原発事故教訓に

科学の功罪議論

STSフォーラム

(日経新聞201110月3日12版 科学技術面)

【記事抜粋】

「科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム(STSフォーラム)」の第8回年次総会が2日、京都市で開幕した。

東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故を教訓に、科学技術の光と影を再認識し、エネルギー問題など人類の課題の解決策と持続可能な社会のあり方について4日までの日程で、世界の科学者や政治家、起業家らが議論する。

(以下略)

 

【コメント】

東電福島第1原発の事故は、多くのものに対する価値観や見方を変えさせ、あるいは少なくとも、これまで抱かなかった疑問を提起する大きな出来事でした。

 

「原発は低コストの電気を安定的に供給できる」

「日本の技術力は原発を制御できる」

 

これらの「常識」が、今回の事故によって一変しました。

 

「原発の発電コストは本当に安いのか?」

「立地自治体に対する交付金や、電力会社が他の発電では支出しない寄付金もコストに含めるべきではないか?」

「日本は原発事故を最終的に制御できるのか?」

 

まさに3月11日を境に、原発は「悪」「危険」というネガティブなイメージに覆われてしまいました。

 

今日の記事は、原発そのものにとどまらず、科学技術全体の功罪について議論する会合を伝えるものです。

 

共催している社団法人科学技術国際交流センターのホームページによれば、議論のテーマは原子力を含めたエネルギーに関するものや、医療、情報通信、居住環境など多岐にわたります。

 

科学技術全体の功罪について議論するとはいえ、人々の関心はどうしても原子力エネルギーや原発に集中してしまうのはやむを得ないことかもしれません。

 

現在のところ、原発に対しては功罪ではなく「罪のみ」が強調されています。

 

辞書(小学館「言泉」)によれば、科学とは「普遍的真理や法則の発見を目的とし、一定の方法にもとづいて得られた体系的知識」を意味します。

 

人それぞれの立場や主観によって結論が変わることのないよう、客観的なデータや情報によって冷静に考えることが科学的思考とすれば、「功」なく「罪」しかない物事は、むしろ存在しないのではないでしょうか。

 

大震災発生前は、火力発電による二酸化炭素の排出量を抑制する有力な選択肢として原発が注目されていました。

 

また、原発事故後に期待の高まる太陽光など再生可能エネルギーの利用については、発電コストが家計に影響を与えるかもしれない、低周波の振動が近隣住民の健康に影響を与えるかもしれない、火力や原子力よりもはるかに広大な発電所敷地を必要とする、などのデメリットが指摘されています。

 

結局、どの発電システムにも「○○だけど××」という、功罪相半ばする面があります。

 

同じく日本にとって大きな影響を及ぼしている円高も、功罪相半ばする面があるといえます。

 

売上の多くを輸出によって稼いでいる企業にとって、円高は大変なデメリットです。

 

その一方で、円高は同じ企業に対して材料の輸入コストを軽減したり、外貨建てによる企業や事業の買収コストを圧縮したりする効果ももたらします。

 

【今日のポイント】

「よい」「問題ない」と思われることにも、見方を変えればデメリットやリスクがある。

「悪い」と思われることにも、見方や立場を変えれば恩恵を受ける要素が見えてくる。

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