三雲益次郎氏による
 天理・大本の経綸仕組の解明解説


 これより大本の経綸仕組において重大な使命を果たされました三雲益次郎氏による天理・大本の経綸仕組の解明解説を紹介させて頂きます。
 三雲氏は明治43年滋賀県に生まれ、実姉が大本の幹部・松並高義氏と結婚されたことにより、大本に入信されました。その後、大本の経綸仕組において重大な使命を果たされるのです。すなわち、次に紹介する文章には、かつて大本の大弾圧(神殿等を爆破された大事件)が起こった時、その少し前に、まず三雲氏の一家庭にその<型>が示された具体的な経緯が含まれています。天の仕組は、このように小から大へ移写される実例でありましょう。その詳しい経緯については後述します。
 なお、実弟の龍三氏は、昭和13年京都府宮津市の籠(この)神社奥宮の真名井神社に参拝された際に真名井龍神が憑かり、以後龍宮神示(三雲神示)を伝えられました。(龍宮神示については神典研究家・中矢伸一氏の著書『出口王仁三郎大本裏神業の真相』参照)
 戦後、氏は奈良県天理市に移られます。天理市に移られてからは、天理・大本の経綸仕組の解明解説に専念され、膨大な数の解明解説を記した文書を遺されて平成14年91歳で他界されました。
 ここに紹介させて頂きますのは、その遺された文書の一部ですが、天理・大本の経綸仕組がくわしく解明解説されてあります。むろん異論反論はあるでしょうが、天理・大本二大宗教を究明する上で貴重な教示となる内容であることは確かです。ただ、一部とはいえ大部ですので、要約とさせて頂きます。

(< >内はメンバー102による注釈の文章です)
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●この世の創造原理
 
<初めに神はいかなる目的を以てこの世界と人間を創造されたのかについて、天理の神言を基に解説されています。以下に三雲益次郎氏の文章を謹写いたします。(一部仮名遣いを変えています)>
 

  月日にわにんけんはじめかけたのわ
  よふきゆさんがみたいゆへから   (天理筆先 十四ー25)
  
 この天理の筆先を基として解明すれば、果てしなく広がる広大無辺のこの大宇宙を「神のからだ」とされ、森羅万象を形づくられた真実の神の人間創造原理は、全人類が陽気遊山するのを見て、親なる神も共に楽しまれようとされる「元の理」にある事が分かり、この「元の理」という窮極の原理によって、はじめて親神が理想とされる陽気遊山の世界が現実に完成成就されるのであり、人類創造の根本の目的は、実にその一点に集約されてあるのであります。これによって全人類は一つの真実の神のもとに、一列は皆兄弟姉妹であるという神の子たる霊的自覚を各自がもつに至るのであります。
 
「神と云うてどこに神がいるとをもうやろ。此の身の内はなれて神ハなし。又内そとのへだてなし。と言(う)ハ世界中一れつの人間ハ皆神の子や。・・・(後略)」
       明治18年3月28日 天理教祖お言葉(山田伊八郎文書より)
 
 とある如く、「この身の内離れて神はなし」とされるのは、神は生きた人間あっての親神であり、人間は親神あっての神の子であるという、親神と神の子たる人間の創造原理の根本的な関係をこの様なかたちでしるされているのであり、かかる状態となった時、はじめて人間は神の子たる使命を自覚し、且つこれを実行するのであります。
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 ●からとにほん
 
<では、何故世の中が人間がこの創造原理の通りになっていないのか、ならないのか。それについて次のように述べられています。>

 かかる理想の創造原理たる「元の理」により発せられたこの世界が、何故今日の如き人間各々が、我(われ)と他人を区別し、我さえ良ければ良きこととする強気強欲の心を使い、国家は国家と相闘争し合い、宗教と宗教が互いに反目し合い、時には殺人行為まで犯すというが如き、醜い世の中となったのでありましょうか。その重大なる問いかけに対して天理筆先では、次のように記されております。即ち、
 
