sorry,Japanese only

平成12年6月2日

第 25 号

岡山県自閉症児を育てる会


「目次」 

 速報 NPO認証なる
「自閉症のしおり」続報
 第1回 AAO活動 報告
 7月例会 「先輩のお母さんを囲んで」
 6月勉強会のお知らせ
 自閉症児のための水泳教室のお知らせ
 サッカークラブよりのお知らせ
 近隣の講演会等のご案内
 「我が家の近況報告」
 「姿」
 「自閉と向き合う 12」

真夏を思わせるような暑い日がつづいています。
気温は30度を越すような日でも、5月の風は優しく頬をなでてくれます。
暑くて、しんどい毎日ですが、子ども達は、その無尽蔵とも言える体力に突き動かされるように元気です。
親もおかげで、休んでなんかおれません。
24号の会報を読まれた方々から、またまたお見舞いを頂いて恐縮している私です。
もう、すっかり元気になりましたから、ご安心下さい。
入院中の精密検査の結果が出ました。
「どこも悪くありません。」
担当の先生が言われます。
じゃあ〜、原因はなんだったのでしょう?
よく判らないけれど、とりあえず今元気なんだから、まぁいいか。
気を取り直して無理せず、やるっきゃないですネ。
鳥羽 美千子

  緊急速報

  NPO(特定非営利活動法人)認証なる 

6月1日、岡山県より「岡山県自閉症児を育てる会」NPO法人認証の連絡がはいりました。
いよいよこれからは、これまで以上に法人としての責任ある活動が要求されます。
我が子達、自閉症児を幸せに育て、よりよい人生、生き易い社会を作っていくために、みんなでがんばりましょう。

 


「自閉症のしおり」1万部 印刷完了 

ついに予定していた1万部を、作成いたしました。
人口、200万人の岡山県内に1万部が流通。これって結構スゴイことだと思いませんか?
少しは岡山県内の自閉症の理解、子ども達の理解のために役にたったのでは、と思っています。
配布に関しては、会員の方が学校、園、療育機関、病院などに持ってまわっていただいた努力が大きかったのですが、広く県内に広めるという意味では、マスコミ各紙のご協力があったればこそ、と感謝しています。
先月紹介した山陽新聞、読売新聞に続いて、毎日新聞、朝日新聞でもとりあげていただきました。これで、岡山県内のほとんどのご家庭にお知らせできたのではないでしょうか。
県内各地から問合せ、申込みの電話があります。
特に地方の方ほど、相談相手や療育機関に苦労されていらっしゃるようです。
このしおりが、ほんの少しでも助けになれば、との思いをこめて発送させていただきました。

第1回 A・A・O 無事(?)終了 

去る5月14日(日)、生涯学習センターにおいて、第1回AAO活動が行われました。
第1回は、まずはボランティアさんと子どもの初顔合わせです。
交流会等で、自閉症については少し解ってきたと思って参加されたボランティアさん、いかがだったでしょうか?
「呼んでもふり向かない」
「遊んであげても喜んでいるようには見えない」
「何を考えているのか測り知れない」
「勝手に急に動き出す」・・・などなど
自閉症の子の手ごわさにとまどっていらっしゃるのではないでしょうか?
手ごわいからこそやりがいがある。そうは思いませんか?
やりがいのある子育てを私たち親はさせてもらっています。
次回から、いよいよAAOが本格的に始まります。具体例のない初めての活動はとまどわれるボランティアさんも多いと思います。親にしても、どのように子どもをボランティアさんに解ってもらえば良いかわかりにくい事と思います。
子とボラさんと親、それぞれが関わり方を学ぶ勉強、修行のような活動ともいえます。どんどん親にもボランティアさんから提案していただいて、活動をより良いものにしていきたいと思っています。お互い我が子にとっての、より良い活動を、自分自身で考えましょう。
・・今年初めての(おそらく日本でも初めての)、活動ですので、参加者の方からの質問や問い合せ等があいついで、担当のHさんは倒れる寸前までいったそうです。彼女をトバさんの二の舞にさせてはなりません。
そんな中、担当のHさんが頑張って「これさえあれば、AAOの全てがわかる」という案内を作ってくれました。
質問する前にこれを読みましょう。わからない事は自分で考えましょう。考えてもわからない事は、座談会の席で皆で話し合いましょう。

