息子15歳の春に想う事

                           鳥羽 美千子

昨年までの暖冬続きでなまっていた身体には、今年の寒さは、特別厳しい感じがします。
そんな寒さの中、すっくと立つ庭の桜の若木は、来るはずの春に備えて、芽をはぐくんでいます。少しずつ少しずつ、冬が進むにつれその芽も膨らんでくるのでしょう。

桜の芽が膨らんでその花を咲かせる頃、我が家の末っ子哲平は、高校生になります。
早いもので、ついこの間自閉症と診断されたばかりのように思いますのに、その子がもう高校生です。

バンビの家の卒業式にも出席できないような、当時はそんな多動で抑制が効かない子どもでした。みんなの迷惑になってはいけないと、外の砂場で式が終わるのを親子で待っていた時の情けない気持ち、「ここでも一番の落ちこぼれ」その時の情景が今でも思い出されます。

そんな哲平も今では、すっかり大きく成長して、落ち着いた(?)15歳のお兄さんです。

「よくぞ、ここまで育てたよね。」
「そうだ、そうだ、がんばったよね。」
「私ってすごい。こんなによい子に育てたんだもん。」

誰も褒めてくれないので、自分で自分を褒めてあげたいきもちです (^。^)/

 

小さい時、彼はいったいどんな大人になるんだろう。どんな人生が彼にあるんだろう。息子の将来が心配で、当時はよく落ち込んだものでした。

でも、いつしか精一杯生きて育てるしかないという様に思うようになりました。ここまでくるには様々な人生ドラマや、忘れられない人との出会いがありました。それを書きはじめたらとてもとても終わりませんので、ここでは遠慮しましょう。

 

障害告知も、明日を憂えて泣いていた日々も、今は遠い昔。すぐそこに大人への最大の難関が、大きく口をあけて待っているのです。3年後には高等部卒業。「どんな大人になるんだろう」と心配したその時が、いよいよやってくるのです。

障害は仕方がありません。誰かが言っていましたが、「いくら頑張っても、僕はボブ・サップには勝てない。同じく自閉症という障害をもった息子も、いくらがんばっても健常児と同じにはなれない。」そのとおりです。

彼にはこの不況の中、就職先はおいそれとは見つからないでしょう。でも、出来るならこの社会の中でその持てるだけの力を発揮して、自分の居場所を作って欲しい。そんな風に願わないではいられません。

そのために赤磐郡内の障害児を持つ親たちで、「作業所を作ろう」と、準備中です。
2年前には、お金を出し合って家を購入しました。現在は、14人のメンバーで2年後の開所を目指しています。パン作りの勉強をしたり、子どもの織り上げた「さをり織」で製品を作って販売も始めました。その家は、
「太陽の家」と名づけました。

「地域の中で普通に暮らして生きたい。」

そんなほんの小さなささやかな親たちの願いをこめたその家は、我が家から300メートルほどの、田んぼの中にそっと立っています。
メンバーたちが楽しみながら毎日集って掃除をしたり、花を植えたりして、地域の皆さんにも少しずつ理解されてきているのを感じます。

実は私たちは、将来は作業所ではなく、もっと大きな授産施設をも目指しています。
そしてそこにはグループホームなども併設して、親も安心できる子どもの将来を託せる場所をと夢見ているのです。
現在のメンバーは、自閉症児が、9名を占めていますので、それはそれは大変な作業所になることでしょう。今から心して子育てをして行かなくては、仕事を出来る大人にはなれません。

どんな仕事が出来るだろうか、どんな仕事が向いてるだろうか、親は色々考えます。まだ小さい人も多いメンバーの中にあって、我が子は3年後に高等部卒業です。健常児であれば、大学も行かせてやれたはずですのに、彼は18歳の春には社会の中に巣立っていかねばなりません。

もうすぐ出口はそこに迫っていますね。まだまだ、できることも少なく、一人で自立とは程遠い彼の進む道は限られていることでしょう。

 

苦労して作る作業所ではあっても、我が子が通うとは限りません。もう少し選択はさせたい。
こんな願いを持つこの母は、出口を作業所だけとは考えず、
「目指せ一般就労!」などと、身分不相応な夢をも持っているのです。
作業所は、自宅から300メートルしか離れていません。彼がここへ通うとしたら、たった300メートルの社会としか彼は触れ合えないという事です。18歳の青年としては、少々悲しいように感じます。せめて、バスに乗ったり、電車に乗ったりするような場所にあればよかったのにと、本当に贅沢かもしれませんがそんな事を考えます。

また、作業所で良いというような気持ちでの子育てであったら、子どもの伸びも限られてしまうような気もします。この高等部の3年間が、彼の生涯の最後の学校教育だとしたら、精一杯その能力を伸ばしてやりたい。その手伝いが出来るなら、もうひとふんばり老骨(?)に鞭打ってがんばりましょう。例えやっぱり作業所に行くことになったとしても、そこにはきっとちゃんと立派に育った鳥羽哲平君がいることでしょう。

私のモットーは、「あきらめない。夢は持ち続ければ必ず叶う。」です。

そして、「目指せ就職!めざせ結婚!」なんてね。あんまり夢が大きすぎるかしら?
ああ、孫の顔が見てみたい。
・・・それが無理でも、お正月に甥っ子や姪っ子にお年玉を渡す、すてきな叔父さんにはなってほしいですね。

「 hop (自閉症協会岡山県支部 学童部会 ニュースレター) 13号 」 投稿原稿 2003.2

「母の工房」へ戻る