「日々のできごと」その47

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平成12年8月10日(木)

きのうは1日1食の飯すら食わずに寝る。
朝6時半に目が覚めたので、とりあえずネットに繋ぐ。
8時なって切ったのだが、眠いので二度寝。

9:20にバイト先から電話があった。
今月19〜21日の3日間、害虫駆除の作業が決定したそうだ。
二つ返事でオッケーする。
昨晩風呂に入ってなかったのでついでに入浴。

どうでもいいが最近体重が減りまくり。
今日計ったら47kgしかなかった・・・。

飯も食わずにうだうだ寝たりしてたら夕方になったので研究室へ。
誰もいないし、ネット繋ごうと思ったらしばらくして接続不可になったので帰る。
帰りついでに駅に行ってファイト購入。

23時のテレホのお時間になったのでネットに接続。
今月初めにメールを送った無料サーバ(海外)の返事が久々に来てた。
ここ数日返事がなかったので呆れられてサポート打ち切られたかと思ったが、
当方が申告していたトラブルは直すとのこと。
自分のページを見てみたらちゃんと表示されるようになっていた。
慣れぬ英語で先方も困惑したと思うが、感謝感謝。


平成12年8月19日(土)

今日から3日間バイト。
去年もやった県大での害虫駆除である。
朝9時からということだったのだが、起きる時間を気にしていたら結局寝られなかった。
まぁ、最近昼夜逆転生活だったので急には昼シフトにもどれない。
とりあえず、一旦7時過ぎに『週刊ファイト』を買いに駅へ。
朝飯にパンなどを食って8時過ぎに出発。
10分弱走ったところで携帯が鳴る。
着信画面を見ると倉敷の営業所からであった。
何事かと思い出てみると、なんと今日だけは10時からとのこと。
今頃言われてもどるのもめんどいぃのでそのまま前進。

行ってみると、バイトは自分一人だった。
前回はバイトは2人だったので今回もそうかと思っていた・・・。
そのかわり、社員は1人増えて3人だった。
それにしても、バイトが1人だけというのはなんとも気が滅入る。
しばらく待って、10時から「作業開始」。
10時に着いたのでは間に合わなかったのである。
電話のあと帰らなくてよかった・・・。

午前の2時間で情報工学部棟(6階建)全部の部屋に殺虫剤撒いて回る。
自堕落の権化と化していた自分にはきつすぎた・・・。
いや・・・、常人がやっても死ぬ。
防毒マスクによる呼吸困難で意識が薄れ行く中、「なんでこの作業受けてしまったのか」と後悔。
前回やって散々後悔し「二度とこの作業は受けるか!」と固く誓ったことを今更思い出す・・・。

長い長い2時間が経ち、ようやく昼飯の時間になった。
しかしとてもじゃないが食える状態ではなかった。
社員の「外で食わぬか?」の申し出も辞退し休憩室でしばし死亡・・・。
代わりに持ってきた「エネルゲン」をがぶ飲み。
前夜と朝に栄養ドリンクを飲み、さらに「エネルゲン」である。
はっきり言ってこうでもしないとあの世に行っちまいそう。

こういう1時間は早いもので、あっという間に休憩終了。
午後からは、倉敷のイオンから臨時で来たらしい知らぬバイト2人が参加。
これで目くそほど楽になるかも知れん。
午後は短期大学棟、講堂、動物実験棟、エネルギーセンター、学生会館。
とりあえず、作業中は体力節約のために思考停止。
単調作業における「十八番」の作業モードである。
無我の境地とでも言うべきか・・・。
そうこうしているうちにやっと5時前に今日の作業終了。

休憩室でたばこを数本かっくらって5時過ぎ帰途についた。
とりあえず研究室に寄る。
直帰したらめし前に寝そうなので7時過ぎまで粘るためである。
その後帰宅して、ぜんぜん食いたくないのだが1時間かけて飯を食う。
疲れた腹に飯を入れたせいで気分悪かったが、知らぬ間に9時頃寝ていたらしい。

しかし、2時半頃目が覚めてしまう。
やはり昼夜逆転モードだったせいで、「夜は起きろ」と脳が指令を出したようだ。
風呂にも入らねばならんので、目を覚ます意味もありネットに繋ぐ。
3時半ごろ入浴。
5時頃になってようやく二度目の就寝。
それにしても、今日1日で2リットル以上は水分取っただろうか・・・。


平成12年8月20日(日)

