北大西洋航路客船 マジェスティック
ホワイト・スター・ライン (英国)  
(ハンブルク・アメリカ・ライン(独)のビスマルク号として起工)
   
  就航 1922 年
           
  
56,551 総トン
           
  
全長 289.6 m
           
  
全幅 30.5 m
           
  エンジン
  直結タービン
  66,000 馬力
           
  推進器 
  スクリュー4軸
           
  
速力 23ノット
           
  乗客定員
      2145名

  1等  750
  2等  545
  3等  850
     
            
      
               

 

  ドイツの挑戦はハンブルク・アメリカ・ライン(HAPAG)の社長アルベルト・バリンによって始められた。「もし大型船のほうが,大勢の旅客をより経済的に運ぶことができるなら,超大型船にすればもっと良い結果が得られるであろう」と彼は論断した。今回のバリンの船は,およそ50,000総トンの巨船である。

  バリンは「ブルーリボン」には興味がないと公言していた。しかし満足のいく横断時間を達成するために,彼の船も適度には速くなければならなかった。旅客を引き付けるためには6日以内で横断できることが必要で,それには22.5ノットの速力が最適と考えられた。このような大きな船でこの速力を達成するには,巨大な出力が必要であり,第1船インペラトール号では62,000軸馬力が求められた。


  船体構造に関しては,インペラトール号では安全面に細心の注意が払われた。船体の周囲には,水密の二重船殻が二重底の位置から喫水線の上まで立ち上がっていた。加えて,側炭庫がルシタニア号の場合と同じように,ボイラー室を守っていた。タイタニック号の惨事がまだ記憶に新しく,バリンは船内の全員を収容するのに十分な数の救命ボートを用意するよう命じた。定員いっぱい乗せると,この船には5,227人がいることになる。1913年に運航を始めたとき83艘の救命ボートを載せており,これは5,500人の収容力を持つものだった。


  この船の場合も,直結タービンが実際に選択可能な唯一の推進手段だった。通常の運転では蒸気はまず高圧タービンへ導かれ,その排気が中圧タービンへ,そしてその排気がさらに低圧タービン2基へと順に送られた。(それぞれのタービンにスクリューが直結されていた。) しかしもし最大出力が必要であれば,高圧蒸気を高圧タービンと中圧タービンの両方へ直接に送り込むことができた。こうすることで,中圧タービンをもう一つの高圧タービンとして使うことができたのである。ボイラー設備も水管ボイラーが仕様指定された点で革新的だった。数は46基にも上った。

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  インペラトール号と姉妹船ファーターラント号は機関に関する限り事実上同型船である。バリンの3部作の最後はビスマルク号であるが,3隻のうちで最大最速の船であった。しかし第一次世界大戦がバリンの夢を打ち砕いてしまった。大戦後インペラトール号はキュナード社のべレンガリア号となり,ファーターラント号はアメリカのリバイアサン号となった。そして当時まだ名前が明らかにされていなかったビスマルク号は結局,ホワイト・スター・ラインの社旗のもとでマジェスティック号として1922年に就航した。ホワイト・スター・ラインが未完成のまま戦争賠償委員会から購入して完成させたのである。総トン数56,550トン,マジェスティック号は世界最大の船となり,その後かなり長い間世界一の座を維持した。


  マジェスティック号は1922年まで就航できず,他の2隻のバリンの巨船もその運航のほとんどを戦後の所有者のもとで過ごしたが,これらの船は実質的には1910年の設計だった。そのためこうした壮大なスケールの堂々とした船は,第一次大戦後の事情には合わず,どこか時代錯誤的な船となった。戦争がバリンから栄光を奪い,本来なら海事史に華々しい足跡を残したはずの3隻の船からも,その栄光を奪ってしまったのだった。
          

(「豪華客船スピード競争の物語」 インペラトール級の部分より抜粋)

        

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