「日々のできごと」その48

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平成12年9月15日(金)

今日はM教授(2年前にO大を定年退官、現N大教授)の水島海底ゴミ調査のお手伝い。
目的地は寄島漁協。
M教授も参加している水島地域環境再生財団という組織が行う調査である。

朝7:40に岡大西門で待ち合わせなので数分前に行ってみると
同行の3回生I氏とM2のS氏は来ていたものの肝心のM教授がまだ・・・。
結局8時過ぎに白のカローラでやってきて、20分遅れで出発。

車中では昔話あり、現状話あり。
というか、我々3人の名前を把握していたのには驚いた。
朝方のあいだ止んでいた雨が途中から降り出す。
途中、2号線を本線それて側道に入ってしまったがなんとか復帰。

それにしても運転がメリハリありすぎ・・・。
アクセルもブレーキも一気に踏み込むため、急発進あり、急停車あり。
交差点の横断歩道の手前で「おっと」といいつつ急ブレーキ。
1回は、ガコンとブレーキ踏むもんだから、タイヤがズリっとスリップしたりしてなかなか戦々恐々(?)。
とにかく雨による摩擦係数の減少を無視した走りであった。

まぁ、そもそも南北から53号に出るT字交差点の信号待ちのときに停止線で止まらずに、
なぜかラーメン天馬のところでしばらく止まって信号待ちしようとしたときから不安ではあったが・・・。

1時間ちょっとして寄島漁協に到着。
休む間もなく漁船に乗り込む。
定員12人の中型(?)底引き網漁船。
2~3km沖の海底を底引き網でさらうのである。

無論座席などないので立ちっぱなし。
出掛けはそれほど揺れないな、という感じだったが、
目的海域に着いて一旦止まると、揺れる揺れる・・・。
強力な酔い止めを飲んで行ったにもかかわらず多少気持ち悪くなる。
網をセットして動き出したらましになった。
3回底をさらったのだが、波がきつくなってそこで打ち止め。
昼以降の底さらいは中止になった。

自分は早くに揺れに慣れてしまってどうということはなくなっていたが、
途中、S氏が船酔いでダウンして横になる。
M教授は、さらいたてのシャコを生きたままむいて食べて御満悦。
肝心のゴミは3回さらってもゴミ袋1枚の底に少しばかりとタイヤ1本のみ。
かかるものはカニやシャコや魚ばかり。

船上では結局なんの作業もせず。
ただ引揚げ作業を見たりするだけであった。
11時前に帰港。
戻るころには波がより高くなっていた。

1時間ほど漁協での聞き取りを横で傍聴(?)する。
正午前に昼食。
といってもさっきさらったときにかかった魚やシャコの煮付け、茹でカニ。
作業中に大量に引っかかっても海に帰さなかった時点でなんかいやな予感はしてたのだが・・・。
自分は魚をちょびっととご飯を1杯食べただけだったが、
S氏はシャコをバリバリ食っていた。

昼飯が終わると、さらってきたゴミを分類してカウント。
やっと我々の仕事なのだが、10分で終了。
我々がやることは、これだけだったのだ・・・。
本当はゴミが山盛り取れて、それをカウントしまくるのにバイトを雇ったらしいが、
ほとんど取れなかったのでこれで終わりなのである。
ましてや午後も行う予定だった底さらいを午前で打ち切ったせいもあるかもしれないが・・・。

その間M教授ほか先生方は漁協での聞き取りの続きをやっていたが、
我ら3人は部屋の外で立ち話をして過ごす。
1時間ほどで終わり、シメ(?)をするために水島の財団事務所に移動。
そこで今日の給料8,000円也を受け取り、あとは財団の事務話を横で聞く。
それが終わって4時過ぎに大学に帰着。

文学部前で降ろしてもらい、そこでM教授とわかれた。
いちおう研究室に上がってちょっと一休み。
だが前夜の不眠と酔い止めの眠気が重なって異様に眠かったので5時には帰宅。
飯も食わずに深夜1時まで睡眠。

しかし、今日の実働はたったの10分。
あとはほとんどオマケのようなもんであった・・・。


平成12年9月19日(火)

未明からIE5.0導入。
250MBあったハードが、インストール後立ち上げてみると200MBに減少・・・。
数ヶ月かけてやっと250MBに復帰したと思ったのに・・・。
こんなに容量食うなんて聞いてねぇよ・・・。

