「日々のできごと」その52

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平成13年2月3日(土)

アメリカで世界初の使い捨て携帯電話(紙製)が発売されるらしい。
予価10ドルで液晶画面はないが1時間の通話が可能なんだとか。

で、次回作はなんと使い捨てノートパソコンらしい・・・。
こっちは20ドルだが、何をどうやったらそんなに安くできるんだ・・・?

http://www.dtcproducts.com/

そういや最近ひとつ気がついたことが。
なんと、左上の親知らずが前方に向かって生えていたのである・・・。
だいぶ前からなんとなく違和感があって、ご飯粒でもはさがっているのかと思ってた。
まさかこんな生え方をしている歯があるとは・・・。
いままで気づかなかった方もあれだけど・・・。


平成13年2月12日(月)

今日やっと打ち込みの作業がチェックまで終了した。
あとは本の複写1冊分。

話は変わるが、物を片づけん奴がいるのには参る。
茶を飲んだらコップ出しっぱなし。
菓子食ったらゴミほったらかし。
「最近の・・・」というより個人的な資質の話。
その腐った資質を構築させた諸悪の根源は奴等のである。

ただ、茶を飲んでコップを片づけようが、
菓子食ってちゃんとゴミを捨てようが一銭の得にもなりゃしねぇ。
片づけができなくても金稼ぐ奴は稼ぐし、頭のいい奴はいるし、モテる奴はモテる。
道徳というものは人のためになりこそすれ、自分の糧にはまったくならぬ。
そんなことができたってどうせ目立ちもすりゃしねえんだから、
ゴミなんかはほっちらかしてでも金を稼ぎ、勉強し、かっこつけてたほうが役に立つ。

普段目立たないだけならまだしも、ゴミがたまって誰ぞに怒鳴られるのは
結局のところ自分を含めた全員なのである。
で、そういうときだけ悪い意味で目立ってしまう。
「あぁ、あいつ普段から片付けなんかして得点稼ぎやってたんだぜ。」

当たり前のことなんかできても仕方がないし、できなくてもいいのである。
それよりか、当たり前じゃないことができた方が凄いことであり、
それこそが自分の評価にもっとも結びつく近道である。

結論:コップ・ゴミ放置プレーマンセー。


平成13年2月13日(火)

とくにできごとというわけではないが、ふと思い出したんで・・・。

某月某日の某邪教新聞の「寸○」というコラム(異毛堕堕異詐狗が書いてるらしい)を見て唖然。

「日顕・山友のごときカスの末路を見よ」

・・・・・・・・・はぁ?
こんなもん、金取って売る新聞に載せることか・・・?
(あれは新聞じゃなくて「機関紙」か・・・)
だいたいが宗教人が内輪のゴタゴタをこんな形でさらけ出す自体が異常。
しかもトップの発言だぞ。
「日顕・山友」が何様だか知らねぇが、カスまで言うか?普通・・・。

く・・・狂ってる(byマミヤ)。

普通じゃなくて異常だからこんなこと書けるんだろうが・・・。
まぁ、どこの誰が傍目から見てどう考えても異常なことを当の本人達は正常だと思って
やってる連中のことを「カルト」というんだから、奴等もそれに該当するのだろう。

こんなんで平和慈悲奉仕人権だなどと言ってもまったく説得力ねぇよ。
一言目には「異毛堕先生が」、二言目には「異毛堕先生が」・・・。
はっきり言って、きしょいです。

結論:( ´∀`)逝ってヨシ。

(注)別にわたしは邪教新聞を購読しているわけではない。
   ましてや某・葬禍学会淫であろうはずもなく、頼みもしないのに
   勝手にポストに入れやがるので、すべて犬のトイレの敷き紙になっているのだ。
   もちろん、あんなもん読みません。


平成13年2月14日(水)

どうせ今日は書くこともないし、昨日の欄に下らぬことを書いてしまったので、
昨日のできことを今日の欄に書くか・・・。
(以下、13日のつもりで読むべし)

