松の仕組 <広島・長崎への原爆投下の真相>

「梅で開いて松で治める。竹は外国の守護──という意味は、梅は教(おしえ)、松は政治、竹は武を意味するもので、武は国を害するというので害国(がいこく=外国)ということになる。──(以下略)──」
(出口王仁三郎「月鏡」=梅で開いて松でおさめる=の項より)
 これにより神の教・道を中心とする世を“梅の世”となし、武力・軍事力を中心として支配する世を“竹の世”となし、政治経済を中心として支配する世は“松の世”となる。
 
 明治維新によって成立した大日本帝国は、富国強兵を目指したが、日清日露の戦争に勝利することにより、いわゆる軍国主義の道を進み、ついに大東亜戦争に突入し、昭和20年8月15日敗戦となり崩壊した。この大日本帝国の時代が“竹の世”で、その崩壊が竹の世の終わりの型となる。
 
 戦後日本は、民主主義国家となり、高度経済成長の波に乗り経済大国となった。この敗戦から今日に至る時代が“松の世”である。したがって現在は松の世といえる。
 竹の世と松の世は、共に強い者勝ちの弱肉強食の畜生(竹松=ちくしょう)の世であり、この竹松の世が終わって神の教・道によって治まる“梅の世”となる。
 松の世にあっては、政治経済によって支配するため、おのずと人びとも政治経済、特にお金が中心・優先となってくる。この松の世も昭和20年8月15日の敗戦によって終わった竹の世同様、やがて終わりの時を迎える。
 
 昭和20年8月6日、広島に原爆が投下されたが、このことは大日本帝国・竹の世が最初の対外戦争である日清戦争の際、大本営(だいほんえい=戦時に天皇のもとにおかれた軍隊を治め率いる最高機関)がおかれた広島が破壊されることによる竹の世のとどめの型である。
 
 その三日後の8月9日に長崎に同じく原爆が投下されたが、これは松の世のとどめの型となる。
 幕末の頃、長崎には外国商人グラバーがおり、そのもとに長州の伊藤博文をはじめ勤皇の志士が集まり、倒幕のための武器の調達や密議を行った。すなわち当時の長崎は京都と並ぶ倒幕のための政治革命の拠点であり、また江戸時代における唯一の外国貿易(経済活動)の場であった。
 この、明治維新という竹の世を生み出した政治革命と、外国貿易という経済の場であった長崎を広島同様に原爆で破壊することにより、政治経済の世・松の世のとどめの型としたのである。
 
 松の世は先にも述べたようにお金中心の世となり、人びとは金儲けに奔走し、お金以外のこと、特に神の教・道などに関心を持たなくなる。お金(松)が優先し、神の教・道は後回しにするか省みられなくなる。そこで松の世は、松が先で神の教・道(梅)が後の松梅(しょうばい=商売)の世といえる。
 なお、大本においては、松の世を地上天国としているが、これは戦前の竹の世・大日本帝国時代と比べて、はるかに物質的には豊かで自由で平和な社会となった意味でのことであり、松の世は末の世・終末の世・地上天国を待つ世であって、真の地上天国は梅の世なのである。
 
 現在日本は経済的に完全に破綻し、極めて危険な状況にあることを内外の識者が警告しているが、政府は見ざる聞かざる言わざるであり、国民も危機を感じつつも比較的のん気に構えているが、これはちょうど大日本帝国・竹の世の終わりの時、昭和20年8月15日のその時まで、なりふりかまわず戦争を続けていたように、最期まで変わりようがないのである。これが仕組であり、仕組にはまった姿である。
 
 この松の世の終わりの時は、当然ながら非常に深刻な事態となる。松=政治経済の世の終わりであるから、国家体制の崩壊はもとより、それに伴いそれこそ一夜の間に株券・債券・紙幣が只の紙切れとなることも有りうる。そしてその時は、キリストの預言によれば神のみぞ知るなのである。(リンクページの「キリストの預言」参照)
 したがって、その時は明日かもしれないのだ。その時、株券・債券・紙幣といった紙切れを前にして、人びとはそれまで追い求めてきたものが何であったかを思い知らされるであろう。(2005.1.3=小田朝章)
 

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