●日本六古窯(備前、丹波、信楽、瀬戸、常滑、越前)のひとつであり、平安時代より一千年以上もの間、穴窯や登り窯により、変わりない焼成方法で約二週間松割り木のみで焚き続けます。そして20メートルほどある窯の作品を置く位置によって酸化炎による「胡麻(ごま)」、還元炎による「桟切(さんぎり)」、藁を巻いて炎を直接当てないようにサヤの中に入れて酸化炎で焼いた「緋襷(ひだすき)」、還元炎では「青備前」、そして直接薪の灰が直接被る「窯変(ようへん)」などがあります。
●桃山時代から茶の湯の文化ができ、千利休、豊臣秀吉や武将によって発展していきました。
●江戸時代になると備前藩の藩主池田侯により御細工人制度ができ、窯元六姓(木村、金重、森、寺見、大饗、頓宮)のみ製造することを許可し、保護奨励しました。
●しかし明治時代になると西洋文化が入り、華やかな磁器(有田焼など)がブームとなり、備前焼は衰退していきました。
●昭和になり、再びブームが起こり、全国から、そして海外からも多くのファンが備前の地を訪れてくれています。