「日々のできごと」その13

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平成10年10月28日(木) 晴れ

最近、この日記もあまり更新しなかった。
ほかのページの更新もあったし、とくにこれといったできごともなかったからだ。
あと、最近どうも何かやろうという気が起こらない。
日々金のことばかり考えてると、人間、心が荒んでくるものだ。
先が見えない、いや、見えているのに届かない。
「底が見える底無し沼」とはよく言ったものだ。
借金取りから電話がかかってきたり、電話を止められたり。
なんかもう、どうでもよくなってきた・・・。


平成10年11月1日(日) くもり

今日は夕方から出かけた。
中学時代の知り合いから飯でも食いに行こうと誘いがあったからである。
もちろん先方のおごり。
最初はファミレスに行こうということだったのだか、いかんせん日曜日の夜。
どこに行っても混んでいた。
わたしは外食を受け付けぬ体になっていたので、あまりファミレスは乗り気でなかった。
そこでわたしは「マルチでええんちゃう?」と提案した。
最後のファミレスも混んでいたので、結局、野々口のマルチに行くことになった。
そこで野菜天うどんにちくわ天とごはんを食べた。
外で食べるうどんは、それはもううまかった。
久しぶりの外食でしかもおごりということもあっただろうが、それにしてもうまかった。
食ったあと、茶でも飲みに行こうと言うので、最後に行ったファミレスに戻った。
そこで旧知の知り合いがバイトをしていたこともあった。
しかし、バイト氏は10時に勤務が終わってから用事があるとのことで話はできなかった。
わたしたちはファミレスを出て、なんとなく西大寺に行った。
駅前で1時間近く宗教論・日本人論について話などしながら過ごす。
帰りにタバコを2箱おごってもらってうれしかった。


平成10年11月5日(木) 思い出すと「くもり」しか思い浮かばない・・・

今日は久しぶりに諸問題(演習の授業)に出る。
この時期の「諸問題」は、卒論の中間発表である。
今日は4回生のS氏の発表である。
先生の、進行状況に関するツッコミが結構厳しいものだった。
わたしは今月26日が発表で、しかも進度はS氏よりかなり遅い。
っていうか、調査の目途どころか、何をやるのか本人がよく分かってない状態。
そのツッコミを聞いて、思わず戦々恐々としてしまった。
こんな状態だと、自分の発表のときに何を言われるかわかったもんじゃない。
それを悟っただけでも今日諸問題に出た甲斐はあったと思う。
諸問題が終わってしばらく休憩して、万歩書店(古本屋)に向かう。
家にある学術書をきれいさっぱり売り払うためである。
今日の時点で所持金が100円ほどになっていたからである。
研究室に保管していたわたしの学術書も合わせて、定価はしめて3万8千円あまり。
これが、古本屋に持っていって3,600円になった。
ようするに、美品で税抜き価格の10分の1と考えて差し支えなかろう。
無論需要がある本だと多少高めに売れるのだろうが、マイナー学術書ではこんなものだろう。


平成10年11月9日(月) たまには「晴れ」ということにしとこう、とおもったけどくもってた・・・

今朝未明に4時間以上かかって無料サーバにあるわたしのページをすべて移転した。
無料サーバだと、重くて更新はおろか読み込みもできないことが多い。
そこでプロバのページ領域にすべて移転したのだ。
移転するだけならすぐ済むのだろうが、それだけでは移転は完了したことにはならない。
無料サーバで使ってた掲示板を、すべて自分で設置しなおさせばならなかった。
あと、無料サーバのときの、ページ内のリンクの貼り変えをしなくてはならなかった。
それらに悪戦苦闘した結果、4時間以上かかってしまった。
作業が終わったのはテレホが終わる朝8時。
いつもならこれで寝てしまうところであるが、そういうわけにはいかない。
5日のところにも書いたが、そろそろ卒論に取り掛からねばならないのだ。
そこで、10時ごろ研究室に向かう。
家で作業をやるのは、雑念が多いからである。
さっそく調査票作成に取り掛かる。
しかし、卒論の内容も何が調べたいのかも本人ながらよく分かってなかった・・・。
そんなので調査票などできようはずもない。
と、そこで詰まっていてもしょうがないので、とりあえず調査票を作ってみる。
最初は役場調査だけで済ませるつもりだったのだが・・・。
調査票について考えるうち、どうやら住民調査もやらねばお話にならんことに気が付き始めた。
とりあえず住民向けの調査票を作る。
昼の1時過ぎには仮の調査票が出来上がった。
しかし問題があった。
どうやって調査するかである。
郵送か、ぶっつけで訪問か・・・。
サンプルは40は欲しいところだ。
しかし、郵送だとあまりに金がかかりすぎる。
1軒につき往信と復信で160円となり、バカにならんほど金がかかってしまう。
となるとぶっつけ訪問しかないのか・・・。
かなり憂鬱である。