 いままではからがにほんをままにした
 神のざんねんなんとしよやら     三ー86
 
 とありますが、ここで記されている「から(唐)」とは太古より今日までの人類の我(われ)よし的行き方を示し、親神が理想とされる創造原理たる「元の理」に背反せる行き方を示す神言であり、「にほん(日本)」とは神の「元の理」に合致せし行き方を示す神言であります。決して現界の日本とか外国とかの狭い意味ではありません。この理により、今日まで日本国内に住んでいた人の中でも「から」唐人と相応の人も数多くあり、また反対に欧米その他の国に住んで居る人の中でも、神的「にほん」にふさわしい魂の持ち主の人々も居る事になります。
 要するに、太古より今日までの人類史は、「から」が神的「にほん」を抹殺した如き状態であった事を意味し、「から」式の行き方が全世界を支配しているという、同じ神の子たる人間同士が互いに争い憎み合う状態で、永年人類が歩み来た今日までの人間世界に対して、真実の親神は、「残念」であると嘆かれているのであります。

<そしてこの「からの世」を是正するのに今までの宗教は無力であることを説かれ、真の救世神法の存在を知らされるのです。>

 今日までの既成の道徳倫理や宗教倫理等では、この「からの世」を根本的かつ永久に是正し、病まず死なず弱りなく全人類は兄弟姉妹の一つの神的「にほん」たる地上神国の完成は神則上よりして、絶対不可能であることが天理筆先の解明によってはじめて明白となって来るのであります。
 逆に申しますならば、過去に輩出された偉大な聖者をもってしても、この「からの世」にとどめを打ち得ず、どうすることも出来なかったほどに太古より今日までの「から」の支配原理は、実に強大であったことを過去の宗教史が、これを如実に物語っていることになります。
 従って以上の解明により、この「からの世」にとどめを打ち得る真の救世上の唯一の根本原動力とは、太初親神が人類創造の聖なる時空間に発せられた創造原理の復活のみであることが分かり、これに関して天理筆先には次のごとく記されております。
 
 これまでにとふりてきたるみちすぢハ
 からもにほんもわかりないので    五ー83
 
 とあるごとく、人類が今日まで永年歩んで来た歴史は、まさに根本の「にほん」の創造原理が抹殺された状態の「からの世」であり、永年「から」の支配原理のもとに置かれた「から」の歴史より知らない人間にとっては、親神が理想とされる陽気遊山の神的「にほん」の地上神国なるものは、吾々が想像もつかぬ、いわば現実の「から」の原理とはあまりにもかけ離れたものであり、今日までの「から」の人類史上より得た既成観念等では到底汲み取る事すら出来ぬ秘奥の宇宙神理であるので、今日まで全人類は誰一人としてこれを悟ることが出来得なかった事も判って来るのであります。
 だからこそ親神は何もわからないでいる人類に対して、「陽気遊山が見たい故から」という思惑より、太初森羅万象を形づくり、人間を創造した窮極の根本原理たる「元の理」を詳しく知れ、と叫ばれているのであり、悠久の時をへだてて、この「元の理」を復活再現させ現実のこの地球上に神的「にほん」の地上神国を樹立するという未知の秘奥の神法を発動される道筋のあることを知れ、と親神は吾々に切々と強調されているのであります。即ち、
 
 このもとをくハしくしりた事ならバ
 やまいのをこる事わないのに   三ー93
 
 このみちがたしかみゑたる事ならば
 やまいのねゑわきれてしまうで  三ー94
 
 このたすけどふゆう事にをもうかな
 やますしなずによハりなきよに  十七ー53
 
 とあるごとく、まさにこの道すじの直線的延長線上に、全人類の病の根を切り、病まず死なず弱りなきよう、という人類がかつて経験したことのない、真実の親神の全人類救世神法の発動があるので、「陽気遊山が見たい故から」という元の親神の思惑により、この地上界に再びその創造原理を再現復活されるという、空前絶後の救世神法であるからこそ、病の根を永久に切るという人類史上かつてなき働きとなる事を神示されているのであります。
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 ●何故「からの世」が続いたのか
 
