<天理・大本・キリストの神典研究:51>
 竜神の話


  これから述べることは、先の「エホバとミトラと日本の神」の続編ともいうべきものですので前もって「エホバとミトラと日本の神」と「九つの鬼の滅び」を読んで頂ければ幸いです。
仏教の弥勒菩薩ミロクはインドのミトラの神であるが、ミトラの神は伴侶ヴァルナと一緒に賛えられる場合は水分け水の神である。
「最高の君主として沙ら「両神」は、万有を支配す、ミトラ・ヴァルナは、配分に際して、太陽により見守りつつ。
われら沙ら「両神」に賜物を乞う、雨と不死(活力)とを。
雷鳴は天地を馳せ巡る。」
(リグ・ヴェ−ダ讃歌 辻直四郎 著 岩波文庫132頁)
またユダヤの神エホバ(ヤハウエ)もミトラの神と水の神である。
「主は洪水の上に坐し、みくらに座してとこしえに王であらせられる。(旧約聖書詩編 第29篇10)」
水の神とは竜神である。竜神は自然現象、天候、雨、風、雲、雷、水を受け持つ天候神である。
ちなみに映画「十戎」でよく知られている紅海を割る奇跡は竜宮の潮満(しおみ)つ潮批(しおひ)るの珠の働きである。この竜神について大本教の出口王仁三郎聖師は霊界物語第1巻の中で次のように述べている。
「また竜神は実に美しい男女の姿顕現することを得(う)るといへども、天の大神に仕へ奉る天人に比ぶれば、
その神格と品位において」著しく劣ってをる。また何をほど竜神が立派であっても、竜神は、畜生の部類を脱することはできないから、人界(じんかい)よりも一段下に位している。
故ゑに人間界は竜神界よりも一段上で尊人優れて美(うるは)しい身魂であるから、神に代わって竜神以上の神格を神界から賦与(ふよ)されてゐるものである。
しかしながら人間界がおひおひと堕落し悪化し、当然上位にあるべき人間が、一段下の竜神を拝祈(はいき)するやうになり、ここに身魂の転倒を来(きた)すこととなった。
(霊界物語第1巻第23章 黄金の大橋より)
竜神は九×九、八十一枚のウロコ(鱗)を持つが、九×九は九九(くく)、九分九厘を意味するので、竜神は九分九厘というより、九分九厘は竜神なのである。
また、竜神のウロコは三角形であり、この三角形の竜神のウロコを二つ重ねたものが正三角形と逆三角形二つの三角形を重ねたカゴメ(籠目)紋・六芭星・ダビデの星である。
 カゴメ紋・ダビデの星、星は竜神のシンボルマークであり、星神は竜神である。」
先に「九つの魂の滅び」で世界の九つの宗教の根、源はキの神・バール神であると述べたが、この牛の神は耕作の担い手である牛を崇めたことによるもので、バール神は天候神・ダゴンの子であり、天候神は竜神であるから、バール神は竜神の子である。したがって
世界の九つの宗教の根、源は竜神ということになる。そして、九分九厘が竜神であるから、九分九厘の神仏は竜神もしくは竜神の守護ということになる。
これにより世界の九つの宗教、九分九厘の神仏を拝祈することは、霊界物語第1巻で述べられている一段下の竜神を拝祈する身魂の転倒となり、宇宙の秩序の乱れイロの乱れとなる。
それ故世界の九つの宗教を滅ぼして九分九厘の神仏を引退させて、身魂の転倒と宇宙の秩序の乱れイロの乱れを正す。(イロの乱れについては「三つの島開きの秘密」参照)
これが世界の九つの宗教を滅ぼし、九分九厘の神仏を引退させる大きな理由の一つである。今の世は畜生の部類竜神九分九厘の世である。
そのため人々は、畜生同様となって世が乱れる。この竜神九分九厘の世界を真神・主神一厘(輪)の火水の神の世に立て直すのである。
また、人や世と竜神竜宮との結びは有限の生命であり、鶴と亀の曲(まがし不正)の結びで表される。(浦島太郎の話 参照)


2009(平成21)02.12 小田 朝章・記

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