『霊界物語』における〈〉の教え

 今、牛BSEと鳥インフルエンザが大きな社会問題となり、そこから食のありかたが真剣に考えられるようになって来ましたが、正しい食を考える上で参考になればと思い、大本の出口王仁三郎聖師口述の『霊界物語』第11巻「大気津姫」(おおげつひめ)の段を紹介いたします。

 これは古事記の中にあります高天原を追放された須佐男命が食物を大気都比売(おおげつひめ)に乞う神話を基に衣食住の道を説いたものですが、今回は、特に食の部分を紹介いたします。まずは、古事記の話から、
「又、食物(をしもの)を大気都比売の神に乞いたまひき。ここに大気都比売、鼻口また尻より、種々(くさぐさ)の味物(ためつもの)を取り出でて、種々作り具へて進(たてまつ)る時に、速須佐の男の命、その態(しわざ)を立ち伺ひて、穢汚(きたな)くして奉るとおもほして、その大宣津比売(おおげつひめ)の神を殺したまひき。かれ殺されましし神の身に生(な)れる物は、頭に蚕(こ)生り、二つの目に稲種生り、二つの耳に粟生り、鼻に小豆生り、陰(ほと)に麦生り、尻に大豆(まめ)生りき。」

 以上の神話を基に、次のように〈食〉を説かれます。
「又、食物(をしもの)を大気都比売の神に乞いたまひき」
 食物(をしもの)の言霊返し[ことたまかえし=言霊学の運用法によって、言葉を一音にちぢめること。霊返し(たまかえし)ともいう。言霊学は、音律・音則に意味をもとめて、神・人・万物の声音を理解する方法]はイである。イは命であり、出(い)づる息である。すなわち生命の元となるのが食物である。またクイ物のクイはキと約(つま)る。衣服もまた、キモノといふのである。キは生(き)なり、ゆゑに衣と食とは、生命を保持する上にもっとも必要なものである。ゆゑに人は、オシ物のイとクイ物のキとによってイキてをるのである。
 大気津姫といふ言霊は、要するに、物質文明の極点に達したるため、天下こぞって美衣美食し、大廈(たいか)高楼に安臥してあらゆる贅沢をつくし、体主霊従の頂上に達したることを大気津姫といふのであります。
「乞ひ玉ひき」といふのは、コは細(こま)やかの言霊、ヒは明らかの言霊である。要するにスサノオノ尊は八百万の神に対して、正衣正食し、清居すべき道をお諭しになったのを「乞ひ玉ひき」と言霊学上いふのであって、決して食物を哀求するような意味ではないのであります。(中略)
 種々(くさぐさ)といふことは、臭々(くさぐさ)の意味であって、現代のごとく、肉食のみを滋養物として、神国固有の穀菜を度外する人間の性情は、日に月に惨酷性をおび来たり、つひには生物一般に対する愛情をうしなひ、利己主義となり、かつ獣慾ますます旺盛となり、不倫不道徳となってしまふのである。虎や狼や、獅子などの獰猛なるは、常に動物を常食とするからである。牛や馬や象のごとくに体躯は巨大なりといへども、きはめて温順なるは、生物(いきもの)を食はず、草食または穀食の影響である。ゆゑに肉食する人間の心情は、無慈悲にして、世人は死のうが、倒れやうが、凍ておろうが、そんなことには毫末も介意しない。ただただ自分のみの都合をはかり、食色(しょくしき)慾のほか天理も人道も、忠孝の大義も弁知しないやうになってしまうのである。こういう人間が、日に月に殖えればふえるほど、世界は一方に、不平不満を抱くものが出来て、つひには種々のやかましき問題が一度に湧いて来るのである。
 スサノオノ尊はやむを得ずして、天下のために大気津姫神を殺したまひ、食制の改良をもって第一義となしたもうたのである。」
 
 以上でありますが、極端な論と受け取られる向きもあるかと思いますが、仏教でも動物性の物を使わない精進料理がありますし、「聖書」創世記には、
「神はまた言われた、わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう」
 とありますので、神仏の道における食は、このようなものと思われます。
 人間の食を見直し考える上での教示としてご検討いただければ幸いです。

 
 (2004.4.03=小田朝章                               

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