公害被害者の救済事業に大きな闇。 更新部分へ
改善を求める家族へ
異様な嫌がらせがエスカレート。
報道及びウエブサイト、刊行物に見られる、重症被害者の親たちの憤り。2012.3.2
重症被害者家族が、「公益財団法人ひかり協会」の「事業」実態と、批判をやめない被害者家族への、金銭を通じた嫌がらせを告発。ウエブサイトを開設。
公益財団法人の支給基準に新たな問題が発覚
2012.3.23発表、能瀬所感。
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被害者団体を名誉毀損で告訴していた原告:能瀬英太郎氏が裁判終盤で重大な証拠を発掘した。ほとんどの被害者が「知らされていない」(被告自身が当初「見当たらない」と書いていた位だ)ところの、「公益財団法人ひかり協会」の支給基準の物証である。能瀬氏は、独力で出典一次資料を調査し、データを一覧にまとめ、証拠をもとに、公益法人による重症者への不当な扱いを厳しく批判している。この所感でも触れられている「過少支給問題」は、今後、大きな波紋を呼びそうだ。
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2012年3月に設立された告発サイト↓
http://www.kyuusai-kanshitou.com/index.html
財団法人が、支給済みの手当てを26年間さかのぼって返還せよと、被害者家族に277万円の請求書を発行。
驚くべき、救済基金の実態と、被害者家族への抑圧行為がサイト内で暴露されている。
倉敷市の重症被害者の父親・榎原伊織氏は、「ひかり協会」の救済への異論を提示すると、「ひかり協会」から請求書が送られてきたそうである。その内容というのが、奇妙で、「26年間支払ってきた手当金額を間違って(協会側のミス)多めに支払った。多すぎるから最初までさかのぼって返還せよ」という「誤支給」のような要求であったという。ところが、初めのうちは金額さえはっきり示されず、「誤支給がある」というなんだか、内容がよく見えない話であったという。
ところが「協会」への批判を続けていると、実際に、「請求書」が送られてきたという。その額なんと、180万円。
さらに奇怪なことに、その後、請求金額が増えて、最終的には277万円の巨額に至っているという。そもそも過払い金請求には時効制度があるはずだが、それも敢えて知らせずに26年間とは…。
こんなことが日本社会でありうるのだろうか?
これだけでも目を疑う内容だが、この話には、続きがある。
裁判でやっと公開された文書をもとに財団法人が本来被害者に支払うべき金額を計算しなおすと、今度は500万円超の「過少」支給。
その後、、榎原氏が能瀬訴訟を通じて知りえた、「“ひかり協会”の被害者に対する本来の支給基準となる文書」をもとに計算し直すと、今度は、26年間で「ひかり協会」が同氏に本来払うべきであるはずの手当て金額が、実際には5百万円超も削られているということが判明したという。
もし仮に、榎原氏が最初の「誤支給」なる「ひかり協会」側の請求書を真に受け、鵜呑みにして、277万円を支払っていたら、「協会側」は277万円+500万円=777万円も不当な利得を得ることになっていた、ということだろうか。
ちょっと、表現のしようがない、むちゃくちゃな実態が正確な数値データとともに明かされているから、驚くほかは無い。
なお、この32項目にのぼる 陳述書 には同氏の愛嬢への思い、森永への怒り、そして腐敗した組織への憤りが、切々とつづられている。岡山地裁へ提出された文書のようだ。
とすると、能瀬訴訟において、この問題は係争とは外れるにしても、(被告は協会事業の大礼賛を争点にしたいかのように、延々と褒めたたえていたが)裁判所はどのような判断をするのだろうか。そして、このような事態が前々から新聞報道もされていたにもかかわらず、それにどう対処したのかとういう、公益財団の資格認定にも関わる重大な問題が、内閣府に提起されたことになる。
このような異常事態に対してどのような対応が行われるのか、今後の推移から目が離せなくなった。(2012.3.2現在) |
■基金と被害者家族の間で発生している現象
各種報道、被害者家族からの意見、及び下記注釈※1より参照
一例)
救済組織内での資金配分比率が、2級の被害者と、より重症の1級の被害者との間で逆転するという異様な措置が1986年以来
(下記※a) 続いている。
この理由に関して、組織内では “国民的合意の得られるものとする”との奇妙な理由付けが行われている。
手法としては、
私企業が引き起こした公害犯罪の救済にあたり、国の公的年金を下駄履きさせて、重症者を管理するというもの。
救済の全般的実施状況や組織運営体質に関しては、さらに深刻な「独裁と黙殺」の支配手法が指摘されている。
これに関して、ルポライター・能瀬英太郎氏は、下記レポート内で、
「ひかり協会のいう“国民的合意が得られる”とは“森永の合意が得られる”の間違いではないかと疑いたくなる」 と記している。
■現組織の自浄能力について
組織への改善意見の長期間にわたる黙殺と厳しい制限、総会出席に監視役がつくなどの、一般社会では考えられない異様な言論封殺状態が数十年にわたり続いている。一例: ひかり協会の救済事業監視塔 掲載 「陳述書」
■除名処分活用による異論や改善提案の排除。
(※a)
(故岡崎哲夫氏が組織内で発言の自由を制限され、「除名」されたのもこの頃。奇妙な一致である。
