要望書かきかえ事件

     ==== 事件の概要 ====

      1998年11月18日、S学園移転改築に伴う小中等部の廃止問題に対して、S学園保
    護者会はS市T会とともに市長、議長、教育長、社協会長へ「小中等部の存続」を求め
    る要望書を提出しました。しかし、保護者の要望を伝えるべき学園長が、T会会長、H
    部と相談の上、保護者の要望書をかきかえ、同時にPTA会計用の私印の印鑑不正使
    用を行いました。

以下は、1998年11月28日に開かれた緊急保護者会での会話のメモです。

   ( 「利用者のニーズに応えられないようでは福祉ではない」と言われた方がいます。
     S学園に関わる出来事は、保護者無視の形で、次々にいろいろなことが行われてき
    たように思われます。
     行政の一方的な方針変更、そして、一部のごうまんな考えに、S学園長らが言いなり
    になってしまったのではないかと思われます。
     ともかく、福祉の現場で、このようなことが起こったことが信じられません。      )




保護者 「考えを聞きたい・・・・内容改ざんについて。」
学園長 「私が改ざんではない。 私は・・・・タイプを打ったのは私。 
T会会長が広告の裏にあった(書いた)ものを書いている。 
改ざんということ・・・・くるくる変わった。」
学園長 「T会会長は行政に打診している。 ぎりぎりの11月18日に出した。
小中の存続は、T会会長に尋ねた。 変えた・・・・。 
時間がなくて・・・・(相談?)できなかった。 
『適切な対応』にしてくれとT会会長が言った。」
保護者 「全然違うじゃないですか。(保護者の要望と学園長のいう要望は反対)」
学園長 「T会会長・・・・前々の経過があるので・・・・。」
保護者 「T会会長とは別で、保護者の希望でしょう?」
保護者 「時間を言われるのはおかしい。(時間がなくてできなかったという点)」
学園長 「意図的ではないぞ。 ・・・・。ぬかっていた。」
保護者 「(要望書提出日は)11月26か27日を予定していた。 
11月16日にお願いしたのに・・・・。(すぐ次の11月18日と急に決められた)」
学園長 「証拠はないけれど、(T会会長に)なんとかならんかとだけは言った。」
保護者 「内容が変わった。 保護者は、一生懸命署名をしているのに・・・・。 
私たちの動いているのを何だと思っているんですか。 小中存続のために動いているのに。」
学園長 「要望先にぎりぎりのところまであわさないといけない。 ・・・・。 答えができん。 子どもの不利益にならないように・・・・。」
学園長 「打ったもん(者)の責任じゃ・・・・。(しんみりして発言)」

学園長、過去2回の要望の経過について説明。
学園長 「おそらく、言われると思った(要望書について)。 これは、くやんでいる。」
保護者 「保護者会の要望を『小中の存続』として、署名までするということを知っていて、T会会長に言われたからといって、何も言わず、言われるとおりしてる。」
学園長 「これでいいか、いけるかと、T会会長には確認・・・・いけるかどうか。」
学園長 「意向を受けた。 役所が『こうなおしてくれ』というのが・・・・市の意向を受けているのは知っている。」
保護者 「学校へ帰る子は帰ればいい。この地域で障害児学級も必要だし、養護学校的なものも必要だ。 だから、協力すべき・・・・この地域にも養護学校があってほしい。」
学園長 「あったらいいと思うよ。」
保護者 「だったら保護者に協力すべきでしょう?」
学園長 「・・・・。」





