梅原猛氏の「神は二度死んだ」を読んで

 去る5月18日の朝日新聞紙上に、哲学者・梅原猛氏の「反時代的密語=神は二度死んだ」と題する主張が掲載された。
 内容は、日本は近代において神を二度殺したというもので、第一の神殺しは、明治初期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく=明治のはじめ、仏法を廃し釈迦の教えを捨て、寺院や仏像を破壊したこと)であった。これは尊皇攘夷(そんのうじょうい=皇室を尊び、外国人を打ち払おうとした思想)を唱えた国学者・水戸学者が明治政府の中心部に入って起こった。そして仏のみならず修験道(しゅげんどう=役(えん)の行者を開祖とする山岳宗教。山伏の宗教で知られている)を禁止することによって、外来の仏教と共存していた土着の神を否定し、ついに伝統的な神仏をすべて殺し、ただ一種の神々のみ残し、その神々すなわち天皇という現人神(あらひとがみ)とアマテラスオオミカミをはじめとする現人神のご先祖に対する絶対の信仰を強要した。そしてこの現人神への信仰にもとづいて「教育勅語」という新しい道徳が作られた、とされている。
 
 この教育勅語には、かつての仏教や神道の道徳はほとんど含まれず、現人神への信仰のもとに儒教道徳と近代道徳を加えたものの羅列にすぎないと梅原氏は断じている。
 さらに、この教育勅語という道徳のもとにアメリカ・イギリスに戦争を仕掛け、敗戦を経験し、この敗戦によって新しい神道も否定され、現人神も神ではなく人間であると宣言されたことによって、この神も死んだとされている。
 梅原氏によれば、この徹底的な二度の神仏の殺害による報いは、いま徐々に現れており、以後百年二百年経つと決定的になるであろうと主張され、動機なき殺人を行う青少年のみならず、政治家も官僚も学者も芸術家も宗教心をさらさらもたず、道徳すらほとんど失いかけているとして、
「最近、そのような道徳の崩壊を憂えて、日本の伝統である教育勅語に帰れという声が高まっている。しかし教育勅語はあの第一の神の殺害の後に作られたもので、伝統精神上ではなくむしろ伝統の破壊の精神の上に立っている。私は、小泉八雲が口をきわめて礼賛した日本人の精神の美しさを取り戻すには、第一の神の殺害以前の日本人の道徳を取り戻さねばならないと思う」
 と結んでいる。
 
 この梅原氏の指摘と主張に共通することを大本の出口王仁三郎聖師が語っている。それは敗戦間もない昭和20年12月末から翌年新春にかけて出口聖師が鳥取県の吉岡温泉に滞在した際に、朝日新聞記者の取材に答えた「吉岡発言」と呼ばれるものである。この「吉岡発言」は、敗戦の衝撃に打ちのめされていた当時の日本人に大いなる希望と光明を与えるものであった。また、このたびの梅原氏の指摘と主張の理解を深めるものでもある。
 その「吉岡発言」の一部を紹介することにしよう。
 
「自分は全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることは、すでに幾回も予言したが、そのため弾圧をうけた。“火の雨が降るぞよ”のお告げも実際となって、日本は敗けた。
 これから神道の考え方が変わってくるだろう。国教としての神道がやかましくいわれているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変わりがあるわけはない。
 ただ、ほんとうの存在を忘れ、自分の都合のよい神社を偶像化して、これを国民に無理に崇拝させていたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社の祭神が神様でなく、唯の人間を祀っていることが間違いの根本であった。
 明治政府は、日清・日露戦争によって大いに昂揚された国家主義・軍国主義に便乗して官国幣社を創建した。それらのなかには、天皇や皇族を祭神とするもの、南朝方の武将や江戸時代の藩主を祭神とするもの、戦没者を祀る靖国神社や護国神社、さらに新領土や外地の神社などがふくまれている。
 しかし天地創造の本源神をまつる官国幣社はほとんどみうけられない。信仰の対象は真の神以外にはないにもかかわらず、権力は、自己に好都合な人物をまつる神社に高い社格をあたえて信仰の対象とし、「真の神」をその下位においてないがしろにしてきた。古くから民衆にしたしまれてきた由緒ある神社も、社格をあたえる道程で埋没させられた。そこにまちがいの因があった」
 と王仁三郎聖師は指摘し、「真の神」にかえれと主張している。
                (出口栄二著『大本教事件』279頁より)      
                      (2004.6.5=小田朝章・記)
 
 

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