勝手にGIFとJPEGのアイコン入れ替わるし・・・。
しかも一旦IE5以上を入れてしまうと、後に何らかの理由でIE4に戻したとしても、
もはやIE自体がアンインストールできなくなるそうだ。

おそるべしマイク□ソフト・・・。


平成12年9月23日(土)

ここ四、五日の懸案だった巨大RealMediaファイルの待避が完了。
3つで20MB超なので、うち2つは一気にアップはできず、分割して仮アップ。
それを大学にて落とし、結合して再アップという作業の繰り返しであった。
最近どうも回線が不調なのでは、1つ10~15KBに分割してアップしていた。
分割後のファイル数も500を超え、これが1つでも失敗すると無意味になってしまう。
しかし、3つとも無事1回の作業でうまくいってよかった。
失敗なんかしたら目も当てられん・・・。


平成12年9月25日(月)

今日は先方の依頼により福島大学3回生のM君と会う。
チャットで知った人なのだが、とくに毎日ネット上で見掛けるわけでもない。
まぁ、自分が言い出しっぺじゃないし、と思いあまり深く考えはしなかった。
2時半にO大西門に来てもらうことにしていたが、一旦研究室に上がっていたわたしが時間ぎりぎりに向かおうと1階に降りて行って建物から出たところで見つかる。
赤いシャツ着用ということですぐに本人とわかった。
とりあえず4時まで近くの喫茶店で話し、それから研究室に上がって6時まで話す。
内輪話以外の話は苦手なのでとにかく疲れた・・・。


平成12年9月27日(水)

寝てたら夕方M2のM氏から呼び出し。
研究室で修論の話をしてから、飯を食いに行ったのだが、M氏は焼き肉を主張。
こちらは一昨日の会合で喫茶店代1,600円余りを使ったのでそれほど乗り気はしなかったが、半額負担ということで決着。
以前に発見していた、早島にある60分で980円の食べ放題。
7時半過ぎにオーダーしたので、繰り上げで8時40分まで。
炭火焼でなかなかうまかった。
それから出たついでに井原経由で福山方面に行こうということになったのだが、清音付近で運転者であるM氏が腹痛堕ち。
清音駅で用足ししたあと、とりあえず前進しようということで西に向かったが、結局井原駅で折り返して、11時半には大学にもどってきた・・・。


平成12年10月5日(木)

夏休み期間中はファイル関連で研究室に朝から行くこともあったのだが、10月になり大学の授業も始まったので、駅にファイトを買いに行ってから夕方暗くなってから研究室に上がる。
M2のM氏とS氏を含め何人かがまだ残っていた。
そのうち流れ的にその2人とどっか行くことになり、とりあえず今日から100円引きセールをやってた円吉野屋で牛丼(大盛)を食う。

9時頃食い終わって、駐車場で「さてどこへ?」ということになり、男塾名物「雀拳」にて行き先を決することになった(注:ただのジャンケン)。
ルールは単純な勝ち抜けではなく、一人の勝ちが一度で決まるまで行う無制限ラウンド。
わたしは六甲、M氏は広島、S氏は勝山町の神庭の滝を選択。
別にそれを選んだ人間がそれを強硬に主張したかったというわけではないが、ちょうど東西北とわかれての数度の雀拳の結果、S氏の勝利に終わり、なぜか夜の滝を見に山奥へ行くことになった。

国道180~313号を通り11時半頃現地に到着。
さすがに人は一人もいない・・・。
駐車場から500メートルくらい歩かないと見れないのだが、明かりがほとんど点いていないこともあり、M氏がたまたま持参していた懐中電灯と、ライターの明かりを頼りに前へ進む。
2人ではさすがに心細く、4人以上だと懐中電灯1個では足元が思ったより険しく無理。
3人で行ったのは結果的に正解だったようだ。
まったくもって夜の自然は不気味極まりない。
とにかく、山奥の滝は深夜に行くもんじゃないということがよくわかった・・・。

0時には駐車場にもどり、さてこれからどうしようということに。
そこはもう男塾名物にて雌雄を決するほかあるまい。
M氏は蒜山、S氏は湯原を選択。
わたしは・・・もう適当なところがないので10分以上さんざん迷ったあげく、「気が滅入るまで東進」を選択する。
で・・・結果はわたしの勝ち・・・。
決まってしまったものはしょうがないので早速実行。
0時半に神庭の滝を出発した。