<さらに、なぜ「からの世」になったのか、なぜ神はそれを見許していたかを大本の神典を示して解説され、そして立替え・立直しの宗教大本出現の根本義を明かされるのです。>

 しからば、親神が何故「から」より神的「にほん」の世に早く切り替えられないのかという疑問も生じてまいりますが、この事について天理筆先には次の如く示されております。
 
 月日にハどんなざねんがあるとても
 いままでぢいとみゆるしていた    十七ー64
 
 とある如く、一旦「から」の支配原理の下に置かれた人間界に対しては、いかに創造主といえど容易にこれに介入し、切り替える事の出来ない吾々に判らない法則があるので、やむなく残念立腹と云う状態で今日まで永年にわたり、ジッと神が「からの世」を見許して来たといわれるのであります。
 この事に関して大本神典を調べて見ますと、次の如きものがあるのであります。
 
 天の大神は、最初に天足彦(あだるひこ)、胞場姫(えばひめ)のふたりを造りて、人体の祖となしたまひ、霊主体従の神木に体主霊従の果物を実らせ、
『この果物を喰ふべからず』
と厳命し、その性質のいかんを試みたまうた。ふたりは体欲にかられて、つひにその厳命を犯し、神の怒りにふれた。
 これより世界は体主霊従の妖気発生し、神人界に邪悪分子の萌芽を見るに至ったのである。かくいふ時は、人あるひは言はむ。
「神は全知全能にして智徳円満なり。なんぞ体主霊従の萌芽を刈りとり、さらに霊主体従の祖を何ゆゑに放任し、もって邪悪の世界をつくり、みづからその処置に困(くるし)むや。ここに至りて吾人は神の存在と、神力とを疑はざるを得じ」
 とは、実に巧妙にしてもっとも至極な議論である。
 されど神明には、毫末の依枯なく、逆行的対策なし。一度手を降ろしたる神業は昨日の今日たり難きがごとく、弓をはなれたる矢の中途に還りきたらざるごとく、ふたたび之を更改するは、天地自然の経緯に背反するゆゑに神代一代は、これを革正すること能はざるところに厳然たる神の権威をともなふのである。また一度出でたる神勅も、これを更改すべからず。神にしてしばしばその神勅を更改し給ふごときことありとせば、宇宙の秩序はここに全く紊乱し、つひには自由放漫の端を開くをもってである。古(いにしえ)の諺にも『武士の言葉に二言なし』といふ。いはんや、宇宙の大主宰たる神明においてをやである。神諭にも、

『時節には神も叶はぬぞよ。時節を待てば煎り豆にも花の咲く時節が参りて、世に落ちてをりた神も、世に出て働く時節が参りさぞよ。時節ほど恐いものの結構なものは無いぞよ。云々』

 と示されたるがごとく、天地の神明も『時』の力のみは、いかんとも為したまふことはできないのである。
 天地剖判の始めより、五十六億七千万年の星霜を経て、いよいよ弥勒出現の暁となり、弥勒の神下生して三界の大革正を成就し、松の世を顕現するため、ここに神柱を立て、苦集滅道を説き道法礼節を開示し、善を勧め、悪を懲らし、至仁至愛の教を布き、至治泰平の天則を啓示し、天意のままの善政を天地に拡充したまふ時期に近づいてきたのである。

<上記のものは、大本の出口王仁三郎聖師が神命により神界霊界を探検された時に霊得されたものを口述されたという出口聖師神示の『霊界物語』一巻の発端より引用したものです。>

