宗教を脱して神を悟る
かつて大本の出口王仁三郎聖師は、次のように語られた。
「わしはなあ、この世でまず仏教を滅ぼす型をやるのや。それがいろいろな宗教を滅ぼす型になるんや」
「宗教というものがないのが、ほんま素晴らしい世の中になるんや。そのために、型の大本を潰させれば、他の宗教も没落するのや」(神典研究家・中矢伸一氏の著書「大本裏神業の真相」180〜182頁)
実はこれこそが、12月8日の仕組の秘密を明かした言葉だったのです。12月8日の仕組は先に紹介いたしました三雲益次郎氏の文書にありますように「唐人コロリ」の仕組でありますが、この唐人・唐には宗教が含まれているのです。
すなわち仏教の開祖釈迦が悟りを開いた12月8日に仏教の救世主・弥勒の型である宗教大本を潰させることによって、他の宗教が没落するというのであります。
では、何故に出口聖師が言うように宗教のない世の中が素晴らしいのか。そればまず宗教が築いた壁・垣があります。人類は一列兄弟姉妹であるのに、宗教が壁・垣を築き、時には敵対し、戦争まで引き起こしている。これではいつまでも世の中は治まらない。
さらに問題なのは、本来全ての人間は神の子であるから、拝するのはあくまでも親である神でなければならないが、宗教では往々にして神以外のものを崇拝する。特にその宗教の創始者や指導者、あるいは神秘的な力を発揮する人間を崇拝するようになり、その結果、神に背を向けることになる。すなわち神と人間との断絶である。
なお崇拝とは、東のキリスト教ギリシャ正教では、「従うという行為をとおし、相手に自分をゆだね、相手と交わることである」としている。
親なる真の神は、子である全人類と合一し、地上に神国・天国を実現させようとされている。しかし現実には、その神が宗教の数ほど、いやそれ以上に存在する。そしてそれぞれが真の神、創造神と主張しているのである。
これはまさに混乱である。こういう状態では、親なる真の神と全人類が一つになりようがない。それ故、真の神は宗教を取り払い、唐の世をも倒し、真の神と全人類が一つになる地上神国・天国を実現させようと仕組されたのが、12月8日の仕組であったのです。
前記の出口聖師の言葉によれば、宗教は滅びの道となっております。したがって、宗教を脱しなければならないのです。宗教を脱してどうするか。それについては、12月8日に悟りを開いた釈迦の遺教に、
「弟子らよ、御身達おのおの自らを燈(ともしび)とし、自らを頼りとせよ。他(ひと)に頼ってはならぬ」
とありますように、自己を燈(ともしび)として真の神を観、感得し、悟ることです。
では、どうやって神を観、感得し、悟るのか、それは世の中の出来事や動きの中から神を観るのです。「大本神諭」には、
「世界に大きな事や変わりた事が出て来るのは、皆この金神の渡る橋で在るから、世界の出来事を考えたら、神の仕組が判りて来て、誠の改心が出来るぞよ。
世界には、誠の者を神が借りて居るから、漸々(だんだん)結構が判りて来るぞよ。善き目醒(めざ)ましも在るぞよ。又悪しき目醒(めざ)ましもあるから、世界の事を見て改心を致されよ。
新(さら)たまりて世を替えるぞよ。」(明治26年)
また『聖書』では、「神は歴史を通して存在を明かす」としております。
このように世界の動きの中から神の働きを観察し感得していく信仰を持つことが大切なのであります。確かに神は、世界世の中の動きの中に姿を現しております。その最も顕著な事例を、大本と日本の国の出来事から見ることにしましょう。
大本 日本
昭和神聖会発会式 第二次近衛内閣の成立
(昭和9年7月22日) (昭和15年7月22日)
第二次大本事件勃発 大平洋戦争勃発
大本一斉検挙始まる 特別攻撃隊が真珠湾突入
(昭和10年12月8日) (昭和16年12月8日)
綾部・亀岡両聖地の譲渡と 東京初空襲、その後の
その後の建造物破壊開始 空襲は日本全土に及ぶ
(昭和11年4月18日) (昭和17年4月18日)
大審院にて無罪の判決下る サンフランシスコ講和条約調印
(昭和20年9月8日) (昭和26年9月8日)
大本本部発行「大本案内」より
以上でありますが、くり返し述べれば、先の「大本神諭」にありますように、世界の事を見て改心し、世界の出来事のみならず森羅万象の中に神を感得する信仰を持つことが、これからの時代に大事なことでありましょう。宗教を脱するために。
いまゝでのよふなる事ハゆハんでな
これからさきハさとりばかりや 「天理筆先」17号ー71
天地の真象(しんしょう)を観察して真神の体を思考すべし
万有の運化の毫差(ごうさ)なきを視て真神の力を思考すべし
活物の心性を覚悟して真神の霊魂を思考すべし
「大本三大学則」
(2004.5.25=小田朝章)
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