打ち込み作業がとりあえず終わったので、そのブツを提出?しに大学へ行った。
今日は卒論発表会なので、依頼主がかならずいるであろうからである。

で、無事提出し終わって部屋でまったりと会話してたところで、
M2のM氏が不用になった経済学辞典(定価七千余円也)ほか1点を譲ってくれることに。
最初は古本屋に直行するつもりだった。
しかし、彼がちょうどその場に居合わせたM1のほうのM氏(ややこいな・・・)に対し、
「2000円でどや!」とバナナの叩き売りが如き口上を始めたのである(無論冗談で)。

だが、なんとM1のM氏はなんと「買う」とおっしゃったのである・・・。
まさか本当にそう言うとは思ってもみなかったので同席の一同多少狼狽したが、
結局1500円でお買い上げ。
(さすがに古本屋に行っても辞典だけで千円だろうからちと気が引けた)

いちおう直前に所有権はわたしに移っていたので、売上金は我が懐へ・・・。
我ながらあこぎな商売やと思った・・・。
双方のM氏にはただただ感謝感激雨アラレである。


平成13年2月15日(木)

例の仕事が今日やっと終わった。
本の複写が1冊分(500ページ以上)残っていたので夜に一気に仕上げた。
ただただ無心に、幽体離脱状態でコピーし続けた結果、2時間で作業終了。


平成13年2月16日(金)

手元に「消費期限13.2.13」と書かれたパンがあった。
2月13日と言えばもう3日も過ぎてしまっているなと思ったが、13.2.13・・・?
「13というのは平成13年のことか・・・?」
それを見た瞬間、「あぁ、まだ消費期限まであと1年もあるやん」と思ってしまった。
まぁ、5秒後には「あ・・・今年が平成13年か・・・」と気づいたのであるが・・・。

どうもまわりが「21世紀」「2001年」とばかり言うもんだから、今年が元号で何年か
即座に思い出せなくなっているのである。

来年なんか平成14年だし・・・。


平成13年2月19日(月)

けさ、あまりにもすることがなかったのでフラフラとYahoo!に登録申請出しちまった(2回目)。
やっちまったあとで「やらなきゃよかった」と思ってしまった・・・。


平成13年2月20日(火)

今日はとくに用事もなかったんで夕方まで寝ていた。
夕方6時過ぎに起きて半分、7時過ぎに半分の計1本煙草を吸ったきり、
翌日午前1時までちょうど6時間耐えた。

やっぱりかなり辛いわ・・・。
気休めに火を付けずに煙草口にくわえたり、何度かライターに手が伸びたが耐えた。
禁煙しようと思ったら相当のモチベーションがないと無理やね。

まぁ、今回は別に禁煙するというわけではないので1時過ぎに1本吸った。
・・・うまかった。
いや・・・・それほどうまくなかったな・・・・・・。


平成13年2月21日(水)

バイト情報誌を立ち読みしようと夕方わざわざ大学生協の本屋に行った。
普通の本屋は立ち読みしにくい場所に置いてあるからである。
しかし無情にも休み期間中なので早仕舞いで閉まってた・・・。

それくらい買えって?
150円の出費が痛いほど「ない」のよ・・・。


平成13年2月22日(木)深夜〜翌未明〜翌朝

日々努めているからこそはじめて他人の幸せは羨(うらや)み、目標になる。
だが、努めず希望のない人間にとってそれはさもすれば恨(うら)み、嫉妬になりかねない。
かなり誇張したが、あながち間違いとも言えぬのではないか。

自分が不幸なときの他人の浮いた話ほどアホらしいものはないわな。
わたしはそんな状況下で他人の浮いた話を素直に聞けるほど人間できておらん。
また、そういうできておらん自分が情けなくもあり反省もするのではあるが・・・。

