タージマハール でっかいお墓です。

 第13章 タージマハール

私の旅も終わりに近づいてきました。
なんとなく寂しいような。
少し長期の旅を経験した人ならわかると思いますが、1ヶ月なぞほんとうにあっという間です。出発前に抱いていた期待と不安は、インドに入ってから一度も感じたことがないように思います。毎日が綱渡りであるかのような緊張感と、それを楽しんでいる自分がいただけです。こんなこと書くとスリリングなように聞こえますが、何の事はない、簡単に言うと単純におもしろかった訳です。

アグラのタージマハール。立派な大理石のお墓です。インドに来てこれは見るべきだろうとやってきました。間違ってました。せっかくインドに来たのに観光地を見るなど、時間の無駄使い以外の何ものでもありません。こんなこと書くとお叱りをうけるかもしれませんが、ここまで読んでくださった方にはお解りいただけると思います。私のたびで興味を抱いたもの、そしていまだに記憶に残っているものといえば、全て人との関わりの中にありました。歩いてきた道筋は観光地を辿ってきたものでしたが、興味の対象は人に向けられていました。
なんといっても彼らはおもしろいと思い始めていました。いろんなことを仕掛けてくれます。ある時は騙そうとするものであったり、単に習慣の違いからきたものもあります。そんなトラブルを楽しめる余裕が出てきたのでしょうか。

ということを思っているのは今だからですが、ともかくタージマハールへ向かいました。さすがにきれいです。インドでこのように清潔感のある一帯に足を踏み入れたことはありませんでしたから。建物も素晴らしいです。この素晴らしい建物全てが大理石で出来ています。唐草模様の格子までもが大理石を加工して作られています。しかもそれがお墓です。亡くなった人を安置するためだけの建物がこんなに立派だなんて。インドのカーストのすさまじさがよく表現されています。

ご存知の方も多いと思いますが、インドにはカーストがあります。階級制度と訳すのでしょうか。でも、カーストは階級とは少し違うようです。

ある日私はチャイ屋よりは少しはましな安食堂で昼飯を食っていました。こういう食堂は食べるというより、食うと表現する方が似合うようです。そんな安食堂ですが、レジのおじさん、調理人、料理を運ぶ人、掃除する人など、一通り必要です。ここでも当然それぞれに従事している人がいます。日本と違うのは、彼らは一生その職種である点です。どんなにがんばろうと、床掃除人は料理を運ぶことは出来ません。ウェイターが開店前に床掃除することはありえないのです。料理を運んでいる人にチェックを頼んでも、レジの人に伝えてもくれません。現実はこんなに単純な言葉で表現できるはずもありませんし、私のようにしばらく滞在しただけで、カーストを語れるわけでもないのですが、こんな末端にまでそれは深く根付いていると感じたものです。そして貧富の差が拡大して・・・。このあたりのことは詳しく書かれている書物なりを参照してください。

階級制度といえば、ヨーロッパの貴族階級。後にItaly編で触れますが、今でもそういった人を見かけます。ただ、ヨーロッパのそれとインドのカーストはかなり違った印象でした。どこが?わかりません。搾取と還元の社会的構造の違いでしょうか。なんとなくそう感じただけでしたから。

階級とは違う話になりますが、カルカッタなどでは多くの物貰いに遭遇します。手や足がない人たちだけでなく、小さな子供たちが「ワンルピー、ワンルピー」と言いながらつきまとうわけです。少しは旅に慣れたこの頃になると、行列にまで発展することはなくなりましたが、最初は閉口したものです。施しをしてあげることが出来ないのです。

インドを旅した人は、「施しを拒否する」ことにいろんな理由を述べていると思います。いくらあげてもきりがないではないか。働こうとしない人に施しをするのは為にならない。云々。私も心の中で言い訳を考えながら歩いていました。私も金がないのだよ。これは言い訳にはなりません。とどまるところ、私には施しをした経験がないため、おおいに戸惑ってしまったのが真実であろうと今思います。素直な気持ちで接することが出来ていなかったのだろうと。

彼らは、「持てるものが持てない者に分け与えることは当然の行いであり、それを要求することは恥ではない。」と、考えているようです。富を蓄え、社会に還元しようとしない金持ちのはびこっている日本の平等主義と比べて、考えとして貧しいのはどちらだと思いますか?
大理石の棺
模様も大理石、後ろの格子も大理石。

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