卒 業

吉田 英生

 ひとりの年生が卒業を迎えました。

 卒業をひかえた学期、年生の学級で授業中に立ち歩いたり、場に合わない行動を注意してくれる友達を無視したりすることが見られるようになってきました。
 
1対1で勉強する教室での授業では、大きな変化は見られませんでしたが、音楽の授業では、突然、笛をピーと鳴らして笑い出だしたこともあったそうです。

 中学校生活を目の前にして、ザワザワしたものが心の中に湧き上がってきたのかもしれません。
 そんなちょっと落ち着かない
学期を過ごしながら、卒業式の練習が始まりました。
今まで、みんなの中でおこなう活動は、運動会であろうと、修学旅行であろうと、周りを一生懸命見て、先生のアドバイスにも耳を傾けてきた子どもです。

 ところが、卒業式の練習の中では、常にキョロキョロと周りを見回したり、手かざしをして友達を見たりしています。
今までは、そんなことをよしんばしたとしても、担任の先生がそばに行って、一言注意すれば、その後は、また落ち着いて活動に参加していたのですが、今回は、その時だけしおらしい顔をして、
秒もたてばキョロキョロ、ニヤニヤしています。

 注意をしたり、約束をしたりしても、全体的な落ち着きのなさが消えません。
先生の姿があることで落ち着くとか、ことばで言われたからがんばろうとかいったことでは、うまくいかないようです。


 卒業式の予行から、カードに約束を書いて、前の子のイスに貼りました。

「キョロキョロは×、強く吹くのは×、よい姿勢が○、やさしく吹くが○」

目に見える文字で、常にがんばれる自分を引き出し続けたかったからです。
このカードは、効きました。頭が動いたかなと思うと、カードが目に入り、改めて姿勢を正し、座り直し、緩みかけた口を結ぶ。

 一枚のお札が、緩もうとする自分をしっかりと締め直しているようです。

 卒業式では、式に子どもをはめ込むばかりではなく、その子らしい姿を見て送り出したい。

 しかし、そこには大きく成長した姿も見たいものです。
自由に、のびのびとした姿と、姿勢を正し、口を結ぶ姿は、相反する姿ではありません。

 できることをきちんとやろうとする姿を引き出すために、一枚のお札が縛りになることだってあるのです。

 

 束 縛

後藤 静香

 汽車は、

 定められたる線路のみを走り、

 定められたる駅のみに停まり、

 定められたる時間のみに発車する。

 そこには、厳密な束縛がある。

 我らは、

 その線路を自由に選び、

 必要なる駅に自由に下車し、

 適当なる時間に自由に乗る。

 自由に走らざればこそ、自由に利用される。

 束縛、即、自由の真理を学べ。

 

 先生に言われた姿勢を心がけ、練習したとおりにやさしく笛を吹き、決められた時にだけ立って証書を受け取りに行く。
そこには、入学前に、「私の言うことしか聞きません。」と母親がつぶやいた子が、成長したひとりの
年生となっていました。

 彼は、ニタニタした笑いではなく、晴れ晴れとした本当に嬉しそうな笑顔で式場を後にしました。

 その笑顔は、中学校に行く喜びかもしれません。こわくて、嫌な先生から離れるせいせいとした気持ちかもしれません。卒業式をきちんとできた満足感かもしれません。

 笑顔の先に、奔放な自由とこだわりに縛られた不自由ではなく、選択と必要と適当な自由があることを願って、「卒業おめでとう。」


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