sorry,Japanese only

平成11年11月30日

第 19 号

岡山県自閉症児を育てる会


  目次

冬の足音 
クリスマス会 & 交流会
12月度 勉強会のお知らせ
近隣の講演会等のご案内
入学式
黙々と缶拾い12年 (中日新聞より)
熟練工
自閉と向き合う 9

冬の足音が風に乗って聞こえてくるような朝夕です。
皆さんいかがお過ごしでしょう?
1年も1ケ月を残すのみとなりました。今年も無事に終わりそうでしょうか?
考えてみれば、子育てにはいろんな事が起こります。けれどもどんな事件が起ころうとも、それは子どもにとっては成長のワンステップ、そんな風に考えられたらどんなに良いでしょう。
できれば落ち着いて優しい気持ちで見守り、後押しがしてやれたらと思っています。
さあ1999年も残りわずか、かけがえのない子どもとの毎日を、元気を出して一緒に頑張りましょう。
最近、育てる会の事務局へは様々な相談が舞い込みます。
「自閉症を告知されたけど、どうすれば良いでしょうか?」とか、「いい医療機関や療育機関を教えてほしい」等という電話での相談から、突然直接訪ねて来られた方もありました。
育てる会が少しずつまわりの人たちに知られるようになった為だと思っています。
「知人から聞いて、育てる会を知りました」「インターネットを検索していて見つけました」という方もいらっしゃいます。
自閉症の子は育てるのが特別むずかしい障害です。それに加えて、世間の無理解からくる心無い声にも私たちは悩まされます。
「親の育て方が悪い為に自閉症になった」というような誤解からくる非難を受けたりするような面を持っています。
ましてその無理解が世間だけでなく、配偶者や親戚の人たちであったりすれば、なおさら母親は孤立無援となります。
つらい人達を何人も知ると、何とかしてあげたいと思います。何年か前の私がそこにいるように感じるからです。
けれども、私には満足には子育てのアドバイスをする事はできません。なぜなら子どもは一人ひとり違うからです。
子どもを知らないまま「こんな風にされたら」と言う事はできませんし、なにより私は専門家ではなく、たったひとりの自閉症児を育てている親でしかありません。
何かを話して、逆にとんでもない事態におちいったりした時に、責任を持ってフォローできる人でもありません。
 
けれどこんな私でもできる事があります。
それはお母さんの話を聞いてさしあげる事です。
それも同じ障害を持つ子の親として話しを聞く事はできます。
誰にもなかなか解ってもらえない、モヤモヤとしたやるせない思いを共感しながら聞いてさしあげる事はできます。
そして知っている範囲で、医療機関や療育機関を教えてあげる事もできます。
電話をかけてこられる方は自閉症を告知されたばかりの方が多くて、その頃の母親にはとってもあやうい状態の方もいらっしゃいます。
私にも経験がありますが、告知を受けた時、その告知を否定したい気になります。事実から目をそらしたい思いがそうさせるのかも知れません。それが「あの先生はダメだ!」となるのかも知れません。
しかし告知をされないで大きくなっていく不幸を思えば、早期療育を始める事の大切さを考えて、素直に医者の言葉に耳をかたむけられる事を私は勧めています。ですから、「○○病院の○○先生に告知された」と言われた時に、知っている先生であれば「あの先生は信頼できる方だと聞いていますよ」という風に答えてさしあげています。
何より、障害を否定したい気持ちから切り替えて、子どもと一緒にやっていく前向きな気持ちになってほしいと思います。
お母さんが心を閉じてしまわれないようにじっくり話を聞きたいと思っています。
今、我が家は子どもが安定しています。とっても良い子で、私が夜そんな相談にのっていても、ひとりでお風呂へ入って、おやすみなさいを言って2階のベッドへ行ってくれます。
何年か前までは、そんな事及びもつかない子どもでしたが・・
そんなわけで今は相談にものれていますが、子どももそろそろ思春期。ひとりの力ではそうそうじっくりと話を聞いてさしあげる事もできなくなるかもしれません。その意味でも来年からはしっかり時間をとって親同士が語り合える場を作らねばとも考えています。
幸い来年度からは、ボランティアさんが「子どもを街の中へ」というテーマで年間を通し子どもと接していただける企画を立ててくれています。その時間を利用して親はじっくり座談会で子育てについて語りあっていければと思っています。

