平成10年12月3日

第 7 号

岡山県自閉症児を育てる会


目次

冬将軍到来
11月例会 木工教室 報告
学校Vを観て
楽しむということ
出会うということ
食べるということ

秋の間、私たちを楽しませてくれた野山の紅葉も終わりをつげ、季節はいよいよ冬将軍を迎えようとしています。皆様いかがお過ごしでしょうか。
 寒い、寒い(口で言わなくても、お母さんにはわかるんです)、とついつい部屋にこもってゲームをしたり、こたつでぬくぬくしている・・・・そんな我が子を エイ! と一緒に外へ連れ出して、落ち葉の上を歩いていませんか?
 カサコソ、カサコソ 不思議な楽しい音がします。
多動で、じーっとしていない小さな子どものお母さんは一緒に後ろを歩いてみてください。子どもの目線に合わせて歩いていると、子どもの世界、子どもの感じている事が、もしかしたら見えてくるのではないでしょうか。
 おっくうがらずに、一緒に歩く、一緒に観る、一緒に感じることが自閉の子と真に向き合う第一歩、なんちゃって(学校Vで高野さんが何度も言うもんだから、その口癖うつっちゃいました)。
 11月中に発行予定の会報でしたがすっかり遅れてしまいました。やっとできあがった第7号をお手元へ届けさせていただきます。今号も、6号と同じく、会員の方からの投稿やお願いした原稿を中心に構成させていただきました。
 さて、11月例会は、育てる会の会員にもなっていただいている、成羽町の木工作家、川月清志さんのご指導により子ども用のイスを制作しました。
まずはその例会の報告から始めます。 

11月例会 木工教室 報告

 去る11月22日、岡山市伊島町の生涯学習センターにおいて、木工教室が行われました。
当日は、講師に成羽町在住の川月清志さんをお迎えして、11家族が集まりイス作りにチャレンジしました。また、ボランティアとして、5人の心強い応援をいただき、要領のわからない私達ですが、安心して作業する事ができました。

 子ども達も、ボンドを付けたり、紙やすりで削ったり、イスができあがるまで、興味を持って落ち着いて過ごせたと思います。
案の定、お父さん、お母さんにとっても、慣れない糸ノコとの格闘が2時間ほど続きましたが、それぞれ思い思い
、世界にひとつしかない、かわいいイスができあがりました。

 川月さんをはじめ、ボランティアの皆さんありがとうございました。おかげで作る事の楽しさを、親子共々味わえた3時間でした。


  子どもたちが背当ての所をデザインして、それを糸のこで切り抜いて作った、ほんとうに “世界にひとつしかない”イスです。お父さんやお母さんも楽しそうで、ついつい手をだして親がやってしまうという場面がなきにしもあらず・・・という風でした。
 「年に1回ぐらいは木工教室ができたらいいね。」と川月先生もおっしゃってくださいました。
 最後になりましたがお手伝いくださいました、ボランティアの三杉智子さん、藤井繁さん、藤原康彦さん、どうもありがとうございました。
 三杉さんと藤井さんは、川月先生の教えていらっしゃる倉敷の職業訓練校の生徒さんです。また藤原さんはプロの木工家の方でした。お手伝いいただいたのは、他にいつも来ていただいている、田島薫さんと鳥羽紗代さんでした。ありがとうございました。
 