1998年

5月 日 校長会(6月になってわかったこと)
教育委員会より、S学園の「小・中の派遣学級は引き上げる」と発言された。
当の学園関係者、保護者には何も知らされないままの発言であった。
6月18日 S市6月定例市議会一般質問で関係議員がS学園小・中について質問。
8月26日 S学園保護者会(小中高)・・・・保護者からは、小・中を絶対に残してほしいとの強い要望。
8月27日 S学園保護者会(幼児)・・・・前日同様、小・中を絶対に残してほしいとの強い要望。
10月 1日 S学園へ教育委員会が学校訪問・・・・教育委員会からは、『きわめて困難』と説明される。
10月22日 S学園保護者と教育委員会の第1回懇談会・・・・保護者の希望を聞くというよりも、『現在の形式のままでの移転改築はできない。移転改築先で小中が無くなったとしたら何を望むか。』『地域の障害児学級の充実と、養護学校への通学方法の解決と、どちらがいいのか。』等の委員会発言。保護者からは、S学園小・中がなくなると困るという発言や、幼児から高等部までの一貫したものをつくって欲しいとの切実な要望がでる。教育委員会は、今後も話し合いの場を持つことを約束。
10月22日 学園長が要望書・署名案を藤波PTA会長に提示。
10月27日 学園長が要望書・署名案を学園職員会議に提出。
10月28日 要望書案について学園職員意見・・・・保護者の意見をとりいれて、題名に「小・中の存続」ということばを加える。要望事項の順序を入れかえ、小・中のことを先にする。
10月29日 署名案について学園職員意見。
11月 4日 署名用紙を保護者に配布。
11月 9日 S学園保護者と教育委員会の第2回懇談会・・・・教育委員会から、「分校があれば一番いいし、分室でもいいと思っている。しかし、S学園の移転改築先で小・中をつくることは難しい。圏域でのとりくみはビジョンとしてはいいが時間がかかる。だから、とりあえず地域の小学校・中学校で受け入れることを考えている。」等の説明。
11月10日 S市T会会員研修会・・・・要望書が示され、T会会長が「教育委員会で添削してもらった」と発言。学園長も同席していた。
11月11日 S学園で園長、教頭、要望書案を保護者のみに配布・・・・職員にはまったく見せない。しかも、職員検討時「養護学校的な役割を持った施設の設立を・・・・」要望していた部分が、保護者配布時では「適切な対応をお願いします」にかえられていた。
11月15日 保護者会日曜ふれあい市および市民会館前で署名活動・・・・要望書内容がかわっていることがわかる。署名活動中の藤波会長ら保護者が対応検討。
11月16日 16:00頃、藤波会長から学園長に要望書提出日を11月26日または27日にするように依頼。同時に要望書を保護者の意見で手直ししたいと伝える。すると学園長は「保護者の方が出すのだから納得いくまでどうぞ」と言う。また、日時の設定は「T会会長がされる」と言う。
11月17日 学園長を通じ、T会会長が、市役所で要望書提出を11月18日13時に設定(藤波会長の了解もなしに一方的に決める)・・・・朝、T会会長より学園長に電話有。藤波会長へは学園長から連絡がある。
藤波会長は、予定と異なること、署名の締め切り前に要望書だけ出すようにはしたくないと言うが、相手にしてもらえない。(保護者が要望書内容を手直しする時間もない!)
すぐに藤波会長よりT会会長に繰り返し連絡をとろうとするが、返事はない。
S学園事務所へ16:28頃T会会長来園。16:40頃学園長が「藤波さんのハンを押してくれ」と教頭に発言(藤波会長の了解なしに一方的)。教頭は、PTA会計用に預かっている印を学園長に渡す。
夕方、署名活動をした藤波会長ら保護者に、事務所での出来事が伝えられる。夜、保護者で対策検討。保護者の意見を入れた要望書を準備しておくことになる。
11月17日 保護者会MFセンター前で署名活動
11月18日 保護者会が市長、議長、教育長、社協会長に要望書提出・・・・同時にS学園長とT会会長および市当局関与による保護者の意向に反する要望書の準備と印鑑の不正使用発覚が起こる
【詳細】
13時T会会長が学園長の準備した要望書を持参。学園長の準備した要望書には、T会会長の印と了解なしに勝手に押された藤波会長の印有。「養護学校的な役割を持った施設の設立を・・・・」要望していた部分が、「適切な対応をお願いします」にかえられた上に、保護者に配布した要望書案の題名にあった「小・中の存続」ということばまで消されている。要望事項の順序も以前の順序に戻されている。
市長室内の保護者らの前で、T会会長が学園長の準備した要望書を藤波会長に提示。
藤波会長は「それは保護者の意向が入っていない」と説明し、藤波会長ら保護者が用意した要望書を出し「こちらにハンをもらえませんか」とT会会長に言う。
T会会長は「今はハンがない」「心外である」しかし、(藤波会長の用意した要望書に)「後で押してもいい」と言う。
藤波会長は、用意した保護者会会長名だけの要望書を市長、議長、教育長、社協会長に提出。
学園職員には11月18日要望書提出の件は、いっさい知らされない。
11月19日 朝、新聞発表されたことについて教頭が学園職員に連絡。学園長は、朝、市役所に呼ばれていた。
11月20日 学園外で緊急保護者会。経過説明。
11月21日 市長が単独で土曜の午後来園。学園長、教頭が対応。
11月24日 保護者会コープ前で署名活動
