<天理・大本・キリストの神典研究>

  
経綸に関わる地

『東京で仕組を駿河美濃尾張大和玉芝国々に、神の柱を配り岡山』
 これは明治二十五年旧正月の大本神諭の中の一節であるが、ここに出ている東京・駿河(静岡県)美濃(岐阜県)尾張(愛知県、特に名古屋)大和(奈良県)岡山はいずれも経綸に関わる地である。
 東京は言わずと知れた日本の国の首都中心であるが、それはまたお金・物中心で、強い者勝ちの弱肉強食の競争社会である現在の終末の世の中心ということである。
 駿河は「かぐや姫とミロクの世」で述べたように、パッと咲いてパッと散る永遠性のない花・桜で象徴されるコノハナサクヤヒメの山・富士山の国であって、永遠でない限り有る有限の生命を意味することになる。(かぐや姫とミロクの世」参照)また駿河には「三保の松原」があるが、三保の三はミ・身・体・物質、保は火(ホ)・霊(ヒ)で、三保は体が先で霊が後の体主霊従・物中心となり、松は末で終末であり、原は広き所で世界であり、これによって三保の松原は体主霊従・物・お金中心の終末世界の意味となる。
 美濃には親孝行伝説で有名な養老の滝のある養老山がある。養老とは養う老、老を養うことであるが、老とは不老不死・不老長寿、老に非ず老ではない永遠の生命に対する限り有る有限の生命である。それ故、美濃は養老・限り有る有限の生命、老を養うので、有限の生命の意味となる。
 尾張名古屋の熱田神宮(あつたじんぐう)には三種の神器の一つ草薙剣(くさなぎのつるぎ)が祭られている。この剣は、スサノオノミコトがヤマタノオロチを退治した時オロチの尾から得た剣で、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とされるが、ヤマトタケルノミコトが駿河で敵に火を放たれた時この剣で草を薙いで逃れたので草薙剣と名づけられたといわれている。
 剣は武力、軍事力を表し、その剣で草を薙ぎ払うのであるが、その草とは人草(ひとくさ)・人民であり、草薙剣とは剣・武力・軍事力で人民を薙ぎ払うことになり、それは戦争のことになる。戦争は強い者勝ちの弱肉強食である。このことによって草薙剣を祭る熱田神宮の地・尾張名古屋は強い者勝ちの弱肉強食の意味となる。
 なお大本の出口王仁三郎聖師は「霊界物語」の中で草薙剣を救世主の身魂・神器的真人とされているが、これは出口王仁三郎聖師・大本は天皇と天皇を頂点とする大日本帝国の型であるために、皇位のしるしである草薙剣を言挙げされたのである。さらに日本の国を草薙剣としているが、当時の大日本帝国は剣・武力・軍事力の国であり、やがて人草・人民を薙ぎ払う戦争で滅ぶ故、大日本帝国を草薙剣とされたのである。出口聖師が「神聖丸」と命名した刀を守り刀としていた昭和神聖会が昭和十年十二月八日の弾圧で潰されたことは、刀・剣・が倒れて折れる型であった。
 
 刀・剣は抜くものではない。究極には捨てなければならない。このことは日本の剣術の極意である。
 真の神の道は絶対平和そのものであり、闘争を求め好むことは真の神の道・日本の道では決してない。
 さらに美濃尾張に隣接する北伊勢(三重県北部)も経綸に深く関わる地とされているが、伊勢は、
『……イスラエルのかえしは「イセ」となる。スラエのかえしが「セ」であるから、それでイセがイスラエルにあたるというのである。「ル」は助辞(じょじ)である。』(出口王仁三郎『玉鏡』たまがえしの二、三種より)
 イスラエルのたまがえしであるから、北伊勢は北イスラエルとなってユダヤに因縁ある地となる。(かえし・たまがえしとは、音律・音則に意味を求めて、神・人・万物の声音を理解する言霊学の運用法で、言葉を一音に縮めること)
 大和は「経綸の地・大和天理」で述べたように、日本の宗教の流れの大きな拠点の地であり、立て直しの経綸の地である。(「経綸の地・大和天理」参照)
 大和の大は一・ヒ・霊(ヒ)、神と人が合わさった文字で、神人合一の意味となり、和は万民和楽であって、大和は神人合一・万民和楽の理想世界実現の経綸の意味・地である。
 真の神と合一し、万民和楽・絶対平和の理想世界を求め実現していくのが真の大和魂である。
 
 岡山は、黒住・金光が出された地であり、大本三代教主補・出口日出麿氏、日月神示を伝えた岡本天明氏の出身地でもあるが、柱・支えであり神の経綸に奉仕し援け支える意味と因縁の地である。
 これらのことから東京駿河美濃尾張で表され象徴される体主霊従・物・お金中心の強い者勝ち弱肉強食の終末の世と、それを推進し操る悪とその仕組、そして有限の生命とを倒し滅ぼし、神人合一・万民和楽・永遠の生命につながる理想世界実現のための真の神の経綸が大和(特に天理)に秘められ行われるのであり、それに奉仕し支える因縁の地が岡山となるのである。(2006.1.8=小田朝章・記)

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