ドンの足元 開業医の乱(納税者革命 揺らぐ岩盤)

2001.06.06 東京朝刊 1頁 1総 写図有 (全3603字)


 小泉純一郎政権を誕生させることになった自民党総裁選の2カ月前、「厚生族のドン」でもある橋本龍太郎元首相のおひざ元・岡山県でも激動を予感させる医師たちの「反乱」が起きていた。
 きっかけは、医師会費の一部が天引きされて自民党へ政治献金される制度に、開業医の不満が噴き出したことだった。
 「自民党には強い拒否反応がある」「支持しないのに、献金のための会費を払うのはいやだ」
 開業保険医の集まりの県保険医協会が「反対意見」を会報で特集した。すると「一体、どういう考えなんだ」と保険医協会に県医師会幹部から電話がかかってきた。
 「診療報酬が上がるのはだれの力か。政権政党に頼らないと事は決まらない」。受話器の声に怒りと当惑がにじんだ。
 開業医は政治団体の県医師連盟に全員加入とされ、県医師会の会費年間6万円のうち3万円が県と全国の連盟を通じて、自民党国会議員などへの支援に使われてきた。
 だが、「政治に働きかけて規制の中でぬくぬくとやって、患者が来てくれる時代じゃない」とある開業医は話す。反乱は「自民党費肩代わり問題」が発覚した富山県などにも広がっている。

 保守政治の「岩盤」が揺らいでいる。票や献金の見返りに既得権益を守るやり方では未来はない、と多くの人が気付き始めた。小泉政権を生んだ底流の変化。それは「利益誘導政治」の終わりの始まりなのか――。

 ○政治頼みの利益追求許されるのか
 5月25日夜、富山市内のホテルで開かれた武見敬三参院議員の「総決起大会」。緑の鉢巻き姿で壇上に上がった日本医師連盟などの役員から次々にげきが飛んだ。
 「我々の力が試される戦いだ。各診療所で最低20人の確保をお願いしたい」「選挙後には社会保障制度改革や診療報酬改定が控えている。与党に日医の政治力、集票力を認めさせる必要がある」
 会場は富山県内から動員された約800人で埋まった。日本医師会(日医)やその政治団体の医師連盟をバックに参院選で再選を狙う武見議員の全国行脚が続いている。

 「危機感」はかつてなく強い。同県でも「造反」ともいえる動きが起きているからだ。
 この数日前、県内の立山町の医師会の会合で武見氏の支持を表明するはがきやポスターが配られ、診療所の待合室などに張るようにという県医師会からの「指示」が伝えられると、一部の医師からそれが送り返された。
 総決起大会に欠席を決め込んだ開業医らは「上にいわれるままにいつまでも自民党一辺倒でいいのか。圧力団体ではないのだから、自分たちで考えてやる。党費まで肩代わりするというのでは論外だ」。
 「政治力に訴えれば診療報酬は確保される。しかし、こうしたことを続けていても堕落するだけだ。医療の抱える本質的な問題は解決しない」
 昨年12月、医師会が反対する厚生省(現厚生労働省)の予算要求が急きょ、取り下げられる「異例」のことが起きた。
 医師が診療の際、過去の治療例や論文などを調べられるデータベースを構築するため、国立公衆衛生院でデータ収集、分析を進める新規事業の予算要求だった。
 支払い側の健康保険組合や患者がデータを利用できるようになれば、過剰検査や過剰投薬などのムダに目を光らせる効果が期待できる。欧米で始まっている「EBM」(根拠に基づく医療)と呼ばれる取り組みだ。
 昨夏から自民党社会部会ではこの事業に関する議論は紛糾していた。
 「公的機関でのデータ分析は医療の標準化を狙うもので、医師の裁量制を損ない、医療費抑制の手段に使われかねない」と日医の意向を代弁する医療系国会議員が反発。結局、数カ月後、厚生省は「要求取り下げ」に追い込まれた。
 厚生省が進めようとした「改革」が、とん挫した例は過去にもある。
 「自民党が医師会と覚書のようなものを取り交わしたらしい」。98年秋、大蔵省や厚生省の担当者があわてた。覚書は、自社さ連立時代の97年にまとめられた「医療保険制度改革」を逆行させる問題に発展した。
 改革は、サラリーマンの医療費自己負担を引き上げたり、薬の種類が増えるごとに別途薬剤費を支払ったりする「負担増」を97年秋から求める一方で、保険からの薬剤費支払いに上限を設ける参照価格制度の導入や診療報酬の出来高払いの一部見直しなどを00年度に実施する内容だった。
 日医は経営への影響を恐れて「骨抜き」に動く。98年8月、自民党の森喜朗幹事長(当時)が石川、富山両県の衆院補欠選挙の支援要請に来た機会をとらえ、坪井栄孝会長が反対を訴えた。
 この時に森氏と池田行彦政調会長(同)が「早急に再検討する」と書いた「覚書」が改革を封印することになった。
 同年末の99年度予算編成では、高齢者の薬剤費患者負担の免除が決まる。勢いをつけた日医は、翌年4月、参照価格制度も白紙撤回させた。