木工教室 担当  T.T

学校Vを観て

K.H
 もっと多くの人に観てもらいたいという気持ちが、観終わったあとどんどん湧いてきました。それ位この映画は、自閉症についてきめ細かに描かれていました。ただ単に職業訓練校の事を物語にしているのではなくて、自閉症児を持つ母親が「どうしてきたか」「どうしていくのか」「子どもを取り巻く周りに、何を伝えたいのか」という柱がバーンとあるので、感情移入してしまい2時間半があっという間に過ぎてしまいました。
 とりわけ、黒田くんの演技がうまくて泣けました。彼を見ているだけで涙が止まりませんでした。
部屋に飾ってある絵は、自分で書いた国旗の絵。机の上にはきっちり並んだミニカー。いつも財布(?)を持っていて、食卓につく時は必ず机の角に置く。
突拍子もない言葉が、雰囲気をなごませる。人と人の間にやさしい気持ちをつないでいく・・・。
 “障害があるから苦労する、大変な思いをする。障害がないから楽で幸せ”
世間にはそんな概念が、うちの家の埃のように、積もっていますが、 “決してそうばかりともいえないよね” って、黒田くんを通して見えてきたような気がしました。
 障害がなくても不幸せな人は五万といるわけだし、幸せそうに見えても、心にいつも不満を抱えている人は不幸だと思うし・・・要するにそれぞれの気持ちの持ち方なのかな、と思いました。あとは、プラス、勇気と行動。
一生懸命やっていると、まわりの人も分かってくれるし、“仲間”も増える。
“仲間”が増えると協力しあえる。見栄やお世辞や特別の力で成り立っている“仲間”に比べたら、幸運この上ありません。映画では、職業訓練の厳しい講義や試験を共に克服していく間に培われた友情が、ほのぼのホロリとさせてくれました。
 映画の中にこんなセリフがありました。
「将来のこと心配ですか?」
「心配じゃないと言えば嘘になるけど、でもいずれ私は死ぬんだろうし・・・この子はこの子で、なんとか生きていってくれるんだろうと思ってるんです。楽天的なんですね。この子に死んで欲しいとか、自分が死にたいなんて思ったこともないんです・・・・・   ・・・・・ただ、一緒に死ねるなら死んでもいい、と思ったことは、一度だけあるな。
 蔵王のケーブルカーに乗って、この子恐くなって大暴れした時、ああもう、このままケーブルが切れて落ちてしまったらいいなって思ったの。
 ・・でもね、帰ってそれを夫に話したら、ものすごく怒られました。涙ポロポロ流して怒りました。あの人があんなに怒ったのはあの時だけでした。」
 誰だって、一度や二度は、口に出さなくても心の中で思ったことはあるかもしれません。
でも、思うことすら親のエゴであることを映画を見て知りましょう。
 パニックになったり大変な時期は心も沈みがちだけど、そんな時の気持ちも、人に明るく話せるぐらい充実した未来が欲しいな、と思いました。そのためには、やはり今を大切に、ということでしょうか。
 ご覧になっていない方は、ぜひビデオになったら借りてきて観て下さい。
 平成10年11月19日 於松竹

楽しむということ

H.Y
 急に寒くなりました。みなさんどのようにお過ごしですか。風邪などひかれていませんか。
 さて先日、「岡山北子ども劇場」は、北ふれあいセンターの文化祭に、共催という形で、手品あり、狂言あり、ミュージカルあり、の“出演”をはたしてきました。
「津島に住んでいて、一番良い事は?」と聞かれると「ひょっとしたら、子ども劇場かな?」と思える時もある。
このグループとは、もう三年のおつきあいになります。
 最初は、療育がらみの大目的を掲げて入会し、“さあ行くぞ”と、年五回の例会(観劇の事です)に、力んで出かけていたものですが・・・このところ、ちょっと余裕も出てきました。
 文化祭のことに話をもどします。二歳から七歳の小さな子ども達によるオペレッタ「大きなかぶ」の時、4・5年生ぐらいの女の子が立ち上がり、客席で一緒に歌い始めたのです。ロッキングしながら、実に楽しそうでした。
我が子だったら絶対止める、座らせると思いながら、一方で彼女が一番楽しそうだなと思い、そのまた一方では、舞台で歌っている小さい子達のことを思い、次の瞬間には、声をかけないのは逆に不親切なのかな、とも思い・・・。
 その後声をかけたのですが、彼女には届かず、自分の非力さを痛感し、時間ばかりが長く感じられました。(ひょっとしたら、我が子の事があるので、他の方よりも過敏になっていたのかもしれませんね)
 社会の中で生きている以上、大多数の感性にそって考え、大多数の迷惑になることを避けていかねばなりません。そんな思いで子育てをしている親達は、時として、大事な我が子の楽しい事が周りの迷惑になりかねない事態に遭遇する事もあるのではないでしょうか。
 私はできることなら、無視するのではなく、そういう方法でしか楽しめないのだと理解して迷惑に思わないような(勿論限界はありますが)社会に住みたい。
 でもそれが叶わないのなら、そのような場所を作ってあげたい。この子達の感覚一人一人違っていそうで、また興味の表われ方も違っているのではないでしょうか。お互いに迷惑でなく、楽しめる場の存在というものがどんなに難しいか、たった一人の子どもを見ていてさえ知らされる毎日ですが。
 学校の事、生活の事、仕事、住居・・・思い悩む事は尽きませんが、その子にとっての楽しみを、余裕のある時にでもちょっと考えてみるのもいいかもしれません。

