第14章 超高級ホテル
ジャイプールだったか、ウダイプールだったか土地の名前は忘れました。一度超高級ホテルを経験してみようと思いました。今思えば浅はかな考えだったように思います。25歳そこそこで、そういった生まれも育ちも持ち合わせてない人間が、階級社会の頂点の場を覗こうとすることが、どんなに場違いな行動であることかをわかっていませんでした。
わたしは、以前に聞いていた、「旅は最高級か、さもなくば底辺か、そのどちらかがもっとも面白い。」これを一度に実践しようとしていました。しかもインドの頂点の人種は想像を絶するわけで、これを垣間見ることができれば、どんなにかおもしろいであろうかと企んでいたわけです。
日本からこのときのために、ジャケットとスラックスをバックパックの中に忍ばせていました。かさばらないように、綿の薄手のジャケットです。KENTというメーカーの、紺と白の細かいチェックの柄は今でも覚えています。旅の予算も充分に残っています。「インドを歩く旅」で宿泊費も4〜5万円であることを確認しています。現在でも非常に高い宿泊費ですが、当時のインドの物価を考えると天文学的な数字です。ただ、日本の物価で考えてみると超高級の範疇で済ませられます。そんなホテルに一生に一度くらい泊まってみたいと思っていたのでした。
そのホテルとは、インドの階級社会の頂点に立つ人々の中の一人が、別荘として所有していたものを、ホテルに改造しているとの事でした。当然「インドを歩く旅」に掲載されていた内容ですが。
いつものように寝台車で到着し、駅に降り立った私は、これまたいつものようにリキシャを探して乗り込みました。間違いの一つ目でした。駅で着替えを済ませるべきだったのですが。これが間違いのふたつ目でした。リキシャにホテルの名を告げてもすぐにはわかりません。そのホテルと私の格好は、とんでもなく不釣合いでしたから。おそらくリキシャマンも、存在は知っていても客を案内したことはなかったのでしょう。そのようなホテルに滞在する人が、リキシャなどに乗るはずもありません。まあ、どの世界にも酔狂な人間はいるもので、皆無ではないでしょうが。
ともあれ、リキシャに説明してそこへ向かわせます。彼は何か説明しているようでした。「ベリーエクスペンシブ」とか何とか。「そんなことはわかってるって。気にするな、私の財布だ。」
ホテルが見えました。いえ、ホテルの入り口が見えました。道路から建物までずい分と距離があります。門の中に入ると、リキシャに乗っているジーパン姿の私が異質な存在であることに気がつきました。が、ここまで来て、引き返す手はありません。行け、進めです。予約はしていませんでした。リキシャを降り、バックパックを片方の肩に担いで、フロントに向かいます。立派なホテルは車寄せからフロントまで距離があります。心臓が高まっています。フロントの人が私を胡散臭がっている様子はみえません。やはり日本人だと愛想がいいぞ。こんな格好していても日本人は金があると思っているようだな。まるで水戸黄門の印籠を顔に貼りつけているようなもんだな。よし。部屋は空いているかと尋ねます。急に残念そうな顔をします。満室との事。そんなことないでしょ。ほんとうに?高い部屋ならあります。それっていくら?・・・・。日本円にして十数万円。えっ・・・。このようなホテルで、宿泊代の交渉が必要などと思っていませんでしたので、値切ることなどすっかり忘れています。
あ、そうですか。恥ずかしかったです。とぼとぼと立ち去る私の後姿は、そうとうに惨めだったに違いありません。リキシャが待っていてくれたのには救われました。その後、安ホテルに向かいながら、なんだかほっとした気分を味わっていたのでした。
いまでも、本当に空室がなかったのかどうかわかりません。でも、まず間違いないでしょう。わたしは体よくあしらわれたのです。薄汚れたバックパッカーが、予約もなしにリキシャで現れ、「部屋空いてるか?」いくら無敵の円の国から来た外国人でも、警戒しない方がおかしいです。今ならよくわかります。そして、上流階級のふりをして、宿泊することもできるでしょう。しかし、このときの私は、無謀なくせに相手に飲まれてしまっていた、ただの若僧でした。
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