高砂中学校三年 K・T
僕には、二つ下の妹がいます。妹は小さい頃から自閉症という一生治らない重い病気にかかっています。妹の病気のことについて、小さい頃僕は、意識しませんでしたが、あることが、きっかけで小学三年の時から、意識し始めました。その頃といえば、どこかへ行くといったら、たいていは、母と妹と三人で出かけていました。
そんなある日のことでした。いつものように三人で、遊びに行きました。すると妹が突然、道ばたで「キー」「キャー」と、叫びました。
そしたら周りの人たちがみんな「なんやこいつ」というような目で妹の方を見ました。そして、僕の方も、そんな目で見てくるんです。その時僕は、逃げ出したいような気持ちでしたが、その反面『なにも知らないで』と腹が立ってきました。
母は平気な顔でしたが、心の中では、僕以上につらかっただろうと思います。
そういう事があってから「僕の妹は、普通じゃないんだ」「ちょっとおかしいんだ」と妹のことを意識し始めてきました。それからというもの、僕は、妹と一緒に外出するのが、だんだん恥ずかしくなり、いやになってきました。学校の廊下で会っても、わざと目をそらし、他人のふりをするようになってきました。
そして友達にも、妹のことを聞かれるのが、とてもいやでした。例えば「お前の妹どないしたんや、どっかおかしいんちゃうか?」と聞かれたことがありました。その時僕は、恥ずかしいのか、くやしいのか、腹が立っているのか、自分でもわからない今にも泣き出しそうな、いろいろな感情で、胸の中は、いっぱいになってきました。・・そしてその問いに答えることは出来ませんでした。
そして時には、母に腹を立ててみたこともありました。
『なんで、お母さんは、こんな妹を生んだんだ。もしお母さんが、普通の妹を生んでいたら、こんないやな思いをしなくてもよかったんだ。』
そして妹を見ていても『どうしておまえはそんなんで生まれてきたんや。どうしてまともに、生まれてこんかったんや。だから僕が、こんなにいやな思いをせなあかんのんやぞ。』と心の中で妹をせめていたこともありました。
友達の妹や弟は、ごく普通なのに、よりによってなぜ、僕の妹が、こんなんで生まれてきたんや・・・と、どうしようもない、くやしい気持ちでいっぱいになることもありました。
兄貴の僕でさえ、こんなにくやしい思いになるのに、お父さんやお母さんは、どうなるのだろう。自分の子供がこんな病気になっていると知った時のつらさや、くやしさは、僕のそれの何十倍だったに違いない。と、思うことだけが、その時の僕にとっては、たった一つの逃げ道でした。
それから数ケ月後のことでした。
近所のお店に妹がいました。
僕は外で、妹のことを見ていました。妹は、なにやら、ゴチャゴチャと独り言を言っていました。
そしたら、僕より少し年上の、それもこわそうな人たちが、奥の方で妹の方を見て笑っているのが見えました。少したって、その人たちは、妹の方へよってきて、妹をばかにして楽しんでいました。それを見て、僕は、くやしくて、くやしくて、たまりませんでした。
しかし、妹をかばいに行こうと思っても、そう思うばかりで、とうていそんな勇気は、その時の僕にはありませんでした。結局僕は、何もできずに、その場にただ立っているだけでした。・・そして、その後僕は、自分が情けなくなってきました。だからもし今度、同じような目にあったら、今度こそ絶対に妹のことをかばってやろう、その人たちに妹の病気のことを、わかってもらうんだ、と思いました。
それから、二・三日後でした。この前と同じような人たちが、妹の方を見て、ブツブツ言って笑っていました。
それを見て、今度こそ言ってやろうと、勇気をふりしぼって、妹のいる所に走って行きました。そして、おもいきって、その人たちに言ってやりました。
「こいつ僕の妹やねん、小さい頃から、自閉症という病気で普通じゃないねん、だから笑ったり、ばかにしたり、せんといたって。」
すると、その人たちは『なにが言いたいねん、こいつ』という目で僕を見て、怒ったような顔をしていましたが、しばらくすると、どこかへ行ってしまいました。その人たちに、じっと見られた時は、もう怖くて、怖くてたまりませんでした。
『なんで、僕、こんなこと、言ってもうたんやろ』と、心の中で後悔していましたが、後になって『やっぱり言ってよかったんや。もしこの時に言わなかったら、どうせまた、自分が情けなくなっていただけだ。』と思ったら、なんとなく嬉しく、そして、すごく気持ちがよかったです。
