三つの「大本(元)」のことば

 大本の神諭で先走り(先行の意であろう)とされた天理・金光・黒住・妙霊の中で、黒住と金光には共に「おおもと」の言葉が出てくる。
 すなわち黒住教の場合、黒住宗忠教祖は、備前国御野郡(みのごおり)上中野村(現・岡山市大元)に生まれており、人は黒住教や黒住教本部を大元(おおもと)と呼んでいた。
 金光教の場合は、教祖が取次(人の願いを神に、神の思いを人に伝えて、神人ともに、あいよかけよで助かっていく世界を顕現するための働き)を行い、人々を教え導いた場所を大本社(おおもとやしろ)と呼んでいた。
 以上二つの「おおもと」と大本の歌と立教開教の神言を紹介いたします。

 
    黒住教祖の歌
  月は入り日の今いづるあけぼのに
  我こそみちのはじめ成りけれ
  
    金光教立教神伝 安政6年10月21日
「金子大明神(こんしだいみょうじん・金光教祖)、この幣切り(金光教祖が神命によりご幣を作ったこと)境に肥灰(こえばい・農業)さしとめるから、その分に承知してくれ。外(そと)家業はいたし、農業へ出、人が願い出、呼びに来、もどり。願いがすみ、また農へ出、またも呼びに来。農業する間もなし、来た人も待ち、両方のさしつかえに相成り。なんと家業やめてくれんか。 
 其方四十二歳の年には、病気で医師も手を放し、心配いたし、神仏願い、おかげで全快いたし。その時死んだと思うて慾を放して、天地金乃神を助けてくれ。
 家内も後家になったと思うてくれ。後家よりまし、もの言われ相談もなり。子供連れてぼとぼとと農業しおってくれ。
 此方(このかた)のように実意丁寧神信心(じついていねいかみしんじん)いたしおる氏子が、世間になんぼうも難儀な氏子あり、取次ぎ助けてやってくれ。神も助かり、氏子も立ち行き。氏子あっての神、神あっての氏子、末々繁盛いたし、親にかかり子にかかり、あいよかけよで立ち行き、とお知らせ。」
  
    大本神諭 (明治25年旧正月)
「三ぜん世界一同(いちど)に開く梅の花、艮の金神の世に成りたぞよ。梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。
 日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ。かいこくはけものの世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本もけものの世になりて居(お)るぞよ。尻の毛まで抜かれて居(お)りても、未だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。是では国は、立ちては行かんから、神が表に現れて、三千世界の立替え立直しを致すぞよ。
 用意を成されよ。この世は全然(さっぱり)新(さら)つの世に替えて了(しま)うぞよ。 
 三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下大平に世を治めて、万古末代(まんごまつだい)続く神国の世に致すぞよ。神の申した事は、一分一厘違わんぞよ。毛筋の横幅ほども間違いは無いぞよ。
 これが違うたら、神は此の世に居(お)らんぞよ。」
 
 なお、それぞれの立教開教は、黒住教が1814年(文化11年)、金光教は1859年(安政6年)、大本は1892年(明治25年)です。ちなみに天理教は1838(天保9年)。 (2004.4.25=小田朝章) 

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