神の嘆きと訴え

 今はまさにキリストの預言から見て終末に到ろうとしている。されど人々は、十年一日のごとく過ごしており、明日も今日のように変わらぬ一日となることを信じている。(この状況もキリストの預言通りであるが)
 しかし、神から見れば、なんとも危なく歯がゆいらしい。
 そこで時代を超えた神の人類に対する嘆きと訴えを、大本神諭・天理筆先から取り上げて紹介することにしよう。(中には不適切な表現もあるが、神言であるので、あえてそのまま掲載する)

 
●出口なお「大本神諭」(明治33年旧5月5日)

「いまの世界の人民は、服装(みなり)ばかりを立派にかざりて、うえから見れば結構な人民で、神もかなわんように見えるなれど、世のもとを創造(こしらえ)たまことの神の眼からみれば、さっぱり邪霊(あくがみ)の守護となりておるから、頭(かしら)に角がはえたり、尻に尾がでけたり、むやみに鼻ばかり高い化け物のはばる(のさばる)暗黒(やみくも)の世になりておるぞよ。
虎や狼はわれの食物(たべもの)さえありたら、まことにおとなしいなれど、人民は虎狼よりも悪がつよいから、欲に限(き)りがないから、なんぼものがありても、満足(たんのう)ということをいたさん、むごい精神(こころ)になりてしもうて、鬼か大蛇(おろち)の精神(こころ)になりて、他(ひと)の国をとったり、他(ひと)のものを無理して強奪(ひった)くりたがる、悪道(あくどう)な世になりておるぞよ。これもみな、悪神(あくがみ)の霊のしわざであるぞよ。もうこれからは改心をいたさぬと、艮(うしとら)の金神があらわれると、厳しうなるから、いままでのような畜生のやりかたは、いつまでもさしてはおかんぞよ。
 いままで好きすっぽう、しほうだいのわれよしの人民は、つらくなるぞよ。はやく改心いたさんと、大地(おつち)の上にはおいてもらえんことに変わりてくるから、神がくどう気をつけるなれど、知恵と学とででけた、いまの世の人民の耳には、はいりかけがいたさんぞよ。
 いちどに立替えをいたせば、世界に大変な人減りいたすから、日時(ひにち)をのばして、一人なりともよけいに改心さして、救(たす)けてやりたいと思えども、どのように申しても、いまの人民は聞きいれんから、世界になにごとが出来(しゅったい)いたしても、神を恨めてくださるなよ。世界の神々さま、守護神どの、人民に気をつけるぞよ。無間(むげん)の鐘をうちならして、むかしの神が世界の人民に知らせども、めくらとつんぼとの暗がりの世であるから、神のまことの教は耳へはいらず、一も金銀(かね)、二も金銀(かね)ともうして、金銀(かね)でなけら世がおさまらん、人民は生命(いのち)がもてんように取りちがいいたしたり、他(ひと)の国であろうが、他(ひと)のものであろうが、すき間さえありたら奪ることをかんがえたり、学さえありたら、世界は自由自在になるように思うて、物質の学に深はまりいたしたり、妾やあしかけを沢山にかかえて、ひらけた人民のやりかたと考えたり、恥も畏れも知らぬばかりか、他(ひと)はどんな難儀をいたしておりても見て見んふりをいたして、我が身さえ都合がよければよいと申して、やまと魂を悪神にひきぬかれてしもうて、国のことども一つも思わず、このさきはどうして世がたちてゆくと思うておるか、わからんと申してもあまりであるぞよ。
 病魔(やまいがみ)がそこら一めんに覇(は)をきかして、人民をのこらず苦しめようとたくみて、人民のすきまをねらいつめておりても、神にすがりて助かることも知らずに、毒にはなっても、薬にはならぬものに、たくさんの金を出して、長命(ながいき)のできる身体(からだ)をわやにしられておりても、夢にもさとらん馬鹿な人民ばかりで、やまと魂の人民は、指でかぞえるほどよりかないとこまで、世がくもりて来ておりても、どうもこうも、よう致さんようになりておるくせに、弱肉強食(つよいものがち)の世のやりかたをいたして、これよりほかに結構な世のもちかたはないと申しておるぞよ。
 上に立ちておりて、今までけっこうに暮らしておりて、いまは口先ばかり立派に申しておりても、さあ今というとこになりたら、もとから利己主義(われよし)の守護神であるから、ちりぢりばらばらに、逃げてしまうものばかりがでけてくるぞよ。
 神がながらく苦労いたして、一人(いちにん)なりと人民を改心さして、やまと魂をこしらえて、世の立替えの間にあわしたいのであれど、いまの人民は、さっぱり四つ足の精神になりておるから、なにほど結構なことを申して知らしてやりても、いまの今まで改心をよういたさんように、曇りきりてしもうたから、神も手を切らなしようはないが、これだけ神が気をつけるのに聞かずにおいて、あとで不足は申してくださるなよ。神はもう一(ひと)きりにいたすぞよ。
 いまの人民は、悪がつよいから、心からの誠ということがなきようになりて、他(ひと)の国までよわいと見たら、無理にとってしもうて、とられた国の人民は、あるにあられん目にあわされても、なにもいうことはでけず、おなじ神の子でありながら、あまりひどいやりかたで、畜生よりも、もひとつむごいから、神がこんどは出て、世界の苦しむ人民を救けて、世界中を桝かえ引きならすのであるぞよ。
 艮の金神が三千年あまりて、世に落ちておりて、かげから世界をつぶさんように、つらい行をいたして、経綸(しぐみ)をいたしたので、もう水ももらさんようにいたしてあるなれど、神はそのままではなにも出来んから、因縁ある身魂をひきよせて、懸かりてこの世の守護をいたすのであるぞよ。
 なかなか大もうであれど、時節まいりて変性男子(へんじょうなんし・大本開祖出口なお)と変性女子(へんじょうにょし・大本聖師出口王仁三郎)との身魂が、そろうて守護があり出したから、いろは四十八文字の霊魂(みたま)を、世界の大本、綾部の竜宮館(りゅうぐうやかた)にぼつぼつとひきよせて、神がそれぞれご用を申しつけるから、素直にきいてくださる人民がそろうたら、三千年あまりての仕組がいちどに実現(なり)てきて、いちどにひらく梅の花、万劫末代(まんごまつだい)しおれぬ花が咲いて、三千世界は勇んでくらす神国になるぞよ。
 人民の天からのご用は、三千世界をおさめ神の手足となりて、わが身すてて、神のご用をいたさなならぬのであるから、悪には従われぬ、尊い霊魂(みたま)であるのに、みな大きな取違いをいたしておるぞよ。
 
