通じない

吉田 英生

 「とにかく通じない。ことばが通じない。そんな人がふえてきたような気がする。」
 「友人に聞いた話しだが、」、「『いやいや仕事をするくらいならやめてしまえ』と言うと、『ハイ』とそのまま、会社を辞めてしまったり、
『思いきりぶつかってみろ』とハッパをかけると、とつぜんすごい勢いで体当たりしてくるような、そんな連中がいるという。」

「“やめてしまえ”というのは、いやいや仕事をするのをやめろという意味だぞ」とか、「ここでいう“ぶつかれ”というのはべつに体当たりしろということではなく、“可能性に挑戦してみろ”という意味なんですよ」と「いちいち注釈をつけないと、いまやうっかりしたことは言えない時代なのだ」と、現代の若者とつきあう上司たち受難の時代だとコラムニストの天野祐吉さんが書いているのを読みました。[朝日新聞、CM 天気図より]


 以前、書いたことがあるのですが、私が、「一生懸命やらないのなら、勉強しなくていい!やめて帰りなさい。」と一喝したら、
「コレで、ベンキョウをオワリマス。レイ。」と済ました顔で帰ろうとされたことがあります。
そのときは、まさに文字通りに言葉を受けとってしまった子どもに、「帰れというのは勉強をしっかりやらなかったからで、問題をしっかりやりなさい、ということだ。」と注釈をつけ席につかせたのでした。

 さて、今日一人の青年と外を歩いてきました。身体も心も成長期の真っ最中の彼ですが、どうも動きは重いようです。動くことに不安や緊張があるのでしょうか、常に母の腕にすがっていないと歩きはじめることができませんでした。
援助を徐々に少なくして、独りで歩くように促すお母さんですが、かえって彼がつかむ力は強くなっていきます。

 私は、後ろから「動きにくいときに助けてもらっている人が言ってくれることは、アドバイスだと思って聞かなきゃいけないよ。助けてもらうときだけ手を出して、アドバイスしてくれることには耳をかさないっていうのはダメなの。」と声をかけました。
「そうですよね。」と母さんも応じます。
 その後、彼は力をこめていた手を少し緩めて、独りで歩こうとしていました。

 これは、ことばの「注釈」ではなく、人との関係とかあり方「意味づける」ということです。
 「手を離しなさい。」とか、「独りで歩きなさい」などのことばは、単に「指を伸ばしなさい」、「腕を振って歩きなさい」と行動を指示しているだけではありません。

 その言葉のなかには、「こういう時には、こうするものだよ」とか「この言葉にはこんな思いが込められているんだよ」などの人との関係が背景にあるということを伝えるのです。

母が、「手を離しなさい。」と言うのは、「自分の動きに自信をもって、前向きにやってほしい」と思っているのです。子どもの様子におかまいなく、あまりに大人の願いばかりを押しつけてはいけませんが、ここぞというときには、その意味づけを言葉で子どもに投げかけてやることが大切だと思います。

 実は、私はそのことが今まであまりできなくて、このお母さんや彼にかかわる人たちにそのことを教えてられてきたように思います。 ただ、動けばよいのではなく、
“君が動くことが自分にとってどういう意味があるのか”とか、
“周りの人にどういうことをもたらすのか”ということが本人に伝わるように言葉をかけていきたいですね。

 天野さんは、「『こんなことも知らないなんて、親の顔が見たいよ』なんて、うっかり言うと、すぐに郷里の両親を会社に連れてきてしまったりするから、この際、ことばにはくれぐれも気をつけたほうがいいと思う。」と書いていました。

 あなたの子どもさんが、学校の先生に「こんなこともわかってないなんて、・・・」なんて言われたら、すぐに学校に顔を出して、「そうなんです、ウチの子、これまでどれだけ言ったかわからないほどなのに、まだわかっていないんです。でも、これからもドンドン言おうと思っているので、先生からもしっかりお願いします。」と言いましょう。

通じない人が、ひとりでも減ることを願っています。


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