 右にある、知恵の実を食べてエデンを追放されたアダムとエバの両人は永遠の生命を失い、死の宿命の下に置かれたままで来たのが今日只今の世界であり、これは天理神典上では病まず死なずの神的「にほん」より、天変地異や病や死のある「からの世」となった事と同一神意であることが分かり、神がアダムとエバの知恵の実の世を五十六億七千万年の末法の時節到来まで、この世を更改しエデン神国に復活させる事を待って居られたということと、天理親神が「から」が「にほん」をままにして来た事を残念立腹の状態でジッと今日まで見許して来られたという神的旬刻限が、全くの同一のものなる事を表していることになります。
 親神は人類に病まず死なずの陽気遊山をさせたいため人間を創造されたが、これが「唐がにほんの地に入り込んでままにした」ため、この元の理が破られて様々な悪現象が人間界に発生して、病や天・地災、人間同士のいがみ合いによる大終末の様相を呈するようになった根本原因を、『聖書』ではサタン悪魔と神示され、大本では悪神と示され、仏教では「劫」という形で表現されておりますが、何れも抽象的であり、吾々には的確にこの本体を汲み取り難い点がありますが、天理筆先では「唐人コロリこれを待つなり」と、その目的を明示され、その後に病まず死なずの陽気遊山の世界がこの世に到来するという神国樹立するためには如何なるものを排除し、如何なる方法手段でこの一大聖業が成就するのであるかとの要所を的確に明示されているのであります。
 この理により大本は、神国完成するため絶対に通らねばならぬ大関門たる「唐人コロリ」を、親神と人との神人合一して成就するという、この一点に大本出現の根本義が一切集約されていた事が分かるのであります。
 
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●日本神話と聖書および天理・大本神典による救世の神法
 
<以上のように天理・大本の神言を示され、次に日本の古典を加えて、いよいよ救世の神法を詳細に解明解説されます。>

 ある日、瓊々杵命(ににぎのみこと)は笠沙(かささ)の浜を歩いておられると、美しき女に遇われた。
「そなたは、誰の女(むすめ)であるか」
「大山津見神(おおやまつみのかみ)の女で、名は神阿多都比売(かみあたつひめ)、一名木之花佐久耶比売(このはなさくやひめ)と申します」
「そなたに兄弟があるか」
「石長比売(いわながひめ)と申す姉がございます」
「私は、そなたと結婚したいと思うが、どうであるか」
「私はお返事しかねます。父、大山津見神が申し上げるでございましょう」
 そこで、大山津見神に申込みになると、非常に喜んで、姉の石長比売も副えて、数々の品々をもたせて奉った。
 ところが姉の石長比売は甚だしい醜女(しこめ)であったので、命は妹の木之花佐久耶比売のみを止めて石長比売を返された。大山津見神は嘆息して、
「私が石長比売を差し上げたのは、天孫の命が、末長く風雨に耐えて、何時までも巖のごとくお変わりのないようにと思ったためで、木之花佐久耶比売を差し上げたのは、木の花の華やかに咲きほこるように、お栄えになるよう願って奉りました。しかるに今、石長比売を返して木之花佐久耶比売を一人お留めなすったなら、天の神の御子の御寿命は、木の花のようにもろくおいでなさることでしょう」と申しました。
 こういう次第で、今日に至るまで天皇の御寿命が長くないのです。 
 『古事記』
 一説では、磐長(石長)姫は恥じ恨んで唾を吐き呪って泣き、「この世に生きている青人草(人民)は、木の花のごとくしばらくで移ろって衰えしまうでしょう」と。これが世の人の命がもろいことの原因であるという。
 『日本書紀』
 上記の古事記・日本書紀の神話によって分かる事は、人間が石長姫より生まれたならば、石が不死である如く、人間の生命も永遠に不死の生命を保有することが出来るが、天照大神より降臨せしニニギの命は、木の花の如く華やかに一旦は栄えるが、これは木の花が脆くも散り果てる如く、人間の生命も脆く散る寿命の短い宿命の木の花の方をニニギの命が自ら選んだ事になり、『日本書紀』にはこのニニギの命が選んだ寿命の短い木の花の宿命因縁は、ニニギの命のみの天孫系にとどまらず、これより後の世の人々もこのニニギの命の寿命の短い木の花の宿命下に置かれた事が記されてあることに注目すべきであります。
 木の花が一時的に華やかに栄えても、これには永遠性がなく、やがては脆く散り果てるという因縁性来は、桜の花がパッと華やかに開き、散る時は一時に呆気なく散るという桜の性来が、この木之花佐久耶姫の因縁にピッタリの花であるので、木之花佐久耶姫を象徴するのに今日まで桜の花が用いられて来たのであります。
 アダムとエバがエデンの園に居た時は永遠の生命を保有していたが、サタンたる蛇の誘惑によって、禁断の木の実たる知恵の実を食べたため、神の怒りに逢って、遂に二人は永遠の生命のエデンより追放され、追放された後はアダムとエバ及びその子孫は、凡て死の宿命に置かれたとある『聖書』は、天照より降臨せしニニギの命が石長姫を退け、木之花佐久耶の桜の方を自主的に選んだので、これが原因となって世の人々は死の宿命下に置かれたとある日本古典とは、全く同一神意なる事が判って来るのであります。
 これらによって、『聖書』にある死の宿命、知恵の実より永遠の生命のエデンへ復活するという事と、天理で示されている死の宿命の唐人系の現界より病まず死なずの天・地災のない陽気暮らしの神国に復活させるとの親神の人類救世の道とは、全く同一神意を予言されたものである事が分かって来るのであります。
 これらによって『聖書』の知恵の実による死の宿命の今日の世は、天理神典にある死や病や天・地災のある「からの世」に該当し、これを「にほんの世」に切り替えられれば、病まず死なずの天・地災のない陽気暮らしの神国になるという事と、『聖書』の永遠の生命のエデンの楽園に復活する事とは、同一神意なる事が明らかとなってまいります。
 それ故、この唐の悪の世より、神的「にほん」に根本改造するにはどうしてもこの世の諸悪の発生源であるニニギ、木の花の十六菊唐人の直系にとどめを打つ以外に、これを是正根本改革する神的手段方法はないので、親神は敢えて、
 