平成10年11月20日(金) 晴れ

最近かなり更新さぼり気味・・・。
っていうか、飽きてきたと言うかなんと言うか(ちょっと本当)。
できごとはあるんだけど忙しくって・・・。
そういやこないだテレカ売りに行ったら前回から20円も買い取り価格が下がっていた。
ま、というのは置いといて本題へ・・・。

とりあえず卒論の調査が一つ終わった。
その調査の一部始終について記述しておこう。
今回の調査は、岡山県哲多町の町役場で町営バスの概要について調べるためのものであった。
まず、調査のアポイントを16日(月)に電話で取った。
調査どころかアポ取り自体がほぼ2年ぶり。
前回は3回生のとき中四(中四国学生地理学会)の論文作成のとき。
中四のときは数人で熟考した上で調査に取り掛かったが、今回は無論自分一人の調査である。
夕方4時前頃研究室をでて、経済学部棟1階にある公衆電話に向かう。
っていうか、アポ取りですでに緊張してるこのわたし。
むっちゃ久しぶりだしなぁ・・・。
迷ってても仕方ないので電話する。
どうやら、ちょうど電話に出た人が町営バス担当らしい。
なぜこのネタにしたのかなど、根掘り葉掘り聞かれた。
実はアポ取る時点では、まだ調査票はできてなかった。
そこへ調査項目などいろいろ尋ねられたもんだから、「こえ〜」と思った。
話を聞いてると古いデータなどはなさそうなかんじである。
だがここで断られたら卒論が終了してしまうので、とりあえず調査は受けてもらった。
期日は20日(金)の朝10:00から1時間ほど。
やはり当日の朝こちらをでようとすると、朝6時には出発せねばならぬ。
しかも原付であり、所要時間を計りかねるし、また道に迷ったらえらいことである。
まぁ、当初から前日出発を考えていたのではあるが・・・。
宿泊先は哲多町の某中学校に就職した同回生宅である。
というわけで出発は19日(木)の16時ということになった。
とりあえず調査票は早めにつくってしまわねば・・・。

そして出発当日。
なんとか調査票もできあがった。
ただ、当日の未明まで研究室に残っていたのであまり寝てない。
起きたのは昼過ぎになってしまった。
いちおう4限の諸問題(演習の授業)は出てから出発しようと思ってたがそれどころではない。
とりあえず、泊りの準備をしてそそくさとする。
しかし、服装にはかなり手間取った。
なんせこの季節に県北へ原付で行こうとするのだから並みの服装では凍死が必定。
Yシャツ3枚・長袖シャツ3枚・上着2枚・パンツ2枚・ズボン3枚・くつ下3組・手袋2組にマフラー。
これを一度に着るのである。
試行錯誤の末、ようやくすべてを身にまとうことができた。
出掛けに靴の紐を結びかえようとしたら、切れやがった。
何か不吉な・・・。
それで研究室にあがったのが授業中の午後3時。
出発まであと1時間しかない。
さっそく調査票の最終仕上げに入る。
実はこの調査票、HTMLで書いてたりする・・・。
表つくるのでもHTMLの方が慣れてるし。
っていうか、最初は普通にWORDで作ろうとしたのだ。
しかしWORDで作ってるうちに設定のややこしさなどでだんだん腹が立ち、やめてしまったのである。
勝手に文字間隔が狭くなるし、なんなんだよ、あのソフト・・・。
やはり一太郎の方が使いやすい。
実験室は授業があるので、院生室のマシンで読み込もうとしてIEをたち上げた。
なんと、ネスケで確認しながら作ってた調査票とぜんぜん違うものが表示されたのだ。
とくに表の部分に罫線が入ってないのは致命的である。
あいにく院生室のマシンにはネスケは入っていない。
ということは、授業が終わるであろう4時頃まで印刷はお預けである。
授業が終わって慌てて印刷したのだが、今度はプリンタに異常が・・・。
ともあれ全ての準備ができたのが5時前。
というわけで出発が1時間も遅れてしまった。