それでは「我が家の近況報告」、小学3年生のお母さんからの投稿です。
家庭や学校での、自閉症の特性を理解した上でのていねいな子育て、小さい方ばかりでなく同じ学齢期の親にとっても、大事なヒントがいっぱいの「近況報告」です。


我が家の近況報告

M・O
早いもので新学期ももう5月半ば。毎日があっという間に過ぎていきます。
我が家の息子も小学校3年生になりました。普通クラスに在籍しているからには日々予習、復習もかかせず、むずかしくなっていく単元に、親が四苦八苦している毎日です。
4月初めの出来事です。先生を送る会で息子が花束を渡す役をすることになりました。
それを知ったのが前日の先生のお便りでのこと。
「えーーッ・」と思いつつ、翌日、練習するので早く来てほしいということで、様子を見に行くと、案の定、教室から出ようとしません。
なだめすかして、体育館の入り口まで行きましたが、入らないと大騒ぎ。
担任の先生は手をひっぱり中へ入れようとしたり、友達に応援を頼んだりしますが、「教室帰るー」と泣き叫ぶばかり。
「3年生なんだから、出来るよ。出来ないなら、おうちに帰ろう。体育館にはいりますか?帰りますか? どっちにする?」
すると「入る」と、しぶしぶ入りました。が、花束が遅れていて、実際に渡す練習をしようにも、漠然としていて、とても息子が納得のいくはずもなくて、また大騒ぎです。他の先生方も生徒も顔を見合して「どうしますか? やめますか?」と困惑顔。
私は一度だけでも歩く練習をさせとかなくては、と、いやがる息子の手を引き、一緒に壇上に上がり、椅子の前で花束を渡すかっこうをさせ、ここで降りること、それで終わりと納得させました。
時間もなく、一度きりの練習です。
私は先生に「息子のすわる場所、立つ場所に、ビニールテープでもはって、目印をつけておいて下さい。」とお願いして、学校をあとにしました。
 しばらくして学校に行ってみると式は終わっていました。出てこられた先生方は、口々に「お母さん、バッチリでした。本番では上手に一人で花束を渡して帰ってこれたんですよ。」とほめて下さいました。
自閉症がどんなに大変かということをことあるごとに口にして言ってきたつもりですが、息子はわりとしゃべれるので、そしてたまにナマイキなことを言ったりするものですから、先生に過大評価されていて、花束を渡すくらいのことは当日の練習でOKと思われたのでしょう。
しゃべれるから、こちらの言ったこともすぐ理解できると、大半の先生方は思われているようです。
たった一つ、ビニールテープを貼って、自分の居場所を示してやること。
どんな風にやるのか、手本を示してやってみせてやること。
それだけで無駄に大騒ぎもせず、立派にやれるのです。
この出来事は、自閉症の正しい理解が如何に必要か、そして環境をととのえてやり、やり方次第でずいぶんスムーズに学校生活が送れるのだということを示すきっかけになったようです。
幸い息子の通う学校は、とても理解があり、学校への要望なども、校長先生、教頭先生をはじめ、学校全体で対応してくれるなど、とても協力的です。
 
それから、ここだけの話ですが・・・・。
学校への相談事には、やはり父親の力が大きいようです。あきらかに母親だけが顔を見せるのと、両親そろっての相談というのでは学校の対応も違いますから・・。
“ 親がかわれば、学校もかわる ”で、しょうか。
我が家はわりと父親が積極的に行事に参加してくれます。でも小さい頃は全然協力的ではありませんでした
それが、ある父親の会に入会し、先輩のお父さん方ががんばられている話を聞き、目がさめたようでした。それまでいくら言っても入ろうとしなかったのです。結局、人に言われてはいや。自分で納得してはじめてその気になる、がんこな性格なんですが・・・。
今では、会という会に頭をつっこみ、子供のことで夫婦が議論しない日はありません。
父親が参加することは、子供にもとっても良い影響を及ぼすことは確かです。母親1人が子育てするより、2人が関われば2倍人と接することになります。特に男の子にとっては、遊びも体力を使った遊びが増えるのですから、母親だけでは限度があります。男の子らしい遊び、生活を、父親が参加することで経験を増やしていってほしいと思います。
父親にとっては、仕事から帰ると、「お父さん、帰ってきた」とうれしそうに迎えに出てくれることが、何よりの喜びになっているようです。(たぶん妻が迎えに出ることより・・)
 