入 学 式

S・T
この4月で小3年になった我が娘です。
この小学校生活2年間で、だいぶ落ち着き、おとなしくなりました。が、思いおこせば2年前、あの入学式は悲惨でした。
広い体育館に、大勢の人、人、人・・、その中に囲まれるように新一年生の集団があり、長時間イスにおとなしく座わらさせられる、何もかも、今まで体験したことのない新しいことばかり。しかも束縛される・・。
そういうことで自制がきかなかったのでしょう。壇上に上がったり、隅で「ドラえもん」の歌をうたったり。ウロウロ側に担任の先生がついてくださったのですが、よほどのことでない限り、娘の行動を止めず、そのまま(よく言えば、見守る)にされていました。
いっそのこと、外に連れ出してくれればいいのに、と願っていましたが、1時間余りのセレモニーの間ずっとその状態。周りからはクスクスと笑う声や、何やらヒソヒソ話は聞こえるし・・・。
父兄席にいた私の方が、今にもその場を逃げ出したい、その感情をぐっとおさえるのに必死でした。
この状況が予想されていたので、2〜3日前から学校に行き、体育館も見せ、イスにも座らせ練習してきたつもりでしたが、やはり本番は全く異質の世界でした。(なにせ練習した時は人はいませんから)
非日常な状況には耐えられない特徴的な場面だったと思います。

S・Tさんからのちょっぴり辛口のメッセージでした。
年長の方はみなさん大なり小なり、似たような入学式の洗礼を受けて、小学校へ入学してこられたのではないでしょうか?

最初は自閉症のことを理解されてない先生だとしても、入学した日からは二人三脚。
お互い育ち合う関係でやっていきたいと思います。

では次に知り合いの方から紹介いただいた新聞記事の紹介です。
私は思わず、イイナ、イイナと思いながらもホロッときてしまいました。

いいですね。特に末尾の一節、さりげなくて、思いがこもって、みなさんにもぜひ読んでいただきたくて、許可をいただいて転載します。             


   中日新聞 1999年6月6日(日曜日)より

 生活 ごみ 人 まち ご近所物語3 

 黙々と缶拾い12年

        〜障害青年に広がる周囲の理解〜

さわやかな土曜日の朝、道路わきの夏草の中に、身勝手なドライバーたちが投げ捨てたビール缶、ペットボトル、コンビニの弁当の空き箱などが散らばっていた。大江正文さん(28)=愛知県豊田市青木町=は、その一つ一つを金ばさみで拾い上げ、同市指定のごみ袋に入れていく…。
自動車部品工場で働く大江さんは、知的障害を伴う自閉症の青年だ。十五歳のころから、ほぼ毎週末、市内の道路の「ポイ捨てごみ」を拾い集めている。公共心からではない。彼にとってこれが「安心できる余暇の過ごし方」なのだ。
大江さんは、小さいころから「一瞬もじっとしていない子」で、よく行方不明になってパトカーの世話になった。近所の家に上がり込んで、冷蔵庫の中身を確認して回ったり、踏切の緊急停止ボタンを押して電車を止めたこともある。
しかし、動き回ることが好きで、物事に執着しやすい癖がたまたま「ごみ集めウオーク」の習慣につながり、生活が安定した。                           
リュックサックにポシェット、野球帽のいでたちで、大江さんは速足に歩き、空き缶などを見つけては立ち止まる。土手沿いの道、雑木林の中の道路では、立ち止まる頻度が多くなる。
歩行者スペースもない狭い道でごみを拾う彼の姿に、通行車のほとんどが徐行してくれる。
が、中には猛スピードで通り過ぎたり、派手なクラクションを鳴らす車もある。
多くは、大江さんと変わらない世代の若者たちだ。
大江さんは、袋がいっぱいになると、口を縛って道ばたに置いていく。この日は、三時間歩いて、燃えるごみ、不燃ごみ計四袋分を集めた。その後、書店に寄って立ち読み、さらに二カ所の自動車展示場でパンフレットを見たりして遊んでから、携帯電話で父、保夫さん(58)を呼び出し、歩いたルートを保夫さんの車で逆にたどって、ごみ袋を回収した。缶類は家の庭で洗い、不燃ごみの日に出す。

「本屋とか室内プールとか、目的地が毎回違うんです。そこへ行くまでの道でごみ拾いをするようです。十キロぐらいは平気で歩きますね。夏場はにおいが大変だけれど、何より地域の人たちに息子のことを知ってもらえるのがありがたい」と保夫さん。
大江さんは、ほとんど会話が成り立たないうえ、小さな子をじっと見つめる癖があるため、変質者と疑われることもある。
でも、彼が毎週、町を歩いているうちに、周囲の人たちが慣れてきた。
よく立ち寄る自動車展示場の従業員は「確かに変わっているけれど、お客さんの迷惑になるわけでもないし、別に構いませんよ」。
母、恵子さん(54)も、近所の人たちからあいさつ代わりのように「マサ君、すごく遠くまで歩いていくんだね」と感心される。
多くの知的障害者にとって、親が老いて亡くなった後の生活の見通しは立ちにくい。
でも、地域の人たちの理解があれば、安定した在宅生活を続けることができるかも、と両親は心の中で願う。
そうした思いをよそに、大江さんはただ黙々と、ごみを拾い集める。  ( 安藤明夫 )

いかがでしたでしょうか?

