<天理・大本・キリストの神典研究>

   
立て直しはを立て替え


 2006年・平成18年も早や春を迎えたが、世の中・終末の世はますます盛りとなっているようである。しかし心有る人々は今まで以上の危機感をもって新年を迎えたことであろう。
 確かに今の終末の世は刻一刻と崩壊に向かって突き進んでいる。現在世の中を覆っている不安感も多くの人がそのことを感じてのことであろう。
 だが、この事は今の終末の世、悪が支配し栄える世が滅び、神人合一万民和楽の真実の世の幕開けに至る過程なのである。したがって本当に危機的状況にあるのは悪の方であり、今の終末の世・悪の世に従い同調している者達なのである。
 それ故、心正しき人々、心魂を誠の神に向けている人々にとっては、この終末の世・悪の世の滅びはむしろ喜びであり救いなのである。そしてこの終末の世・悪の世が滅ぶことの結論は既に型として出されているのである。
 それは1945年8月15日の敗戦であった。この敗戦によって大日本帝国が崩壊したことが終末の世の滅びの型なのである。このことから大東亜戦争はいわゆる最終戦争の型といえる。
 そしてこの大日本帝国の崩壊に伴って明治の時代から日本人の精神と魂を支配し呪縛して来た国家神道が解体されているが、これは宗教の滅ぶ型であって、この宗教の滅びに重要な意味がある。
 立て替え立て直しとは、ともすれば社会・世の崩壊と新生と考えられることが多いが、確かに現象面ではそうであるともいえるのであるが、本当の意味での立て替え立て直しとは心と魂の立て替え立て直しなのである。そしてこの心と魂に深く大きく関わるものが宗教なのであるから、宗教を滅ぼすということが心と魂の立て替え立て直し、本当の意味での立て替え立て直しの根本となるのである。
 宗教から自己の精神と魂を解放し真に自由な精神と魂をもって真の神と合一し共に生きる。そうすることによって自己の内に天国が開かれ築かれる。これが真の心と魂の立て替え立て直しである。
 現在の終末の世にあって宗教家はもとより心ある人々が宗教の力でもって世と人を救わんとして考え行動されているが、その志と行動は誠に尊いものであるが、宗教そのものが既に真の神によって否定されているのである。したがって志と行動は尊くとも道が違っているともいえる。宗教家・宗教に心を寄せる人々がまず為さねばならないことは、宗教は善なるものであるという前提を捨てて宗教の本質を見極め、宗教の功罪を明らかにすることである。これをなしえなければ、結局は滅び行く宗教と運命を共にすることになるであろう。
 兇悪犯罪が多発し道徳が頽廃し弱い者が強い者に踏みつぶされる今の世についてマスコミは、学者・政治家・文化人・ジャーナリスト等に意見発言は求めても宗教家には全くといっていいほど意見発言を求めようとはしない。このことは既に宗教は世間から無視されている何よりの証拠であろう。このことはまた、宗教は真の神によって否定されていることの証でもある。
 大本の神の神約(約束)に、
「地上天国のいちばん低い段階までは、神力によって誰がなんといってもあげてやる」
 とあり、また、
「三千世界の大洗濯・大掃除を致して、天下太平に世を治めて、万古末代続く神国の世に致すぞよ。神の申した事は、一分一厘違わんぞよ。毛筋の横巾ほども間違いは無いぞよ。
 これが違うたら、神は此の世に居らんぞよ」
(大本神諭・明治25年旧正月)
 
「水晶魂(すいしょうだま)を選り抜いて、霊魂(みたま)の改(あらた)め致すぞよ。絶体絶命の世に成りたぞよ。
 世界のものよ、改心を致されよ。世が変わるぞよ。ビックリ致すことが出来るぞよ」
(大本神諭・明治25年旧5月5日)
 
 とあるので地上天国神国出現は間違いないのである。それ故、私たちがなさねばならないことは心と魂の立て替え立て直し、心と魂の真の自由と自立を獲得確立して真の神と合一し共に生きることである。
 終末の世の栄華は桜の花でしかない。あざやかに美しく咲いてもやがてははかなく散る。(それでもよいというのならそれまでだが)それは真の人の生きる道ではない。あくまでも永遠なる真の神と共に生きて在ることが真実(まこと)の人の生きる道であり、宇宙の法則なのである。(2006.2.11 小田朝章

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