もうすでに外は暗くなり始めていた。
5時に大学を出発(出発時メーター3236.7km)し、総社駅についたのが5時50分(3258.1km)。
道に迷ったのと、帰宅ラッシュでちょっと時間がかかった。
ここで20分休憩を取るついでにコンビニで使い捨てカメラと電池を買っておく。
しかし、トイレで用を足すのは至難の業であった。
なんせズボン3枚もはいてるから・・・。
ともかく6時10分、総社駅をあとにして国道180号を北上する。
すでに完全に真っ暗である。
道中暇なのでヘッドホンで音楽を聴きながら走っていたのだが、走ってる途中でテープが終わった。
そこで路肩に原付を止め、暗い中、手探りでテープを交換する。
とりあえず交換もおわり再び走り出したのだが、なにか膝に当ったような気がした。
まぁ気のせいだろうとそのまま走り、7時に備中高梁駅に到着(3283.7km)。
当初の計画だと、高梁のあたりから180号を捨て県道経由で北上する予定であった。
そこで地図を見ようと、足元に置いてあったリュックサックを開けようとしたそのとき、驚愕の事実が判明。
なんと、リュックサックのチャックが全開になっていて、地図がどこにもないのである。
そう、さきほど膝に当ったものがまさしく地図であったのだ。
いまごろその地図は、暗闇の中風に吹かれていることであろう・・・。
はっきり言って、複雑な未知の県道など、ましてや夜中に地図なしで走れるはずもない。
そのまま180号を北上してもよかったのだが、ダンプとかが多くてあまり走りたくなかったのだ。
しかしそんなことももはや言っている場合ではない。
しかたなくそのまま180号をひた走ることにした。
とにかく泊り先に電話を入れ、石蟹駅で待ち合わせるよう伝え、7時15分に高梁駅をあとにする。
数分前に出た列車を途中の駅で追い抜くほど飛ばした(無論また抜き返されたが)。
北上するにつれ、だんだん寒くなってくる。
出発時とは明らかに外気温が違う。
夜になったからだけではない。
同じ夜でも岡山での寒さと全然違う。
今回寒い中を原付で長距離走ってて気が付いたことがある。
当然寒くなればなるほど震えがするのだが、それ以上に膝が痛くなるのだ。
はっきり言ってズボン3枚では足りなかった。
こういうシチュエーションにおいては、膝サポータは必需品であったのだ。
と、まぁ、いろんなことを考えながら石蟹駅に着いたのが8時頃(3314.5km)。
岡山から高梁まで2時間かかったが、そこから先は45分。
そうとう飛ばしていた。
国道とは言え、知らない道を夜中に原付で60km/h出して走り続けるのは怖い。
車と違って、常に路面状態を気にしながら走らねばならない。
とくにこの道は大型車が多く、よってアスファルトにもかかわらず轍ができているからである。
轍にハンドル取られて転倒でもしたら死につながってしまう・・・。
石蟹駅で電話して、迎えに来てくれるよう伝えた。
10分ほどでやってきたのでさっそく下宿に向かう。
途中の県道にあった気温表示計は0度を示していた。
8時半にやっと到着。
部屋に入っても当分震えはおさまらなかった。
しかし、星はきれいだった。
同じ岡山県でもやはり見える星の数がちがう。
流れ星を3つほど見ることができた。
とりあえずハンバーグとめしを食わせてもらい、10時には寝た。
(といってもフローリングで寝袋なので寝るまでに2時間くらいかかったが・・・。)