 Yさんは岡山市の子ども劇場に入っていらっしゃいます。鳥羽も山陽町の子ども劇場に入っています。
入会して間のない頃は5分ぐらいしか会場には居られなかったのですが、今は最後まで観られるようになりました。
子ども劇場は哲平にとって、初めは訓練の場に近いものだったかもしれません。それでもあきらめないで続けることで、今は皆と一緒に楽しめる場に変わっていきました。

 子ども劇場には障害のある子を連れたお母さんも大勢入会されています。共に育てようと理解してくださっている場と感じています。
ちなみに「育てる会」の事務局は、1軒の家を「山陽子ども劇場」の事務所と分け合って使っています。
子ども劇場に興味のある方は、山陽子ども劇場(08695)5-5031まで。

近くの地域の子ども劇場を紹介してくれると思います。


出会うということ

鳥羽 美千子

 昔、読んで良かった詩集がありました。『微笑みをください(自閉症児の母のうた)』[大和洋子:編集工房ノア]という本です。冒頭の詩です。 


茂樹 2歳3カ月
自閉症児と診断された日

寒風の吹きすさぶ中を私は歩く
人々がせわし気に行き交う街を
ずしりと重いおまえを抱いて
 頬をつたう涙をぬぐうことも忘れて
 やはり そうだったのか・・・・・・・・
 そんな そんな そんな馬鹿な
 信じたくない 信じられない
 自閉症児? 何故?
 こんなにも可愛いおまえが・・・・・
私は錯乱した心で おまえを抱きしめ 唯泣くばかり・・・・
 教えて
 明日からの私は何を信じて 生きていけばよいの?

私は初めて 神に祈る心を知った

涙をポロポロ流しながら読んだ詩でした。
少しずつ悲しい混乱期を通り抜けて、障害を受け止めようとしながらも、悲嘆の中にいる母の詩です。その当時は、同じ悲しみのただ中にいた私だったのでしょう。本を読みながら、一緒に泣きました。泣くことで、共感できることで癒される、そんな時もある。そんな風に思います。

 けれど、今読み返してみると、今の私はこの本では泣けません。
今、この本を読むと「そんなこっちゃ生きていかれんよー」とあの頃より数段しぶとくなった私が言います。
「メソメソしているヒマはないよ」「今やることを精一杯やらにゃー」と、あの日より元気になった私が言います。

 本との出会いには刻(とき)がある。人との出会いにも刻がある。つくづくそう思います。
そして一番必要な時に、その刻が用意されているように思うのです。あのつらい時には『微笑みをください』は、私には救いでした。
こんなにつらいのは私だけではない。そう思って泣きに泣きました。悲しい時に思いきり泣く事で立ち上がれることもある。そんな風に思いませんか?

今、元気を取り戻した私のまわりには、いっしょに頑張っていこうという仲間との出会いが続いています。ほんとにその刻が用意されいたようです。

 では最後に、あの頃あの本に感謝して、『微笑みをください』の中から、詩をもう一編紹介させてください。


 兄 弟

 ママーー
  茂ちゃん またプラモデルこわしてん
  絵本もやぶってんねんで
  ママ 茂ちゃんなんか きらい 大きらいや
  茂ちゃんなんか おらん方がええわ
  もういらんから ほかしてーな
  火曜日にほかしてーな
私は気の弱い母親だ
ゴミの収集日に弟を捨てろとわめく
幼い兄を叱ることが出来ない
  そうねエ
  火曜日に捨てようか
  ポリ袋に入れてあげるから
  直ちゃん ほかしに行ってね
すると 5歳の兄は
火がついたように泣き出した
  イヤヤ イヤヤ
  茂ちゃん ほかしたらあかん
  ほかしたらあかんねん
  ママ 茂ちゃん ほかさんといて
  ほかさんといてーな
なんと生々しく哀しい
血のつながりであろうか
私は震える心で
二人の子供をかき抱く

これまで「育てる会会報」はHPに全文をUPしていましたが、容量等の事情により、一部抜粋にさせていただいています。

今後は、会報は会員の方への郵送でお届いたしますので、ご希望の方は賛助会員に申し込みをお願いします。
詳細は「
育てる会 HP」に記載しています。

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