 にち/\に神の心のせきこみハ   
 とふぢんころりこれをまつなり  (天理筆先 四ー17)
 
 高山のしんのはしらハとふじんや
 これが大一神のりいふく     (同上 三ー57)
 
「高山の真の柱は唐人や」「日々に神の心の急き込みは、唐人コロリこれを待つなり」と大宣言された遠大なる救世のための親神の神慮の奥義も、以上の解明により、吾々は成程と合点なし得られて来るのであります。
 また斯くせざれば人本来の性は善なりとの創造原理の復活も不可能であるとの神の理も、自ずから開悟されて来るのであります。
 大本神諭には次のように出ています。
 
 まえの天照皇大神宮(てんしょうこうたいじんぐう)どののおり、岩戸へおはいりになりたのを、だまして岩戸を開いたのでありたが、岩戸開くのがうそを申して、だまして無理に引っぱり出して、この世は勇みたらよいものと、それからは天宇受女命(あめのうずめのみこと)どののうそが手柄となりて、この世がうそでつくねた世であるから、神にまことがないゆえに、人民が悪くなるばかり。 (明治38年旧4.26)
 
 こんどの二どめの世の立替えは大もう〈望〉と申すのは、天照皇大神宮どののおりの岩戸を開くおりが間ちごうておる、だまして岩戸から無理やりに引っぱり出すのが間ちごうておるのざ。それからうそでこの世がかためてあるぞよ。 (明治36年旧11.29) 
 何事がありても、神、取次をうらめなよ。みな罪業(めぐり)であるぞよ。太古からの因縁がわかる世になるから、よほど皆改信をいたさぬも、みな罪穢が出てくるのであるから、この罪業をとらぬと、思うようには行かぬから、天地の神さまにお詫びをいたして、おゆるしをいただかねば、世界の人民思うように行かぬぞよ。世がかわれば物事もかわるぞよ。(明治33年旧正.3)
 