11月24日 藤波会長が要望書に付け加えて提出する予定だった署名の提出を秘書課に依頼・・・・すると、秘書課から連絡が行って、H部の課長がやってきて、11月18日の件をいろいろ言った上「日時を早く設定したのは少し早すぎたかな、私も少し反省している」「私が言ったということを言わないように」と発言
11月18日の提出時「後でハンを押してもいい」と言っていたT会会長から夜、藤波会長に電話。「部長をはじめ、みんなに不信感を与えた」といろいろ言った上、「26日がタイムリミット。この間提出した要望書は却下されたから、26日までに学園長と話し合いなさい。そうすれば私も藤波さんの用意した要望書にハンを押す。」と発言。
11月25日 学園保護者と総務文教の議員の懇談会
11月26日 朝、学園長より藤波会長にファックスで9時に学園に来るよう連絡・・・・学園長とT会会長が待ちかまえていて、「要望書はT会会長と藤波さんの連名でなければうけとれない」と発言。学園長は、藤波会長の提出した要望書で、『センター的役割・・・・』の内容を別項目にして『学齢期』としているのをやめるよう、また、『家庭から通学し・・・・』を残すよう発言。T会会長は『適切な対応』の文章にこだわった。T会会長が「原案は部長、課長等に見てもらい、2週間かけてつくった」と発言。「要望書の内容を直したからといって、方向は決まっている」とも発言。
藤波会長の提出した要望書ではいけないと言い、要望書をもう一度つくりなおすように言われる
14時、緊急のため保護者約7人が学園に集まり協議。
15時から学園職員も参加し、これまでの要望書を確認。要望書内容について検討。
学園長が「要望書というものは、相手にあわせてしないと、受け取ってもらえない」と説明。また、学園長は、ここでは、文章表現で、『適切な対応』でなければいけないと説明。さらに、藤波会長の提出した要望書で、『センター的役割・・・・』の内容を別項目にして『学齢期』としているのをやめるよう発言する。
その後も学園長はいろいろと発言したが、最終的には職員の意見に同意するとともに、「それならあんたがやれ」という発言を残して出ていってしまう。
要望書の修正は、その場に残った保護者と職員に任される。結果として、藤波会長が11月18日提出した要望書内容とほぼ同じ内容になる。
11月27日 保護者会第1回署名を市長に提出(7111人分)・・・・修正した要望書については、朝、市役所前でT会会長に印鑑をもらい、9:00に提出。
11月28日 10:00〜13:30学園外で緊急保護者懇談会。経過説明。対応検討。途中学園長を呼んで質問すると、保護者の意向に反する要望書の準備と印鑑の不正使用について
学園長は
「よかれと思ってしたこと」
「意図的ではない」
「T会会長に言われたから」
「市の意向を受けているのは知っていた」等の発言。
謝罪はなし。
11月30日 保護者会地方法務局へ人権救済申立
12月 1日
12月 1日夜 取材したA新聞記者:当事者は「反省している」「悪かった」とし、文書改ざん、印をついたことをわびている。市当局も改ざんの意味合いもよくわかっていた。その上に、要望書を尊重した対応をする(ニュース性はない)と言っていると伝えてくる。当局や当事者は、マスコミには謝罪とのこと。
12月 1日
12月 2日
■新聞社「『会長印無断使用』人権救済申し立て」
●新聞社「小中学部存廃問題で人権救済を申し立て」
      両社とも、ローカル紙面で、記事も小さく、話題にはならない。
12月 2日 藤波会長S市のH部と委員会とに謝罪を求める文書送付・・・・H部と委員会ともに12月6日の保護者会には不都合で欠席の連絡。
12月 2日 藤波会長S市H部へ担当部局の責任を問う文書送付・・・・H部からの回答はない。
12月 5日 保護者会市民会館前で署名活動
12月 日 O、K議員2人が市当局と話・・・・委員会は寝耳に水。H部長は「要望書は見た」「文章の言いまわしは変えたが、文の趣旨を変えるようなことはしていない」と発言とのこと。
12月 6日 学園で保護者懇談会・・・・新聞発表以降、学園長は謝罪の姿勢を見せ、保護者会でも謝罪をする。
学園長「この度の要望書の書きかえ、印鑑の不正使用については、深くおわびしたい。会長ならびに保護者のみなさんにご迷惑をおかけしました。
「配慮のなさからこういうことを招いた。保護者と職員へ対しても・・・・ひとりひとりに対して、どうゆうふうに就学に対して言動したかで判断していただきたい。」等発言。

しかし、謝罪は学園長のみで、その後も、市当局等からの謝罪はなく、回答すらない。
S市の対応は、A新聞記者の伝えた「当事者は『反省している』『悪かった』とし、文書改ざん、印をついたことをわびている」などという態度はなかった。また、「要望書を尊重した対応をすると言っている」と伝えたことも、保護者の意に反した結果となってしまった。
その上に、なぜか騒ぎを起こしたとして保護者を非難する発言が、学園長、教頭、T会会長等あちこちから聞こえてくることになる。
したがってこの問題の解決などということにはなっていない。
保護者からは、「(学園長の)謝罪はあったが不信感は残る」の発言。
学園長が、事件は、事件でなく単なる内輪もめであると他で言い、それが広まってしまった。
そのことについて、「(まわりから)内輪もめととらえられていることが残念」等の発言。


そして、学園長はこの謝罪の後、人事トラブル・意味不明の言動・次年度の小中廃止について一切連絡しない等の問題を続発させていくことになる。



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