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日本語版内容 |
プロローグ ロンドン1930年(海軍軍縮会議) 第1部 ヨーロッパの戦争 第1章 Uボート スカパ・フローで戦艦ロイヤル・オークを撃沈 開戦までのドイツ海軍 U-47 スカパ・フローに侵入 退却 第2章 装甲艦(ポケット戦艦) ポケット戦艦の通商破壊戦 エーリヒ・レーダーと水上海軍 海上襲撃艦に対する英国の対応 グラーフ・シュペーの襲撃活動 ラプラタ沖海戦 英国巡洋艦艦隊とポケット戦艦の戦闘 ラングスドルフの苦悩と自沈 補給艦アルトマルクの拿捕 第3章 ノルウェー ノルウェー占領をめぐる戦い ドイツのノルウェー占領計画 チャーチルのノルウェー作戦 ドイツ海軍侵攻開始 独巡洋戦艦とリナウンの戦闘 ナルヴィク海戦 フランス国境の緊張とチャーチル首相就任 空母グローリアスの撃沈 第4章 フランス陥落 フランス首相からチャーチルへ敗北電話 ダンケルク 撤退作戦始動 撤退兵士輸送駆逐艦の被害 降伏後のフランス海軍 アレクサンドリアのフランス艦隊 メルス・エル・ケビールのフランス艦隊 第5章 イタリア海軍(レジア・マリーナ) イタリア参戦後の地中海 カラブリア沖海戦 イタリア陸軍がエジプト侵攻 タラント空襲 1940年末に向けての動向 スパルティヴェント岬沖海戦 ヒトラー英国侵攻を放棄 イタリアがギリシャ侵攻 マタパン岬沖海戦 英空母艦載機が伊重巡に雷撃成功 レーダーの活用で英艦隊勝利 ドイツ軍がギリシャ戦争勝利 第6章 通商破壊戦 T Uボートと護送船団 Uボートがフランスを基地に 護送船団の概要 護衛艦 駆逐艦・基地協定 トレード・プロット(護送船団司令部) SC-7船団の悲劇 HX‐79船団の被害 水上襲撃艦 アドミラル・シェーアの商船襲撃 武装商戦巡洋艦ジャーヴィス・ベイの死闘 サン・デメトリオ号の奇跡 仮装巡洋艦 仮装巡洋艦アトランティスの戦果 Uボートエースの喪失 第7章 戦艦ビスマルク ビスマルクを巡る状況 ビスマルク出撃の経緯 英国本国艦隊司令長官 フッド撃沈 英独艦隊の戦闘 ビスマルクの損傷 ビスマルクを追跡 英海軍ビスマルクを見失う 英海軍ビスマルク発見 ビスマルク撃沈 英艦載機の雷撃でビスマルク操舵不能 ビスマルク不利な砲撃戦 第2部 戦争の拡大 第8章 昇る太陽 軍縮条約と日本の軍国化 帝国海軍・陸軍各内部の分裂 五・一五事件 山本五十六 ワシントン条約から脱退 日中戦争 大和と武蔵 大戦への道 三国同盟 南アジアの植民地 インドシナ進出でアメリカが禁輸 第9章 二大洋海軍 フランクリン・ルーズベルト 米国も日本を仮想敵国視 第二次大戦勃発でアメリカの対応 両洋艦隊法 参戦前の米英協力の実態 太平洋と大西洋に艦隊を分割 武器貸与法と護送船団援護 ルーズベルトとチャーチルの会談 Uボートと米駆逐艦の交戦 日本への対応 第10章 真珠湾攻撃とマレー沖海戦 真珠湾攻撃 機動部隊 空母搭載機 機動部隊出撃 米軍の警戒態勢 攻撃 結末 マレー沖海戦 日本軍がマレー半島に上陸 英国東洋艦隊 英国艦隊出撃 日本海軍陸攻隊の攻撃 第11章 大あばれ 日本軍の怒涛の進撃 連合軍のピン差し的抵抗 日本軍の侵攻 