 上の大本神諭により、今日只今の唐の世の根本悪の原因は、決して七世紀とか三世紀とかの浅い年限の問題ではなく、太古よりの因縁性来より発生したものである事を神示されて居り、それ故この世を根本改造して天・地災や病のない陽気ぐらしの神国造りは、どうしても太古の根本の唐の発生源を除去する事より始めなくては、三千世界の立替えにならないのであるから、親神は先ず中山ミキ天理教祖の口を借りて、太古の天照大神の力で開いた嘘の世やニニギ・木の花の死の宿命の桜の我よし的唐の世の総元締めの直系の因縁性来である「高山の真の柱をコロリと倒す」一事を親神は、何故急き込まれて居られるのかという親神の神心の奥義もこれらによって吾々にも分かって来るのであります。
 天照・ニニギ・木の花の直系の末孫である唐人真柱は神に等しき権力を振るいながら、天照伊勢の神風とか神国日本とか申して世界に誇ってまいりましたが、昭和16年12月8日を最後として、遂に昭和20年8月15日に親神の審判が降ったのであります。
 親神の主目的は、全世界の人々を一括して救わんとされる救世の助けであり、今までの個人救けは救世ではなく救人である処に救世の神的「にほん」の助けと救人の今までの個人助けの理の根本的なる理の違いがあるので、親神は、救世上どうしても、「唐人コロリ」より始めねばならない事となって来るのであります。
 
 しからば大本に於いて、天理の神の残念立腹たる唐人真柱を8月15日でコロリと倒す神の経綸が、実際大本に於いて発動したか否やを究明せねばならない事になってまいります。
 昭和10年12月8日の大本弾圧に端を発したものが、6年後の昭和16年12月8日の大東亜戦争へと移写拡大されて、昭和20年8月15日という日柄に「唐人コロリ」が成就された事が分かるのであります。この昭和10年12月8日は当時日本にその名を轟かせた昭和神聖会運動により、8百万人もの協賛者を得て、昇天の勢いで大活躍をした出口王仁三郎聖師が、大本島根別院の三六(みろく)亭で検挙された日柄であり、以来6年8ヵ月の未決入りとなり、また大本の神苑内にあった施設は悉くダイナマイトでその他一つ残らず破壊され、全国の大本関係施設や神聖会施設等も一切破壊され、聖師以下大本の幹部や地方の有力なる要人までも全員獄に繋がれ、中でも出口聖師の後継者であった出口日出麿師は獄中取調べによる拷問のため、精神に異常をきたし、これが今日に至るも完全に治って居らぬままで平成3年12月25日昇天という悲惨な事態を引き起こしたという日本宗教史上例を見ぬ大弾圧となったのであります。
 この昭和10年12月8日の大本弾圧こそ明治より天理筆先に予言されたる「日々に神の心の急き込みは唐人コロリこれを待つなり」という親神の全世界救世のための実地の第一号発動であり、これが神の経綸の上の「神の雛型」となって昭和16年12月8日の大東亜戦開戦へと移写拡大され、遂に8月15日という日柄に親神の念願たる唐人コロリが成就したという大本と日本唐人帝国との明治以来の歩みの動向の中に、今日までの個人の病たすけの既成宗教倫理や人間倫理等とは180度次元が異なる今日までの唐の人類史上にはかつてない、言いおきにも書きおきにもない神的「にほん」の親神の救世神法は、まさにこの12月8日と8月15日との動向の中に実際に展開された救世第一号の発動であったと吾々は断定し得られるのであります。
 こうして明治25年発足した大本が、親神の残念立腹たる「唐人コロリ」を12月8日によって実際に達成した事は、大本の神言が一点の狂いがなかった事を実証する何よりの神証となる事が確証されるのであります。
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●三雲氏が「12月8日の仕組」に果たした役割
 