今日は殺虫剤撒きバイト2日目である。
7時前、目覚ましが鳴る直前に目が覚めた。
昨夜の晩飯ではお茶の代わりにエネルゲン、さらに食後に栄養ドリンクを飲む。
風呂上がりには「バンテリン」を塗布。
そのせいかダメージは想像してたほど残らなかった。
(それでもあちこちが痛くだるかったが。)
何の処置も施さなかったら今日は動けなかっただろう・・・。

7時ちょっと過ぎ、家の前の踏み切りの上で下り電車が数分間も止まっていた。
最近そんなのがなかったので珍しいなと思いつつ出発準備。
家の窓から見ていたら電車が動き出したので、準備続行。
とすると、1分するかしないかのうちに再び下り電車が接近。
「ん?」と思い再び外を見ると、電車が通過している真っ最中に踏み切りが降りつつあるではないか・・・。
あまりに早く次の電車が差し掛かったので踏み切りの装置が対処しきれなかったのか。
そのまま見ていると、踏み切りが降りた直後「故障(こしょう)」の表示点滅・・・。
(踏み切りのランプの間にある、縦長方形の何がしか表示されそうなボックスに表示される。)
こういうときは近隣住民が通報するのが習慣なので、外に出て持っていた携帯で電話。
しかし、いくら掛けても電話は話し中の音ばかり・・・。
結局隣りのおばさんがどこか違う所に連絡はしたらしい。
しばらく外にいたら、踏み切り待ちのおじいさんが話し掛けてきた。
なんでも、昔中国に行って1日掛けてマイクロバスで移動した際、バスの扉のすぐ後ろに座ったその人は、故障か何かで扉ががたついて外から砂埃が入ってくるので、移動中ずっとその扉を押さえていたそうである。
その話が踏み切りと脈絡があるのかは触れないでおいた・・・。
その人も、一通り話し終わると閉まったままの踏み切りを渡っていった。

そのまま外にいるわけにもいかないので家に入り飯を食う。
で、8時過ぎにバイトに出かけようとした頃ようやく作業員が来る。
都合1時間以上踏み切りは閉まりっぱなしだったことになる。
そのお陰で(?)、到着がちょっと遅れて8時40分に県大に到着。

今日は9時から作業開始。
午前はデザイン学部棟全部と図書館。
昼飯は持って行ったバナナ2本ですませる。
午後からは昨日の2人が合流。
午後の作業は学部共通棟(南北)と本部棟。
しかし、思ったより作業が早く進み2時半には共通棟が終了・・・。
作業の性格上、予定していた時刻を前倒して作業するというわけにはいかない。
結局1時間ほど休憩ののち、30分だけ計画を前倒し本部棟に取り掛かる。
そのせいか昨日より早く、4時過ぎ終了。

帰りは昨日と同じ理由で研究室へ。
急激に眠くなったので椅子を合わせて横になると、1時間ほど熟睡してしまった。
8時過ぎに帰宅。
昨日と同じくいやいや飯を食い栄養ドリンクを飲んでシャワーを浴びる。
いつ寝たかはもはや記憶の片隅にもない・・・。


平成12年8月21日(月)

ようやく今日で終わりである。
昨日と同じく9時作業開始。
午前は保健福祉学部棟とアトリエ棟。
保健福祉をやってる途中、フィルタバイトの担当の社員とたまたま会う。
前回4色ボールペンを貸したままにしていたのだが、「こっちのほうがいいでしょ」ということで代わりに金500円也をいただく。
どうやら本人は貸した件を覚えてなかったらしい。
その代わりこっちが貸した覚えのないライターは借りたと言っていたが・・・。
昼飯はバナナを2本持って行ったが、1本食ったところで設備のなじみの社員にパンをもらったのでそれを1つ食べた。

昨日まで来ていたほかのバイト2名は、今日は来なかった。
午後は体育館、部室、廃水処理棟、守衛室。
それらも3時すぎ頃には終わったので、えらい早かったなと思っていたらまだあった。
学内の地下水槽に殺虫剤の板をぶら下げて回るのである。
重いふたを外すとき、手が滑りふたを足の上に落としてしまった。
帰って見たら、両親指の爪の中で内出血していた・・・。
終了直前に雨が降ってきたので、作業が終わってから休憩室で雨宿り。
別の設備の社員としばらく話し込む。
なんでも今年欠員が出そうなので、「うち就職したら?」と言われた・・・。

気がついたら雨も止んでいたので4時半に帰途につく。
惰性で研究室に寄ってしばらくして帰宅。
今日はそのまま寝てしまうだろうと思ったが、テレホ繋いでしばらくはネット。
たぶん、明日フリーだから逆に寝る気が失せたのかも・・・。