⇒岡崎氏は、これ以前から、「重症者への理不尽な扱い」が登場してきたことに対し、是正と改善を主張した。その直後から、誹謗中傷と度重なる迫害の嵐が吹き始めた。彼は、ある集団による組織の乗っ取りが完了したことを悟り、やむなく是正組織を立ち上げたという。一方、そのことをもって、現組織は岡崎氏を「分派」活動と処断し、除名した。ところが当の是正組織を「共に立ち上げよう」と岡崎氏に呼びかけた他のメンバーは「全員元の組織へ復帰」しているとのことである。なんとも「見事な謀略的仕掛け」とする見方もある。 ※1
折をみて、「救済組織の変質化プロセス」を詳しく紹介していきたい。
(※1 能瀬英太郎氏レポート「紙のいしぶみ」とそれに連続するシリーズ、及び、
「森永ヒ素ミルク中毒事件 発生から50年 被害者救済事業の実施状況」2005.1.30発行より)
■これらの背景
企業との関係性、政治的背景含め、目下分析中
■重症者の親による抗議
“重症者放置の現状には我慢しきれない”と、被害者の親による、現組織への具体的抗議行動が発生
【山陽新聞への被害者団体のコメント】
「男性に誤解があるので混乱を避けるため出席を遠慮してもらった」
平たく言うと“意見が違うものは出席させない”ということだ。
民主主義社会ではありえない論理…。
このコメントだけで独裁支配が実施されていることが分かる。
おまけにメディアには「粘り強く説明したい」ときれいごとを言っておきながら、その後、この父親を「権利停止処分」(しかも期限は無期限)とした。それにいたる過程は、徐々に紹介していきたい。
表向ききれいごとを言っても、組織体質は、「おして知るべし」である。
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1976年段階で、守る会の内情の一部が暴露されていた。
「森永ヒ素ミルク中毒『資金運用に独善』
北九州の被害者の親 近く公開質問状」
(昭和51年-1971-5月23日(日) 西日本新聞 5段)
公開質問、要求書をだすのは北九州市小倉北区朝日カ丘、事務局長田部春夫(51)さんで、九州の被害者を結集した『森永ミルク中毒のこどもを守る会』の副本部長。
田部さんの話によると、51年度の同協会予算案では森永から支出される救済資金約5億5千万円のうち人件費が約1億8百万円、事務費4千万円など事業経費が資金の約3割も費やされることになり「多い人で一事務員に月平均30数万円の給料が与えられているなど人件費の割合が高い。この資金は当然被害者被害者救済中心に使われるべきだ」と訴えている。そして@経費節約が実行できないなら、厚生大臣は協会の設立認可を取り消し、国の行政機関の責任で救済にあたれA同協会のあらゆる資料を公開せよ、と求めている。
同協会は17人の理事で構成されているが、九州では結成後から協会幹部への不信が大きく、同守る会大分県本部(13人)の御手洗松夫本部長(63)も『重度障害者には物価スライドしで生活保障費が月々支払われることになっているが、実行されていない。また協会幹部は下部の意見を聞こうとしない』といっている。
同九州本部福岡支部のAさん(42)も『協会設立時に一時金として20数万円が贈られてきたが、その後、厚生省の確認患者である子供の症状について医師のはっきりした診断がないということで、協会から一時金の返済を求めてきた。また学校へ行くため、被害者救済資金の中から、奨学金を受けているが、これも貸与の形で返済が必要となっている。協会設立は全被害者の救済に当たる、というので賛成したが、これでは被害者切り捨てではないか』と不満を訴えている。(以下略)
その後、守る会・会員の抗議の「脱会」も「報道」。
記事の見出しは
─被害者守らぬ ‘守る会’ ─西日本新聞
(昭和51年-1971-11月12日 「西日本新聞」夕刊)
「─被害者守らぬ‘守る会’─これは昭和51年11月12日付けの「西日本新聞」夕刊にのった記事の見出しです。つづいて「九州本部副本部長が脱会 森永ミルク中毒」とあります。記事『…(前略)…ひかり協会が設立されたが、田部さんは、資金運用が不明朗で、守る会もチェック機能を果たそうとしないと、厳しい批判を突きつけ波紋を投げかけている。…(中略)…田部さんは、例えば事務経費、人件費で年間予算の三割近くが支出され、九州事務所の職員に三十数万円の高給を支払っている。公開を求めでもナシのつぶて。協会の財政が営利企業のようにみられていると指摘。
こうした協会のあり方に対し、田部さんはことし5月、厚生省や同協会に@経費節約ができないなら、国の行政機関の責任で救済に当たれA協会のあらゆる資料の公開─などを求める公開質問書を出していた。(以下略)』
それにしても当時の新聞記者は思い切ったことを書くのには感心します。…(後略)…」
─ひかり協会の救済事業監視塔・電子掲示板記載(767以降)─
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※1976年といえば、現在は同団体から禁書扱いされている「森永ヒ素ミルク中毒闘争二十年史」が刊行される前年である。
同書は被害者団体「守る会」が正式に刊行を決定したにもかかわらず、突如、「守る会」の主要な幹部が豹変し、そのほとんどが原稿の出稿を拒否、或いはサボタージュしたという異様な経過を持つ。。
同書に原稿を出していない面々を分析すると非常に興味深いことがわかる。
この西日本新聞の記事が報じる「抗議の脱会」は、この時期を境に、被害者団体内部で、おおきな変質が始まったことを示唆しているのだろう。
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【上掲申し立て事件についての真相解説】準備中
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