そういえば先日こんなこともありました。電話がなると「もしもし〇〇です。お名前は?」と聞き、「××さんだって」「お母さんに代わるよ」というのがパターンだったのですが、出張先から父親が電話した時、息子が電話に先に出て「もしもし〇〇です」と言ってしばらくすると「あー、お父さん。今どこにいるの?」と聞いているのです。びっくりしました。「やったー、自分でパターンをくずしたー」と夫婦で大喜びでした。
父親が積極的に参加してくれるようになって、子どもの対応も、母親に対しての時と父親に対しての時が随分違うように感じますし、父親に積極的にアプローチするのは一緒に遊びたい時や、ゲームをしたい時(母親は厳しいのでなかなか許してもらえないのをよく分かっている)、出かけたい時など、本人なりに選択しているようです。とにかく、父親の存在はとても大きく、大切なのではないでしょうか。 
今我が家で心がけていることは、「自分のことは自分でする」という習慣をつけさせるため、なるべく手をはなしていこうということです。
就学前は勉強についていけるだろうか、落ちついて座っていられるだろうかということばかりが心配でした。でも3年目にして思うことですが、それよりも色々な物の出し入れ、カバンの中身に出し入れ、フタを開ける、閉める、紐を結ぶ、服のみだしなみ等そういうことが自分で出来るのかが学校生活ではとても大事であるということです。
「自分のことは自分でする」。
例えランドセルが重そうだからと家で手を出してしまうと学校でも人の手を借りなければならなくなるのですから。
これはできないだろうとさせないのではなく、できないだろうけど親がやって見せてみる。
何度か見せているうちにある日突然やっているということもあります。
最近自らやっていて驚いたことがあります。急に雨が降って慌てて息子に手伝わせて洗濯物を取りこんだことがありました。
数日後のある休日の午後、親が二人共昼寝をしていた時のことです。起きてみたら部屋に洗濯物が。外を見ると小雨が降っていました。高い所に干してある分はそのままでしたが、自分の手の届くところの分を全部入れておいてくれたのでした。
すごーい!!誉めて誉めて誉めちぎったのは言うまでもありません。
お風呂のお湯が8分目になるとちゃんと止めてくれますし、お米も上手に研いでくれます。(米粒を流さずに水だけというのは集中しないと難しい)
私の電話中に来客があると自分で出て「お客さん」と教えてくれますし、留守番中の電話も誰からあったと伝えてくれるようになりました。
始めて受診した時、自閉症と言われ「軽くはないですよ」と告げられたこの子が本当によくここまで成長してくれたなと思っています。
お手伝いの中にも色々な療育の要素はあると思いますのでこれからもどんどんお手伝いさせて、お母さんも楽しよう精神でいこうと思っています。

続いて、吉田英生先生の「姿」です。
特に目の前の自閉症児たちの姿。
ポーカーフェイスのように見えながら、彼等の中にある思い。コミュニケーションをとることに不器用な子が多いだけに、せめて親ぐらいは、その思いをわかってやりたい、そんな心を熱くさせられた文です。