平成12年8月22日(火)

正午過ぎM2のM氏より電話。
バイブが震えていたのは知っていたが、出る気力がなかったので放置しておいた。
鳴り終わったあとで着信履歴見てM氏と判明。
てっきりバイト先からかと思っていた・・・。
で、数回掛け直してやっと出たので訊いてみると、「倉敷市役所に受験申込書を取りに行くのでついでにいっしょに行かんか」とのことだった。
しかし、すでに出発してしまったらしい。
とりあえずしばらくしたら研究室にいるからと伝えて電話を切る。

2時過ぎに研究室へ。
飯を食おうと思い、6時前に再びM氏に電話。
6時過ぎにM氏がやってきた。
8時頃原尾島の「ザ・めしや」というところへ行った。
そのあとなぜか万成にある退学したN氏宅を襲撃。

さらにそのあとなぜか鳥取砂丘へ行くことになり、10時前出発。
12時過ぎに現地到着。
初めて行ったが、海岸にあれほどの砂の山があると不気味である。
まぁ、夜に行ったせいかも知れないが・・・。
M氏は最初「端まで行ったら絶対後悔するから行かんで」と言っていたが、しばらくして「まぁ、せっかくここまで来たんやから・・・」ということで海の見えるところまで歩くことに。
・・・死ぬ。
確かにこれは「後悔」に値する・・・。
夜で周りがよく見えない上に砂に足を取られ思うように歩けない。
たどり着く前からすでに息も絶え絶えになってしまった。
3日間の地獄の労働のあとでは無理もないか・・・。
30分くらいそこで過ごしたのち、駐車場までもどる。
来た道をもどるのかと思うとぞっとするが、もどらくなくてはしょうがない。
ぜぇぜぇ言いながら戻った頃にはすっかり気持ち悪くなっていたので、とりあえずその駐車場で休憩。
しかし、どうも気持ち悪いのがなおらないので、横になろうとベンチを見つけ一人そこで体を横たえた。
疲れたし気持ち悪いし、横になりながら「なんでこんな時間にこんなとこにおるんやろ・・・」と思うことしきりであった・・・。
30分以上経っただろうか、携帯がなったので車がある所までもどる。
2時前に現地を出発し帰途に。
なんとか気持ち悪いのもおさまってくれたようだ・・・。
朝4時半前に帰宅。
結局8時までネットに繋いでしまった。
疲れが抜けるのはいつになるのやら・・・。


平成12年8月29日(火)

足の親指の中が青黒く変色してるのが気になる今日このごろ。
バイト以来、ほとんど夜寝朝起きの生活が続いている。
とにかく夜は眠くてしょうがないといった感じである。

それはさておき今日、来たる9月16日に水島沖で調査のバイトをやることになった。
調査には、現在N大のM教授が来るそうである。
おそらく当日あたりは県大のバイトが入っていると予想されるが、あっちは7,000円くらいにしかならないのに対し、調査のバイトは8,000円。
1日空けてでもそっちに行く価値はあるのだ。
朝は8時から開始とちと早いが、昼3時には終了とのことである。
内容はあまり詳しく知らされていないが、どうやら漁船で水島沖に出て船の上から海に浮かぶゴミを調査(ゴミの数か種類かは知らぬが)するらしい。
気になるのは、自分が船酔いが激しいということであるが、その点は前日までの体調調整如何に賭けるしかない・・・。


平成12年9月1日(金)

昨夜ネットに繋いで、ついでに某所のバスワードを変更しようと".htaccess"と".htpasswd"を書き換えてアップした。
・・・まではよかったが、変更したパスワードを実際に打ち込んでみると、なんとエラーが出やがった。
それも、サーバ側のエラーじゃなくてローカル側のエラーだった。
パスワードボックスが出てくるのだが、それに正しいパスワードを入力してOKを押すと"kernel32.dll"のエラーが出るのである。
1回目はブラウザの強制終了ができるが、2回目にやると完全にハングアップ。
ハングアップするのでリセットボタンで強制リセットするものの、また同じことの繰り返し。
しかも、1回エラーを吐くとブラウザを強制終了しても今度はエクスプローラーなどファイル一覧表示一切まで立ちあがらなくなるのだ。
1回目と2回目じゃエラーの表示も違うし・・・。
1回目はエラーポップアップ上部の青いラインのところに"MPREXE"と書いてあるし、2回目は"Explorer"。
どちらにも共通してるのは、詳細表示のところに"kernel32.dll"云々と表示されているところだ。