●中山みき・天理筆先(第十二号81〜100)
 
 このみちを月日の心にち/\に
 せきこんでいるたれもしらずに
 
 このみちゑはやくついたる事ならば
 どんなものでもみないさむてな
 
 このはなしたれがするとハをもうなよ
 月日の心はかりゆうのや
 
 このよふのしんちつなるをせかへちうへ
 とふしてなりとしらしたいゆへ
 
 けふまでわ一日なりとひをのばし
 とのよな事もしかゑいれども
 
 このたびハもふひがつまりきるからハ
 どふむしかゑる事ハでけんで
 
 なんどきにとのよな事をきいたとて
 これハ月日のざねんりいふく
 
 月日にわどのよなものもわが子なり
 かわいばかりでみてハいれども
 
 いまゝでハせかいぢううハ一れつに
 めゑ/\しやんをしてわいれども
 
 なさけないとのよにしやんしたとても
 人をたすける心ないので
 
 これからハ月日たのみや一れつわ
 心しいかりいれかゑてくれ
 
 この心どふゆう事であるならば
 せかいたすける一ちよばかりを
 
 このさきハせかいぢううハ一れつに
 よろづたがいにたすけするなら
 
 月日にもその心をばうけとりて
 どんなたすけもするとをもゑよ
 
 このたすけどふゆう事にをもうかな
 ほふそせんよにたしかうけやう
 
 またゝすけりうけ一れつどこまでも
 いつもほふさくをしゑたいから
 
 このみちをはやくしこもとをもゑども
 一れつ心わかりないので
 
 せかいぢうどこにへだてわないほどに
 一れつしやんしてくれるよふ
 
 しんぢつに心にさだめみなついて
 神のゆう事そむきなければ
 
 それよりも月日の心しいかりと
 うけとりしだいたすけせきこむ

              (2004.5.26=小田朝章・記)
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