新たな文武医三道の提唱
 
 古くから文の道と武の道は文武両道として尊重され奨励されてきたが、兼好法師は「徒然草」(つれづれぐさ)の中で、これに医を加えて文武医三道としている。
 
『人の才能は、文あきらかにして、聖の教を知れるを第一とす。次には手書くこと(習字)、むね(専門)とすることはなくとも、これをならふべし。学問に便(たより=便利)あらむためなり。次に医術を習ふべし。身を養ひ、人を助け、忠孝のつとめも、医にあらずばあるべからず。次に弓射(ゆみい)、馬に乗ること、六芸[りくげい=中国で士以上の者に必修とされた六種の技芸。礼・楽・射・御(ぎょ=馬)・書・数]に出せり。必ずこれをうかがふべし。文武医の道、誠にかけてはあるべからず。これを学ばむをば、いたづらなる人といふべからず。……以下略』(第一二二段)

 この文武医三道を新たに地上神国・天国実現という理想を達成せんがための道とする。すなわち、文は天地経綸(経綸とは本来おさめととのえる意味)の道を志向し修めんため、神の道・教えを中心に洋の東西にわたる人類の知的精神的遺産を学ぶこととし、武はたんなる武技の修練ではなく「武を考える」で紹介した山梨稲川(やまなし・とうせん)が説くところの実践力を養うと共に、人の身体を健全ならしめる体育とし、医は健康法、病気の治療養生法の研究にとどまらずに「立て直しについて」で紹介した大本の出口王仁三郎聖師の主張「神人和合・万民和楽の世界の実現のためには正しい医学の発達によらなければならない」「人間の肉体の構造がわかれば、宇宙の組織や文(あや=すじみち・しくみ)もわかるようになる」(「立て直しについて」参照)に従い、肉体構造の研究を通して宇宙を学び、併せて正しい医学の発達を願うものとする。

 以上、この文武医三道を立て直しのため、地上神国・天国実現のために奉仕する道として、今ここに提唱する。(2004.12..8=小田朝章)

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