ABDA連合部隊 オランダ領東インドへの侵攻 パレンバン、バリ島沖海戦 スラバヤ沖海戦 戦闘開始 ドールマン再度の挑戦 バタビア沖海戦 インド洋作戦 機動部隊のセイロン島付近攻撃 1942年4月までの日本軍の戦果 第12章 通商破壊戦 U 全世界へ広がった通商破壊戦 地中海での戦闘 輸送船団をめぐる暗号解読戦 エニグマ暗号機 暗号解読情報の護送船団への活用 護送船団に小型空母が同伴 米東海岸Uボート戦と日系人強制収容 米国東海岸Uボート対策 日系人強制収容 北極海護送船団 チャンネルダッシュ 北極海でのドイツ軍による脅威 PQ-17船団の悲劇 第3部 分水嶺 第13章 潮流を止める 日本への初空襲 B-25爆撃機の空母発艦作戦 短距離離陸訓練 爆撃隊緊急発艦 珊瑚海海戦 ハワイの暗号解読グループ 両軍空母部隊珊瑚海へ 海戦1日目(空母祥鳳撃沈さる) 海戦2日目(レキシントン撃沈) ミッドウェー海戦 ニミッツの英断 ハルゼーがスプルーアンスを推薦 日本海軍の部隊構成 日本艦隊を米軍発見 南雲のジレンマ 米軍急降下爆撃機の攻撃―3空母被弾 飛龍の反撃 第14章 攻囲された2つの島 ガダルカナル島 日本軍がガダルカナル上陸 米軍がガダルカナルに反攻上陸 日本軍の航空反撃 第一次ソロモン海戦 連合軍司令官、旗艦で離脱 三川艦隊の出撃 連合軍代理指揮官、接敵連絡を怠る 三川艦隊、輸送船を攻撃せず撤収 マルタ島 ペデスタル作戦 船団へ枢軸国が大攻勢 タンカーオハイオ号マルタに到着 両島の戦闘の戦略的結果 第15章 二大洋戦争 連合軍の対独戦模索 北アフリカ侵攻(トーチ作戦)の決定 第二次ソロモン海戦 ガダルカナルの米軍航空優勢 龍驤被弾と日本艦載機の攻撃 フレッチャーを更迭 伊-19が空母ワスプを撃沈 トーチ作戦に向けて サボ島沖海戦 米軍操艦ミスでレーダーの優位活かせず 南太平洋海戦 ホーネットを撃沈 海戦の結果―パイロットの損失と南雲降板 第16章 転換点 北アフリカ上陸作戦(トーチ作戦) 英国軍のアルジェリア上陸 フランスとの交渉 米軍のモロッコ上陸 北アフリカへの援軍と補給 フランス艦隊の自沈 ガダルカナル(第三次ソロモン海戦) 第1夜戦(混戦) 第2夜戦(戦艦ワシントンのレーダー砲撃) 第17章 通商破壊戦 V Uボートの敗退 ラコニア号事件 バレンツ海海戦とその余波 Uボート攻防戦の変化 Uボート最後の成功 護送船団の新種護衛艦 Uボートの船団攻撃敗北 アメリカの造船 ルーズベルトの船舶建造計画 船舶建造の標準化 太平洋のアメリカ潜水艦 魚雷の欠陥 撃沈船生存者の扱い 初期の米潜水艦の成果 第4部 連合軍の反撃 第18章 航空機と護送船団 ダンピール海峡の悲劇(ビスマルク海海戦) ビスマルク海海戦 い号作戦 山本五十六撃墜とアメリカ 米軍の暗号解読と撃墜命令 P-38戦闘機隊の攻撃 ロンメル軍団の終焉 ロンメル、ヒトラー説得に帰国 シチリア侵攻に向けて 米英首脳がシチリア侵攻を決定 第19章 ハスキー作戦(シチリア島侵攻) シチリア島への侵攻計画 上陸用艦艇の開発 上陸用艦艇への積込み 上陸用艦艇にロバ 上陸部隊と空軍との関係 上陸の実行 上陸用舟艇への兵士の乗船 枢軸軍航空機の攻撃 上陸後の戦闘 艦砲射撃による支援 