そこで、kernel32.dllがぶっ壊れたのかと思い、microsoftのページからdllアップデートのパッチを落としてきて実行したのだが、やはりなおらない。
調べていると、"*.pwl"というパスワードファイルが壊れているためにこのような現象が起きるとのこと。
そこでまず、そのパスワードファイルを削除し再起動すれば、そのファイルが再構築されるということなので実行してみた。
すると、確かにパスワードのエラーはなくなったものの、こんどはダイヤルアップのパスワード保存もチェックボックスがグレイアウト(灰色になって選択できない状態)し、さらにいままでできていたWebのパスワード保存ができなくなっていた。
その上、パスワードファイルは再構築どころかどこを探しても生成されてはいなかった・・・。
それだけならともかく、起動直後にWindowsログイン画面まで出る始末。
何度やってもログイン画面が出るので業を煮やしてパスワードを適当にぶち込んだ。
しかし一向にログイン画面は出なくならない。
起動とダイヤルアップ接続完了直後にいちいちWindowsログインパスワードを打ち込まねばならなくなってしまった・・・。
次にパスワードファイルのアップデートパッチを当ててみたが意味なし。

さらに調べた結果、もう一度パスワードファイルを削除して今度はWindowsログイン画面が出てきたときに何も打ち込まず"OK"を押すことにした。
すると、今度は正常にパスワードファイルが再構築されていた。。。
どうやら、先程Windowsログイン画面が出てきたときに、何も打ち込まなかったまでは正解だったのだが、"キャンセル"を押したのがいけなかったようだ。
長かった・・・、いや、永かった・・・・・。
旧型マシンと付き合ってゆくには相当の苦労がある。
とにかく、何か大きなものに打ち勝ったような気になった。
それが終わると気が抜けたのか、眠くなったので付けっぱなしで2時頃一旦寝る。

6時過ぎに起きて、ここ最近の日課となっているDisk Spaceにローカルファイルを退避させる作業の続きをやる。
最近2週間ほどは真夜中寝ているので一向に作業がはかどらない。
ここ数日は使わないゲームのファイルをアップする作業を進めているのだが、なんせサイズがでかいので、貧弱な回線ではすぐにディスクスペースとの接続が切れてなかなかアップできない。
フロッピーに入れて研究室から作業すればいいのだろうが、肝心のFDDが壊れているのでそれもできない。
で、最近はサイズを分割(30〜100bytes)して一旦アップして、それをさらに研究室で落として結合してアップし直しという繰り返しであった。
しかし、Disk SpaceにはWeb上のファイルを直接取り込める機能を持つものもあるのを思い出して、比較的回線が切れにくいWebページ用のスペースに一旦アップしてそれを取り込ませる手法を用いていた。
ただ、このところどうもtikitikiのスペースが調子悪いのか大きなファイルをなかなかアップできなくなってきていたのだ・・・。
いつも、時間がかかるので寝る前にWebページスペースにアップしかけてから寝るのだが、起きてみたらぜんぜんアップしきれてないことがほとんど。
そこで今回は、その作業に「ファイル分割」を加えてみたのだが、やはりtikitikiのサーバのアップが遅い。
しかたないので分割したファイルを直接Disk Spaceにアップしてみたらなんとそっちのほうが速度が速い・・・・・・。
なんでtikitikiでダイヤルアップしているのに、同じtikitikiのスペースにアップするより海外のDisk Spaceにアップする方が速いんだろうか・・・・・・。
どうにも解せないがとにかくテレホを20分ほどオーバーして作業終了。
数日間の懸案であった2MB超のゲームファイルをようやく退避することができた。
本当はそのついでに消えてしまったWebページのログインパスワードを復旧したかったのだが、時間も超過したし、とりあえず最低限の数ページ分のパスワードを復旧しただけで後日に繰り越し。
HDDが大容量の新しいマシンがあればこんな苦労をすることはないものを・・・。

それからしばらく寝たあと、昼に起きる。
今日は弟の学費免除申請のための書類をバイト先の営業所に書いてもらいに行かなければならない。
営業所のほうには今日の午後に行くと伝えてある。
M2のM氏が倉敷市職員採用試験の受験申込書類を提出しに行くのでそれに便乗させてもらうことにしていた。
で、2時頃M氏に電話して3時に出発することになった。
営業所のほうからは来る前に電話を入れてくれと言われていたので、道すがら何度か電話したもののまったく応答なし・・・。
4時過ぎにはM氏の市役所の用事も終わったのだが、その直後にようやく営業所と電話が繋がったので、これから向かうと伝えた。
8月は19・20・21日の3日間でバイト代の締めが20日なので、9月15日の支払日にはバイト代が2日分しか出ないと思っていたら、ややこいので(?)3日分まとめて出すとのことだった。
1日分でもまとめてもらえると非常に助かる。
書類のほうはつつがなく書いてもらった。
帰りに研究室まで戻ってきたが、疲れたので暗くなってからさっさと帰った。