途中、津山を過ぎたところで運転手がM氏からS氏に交代。
実は姫路に差し掛かる手前当たりからS氏がすでに滅入り気味だったのだが、却下(爆)。
姫路から2国を行き、3時半を回って明石に差しかかったので夜の明石城址を見物。
そこからM氏に運転を代わり、さらに東進し神戸市内に突入。
せっかくここまで来たから(?)ということで新神戸トンネル(600円)にて六甲を下からくぐる。
トンネル内に分岐があったり、断面が変わってたりしてなかなか興味深い。

トンネルを抜けてずんずん北へ進むうち、とうとう有馬温泉まで到達。
この頃になると、道沿いの神鉄では電車が走り始めていた。
ローカルCMで有名な「有馬兵衛向陽閣」を初めて目の当たりに。
結局六甲を「登る」ことはなかったが、そろそろもどらねばということでとりあえず南下。
神戸の中心部あたりからなぜかテンション高くなりつつあった神戸出身のM氏は、明るくなり始めた頃にさらにハイテンションに。
それを差しひいても朝の空気は確かに気持ちよい。
わたしはコンビニで買った小さ目の弁当を走行する車中で食う。

帰り道はM氏が三木の方に抜ける道を発見したのでそれを西進。
「はいはい、これをこう行くとあそこがどうたらこうたら・・・わかった」と言うM氏には「さすが地元」と思ったが、途中「あれ?」とか言うのでちょっと頼りなげ・・・。
神鉄三木駅前を通過し、そのまま姫路へ。

腹が減っていたM氏は朝マックを所望されたが、姫路市内の帰り道沿いにある2ヶ所のマクドは8時からの開店なのでまだ営業していなかった(この頃まだ7:30)。
姫路からは一旦竜野太子バイパスでわずかにショートカットし、それから2国を西へ。
9時過ぎ頃ようやく市内に入り、平島のマクドにてしばし休息。
途中、S氏の自宅近くを通るのだが、そのまま大学へ。
S氏は今日(?)は大学まで自転車で来ていたので、一旦自宅近くを過ぎながら、また来た道を30分以上かけて大学から自宅までもどることに・・・。

かくして朝の10時頃、やっと大学まで帰ってきた。
総走行距離約460km、所要時間は13時間近く。
ともにいままでの最高記録であろう・・・。
行き当たりばったりの強行軍ではあったが、「それ」なりに楽しかった。
まさに行き当たりばったりの醍醐味ここに極まれり(爆)。
それから原付で帰宅して、しばらく本を読んでいたが知らぬうちに眠ってしまった。
その眠りが思わぬ形で破られるとも知らずに・・・。


平成12年10月6日(金)

疲れ果てて寝ていたところ、大きな揺れに見舞われた。
最初は何が起きたのかまったくわからなかった。

「ん・・・? なんか揺れてるな・・・。」
「電車が通過してる揺れか? いや・・・それにしては・・・。」

などと思って目を開けてみると、机の上の書類などが音を立てて床に落ちる真っ最中。
部屋・・・というか、家全体がゆさゆさ揺れているではないか・・・。

「あ・・・家が倒れるかも・・・。」

などと寝ぼけるあまり変に冷静に考える。
やがて揺れがおさまったので、時計を見ると昼1:30だった。
これほどの揺れは阪神淡路大震災以来(震度4)だが、今回のはそれを上回る揺れ。
あのときは揺れただけだったが、起き上がり改めて部屋を見ると一部の本などが床に散乱。
棚が倒れたり、ガラスが割れたり、ということはないようだった。
外を見ると前の踏み切りを貨物列車が通過中。

さっそくテレビでNHKを見てみると、このあたりは震度5弱と出ている。
やはりあのときを上回る震度だったようだ・・・。
改めて外を見ると、貨物列車が踏み切りを通り過ぎたすぐのところで止まっていた。
1階に降りて家の中を確認したが、いくらか物が落下したようだがそれ以上の被害はない様子。