姿

吉田 英生
今日、学校関係の勉強会がありました。「今年、自閉症の子がおって、奇声を出したり、突然、服を脱ぎだしたりして大変なんじゃ。」と、どこかの先生が話している声が聞こえました。勉強会で知り合いの先生に会い、今年かかわっている子どものようすを話し合っているようでした。
学校の先生は、「人を見た目で判断してはいけません」とは言いますが、「見た目の印象」は絶対ありますよね。
出会ったときの「第1印象」って結構大切です。私などは、「暖かそうな人」とか、「まじめそう」とか言われることもあるのですが、本当のところどうでしょう?
それはさておき。
その先生にとっては、口にした「奇声」とか、「服を脱ぐ」ということが、その子を語るときにまず頭にうかぶ姿なのでしょう。先生の悩みの種でもあるようです。
「そのままの姿」
「あるがままの姿」
「見せかけの姿」
「本来の姿」
「あるべき姿」
姿にもいろいろあるものです。
さて、「奇声を上げる」というその子どもの姿は、どの姿にあたるのでしょうね。
奇声だろうがなんだろうが、「君らしくていいんだよ」と「そのままの姿」が絶対的なものだと考える、それもひとつの考え方でしょう。また、もし先生が、「自閉症の子どもはそういうものだから」と考えれば、その奇声は、「本来の姿」ということになってしまいます。
しかし、気になるのは、そのような考え方だけだと、「やりたくてやっているんじゃないだろう」とか「わからなくてつらいのかな」という見方が生まれないことです。
子どもの姿をあらわす言葉は、キーワードとなって、かかわる人の心をしばります。
しかし、キーワードが変わるだけで、見える世界が変わるということはしばしばあることです。
 
私がずっと以前に経験したことです。
ケンちゃんは、よくパニックをおこす子で、耳に指をつっこみ、「ウォー、ウォー」と声を出しながら歩いていました。
ことばは全く話しませんが、日常言われることは、だいたいわかっていました。
でも、お母さんの心をこめた一生懸命なはたらきかけがいつも素通りしているように見えました。
「親のことも意識していないんだ」と思っていた私です。
秋になって、保護者会の日帰りバス旅行がありました。私は夕刻まで教室にケンちゃんやクラスのみんなを預かっていました。
バスは、号車ごとに到着する時間が大分違ったので、帰着した親ごさんに連れられて友達は、ひとり帰り、ふたり帰りしていきます。
けれど、ケンちゃんのお母さんが乗っているバスはなかなか到着しません。それでもケンちゃんは、いつものとおり、耳に指をつっこんで「ウォー、ウォー」と教室を歩き回って、表情ひとつ変えません。
私は、「さみしくもないんだな」と思いながら、最後のバスがまだかと、教室の外へ見に行きました。
まだ到着しそうにもないと、戻ってきて教室のドアを開けた音に、ケンちゃんがパッと振り向きました。私と目が合い、その後、突然の猛烈なパニックをおこしました。
きっと、無表情に見えた顔の奥に、いつもと同じように見えた歩みの中に、「お母さんまだかな、まだかな。」という気持ちがつのっていたのでしょう。
みんなが家路についた後、ガラガラッと開いたドアの音が、ぴったりと耳に入ったのでしょう。
でも、「お母さんだ」と思ったそこにいたのは私でした。
彼が、ガラスに突進しないよう、机に激突しないようにと押さえ込んだ私は、この子の本当の心を初めて垣間見たような気持ちで、ジーンとなりました。
見せている姿と、本来の姿のギャップ。
今でも子どものパニックを目の当たりにするとやはりドキドキします。困るし、混乱するときもあります。
でも、うまく表現できない姿(「見せかけの姿」「うわべの姿」)だからこそ、「本来の姿」を引き出すために止めたり、「あるべき姿」を語りかけたりしようと心がけています。
「Just the way you are」(素顔のままで)
私と同じくらいの年齢の方は、昔ヒットしたビリージョエルのこの曲が好きだったという方も多いのでは?
素顔は、とってもまわりのことに敏感で、かわいい子どもでしょう。
でも、あるがままの姿では、それがなかなか見えてこないという子どもが多いのではないでしょうか。
さて、冒頭の場面。
あの先生に、「学校で勉強することを整理して、見えるかたちにして伝えて、声や動きはきちんと止めることから始めたらどうでしょうか。」と、見ず知らずの私が会話に入っていったら、(なんな、このおっさん、知ったようなことを言うて。)と思われるだけでしょうね。
だから、何も言ってないのですが。
「人を見た目で判断してはいけません。」と私は言いたい。

これまで「育てる会会報」はHPに全文をUPしていましたが、容量等の事情により、一部抜粋にさせていただいています。

今後は、会報は会員の方への郵送でお届いたしますので、ご希望の方は賛助会員に申し込みをお願いします。
詳細は「
育てる会 HP」に記載しています。

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