シチリア島占領―ムッソリーニ失脚 第20章 2つの海軍のたそがれ イタリア降伏 イタリアが連合国に接近 休戦発表とイタリア海軍の動き ドイツ軍が戦艦ローマを撃沈 イタリア本土サレルノへの上陸 ドイツ軍の防御 ドイツ軍の撤退 ドイツ海軍(ノール岬沖海戦) X艇による戦艦ティルピッツ破壊 英海軍、本国艦隊司令長官と第一海軍卿変更 援ソ護送船団の再開 シャルンホルストの出撃 英巡洋艦部隊が砲撃 戦艦デューク・オブ・ヨークと交戦 第21章 防御網突破 アッツ島沖海戦 ガダルカナルからラバウルへの侵攻 マッカーサーという男 マッカーサーとハルゼー 日本軍の作戦方針 米軍の上陸方法 クラ湾海戦ほか 米軍の迂回作戦 ブーゲンヴィル島の迂回作戦 ブーゲンヴィル島沖海戦 連合軍のラバウル空襲 中部太平洋の侵攻開始(タラワ) ニミッツが第5艦隊を創設 ギルバート諸島タラワ侵攻 第22章 大きな遅い標的(戦車揚陸艦LST) 上陸戦に不可欠なLST アンツィオ上陸作戦 テヘラン会議 上陸の成功とその後の膠着 ノルマンディーのLSTに影響 米軍のマーシャル諸島侵攻 水陸両用軽戦車アリゲーター 史上最強の高速空母打撃部隊 イタリア戦線ローマ占領 第5部 清算 第23章 Dデイ(ノルマンディー上陸) 上陸作戦開始に向けて タイガー演習の悲劇 ネプチューン作戦始動 悪天候で1日延期 作戦艦艇の集結 上陸 艦砲射撃支援 LSTが活動開始 アントワープ占領 第24章 決戦を求めて マリアナ沖海戦 マリアナ諸島の重要性 米軍の戦力 搭乗員の練度など日本軍の実態 日本艦隊出撃 日本軍機と正規空母の損害 米攻撃隊発進 米軍のパイロット救助努力 海戦の結果 レイテに向けての米軍 ルーズベルト、ニミッツ、マッカーサーの会談 スプルーアンスからハルゼーに交代 レイテに向けての日本軍 捷号作戦の意義 栗田艦隊への命令 第25章 レイテ沖海戦 米軍フィリピン侵攻を繰上げ ペリリュー島 米軍フィリピン上陸 日本艦隊出撃 栗田提督が西村艦隊分離を指示 栗田艦隊の重巡3隻が被弾 シブヤン海海戦で武蔵沈没 小沢艦隊発見でハルゼー、サン・ベルナルディノ 海峡を放棄 スリガオ海峡海戦で西村艦隊全滅 サマール沖海戦 米護衛空母艦隊の驚き ハルゼーへの救援要請 ニミッツからの問いかけ 栗田艦隊の反転 初の神風特別攻撃隊 レイテ沖海戦の意味するもの 第26章 縄が締まる 米潜水艦の成果 米潜水艦の設備と生活 日本軍の対潜水艦戦 日本の海上輸送の衰退 空母信濃の撃沈 空母信濃の経歴と当日の状況 米潜水艦の雷撃 米第3艦隊の台風被害 ハルゼー艦隊、台風に遭遇 艦隊の台風被害の結末 B-29の空襲と硫黄島 初期のB-29空襲の失敗 護衛戦闘機のための硫黄島 B-29の焼夷弾爆撃 硫黄島占領およびB-29爆撃の意義 第27章 大詰め ナチスドイツの終焉 デーニッツとUボート バルト海での避難民輸送 デーニッツが総統として降伏 特攻と大和沈没 神風特別攻撃隊 戦艦大和の沖縄特攻出撃 大日本帝国の終焉 英国太平洋艦隊 日本降伏までの動き エピローグ 東京湾1945 あとがき 主要人物のその後
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