この事件以来、僕は妹のことが、だんだんと恥ずかしくなくなってきました。そして学校で友達に妹のことを聞かれても、ちゃんと答えられるようになったし、廊下ですれちがっても、目をそらしたりしなくなりました。
それどころか、声をかけてやれるようにさえなりました。そしたら必ず妹は「おにいちゃんがいるよ。」と言ってくるんです。そういう時は、すごく嬉しかったです。
そして学校の先生にも、かわいがられていたし、僕にも時々帰ってから、今日何をしていたとか、話してくれるんです。それが、僕にはすごく楽しみだったし、嬉しかったです。
そして、この春に妹が中学校に入学してくることになりました。
妹が入学してくる前の春休み、僕はなんとなく不安でした。二年ぶりに、学校で会うということは、あまり気になりませんでしたが、『こんな妹が、中学校でちゃんとやっていけるだろうか。小学校とはだいぶ違うし、先生方にも迷惑をかけるだろうなあ』と思いました。
また入学式で、何か失敗しないだろうか、ということも不安でした。その入学式で僕は、代表で、あいさつをすることになっていました。そんなことを考えていると、入学式が来るのがいやになってきて、このままずっと春休み続いてほしいと思っていました。そう思っているうちに、入学式の前日になってしまいました。そしてその夜、妹に「おまえ、明日から中学生になるんやぞ、入学式の時は、うるさくさわいだらあかんぞ。」と言ってやりましたが、妹は、わかっているような、なにもわかっていないような、自分には関係ない、というような顔をしていました。
・・・中略(もったいないのですが、残っている当時の弁論大会の原稿の原文が「中略」なのです。)・・・
妹は、毎日毎日いろんな人たちに、変に思われ、僕たちのように一人では出かけられず、それに友達と一緒に話をしたりすることもできず、ただ毎日を同じパターンで生活しているだけなんです。そういうことを考えるたびに、妹のことが、かわいそうでたまらなくなります。
そんな妹でもすごいな、と思うことがあるんです。毎日、母と一緒に夕食を作っているんです。それも一人で、ジャガイモの皮や、かぼちゃのあのかたい皮も包丁でむくんです。それも普通の同じ年齢の女の子に負けないくらいか、それ以上に上手に皮をむくんです。それに妹は、カレーを作るのが大好きで、自分でたまねぎやにんじんなどを炒めたりしているんです。
これを見た時、僕は『こんな妹でも、いつも何かを考えながら、僕たちと変わらないぐらい、いや、それ以上に一生懸命生活しているんだ。自分なりに、せいいっぱい一日一日を楽しんでいるんだ。』と思うようになりました。
中学校に入学してからも、先生や友達にも小学校の時と同じように、大勢の人たちにかわいがってもらえて、すごくうれしいです。
そして、今では、妹のことを聞かれても、胸を張って答えられるようになってきたし、僕には、こんな妹がいるんだ、こんな妹がいても、なにも恥ずかしいことはないんだと、だんだんと自分の妹のことを誇りにさえ、思うようになってきました
こういう言い方をしたら、みなさんには、失礼かもしれませんが、もしどこかで、僕の妹のような人を見かけたら。決して変な目でみたりしないでやって下さい。
そして一人の同じ人間として、普通の目で、見てやってください。
いかがでしたでしょうか。当日の「先輩のお母さんを囲んで」の講演会の会場でも、共感の熱い思いが、皆の目頭をあつくさせました。
「このお話、とてもすばらしかったので、うちの学校の人権教育の時間にも使ってもらいたいので、コピーさせていただいていいでしょうか?」
と講師をお願いした田中さんにお尋ねしたところ、「自由に使っていただいて結構ですヨ」とのお返事をいただきました。
そこで、改めて、我が子のクラスに使うだけではもったいないので、会報に全文を紹介させていただきました。
もしも今
“いじめ”に悩んでいるクラスがあったとしたら、この文をみんなで読み合ってもらえれば、明日からクラスのみんなが変わっていけるのでは・・・
自閉症の理解のためにも、いじめに対する勇気をみんなに与えるためにも、この一文がみなさんの役に立っていただければ・・という思いからの掲載です。
田中さんチのお兄ちゃん、当時、高砂中学の3年生でしたが、今は大学を卒業して小学校の先生になられたそうです。
何も聞かなくても、田中先生のクラスの温かさは伝わってくるようですね。
ぜひ、時代(とき)を超えて、この文章が皆さんの心の中に広がっていくことを願っています。 ( トチタロ )
(「会報 11号」より)