翌日につづく・・・

さて、朝は5時起床であった。
寝袋が案外暖かったのだが、途中1回目が覚めて結局寝たのは4時間ちょっと。
泊り先の某氏は社会人(中学校事務職)のため朝は早起きである。
わたしもどうせ調査があるし、準備があまり出来ていなかったのでついでに起きた。
朝飯は、ごはんに持参のふりかけをかけて、わかめスープと一緒に食べた。
外に出てみるとこれがまた何とも言えないくらい寒い。
駐車場に止まっている車を見ると、霜が降りていると言うより、はっきり言って凍っている。
そうこうしているうちに6時半になり、某氏は先に出かけていった。
わたしも聞き取り調査の準備に取り掛かる。
8時ごろ、一度車を置きに某氏が戻ってきてまた仕事に出かけた。
今日はマラソン大会の手伝いらしきことをやっているそうだ。
なんだかんだやってるうちにもう9時50分。
準備も出来たので町役場へと向かった。
町役場は某氏宅から徒歩数分。
役場が奥まったところにあり最初わからなかったので幼稚園児引率の保母さんに道を聞く。
そして役場の前までたどり着いたのはいいが・・・。
なんと役場の前の狭い道が、マラソン大会の折り返し点になっているではないか・・・。
実はこの日は阿新地域の中学生のマラソン大会がある日だったのだ。
それは知っていたのだが、まさか役場の真ん前で折り返し点があるとは思わなかった。
当然のことながら役場前の狭い道は走者と観客で埋め尽くされて(といっても知れてるが)、
よそ者のわたしが役場に入る術はないように見えた。
しかしここでマラソン大会が終わるのを見ていては10時のアポに遅れてしまう・・・。
そこで折り返し点の監視員に断りを入れ、マラソンコースを10mほど走って役場に入った。
ま、そんなこんなでなんとか10時には間に合った。
さて、アポ取りのときに「こえ〜」と思っていた人は、実はこえ〜人ではなかった。
しかし久々の聞き取り調査であるからどっちにしろ緊張はする。
簡単なあいさつののち、さっそく聞き取りに入る。
そこでなんと先方が、「あなたもたばこじゃんじゃん吸っていいよ」とおっしゃった。
わたしも緊張していたのでこれは助かった。
内容は卒論調査ゆえ伏せておくが、調査はなんとか進み、1時間はあっという間に過ぎた。
まぁ、ぜんぜん調査票の項目の順番に話は進まなかったのだが・・・。
ともかくそのとき用意していた項目は全部聞き終えた(ただし聞き忘れがあったことが後日判明)。
そこから30分は直接は調査票の内容と関係ない話を20分ちょっとした。
(この20分ちょっとの話の内容はホンマにここには書けない内容かもしれないので書かないことにする)。
ときどき思い出したようにニヤリとしながら話し出すのが面白い人であった。
結局30分近く予定をオーバーしたがお礼を言い役場を後にする。
外ではまだマラソン大会をやっていたので先ほどと同じくコースを走って横切る。
某氏宅に戻ってからしばしもらった資料を眺めたりテレビを見たりして過ごす。
12時ごろ某氏がまた戻ってきた。
今度は車で中学生どもを送るそうである。
昼飯を持参のパン2つですませてテレビや新聞などを見ているうち3時が来たので帰り支度。
某氏宅を3時20分に出発する。
出掛けに満タンだったガソリンがメーター半分以下になっていたので役場の近くのJOMOで給油。
3リッター入れて300円弱だった。
300円弱とは安いなぁと思ったのだが、帰ってよく伝票を見てみるとリッター94円だった。
岡山市内の相場が83円であるから11円も高い。
結局帰りはノンストップで帰った。
途中高梁まで来たときに駅に寄って休憩しようと思ったが、行けそうなのでそのまま帰ってきた。
大学に戻ってきたのが日も暮れた5時50分。
途中吉備津のあたりから渋滞に巻き込まれなかったら5時半前には着いていただろう。
とりあえず研究室に上がったがそのときはあまり疲れていなかった。
某Sとう氏がいたので土産話をしながら3時間ぶりのたばこを数本立て続けに吸う。
実験室に加湿器が導入されていたので、ちと浦島気分になってしまった。
結局その日は夜の10時過ぎまで研究室にいた。
疲れは次の日にどっと出て、動く気が全く起きなかった。
ほんま、よくあんなところまで原付で行ったものだ。
しかし、あと1〜2回は行かなくてはならないのであった・・・。


平成10年11月26日(木) 晴れ?

きょうは「諸問題」の卒論中間発表の日である。
発表資料は前日の夕方前から徹夜で作った。
朝の7時前まで研究室で資料作成に追われていて、一旦帰って寝たのだがあまり寝られなかった。
というのも、寝たのは8時ごろだが10時半頃某Y氏から電話があって一回起こされたのだ。
談話会の案内を出すので、うちの回生の現住所を教えろという電話だった。
わしがそんなこといちいち把握してるわけ無いやん・・・。
それくらい自分で調べろや・・・。
そんなことで徹夜明けで寝てる人間をたたき起こすなよ、まったく。
むっちゃ怒(いか)りたい気分だったが、我が怒り回路は爆睡していたので怒るに怒れず・・・。
結局12時に起きたのだが、そのせいでむちゃくちゃ眠い・・・。
なんとか眠い頭をたたき起こし研究室に向かったのが1時50分頃。
とりあえず資料を人数分印刷し、発表開始。
いつものことなのでここには書かんが件の助教授のコメントは激流の如しであった。
っていうか、朝っぱらクソ眠いのに電話に応対したのに・・・。
あぁ、諸問はめんどくせぇ・・・。
4回生の某M氏が明日卒論調査に行くと言うので、後学のため昼飯マクドを条件について行くことにした。
夜7時前頃帰ったのだが、飯食ってすぐさま爆睡したのは言うまでもなかろう・・・。


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