中国・国営 新華社通信 配信記事

1.中国語版
2.新華社通信配信記事 日本語訳


WARNING
記事中には、現在、大きな問題点が指摘されている「ひかり協会」が登場する。
「ひかり協会の説明」の部分で注意が必要な点がある
(必ずしも取材した新華社通信の側の問題点とはいえない。)

記事中に、
「協会が定めた基準によると、被害者は被害の程度によって、毎月6万円から7万円ぐらいの補助金がもらえる」
との取材結果が記述されている。
良識ある記者や国民は、この「被害の程度によって」の部分が、まさか正反対の意味だとは想像もできないだろう。
普通は被害が重い被害者のほうが、支給される補助金が多いと思うものだ。


ところが、現状の「ひかり協会」からの支給額は、
2級の被害者のほうが、より重症者の1級より多い。
換言すると…
症状が重症化し、1級になると、「救済基金」からの支出額は削減される。

(レポート「森永ヒ素ミルク中毒事件発生から50年 被害者救済事業の実施状況」(PDF)より)

信じがたいことに、これが 「被害の程度によって」 の実態である。

しかし、さすがにこれでは、重症者自身は動けなくとも、その家族たちから怒りが噴出するので、国の障害者基礎年金(税金)を重症者に「下駄履き」させて、非難をかわしているのである。仮に、公的年金を「下駄履き」に使うのなら、組織内で1級重症者への高め支給という当然のベースの上で、更に上乗せとして実施されるべきというのが、人としての常識的モラルというものであろうに…。

つまり、現救済団体が、「下駄履き」で、どんなに体裁を整えようとも、組織内部では1級重症者をより不当に冷遇している事実は明らかである。
重症者は、どんなに下駄履きされようが、生活実態は深刻極まりなく、「下駄履き」で満足できる状況ではない。

さらに、良識ある国民は、「“下駄履き”させれば、結果的に1級重症者のほうが2級の被害者より支給が多くなるようにして不満をおさえているのではないか」 と思われるかもしれない。ところが、現実は違う。2級の被害者も、より重症の1級の被害者も、だいたい同じ額になるのである…。
ここまでくると、もはや「悪い冗談」の世界だ。

どちらにしても、
「救済」組織幹部が、「下駄履きさせれば非難がかわせる」という発想から、2級より重症の1級の被害者への支出を意図的に抑制している事実は消えない。そこには被害者同士を対立させる意図もあるかもしれない。
残酷な仕打ちであり、「人権侵害の措置ではないか」との訴えが弁護士会に起こされるのは当然である。弁護士会は判断を避けた。これを「逃げた」と捉える人もいる。

被害の程度によって「反比例」支給をしているなどということは、救済団体のほうが敢えて言わなければ、普通は気がつかないのも無理はない。
なぜなら、仮にも「被害者救済」を名乗る団体がそんなモラルハザードを何十年も続け、しかもそれが「もの言えない状況」下で黙認されているなど、民主主義国家の国民の常識には存在しないからである。どこの国の話であろうか? 空恐ろしい状況である。

「食の安全」といっても、乳児を大量に死なせておいて、このような理不尽が「和解後」も何十年も続いており、被害者団体が、悲惨な重症者の声を圧殺して、加害企業の支出削減に協力しているのだから、他の企業がこの現状をみて反省するわけがない。被害者を切り崩しの対象にし続ければ、被害者団体が加害企業との協調を叫びだし、救済に熱心な親を追い出しもしてくれ、それなりのメリットがある、という悪しき学習効果を生み出しているだけである。

森永乳業の存続は、今では、現「守る会」によって除名されたところの、現「守る会」を創った元のリーダーから、かろうじて「許された」に過ぎない。森永製品全面ボイコットと訴訟を徹底的に続けていれば、今頃、森永乳業など倒産して存在しないだろう。「会社がつぶれても責任を果たす」と政府に約束をして開始することになった「恒久救済」の完全(全面的)実施だけのために存続をゆるされた。だから交渉のテーブルに森永の側が座ることを望み、国に泣きつき、座ることを許されたのである。
被害者家族に理不尽な弾圧を加え続けて、本来なら消滅もありえたにもかかわらず、からくも恒久的救済をすることを条件に存続を許された稀有な企業・森永乳業にとって、救済資金の拠出は財務上では支出であっても、実際の意味合いは支出ではなく、事業の主目的でなければならない。それを忘れるなら、金を拠出することに込められた精神性なり意味あいなりが大きく変質し、救済資金の目的は、別の意味合いを持つようになっのではないか、との指摘をうけることにもなりかねない【随想ご参照】

前掲の新華社通信の記事には、以下の建設的改革提案がなされているので、その積極性を評価し紹介する。

 1.メラミン中毒で森永ヒ素中毒事件の教訓を取り上げた姿勢
   (公害問題は “終わった問題” と捉えるわが国では、
    ほとんど省みられることがない)
 2.現救済団体が一番公表されたくない最悪の問題点を敢えて
   後半部分で取り上げた点

以上の点で、この記事は価値あるものと考え、紹介した。


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