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例えば、究極的な内輪話であっても人には言えぬ話。
「王様の耳はロバの耳」の「床屋が言いたいことを叫ぶために掘った穴」にされた気持ち。
床屋はスッキリしたかも知らんが、「穴」に意思があったらたぶん同じことを思ったであろう気持ち。

人間というものは、そういうとき自分の中にこそ「穴」を持たねばならんのかも知れん。
だが、それはあくまで理想。
大凡(おおよそ)の人間は無意識のうちに他人を「穴」とすることで生きている。

しかし、ときには自分が「最終の穴」にならねばならぬこともある。
正真正銘、「王様の耳はロバの耳」の「穴」。
物言わぬ「穴」。

自分が「最終の穴」足り得ることを、「高く評価されている」と感じるか。
または「穴」扱いされたことを、「不幸の上塗り」と感じるか。
まさに人間性の貴賎が顕わになる瞬間である。

人格者であるか否か。
ある者は自分の中にさらに「無限の穴」を持ち、ある者は「床屋」そのものを「穴」にしてしまう。
そのどちらでもない者は、「最終の穴」足り得ずやはり第三者を「穴」としてしまう。

そうやって無意識的に「反響」を抑えるのである。
反響を放置しておけば、やがてそれは行き場を失い乱反射・増幅して強大な不協音となる。
内面に不協音(ノイズ)を抱えていることを、「精神衛生上よろしくない状態」というのである。

反響を解放できずに溜まったノイズを如何にして中和してやるか。
ノイズの種類は違うが、例えばテレビの「貧乏人を取り上げた番組」は定番である。
対象を蔑むことで視聴者は自分の位置を相対的に高め、ノイズを中和するのである。

ある者は稀類な犯罪に走り、またある者は努めて人に抜きんでようとする。
確かに二つの行為に善悪という違いはある。
しかしノイズを中和する手段として自分の位置を絶対的に高めるという意味で同じである。

人格者は別として、他人を「穴」とすることは即ち自分も「穴」であるということ。
そして、「無用の用」ではないが、ノイズは取り除かねば「穴」の用を成さない。
方法はどうであれ、それらの行動に出るのは極めて本能的、生理的現象。

つまるところが自分を常に「穴」足らしめんための自然な反射的行動なのである。
聞いたことをすぐ右から左へ他人に喋ってしまうのは、「穴」の容量が極めて少ないから。
「口が堅い」ように見えるのも、単に「穴」の容量が人より少し多いだけ。

自分の中にさらなる「無限の穴」を持つ人格者でもない限り、いつかはあふれる。
むしろ容量が人より少し多いと、反響が溜まる時間が長くなりノイズが生じ易いかも知れない。
普段よさそうな人間が急に凶悪犯罪を起こすのも、いろんな意味でこのノイズのせいだろう。

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自分の場合はどうなるのか、またどうするべきか。
知った事実を話のネタにしちまえば、生理的にこれほどラクなもんはねぇわな。
それでこそいろんな意味で気が晴れるというものよ。

だが実際問題としてそういうわけにもいかんよな・・・。
そりゃぁやっぱり少しは義理というもんがあるわいな。
そこにいっちょまえに葛藤という鬱陶しいものが生じるわけですよ、お客さん。

でなきゃこんな誰が見るやらわからんとこにこんな回りくどく書くかっちゅうのよ。
知らんかったらいらんことに気ィ使わんでもすんだのに・・・。
何が楽しくて残り少ない煙草ふかして朝っぱらから3時間もこんなもん書かにゃならんのだ。

下らんことで不愉快になるのは大人げねぇこたぁわかってるよ・・・、だけどね・・・。
ま、結局ここは自分にとっての「穴」なんだろうな。
「穴」に向かって叫んだおかげで目くそほどスッキリしたよ・・・目くそほど。

・・・とまぁ、飯のタネにもなりゃしねぇことを考えながら迎えた23日朝だったとさ。(おしまい)


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