『公共心からではない。彼にとってこれが「安心できる余暇の過ごし方」なのだ。』

そうなんですね。私たちの先入観「余暇=娯楽」だけでなく、自閉症の子ども達にとって意外と、掃除や洗濯、料理や買物などの家事や労働も本人の楽しみになることがあるようです。
子ども達の視点から生活を見直すことも大切だと思います

では、次にペンネーム「松山 千春」さんの登場です。今回は『熟練工』です。


熟 練 工

ペンネーム 松山 千春
2000年までのカウントダウン時計が至る所で目につくようになりました。20世紀を振り返る企画もたくさん目にすることがある今日この頃です。
新聞を読んでいたら、20世紀の産業構造の記事がかかれていました。
工場が機械化され、熟練工が少なくなったことで,日本の産業を支えてきた優秀な技術が途絶えようとしてきているのだそうです。機械化がすすみ,以前は熟練工が一つ一つを手作業で作り出していた町工場も、機械が幅をきかせ,ネジひとつ作るのも機械で,規格外のねじをより分けるのも機械選別がなされるのだそうです。

マニュアルは機械化された工場に似たところがあります。手順は,周到に考えられた流れ作業であり,効率的に考えられた方法は妥当な対処法であります。
確かに重宝するのですが,子どもを育てるときには,もっと複雑な「日常」の中で育てているわけで,「こんなこと書いていなかった。」ことや,こうやったらいいはずなのに,全然うまくいかない」ということが星の数ほどあるはずです。
「厳しくやったらいい。」「すべてを受け止めてやりましょう。」「待ちましょう。」などなど,親御さんが受けるアドバイスも山ほどあります。どのことにしても,ひとつのこと一本槍で対応できるはずもなく,子どもの育ち,年齢によっても当然変わっていくはずのものでもあり,その日の場面や本人の気持ちによってでさえ対応は違うはず。おそらく,厳しくしなければいけないときもあるでしょうし,受け止めて,待ってやらなければならないときもあるでしょうし,なにが何でもひいてはいけないときもあるのでしょう。
心配なのは,ひとつの方法なり、マニュアルなり,アドバイスなりが,接し方を融通のきかない固定したものにして、一番に大切にしなければならない心を見抜くことを忘れさせることかもしれません。
子どもの心を見抜くということは、ことばをまだ話せないお子さんの場合は難しいことであることは百も承知です。モノ言う子どもでも,言っていることが本当に気持ちに沿った言葉かと言えばそうばかりではありません。
「じゃあ、どうしろというんだ。」という声が聞こえてきそうですが、その場で考えるしかないんですよね。うまくできたことを一つ一つ積み重ねるしかないんですよね。
「大人が変われば,子どもも変わる。」
私が学生時代に,教えを受けた先生がいつも口にしていたことばです。うまくいかないと感じたときにこそ,このことを頭におかなければいけません。
こんな経験があります。小学校3年生のMくん。
私が担任して順調にどんどん伸びた1年間。
その翌年、Mくんは,「たーたー」としか話さない新入生のYくんのまねをして、話し言葉をすべて話さなくなりました。しかっても、なだめてもどうにもならず過ぎた1年間。子どもを変える術はやり尽くしたように思ったそのときに,私自身が変わるということだけ、できていないことに気がつきました。
学校生活の中で,私が「Yくん」と名前を呼ぶときに必ず「Mくん」と名前を呼ぶようにした、たったそれだけで、1年間に及んだ「退行」は消えました。

前に書いたようにマニュアルは、役に立つものだと思います。ただ、手順や方法だけを見て子どもの心を見抜けなくなることにつながってはいけないと思うのです。「一辺倒」になってしまわずに、子どもとのやりとりを振り返り、「出し入れ」を心がけ,自分らしさもだせばよいと思います。
大企業でも,機械では作れない部品を芸術的に作り上げる熟練技術者の技術を後輩に伝える努力を始めているとか。
マニュアルでは伝えきれない技術を直接見て,触れて,感じて,わが身で考えて会得していく。そういった面では,私たちの経験や技術が皆さんの役に立つことはあると思います。
そんな点は、見てください。聞いてください。そして,子どもを前にして,考えることの参考にしてください。
私たちに限らず,専門家から知識を仕入れても、マニュアルを使いながらも,これはおかしいのではないかという当たり前の感覚を曇らせず,かわいい我が子を育ててくださいね。

町工場の技術者は,「こんな物を製品として出しては恥ずかしい。」と機械が選別したネジ一つ一つを、また、手でさわり,ネジ山の感触でさらにえり分けていくといいます。
我が子はこんな子であってほしい、こういう人に育っていってほしい、と思っているみなさんのネジ山もつぶしてはいけませんね。
しっかり子どもに向き合って育てましょう。
自省をこめて,そんなことを考える秋の夜長です。

これまで「育てる会会報」はHPに全文をUPしていましたが、容量等の事情により、一部抜粋にさせていただいています。

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詳細は「
育てる会 HP」に記載しています。

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