浦島太郎の話


 日本の昔話の中でもよく知られているものの一つに浦島太郎の話があるが、この浦島太郎の話は単なる昔話おとぎ話ではなく、神の立て替え立て直しの経綸上の深い意味が秘められているのである。
 
 浦島太郎は助けた亀に連れられて竜宮へ行って帰って来て、竜宮の乙姫(おとひめ)からもらった玉手箱を開けると白い煙が出て、たちまち浦島太郎はおじいさんになってしまった。──というおなじみの話であるが、実はこのおじいさんというのは、永遠の生命に対する限りある有限の生命を表しているのである。
 何故ならば、永遠の生命は不老不死、不老長寿、不老すなわち老いないのであるから、おじいさん(老人)は、永遠の生命に対する限りある有限の生命を表していることになる。
 
 竜宮へ行った結果、おじいさん(老人)になったということは、竜宮との交わり(以後、結びという)は有限の生命ということである。竜宮とは竜の宮、竜神の宮であるが、この竜宮竜神について大本の出口王仁三郎聖師口述の『霊界物語』では、第1巻第23章「黄金(こがね)の大橋」において、
「また竜宮は主として竜神の集まる所で、竜神が解脱して美しい男女の姿と生まれ更(かは)る神界の修業所である。(中略)また竜神は実に美しい男女の姿を顕現することを得(う)るといへども、天の大神に仕へ奉る天人に比ぶれば、その神格と品位において著しく劣ってをる。また何ほど竜宮が立派であっても、竜神は畜生の部類を脱することはできないから、人界(じんかい)よりも一段下に位してゐる。ゆゑに人間は竜神界よりも一段上で尊く、優れて美(うるは)しい身魂(みたま)であるから、神に代って、竜神以上の神格を神界から賦与されてゐるものである。
 しかしながら人間界がおひおひと堕落し悪化し、当然上位にあるべき人間が、一段下の竜神を拝祈するやうになり、ここに身魂の転倒を来(きた)すことになった。(『霊界物語』第1巻173〜174頁)
 この竜宮竜神との結びが、先に述べたように有限の生命である。
 
 浦島太郎の話は、一般に知られているものの他にもいろいろあるが、その中の一つを紹介する。
「しあんにあまって、浦島太郎は、乙姫からもらった三かさ(重)ねの玉手箱を、ふところから出しました。そして、まず、いちばん上の箱のふたを開けてみました。すると、そこには、ツル(鶴)の羽がはいっておりました。つぎの箱のふたを開けてみますと、中から、ユラユラッと白い煙があがって、その煙で、浦島太郎は、いっぺんに、おじいさんになってしまいました。頭はしらが、あごには白ひげ、腰のまがったおじいさんになってしまいました。第三の箱を開けますと、中には、鏡がはいっていました。鏡を見ると、自分が、すっかり、おじいさんになったことがわかりました。──ふしぎなことだ。
 と、鏡を見ながら、思っていますと、さっきのツルの羽が、風にふかれて、舞いあがったように見えましたが、やがて、それが大きな鳥のつばさになり、浦島太郎の背中にはりつきました。そして、浦島太郎は、一羽のツルになってしまいました。
 ツルは、空へ飛びあがって、しばらく、おかあさんの墓のまわりを飛んでいました。ちょうどそのとき、乙姫は、カメ(亀)になって、浦島太郎を見るために、その浜へはいあがったということです。
 ツルとカメとが舞をまうという伊勢音頭は、このお話からおこったものだそうです。」(坪田譲治「日本むかしばなし集(三)」新潮社・146〜147頁)
 この話によると、竜宮竜神との結びはツル(鶴)とカメ(亀)の結びということになる。世の中では「鶴は千年、亀は万年」として、めでたいものとしているが、千年でも万年でも何年と限定すれば、それは永遠ではなく限りある有限のものとなる。
 
 人は本来、永遠の生命と一つになって生きる者として神により創造されたが、神から食べることを禁じられた知恵の実を食べ、永遠の生命と断絶し、有限の生命のもとに生きる者となった。(このことについては「天理・大本の経綸仕組の解明解説」「神の創造原理と知恵の実」参照)
 したがって、有限の生命である竜神との結び、鶴と亀の結びは、人にとって正しくない結び、曲(まが=不正)の結びとなるのである。
 
 神は永遠の生命と断絶して有限の生命のもとに生きる者となった人を救うため、有限の生命、曲の結びを破壊し、永遠の生命につなぎ直す仕組として、大本の、
 和妙
(にぎたへ)の綾の高天(たかま)の鶴山の樹々のさかえに見ゆる神光(みひかり)
 [出口王仁三郎「大本の道」八四聖地(一)より]
 綾部鶴山の聖地を鶴とし、亀岡の聖地を亀として、鶴と亀の曲の結びの型となし、これを弾圧によって破壊することによって、鶴と亀の曲の結び、有限の生命が潰れる型としたのである。
 
 以上、荒唐無稽でコジツケと思われる方も中にはおられるでしょうが、昔話・伝説の中には、経綸仕組上の秘密が隠されているものが、確かにいくつかあるのです。いいかえれば、神は昔話・伝説の中に大きな意味を秘めて、人々に伝えたといえるのです。
 結論として、神の経綸仕組とは、悪魔とその仕組とを滅ぼし破壊し、有限の生命を潰して、全人類とこの世を永遠の生命につなぐことなのである。(2004.12.18=小田朝章) 

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