やがて、震源は鳥取県西部で、M7.3、震源付近の震度は6強と判明。
大原断層がずれたのかとも思ったが、いままで確認されてはいない断層による地震であった。
家の近所で停まっていた貨物列車は1時間以上して徐行で岡山駅方面に向かったようだが、新幹線・在来線ともに夕方まで運休。
震度5の余震の可能性が40%もあるとのことで一応家で待機していたが、さほど大きなものではなかったが有感地震は翌日まで頻繁に続いた。
夕方には、今回の地震が「平成12年鳥取県西部地震」と名づけられる。

このあたりは日頃天災とはほぼ無縁の地域であるが、いざこのようなことがあるとまったくと言っていいほど無力にして、なんらの備えもできていないことに気づかされる。
阪神淡路大震災のときの現地の方々の心労をわずかでも知る貴重な体験だった。


平成12年10月22日(日)

今日は県知事選挙の投票日。
いつものように夜7時半頃投票に行く。
場所はいつも通り母校の小学校体育館。

この小学校は市中心部にあり、数年かけて近隣校との統合が計画されている。
出身中学校の方はすでに統合されて、通ったほうの中学校が残ったが名称が変更された。
高校の方も、中学校併設化の話が聞かれる。
なにやら寂しいものがある。


平成12年10月27日(金)

今週初め、あるところからバイトの話をもらう。
本のコピー取りやデータ入力で、1万5千くらいになればいいと思ってたが、聞けば5万出すとのこと。
そのかわり、今年度いっぱいはいろいろ作業を申し付かることになるらしい。
で、今日はさっそく1時間ほどコピーの「仕事」に取り掛かる。
本を押さえる左指が痛くなった・・・。


平成12年10月30日(月)

仕事をしに大学に行って学食で晩飯を食ったのだが、釣り銭に新500円硬貨が混じってた。
最初は「なんやこの金色っぽいお金わ・・・」と思った。
実は、新硬貨を見るのは今日このときが初めてである。
上から見るとなんでもないが、俯角30度くらいで見ると、ちゃんと「500」の「0」の中に縦に「500」という文字が浮かびあがるようになっており、側面には斜めのぎざぎざが入っていた。
なかなかよくできた代物である。

とりあえずちょっと感激。
実際手にするまでは「ほんまにそんなもん世間で流通してるんか?」と思っていたが、わたしの知らぬところでちゃんと市場に出回っていったようである・・・。
残るは2000円札であるが、こちらは当分拝めそうもない。
なにせ、「2000円」をお釣にもらうような買い物を滅多にできないのだ・・・。
おそら今世紀中に目にすることはないであろう。


平成12年10月31日(火)

今日も仕事しに大学へ行こうと夕方4時に家を出て県道の交差点に出てみると、なにやらこの時間にしては道に車が溜まって列をなしていた。
「???」と思いながらも県道に入り、すぐの大きな交差点の信号待ちをする。
しかし・・・、一向に信号が変わる気配がない。
「まぁ、信号が変わったばかりなのだろう」などと思いながら待つ。
(いま考えてみれば信号が変わったばかりならこんなに渋滞してるはずはないのだが・・・)

5分経過。
これは明らかにおかしい。
ここの交差点は大きいとはいえ、5分も待たされるようなパターンにはなっていない。
50mほど先の交差部分を見てみると、横断歩道の信号を待つ人も相当いるようだ。
よく見るとポリも立っている。
信号故障ならばそのポリがある時間が経てば交通誘導するはずで、その点もおかしい。
「マラソンか? それにしては誰も走ってないし・・・。」

10分経過。
いい加減むかついてきた・・・。
信号待ちの先頭の方からクラクションの音も聞こえてくる。
どうやらむかついているのはわたしだけではないようだ。
ちょっと背伸びして交差点の方を眺めてみる。
しばらくすると、交差する道路を白バイが高速で通過。
そのあとを何やら黒塗りの車の列が通過。
何台か通過し終わったあとでようやく規制解除。
結局10数分待たされた・・・。

大学に着いてしばらくすると研究生のI氏が来たのでその話をした。
すると、彼も自転車ながら同じ交差点で数分待たされていたらしい。
なんかの要人が空港のほうから2号線に抜けるためにその道を使ったのであろう。
ていうか、誰かは知らんが
てめえらの保身のために市民の貴重な時間を奪うなこのファックヤロウ!!!
おかげでイライラして途中でたばこ買うのすっかり忘れちまったじゃねぇか・・・。


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