 だが、こうした党の有力者と日医幹部が医療行政を仕切るようなやり方が国民の反発を生んでいると、感じている開業医もいる。
 「自分たちの利益ばかりを押し通せるものだろうか。医療費は聖域といっても国民の支持は得られない。どうしても必要な医療費を確保するなら、自民党を通してではなく世論に直接訴えるべきだった」と福島県内の開業医は話す。
 高齢化による老人医療費の急増、それを支える健保組合などの財政破たん――。医師会が政治力を発揮しても、手にできる果実は先細るだけだ。医師会の利益実現ばかりに走れば、自分たちがよって立つ医療保険制度そのものが危機にひんするようになった。
 「今回は、診療報酬の引き上げを党は認めるべきではない。不況なのに医師の所得は伸びている。サラリーマンや中小企業の反乱が起きる」
 99年12月、自民党の医療基本問題調査会で戸井田徹衆院議員(当時)が発言すると、医療系国会議員で埋まった会場が静まり返った。
 これまで診療報酬改定では、調査会で引き上げを打ち出した後、「橋本(龍太郎)さんのもとに持ち込むのが慣例になってきた」(財務省幹部)。大蔵、厚生両省の担当者が橋本氏の所に足を運び説明、橋本氏が「政治的判断」の色を付けて、医師会や薬剤師会の幹部に、電話で連絡し、引き上げ幅を割り振った――。
 戸井田氏のやり方は、従来の「慣例」にたてつくことになった。
 発言を報じた新聞記事のコピーが、日医から地元の医師会にファクスされ、医師会幹部が伝えてきた。「選挙で応援できなくなりますよ」
 その年の暮れから、日医の政治献金は止まったという。翌年の総選挙では、父の代から続いていた県医師会などの推薦も得られず、落選の憂き目にあう。
 「このまま医療費が膨張し続けたら医療保険制度そのものがもたない。負担するのは国民だから、日医だって世の中の状況がわからないはずはないと思った」と、戸井田氏は当時を振り返る。

 戸井田氏はいま復帰を期して、地域の会合をこまめに回る毎日だが、「医師会との関係修復」を勧める支持者もいる。
 だが「支持基盤のことばかり考えたら、何もやれなくなる。日医などの一部の連中が話し合って、最後は自民党に持ち込むようなやり方で、国民に負担を求められるのか、どうか。現場の医師がそのことを痛切に感じているはずだ」。
 票や金を支援してもらう代わりに業界の利害を守り、財政資金を引き出す。一部の業界団体のために政治が動くから、異なる利害の調整や既得権益の整理ができずに財政赤字が膨らみ、閉そく感ばかりが強まる。
 そうした政治への不満と決別の思いがいま噴き出している、と思っている。

 (このシリーズは、編集委員・西井泰之、経済部・福島範彰、山川一基、千葉支局・中野渉、郡山支局・矢崎慶一が担当します)

 <メモ> 政府は02年度に医療制度の抜本改革を目指し、6月末に経済財政諮問会議がまとめる経済財政運営の基本方針で、医療費の総額に枠をはめて伸びを抑える方針を盛り込む考え。医師会との衝突は避けられない。
 小泉首相は医療保険制度改革の一環で行われた本人負担引き上げの際の厚相で、厚生族の中では「覚書」による「薬剤費別途負担の廃止」に反対したとされる。
 これに対し、日医の糸氏英吉副会長は「具体的な政府の方針が見えてから対応する。医師会は国民の側に立って主張している。医療費抑制が国民にどんな影響があるのか、政府は説明する責任がある」と語るだけだ。


 日本医師会は会員数約15万人。公益法人の医師会は政治活動をしない建前のため、政治団体の日本医師連盟(会員数約7万5000人)をつくる。しかし医師会の役員が連盟の役員を兼務するなど両者は事実上、一体とされる。99年の自治省(現総務省)への届け出では、日医連の献金の総額は7億4115万円。資金量では最大の政治団体の一つ。

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