ママは何でもお見通し
吉田ヒデキ
子どもの頃にテレビで見た場面。
「お前の言うことなど聞くものか」
筋斗雲に乗った孫悟空は,説教を垂れる如来さまに反発して空のかなたに飛び去った・・・と思ったら,如来さまの大きな顔がそばに現れて,「お前が飛んだのは私の手のひらの上だったんだよ。」と声をかけられた。
子どもの頃の我が家でのできごと。
「ひできちゃん,今日は,よう遊びにきてくれたから,小遣いをあげらあ。」
友達の家に遊びに行き,帰り際に思いがけず50円をもらった僕は,(このお金のことは家に言わずに,帰りにカレースナックを買って食べちゃろう)と,初めての「買い食い」に喜んだ。
・・・と思ったら晩ご飯の前に,おやじが,「ヒデキ,もらった50円のことは,いつ言うんなら。」と声をかけられた。
「恐れいりました」孫悟空も僕も心の中でそう思った。
孫悟空はそれ以後,お釈迦さまの教えを守り三蔵法師を助けて旅をした。
僕は,それ以後小銭盗みをやめた。
「冷蔵庫の中のアイスクリームを何度言っても勝手に食べて困るんです。」と嘆くお母さんがいる。
「いつもいつも注意しているんですよ。」
「食べたのを見つけたら,厳しく叱っています。」
でも子どもは,食べつづける。叱った母の言葉の辛さは忘れ,食べたアイスクリームの甘さが思い出される。
いつもいつも注意していても事実として食べたという成功が残り,食べた甘い味の後に,小言がいつものように耳のそばを流れていく。
やめさせたいことは,「いつもいつも」にならないために,絶対子どもにとっての「失敗」にさせたい。
やめさせたいことは,子どもがやってしまう前に,必ず止めて親の側の「成功」を積み重ねたい。
「今日は,おいしいアイスクリームを買ってきたのよ。晩ご飯を食べたら,みんなで食べようね。お母さんがいなくなったからって,すぐに勝手に食べちゃダメよ。」と言って,部屋を出る。そのとたんに冷蔵庫に向かって立ち上がる子ども。
冷蔵庫の前には,なぜか怖い顔をした母がいる。
「ダメだと言ったのに,食べようとしたでしょ。」
流れる小言 より 重い一言。
ママは何でもお見通し。