<続いて12月8日の仕組における三雲氏とその周囲の活動が語られます。>

 昭和9年の秋に神様は松並高義(義兄)に対して、今度の仕組は、三千年前釈迦が明けの明星が東天に輝いていた12月8日の朝に悟りを開いたと同様に、今度は全人類を救済するための明けの明星12月8日の仕組を始めるのだと神示され、先ずその第一歩として琵琶湖の竹生島に参拝せよとの神命により、松並夫妻、三雲の父、実兄、実弟の龍三、その他松並宅に出入りしていた神憑り6人の計11人で竹生島に参拝した。これが明けの明星12月8日の仕組の始まりであったのであります。
 そして、昭和9年10月三雲の祖母が昇天。松並や三雲龍三には祖母の葬式は絶対仏式でしてはいけない、大本葬にせよと神様よりきびしく言われました。
 何故神様は、大本葬を強調されたかの神意は、三雲家そのものが仕組上で大本そのものになり切った型をさせるべく、この様にさせられた事が後日になって判明したのであります。
 その後も数々の経綸上の多方面の動きが、大津の三雲家を中心としてありましたが、これらの一つ一つがすべて、明けの明星12月8日の仕組のために必要な道具立てであったのであります。
 そして昭和10年2月に大津の三雲宅で剣の祭典をせよとの神命が降下し、剣の祭典を行い、そしてこの剣を大本の出口聖師に神命により献納したのであります。出口聖師はこの剣を神聖丸と命名されて大本の昭和神聖会の守り刀とされたのであります。そして大津の三雲宅に昭和神聖会大津支部との看板を表に掲げたのであります。
 その後、三雲の父は、昭和10年9月19日66才で昇天。父の遺骨を大本に納骨しようとしたら、神様より「納骨はしばらく待て」との神示により納骨せずに居た処、昭和10年11月16日早暁三雲宅に大型トラックが突入し、表の柱2本を折り、昭和神聖会大津支部の看板も2つに割れ、破壊してしまったのであります。
 この後、神様より「昭和9年神命により竹生島に参拝し、三雲の祖母の葬式の件、神聖丸を出した三雲の父の死、三雲宅にトラックが突入し、神聖会大津支部の看板が割れて飛んだ事等々は、すべて明けの明星12月8日の仕組を成就させるための神の仕組であり、これらの「ス」の種<スとは元というような意味で、すみ切る、主神および霊体一致を表す言霊>は、すべて三雲の父の遺骨に胎動されて居るのであるから、この父の遺骨を綾部大本に納骨すれば、これを受け取った大本は、明けの明星12月8日の仕組をする事になるのだ」と吾々に直接神示された通り、三雲の父の遺骨を納骨した11月16日より22日後、吾々に前以て予言された通り、現実に大本は、明けの明星が輝いていた12月8日の朝、実際に弾圧されたのであります。
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●人間完成が実現する世界
 
<唐人コロリの後にはどのような世界となるのでしょうか。ここで『聖書』が引用されています>

「かれらの目の涙をことごとく拭い去り給はん。今よりのち死もなく、悲嘆(かなしみ)も号叫(さけび)も苦痛(くるしみ)もなかるべし。前(さき)のもの既に過ぎ去りたればなり」
 神は、全人類に対して、涙を流して悲しむという様な事は、この世界より永久に悉く根絶されるのであります。今までは、病死や事故その他不慮の天災等による死によって生じる苦しみや悲しみによる涙、又男女間がスムーズにいかないために起こる夫婦の離別や男女の浮気によって生じる不和による離婚や、また怨みより生じる殺人・傷害等のトラブルによる精神的な苦しみ・悲しみ等々も、世界より神は永久に根絶されるのであります。
 また、近くは阪神大震災の如き天・地災も根絶されることは、天理神典上より見ても明らかな処であります。
 来世生まれかわる先が自覚され、死という壁を意識する事なく生まれかわり、また陽気遊山が出来るのである事よりして、今世の想念そのままを来世に持ち続ける事が出来るのであるから、生まれかわっても前世の事も分かるので、前世でこの様にすれば今世でこの様になり、さすれば今世でこの様にすれば来世はよりよき生涯が送れるという、過去・現在・未来の三世を達観しながら、親神の神心に正しく添いながら、精神的においては死という壁を感じない永遠の生命を保有するという人間完成が実現し、この様にして人は三世を達観しながら、親神と共に永遠に神人和楽の生命を持続し得られるという世界がこの世に実現されます。
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●日本人の使命
 
<昭和20年8月15日に唐人コロリが成就したのなら、何故今も「からの世」のままなのか。再び唐人コロリはあるのか、あるとしたらそれは何時か。この事について解明解説されます。>

