障害児の弟をもつ姉として
高陽中学校 2年 鳥羽 紗代
私の弟は哲平といいます。
今4才で、とてもかわいいです。けれどただ一つ、近所の子供とは違うところがあります。それは弟が「
障害者 」だということです。病名は「 自閉症
」といいます。
「昔、私、自閉症だったの」という人がいましたが、それはまちがいです。なぜなら、自閉症はまだ現代の医学では治すことのできない障害だからです。自閉症とは人とコミュニケーションがとりにくく、多くの場合、知恵遅れをともなう深刻な障害なのです。弟も今、幼稚園に通っていますが、一人でできることばかりして遊んでいます。・・でもとてもあどけなく、思わず抱きしめたくなります。
弟が障害児であることがわかったのは、2才のときです。それまで順調に成長し、階段の数を数えたり、ひらがなを読んだりしていて、「この子はかしこい」とみんなで言っていましたが、2才のある日から、急に言葉を失い、おかしいと病院に行くと「自閉症」と診断されました。
私たちも母もとてもショックでした。
けれど、母はある時、私の小学校の担任だったK先生に、こう言われました。
「哲平くんはいい目をしていて・・・まるで、天使のよう・・」、と。
母はとてもうれしかったそうです。それ以来、弟の障害にしんけんに取り組み始めたのです。
私たちは、家族の中に障害者がいることで差別されるかもしれません。今はまだ弟も小さいですが、大きくなれば許されない事もでてきます。そんな時哲平をそばで支えてやりたいと思います。
多くの人は障害者に偏見の目を向けます。この前、岡山で障害者らしい人が歩いていると、周りの人は皆さけていました。私はそれを見たとき、とても悲しく思いました。つらさを感じる心は他の人と同じなのにと。
もし自分が障害者なら、と考えて下さい。人々の冷たい視線にたえられるでしょうか。でも私も、弟が障害児でなかったら、差別する方だったかもしれません。私は弟のおかげで、障害者がどれほど傷ついているかを知ることができたのです。
私達の周囲にいるほとんどの人は、障害をもたない健常者と呼ばれる人達です。うっかりすると障害者を差別しかねない人達でしょう。でも、健常者と障害者と人としての価値に違いがあるのでしょうか。
障害者を弟にもって、私ははじめて自信をもって答えられます。
「人は人として生まれたからには、みんな同じ人間。障害なんか関係ない」と。
(抜粋)END