直感力を養う 出口王仁三郎


<次の文章は、昭和10年12月8日大本教団が弾圧される3ヵ月あまり前に、出口聖師自ら執筆されたものである>

 肉眼や尺度で神を知ろうとすることは、愚かなことである。だが、「信のある人、聖人の言を信じ聖典の教えを尊ぶ人には、野に咲いている一片の草花にも、空を飛んでいる一羽の鳥にも、神の力と愛をありがたく感得することができる。
 神の存在を否定する人々に、むつかしい理屈は禁物である。野に咲いている百合(ゆり)の花を見せて、もしその人が「美しい」といったら、それでよいのだ。その人は十分に神の存在を知っている人である。すなわち、その人は理屈で神を否定しながら直感で神の存在を知り、肉眼で神を見ないが、すでに魂のどん底で神のささやきを感得しているのである。しかして、神は理屈で論ずべきものでなく、肉眼で見るべきものでなく、直感で知り心のささやきで感ずべき存在なのであるから、神を否定している科学者や理論家たちも、結局、科学や理論では神はわからないということを証明しているにすぎないのである。
 昔の人間は直感すなわち第六感が鋭かった。だが今日の科学は最低の直感を基礎として立てられたものであるがために、だんだんとその第六感をもにぶらしめてきたのである。それは人類にとってたいへんな損失であって、どうしても今後の学問は科学的に人間の智恵を向上せしめるとともに、神より与えられた人間の直感力をいよいよ発達せしめて、両々相まって人類の福祉に貢献せしめるよう努力せしめねばならぬ。
                 (人類愛善新聞 昭和10年8月23日号より)
         
<直感力(直観・直覚)を養う道としては、和歌・俳句等の文芸、茶道、座禅、武術等があります。2004.9.1=小田朝章・記>

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