王仁三郎聖師を弾圧で潰し倒し「エホバの神・ミトラの神以外にも存在する」
の倒れる型仕組として世界の九つの宗教の滅びの仕組・九分九厘の神仏の引退の仕組に含めて行ったのである。
(世界の九つの宗教の滅びの仕組は「九つの鬼の滅び」九分九厘の神の引退の仕組は「みせん山の秘密と一厘(輪)の火水の神参照」)
さらに裁き審判人類選別の神にとって、救い主・救世主が重要な存在である。救い主・救世主とは神に代わって裁き
審判選別を行う者であり、神に取り成すものであるが、餓鬼畜生昆虫まで助ける神、裁き審判選別の神ではない日本の神には救い主・救世主は必要ない。
また、大本教はミロクの世を理想世界としている。ミロクの世は黄金、お金中心の世であるが、(かぐや姫とミロクの世 参照)それだけではなく、
ミロクの世は神に選ばれた者の世、エリ−トの世であるが、これは世界の一元支配を目論む見えざる世界政府(神典アナリストの中矢伸一氏は
イシヤと呼んでいる)の目標である少数のエリ-トによる世界支配に通じる。(大本は見えざる世界政府の型でもあった「終末について 参照」)
ミロクの世が真の理想世界であるかないかは、ミロクの世を理想世界とした大本教とミロクと神定された出口王仁三郎聖師が、弾圧で潰され倒された京都府綾部郡の聖地のみろく殿が柱を切られロ-プで引き倒され破壊された型によって示された意味を考えればよい。
出口王仁三郎聖師をはじめ多くの大本教信者は長髪にしていたが、旧約聖書土師記に出ている長髪の力持ちサムソンに現れているように、髪は神秘的な力と強さを示すものと旧約聖書時代には考えられていた。
また、ミトラの神を賛える歌が書かれているインドのバラモン教の聖典「リグ・ヴェ−ダ」には長髪の苦行者の歌が書かれている。
日本の神とは真の神・主神・一厘(輪)の火水の神であり、日本の神の道はミトラの光明でもなくユダヤの道皇道でもない光道(こうどう)である。


2009(平成21)02.12 小田 朝章・記

(TOP頁)