平成12年9月5日(火) 晴れ、暑い

ついにこの日がやってきた。
いずれは来ることがわかっていながらある意味想像も及ばなかったこの日が。


今朝、うちで飼ってる犬が亡くなる。

名前はコロ。
雑種である。
14〜5年は生きただろうか。

9時過ぎ、寝ていたわたしが起こされて行ってみると、すでに息はなかった。
暑かったからかもしれないが、撫でてみるとまだ温かい気がした。


昨日、たまたま研究室にいたS氏に「もう2〜3日持つかどうか」と話していた。
「その時」にはS氏が東山の斎場まで連れていってくれると言ってくれていた。
「その時」に備えていろいろ調べものもして、心の準備もしていたつもりだった。

9時半、S氏に電話する。
そのあとしばらくして火葬の届けをしに市役所に向かう。

市役所に向けて原付を走らせる。
ほかのことを考えるのをやめることができなかった。
やめれば悲しくなるから。

心の準備はしていたつもりだった。

信号待ちで止まってしまうと、いろんなことを思い出す。

市役所に到着。
そこから保健所に電話し、登録を抹消してもらう。
窓口で手続きをすると、斎場には午前中に行かねばならないとのことだった。
改めてS氏に電話。
火葬許可証を受け取り、帰宅。

帰ってからまた撫でてやる。
いつもと違うのは、なんの反応もないこと。

いつも出かけるときと帰ってきたときは撫でてやっていた。
帰ってくると、原付の音を聞いてわざわざ奥から出てきていた。
撫でられるのを待っていたのかもしれない。
でも今日はそれがない。

袋に入れてダンボール箱に収めなければならなかった。
その前に体を拭いてやる。
袋に入れる前に、シーツでくるんでやる。

心の準備はしていたつもりだった。

くるんでしまうということは、もうその姿を見るのが最後であることを意味していた。
その前に、日の当たるところに出してやろうと。

そうしようとした瞬間、「それ」を知ってからいままで耐えていたものが。
我慢はできなかった。

11時を過ぎて、S氏が車でやってきた。
午前中には間に合った。

S氏と昼食をとり帰宅。

だがもうそこにはいつもの姿はない。
ガレージに置かれた首輪とひも。

疲れが出て部屋で横になるも、耐えられずすぐに研究室へ向かう。
何人かと話をした。
今日のことやそれ以外のこと。
いくらか気が楽になった。

夜になり帰宅。

やはりいない。
ほんの1日前までは確かにそこにいたのに。
そこには塩が盛られていた。

さすがに疲れて夕食もとらずに2時間ほど寝る。
でも、まともには寝られなかった。

10時頃目が覚めた。
いろんなことを思い出す。
気がつくとまたなみだが流れていた。

とてつもなく怖かった。
いや、いまも怖い。

この15年がすべて「過去」になっていくのが。
いまはまだ覚えてる記憶がやがて徐々に失われていくことが。

ふだんなら思い出さないことまで思い出していた。
しかしそれが思い出した次の瞬間にはもう消えていく。
もう二度と思い出せないんじゃないか。

それがとてつもなく怖かった。

それから夕食を食べる。
食べたくはなかったが、なぜか食べなきゃならないような気がした。

長い一日だった。

本当なら今日のことは書きたくなかった。
でも、今日のことすら思い出せなくなる日が来るのが怖かった。

いや、忘れるのは仕方がないし、むしろ忘れるからこそ毎日生きていけるのだろう。
それならば忘れてしまう前に、しっかりと心に刻んでおこうと思う。


平成12年9月7日(木)

昼過ぎに1時間ほどガレージを掃除。
わずかだが区切りがついた感じ。
それにしても、まだ3日経ってないのか。
もうその数倍の時間が経ったような気がする。

4時頃3回生のI氏から電話。
こんどの水島沖の調査バイトの件であった。
なんでも、15日に変更になったそうだ。
まぁ、今のところ県大のバイトも連絡来てないしいいのだが・・・。
当日朝7:40に岡大西門に集合とのこと。
訊いてみると、どうやらM滝先生が迎えに来るらしい。
無事に現地までたどり着けるだろうか、それが不安だ・・・。


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