 以上の解明により、導き出された神の残念の「かやし〈返し〉」は、いったい何時発動されるのか、それはもう発動されているのか、逆にまだ発動されていないのかという疑問が生じてまいりますが、太古より今日に至る永年の「からの世」に対して「どうも何とも言うに言われん」とまで残念至極の胸中を記された親神は、「からの世」を「にほんの世」に切り替えるためには、今までの「からの世」を「から式」に牛耳ってきた国家権力者や「から式」救人助けによって、大きくなった宗教権力者が中心体となって、幅を利かせて来た唐の世を支配する世界の霊的代表者が、太古より「からの因縁」を連綿と続いてきた高山の唐人真柱をどうしてもコロリと倒さなければならなぬという全世界の救世上の大前提がある事が天理神典によって分かり、それ故明治の時点より、親神は、この事が成就するのを急き込まれて居られるのであります。
 大本神諭に、
「皮は今日でも変わるが、魂の因縁は変える事は出来んぞよ。」
 とある如く、太古ニニギの命が神的日本より唐式に背反した悪の魂の因縁性来は、代々の唐人真柱にこの悪因縁が伝承されつつ今日まで唐式一辺倒に来たのであり、この期間が即ち親神が残念立腹のままでジッと見許して居られた期間に該当するのでありますが、いよいよ明治王政復古により、唐式の唐人真柱が唐式の最頂点に達した時を契機として、親神は、遂に唐系の末孫である唐人真柱に対し、神が返報返しをするぞ、との神的旬刻限が到来した事を、明治より天理教祖の口を通して、また筆先により親神は、切々と吾々全人類に一大警告を発せられつつ、永年の唐の支配原理より神的日本の原理に改心復活すべしと叫び続けられている事を、吾々は神的「にほん」の活眼を開いて至誠を以て親神に応え奉らねばならない、この世始まって以来、最初にして最後である容易ならざる神機が来た事を悟らねばならない時節が到来したのであります。
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●三雲氏が日本人に呼びかけた言葉

<以上で三雲益次郎氏の天理・大本の経綸仕組の解明解説の紹介を終わりま す。
 あまりに拙い紹介で、今は亡き三雲氏の御霊に対して申し訳なく思います。
 今回は、あくまでも一般的なことを紹介しました。この他にも大本そのものの解明解説や八頭八尾のオロチ退治の仕組等々の興味深い解明解説がありますが、それらは次の機会に紹介したいと思っております。
 最後に、今この重大な神機にあたって三雲氏が、広く日本人に向けて呼びかけられた言葉を紹介しておきます。>

 
 日本は世界の中心となりて、一列兄弟姉妹の神国を造らねばならない尊い使命が本来の日本人にあるのでありますが、肝心のこの日本に唐人が入り込んで、唐人式の世にしてしまい、これによって「病まず死なず」の神国の理が壊されてしまったために、日本人そのものが、我(われ)よし式に互いに争い、他人を押しのけても自分が先になろうとして、唐人式に日本人が染まり切っているために、我と他人とが争い、この様なことが原因となって、悪い病や災害等が、この世に発生する事となったのであるから、日本人そのものが、我よしの今までの世より、一厘の肉体そのままの統一神に神を改める改神をしなければならないのであります。
 全世界の人々が、互いに争い小言が絶えない様になっているのも、これらはすべて世界の中心となるべき日本人自身の責任である事になります。
 かかる意味よりして、現代の日本人は、明治以前の徳川時代の昔の人々よりは、何十倍も責任が重いのが、現在只今の日本人の使命である事になります。又このような全世界を救うという大使命が、現代の吾々にあるという事は、昔の人よりは、神的に遙かに幸せものであるという事にもなります。
 これほど重大な使命が日本人にあるのでありますが、昔から悪の世の中に染まり切っているため、何ほど神が言い聞かしても泥に染まり切った日本人は、外国人より劣った日本人が沢山居るのでありますから、神様も大変苦労されているのであります。
 しかしこの世の大峠、即ち最後の審判の刻限が刻々と近づいて居る現状では、一騎当千の千載一遇の又とない取ったか見たかのこの世の大峠には、数は少なくても一厘のキッスイの統一神の神心を一日も早く悟りて、永遠の神国完成の神業に命がけで御奉仕しなければならない神機が来ているのであります。     (04.2.27=小田朝章)

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