来年度廃止?


9月6日に、S学園小学部のある保護者が委員会に呼ばれて、学園小中は「来年度廃止」ということを言い渡されました。S学園移転改築時に小中廃止ということは以前から議論されていたのですが、「来年度廃止」ということは保護者には全く知らされていませんでした。これまで移転改築までは残すとしてきたことと違っています。議会で一部議論もあったとのことですが、保護者に対しての説明や連絡は全くありませんでした。

保護者は、昨年度「移転改築に伴って小中廃止」の議論がおこり、何度か委員会とも話しあっていましたが、12月にS市の市長、教育長等との話し合いで、これからも話し合っていくとしたまま、その後9ヶ月何もなかったのですから、残りあと半年ほどになっていきなり「来年度廃止」では、納得できないでしょう。
「今頃になって言うのは遅い」
「特定の個人だけに言うべきことでない。保護者会全体や関係者にきちんと説明することだ」という保護者の意見ももっともだと思います。

別のS学園小学部保護者は、つい先日の9月2日に委員会から進路について希望を聞かれました。しかし、「来年度廃止」については、何も言われなかった、そして、9月6日にも、7日にも「私には教えてもらっていない」と怒っています。

委員会の対応のまずさと同時に、学園長が保護者に全くなにも知らせなかったということが問題です。いくつかの情報から、学園長は3〜4月には「来年度廃止」ということを知っていたと判断できます。保護者と委員会の間に立って、連絡調整すべき学園長が、何もせず平気でいられるのも不思議です。

これだけ大きな問題を、こんな対応でいいのか?

しかも委員会の「来年度廃止」の理由は、「『S学園小中を来年度廃止しなければ、S学園幼高の移転新築の補助金がつかない』と県が言っている」というものでした。はたして本当にそんなことを県が言ったのでしょうか?

S学園の移転新築の厚生省補助金申請は、昨年度からすでに行っているもので、移転新築後はその中に小中は入らないということは、すでに決まっていることとされてきました。もちろん、計画書もそのようになっているはずです。そして、昨年度は、補助金の要件として、「小中の義務教育と厚生省サイドのものを分けなければならない。現在、運営を社会福祉協議会に委託しているが、独立法人をつくって運営しなければならない。」と説明していました。
今の段階で、古い方の園舎に移転までの1年くらい小中が残っているから補助金はダメだと、そのようなことを県が市に対して言うものなのでしょうか。ご存じの方がおられたら、是非聞かせていただきたいと思います。
いや、例え県がそのように言ったとしても、それを該当の保護者に向かって言ったのでは、『あなたがウンと言ってくれないから、新しい学園の補助金が出ない。』とおどしているのと同じだと思います。


【関連事実】
(1) 教育委員会は、昨年、保護者や関係者に「広域的とりくみを関係市町村に働きかける」と約束しました。これは、圏域の関係市町村で予算を出し合って何らかのものをつくっていくというものでした。しかし、その後の12月には、保護者を集めての説明の中で「広域的とりくみは無理」と発言。
ところが、その後、学園保護者が関係町村をまわって話を聞いてみると、この圏域の町村長は、広域的取り組みに前向きで、S市から話があれば協力すると発言。S市からは広域的取り組みの話はされておらず、一方的に子どもを返すことだけが伝えられたとのことでした。

(2) 12月、保護者への説明の中で、養護学校的なものも「県が認めてくれない」と市は説明しました。しかし、関係議員が県の担当に尋ねると、「柔軟に対応して、小中をするべきだ。よりベターなのは隣接の方式」ということを発言。(ただし、その後保護者会が確認すると正式な回答は得られなかった。)


廃止6ヶ月前にせまるまで保護者に伝えず、いきなり9月になって呼び出しをした委員会!

S学園の園長は、事前に知っていながら、関係者に何も伝えず平気!

同学園長は、1998年度、保護者の要望書かきかえ、印鑑の不正使用という事件をおこし、保護者の前で謝罪し、今後について、「・・・・ひとりひとりに対して、どうゆうふうに就学に対して言動したかで判断していただきたい。」と発言していた。

そして、学園長は、

小学部の保護者には何も言わず、中学部の保護者を3月にS学園に呼び、「1年後になくなる。進路はどうするか。」と発言。
3月28日O県地方労働委員会S学園争議『あっせん』で、1999年度末で「子どもは12名減」と学園長発言。(幼児部の就学園児6名に小中の該当者6名を予定しているという意。小中がなくなることを計算に入れているとしか考えられない。)

4月から学園の小中に派遣された教員には「1年限り」と校長から言われていたとのこと。
したがって、委員会は3月から学園小中の1999年度末廃止を決めており、関係者に連絡していたと考えられる。


しかし、保護者には、いっさい連絡も説明もない。学園長は、その後、何があっても保護者には知らせず、小学部の保護者が9月に委員会に呼ばれても、自分は関係ないと知らんプリ?

同学園長は、3月には人事トラブルも引き起こしている。
同教頭は、S学園保護者に問題発言?

この異常ぶりに、カメ吉ついていけません!!!




その後

1.S市市長室

9月21日、保護者の方たちが、S市の市長と話し合う機会をつくる。
市長が教育長を呼ぶと、教育次長がやってくる。
市長が「どうにかならんのか」と言うと、次長は「県の指導」を繰り返す。

『保護者からの意見』として次の文書を市長、次長に出し、今後回答を求める。
その場では回答なし。


以下、保護者からの意見(文書)
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   保護者からの意見

 9月20日に保護者会を開催し、次のような意見が出ました。

○障害児教育に対し、なぜ広域的取り組みをしないのですか。
○学園が移転・改築をしても今まで通り、広域的に受け入れて頂けますか。
○学園の中学部が廃止になれば、必要に応じ、H中学校へ特殊学級が新設
 されるのでしょうか。また、希望があれば重度の子も受け入れて頂けますか。
○学校の受け入れが難しい場合、また学校に馴染めなかった子供の対応をど
 う考えられていますか。
○高年部は、移転・改築しても残るのでしょうか。
○各学校から学園に来てもらって、学園の子供を見て頂き理解してほしいで
 す。そういう、機会をつくって頂きたいです。(健常児にとっても、良い
 教育になるのではないでしょうか。)
○保育園・幼稚園にも障害をもった子供を受け入れて頂きたいです。障害児
 に対する知識を高める状況をつくって頂きたいです。
○今まで学園でやってきたものは、学園の小・中学部が廃止になっても継続
 されるのでしょうか。 (例えば、夏休みの問題)
○障害児の学童保育をつくって頂きたいです。(学童レスパイト)

 ノーマライゼーションを目指すには、障害をもった子供を理解する環境が
整っていなければいけないと思います。それには、障害をもった子供の親が、
常に声を上げていかなければならないという現実があります。どうか、御理
解頂き、よろしくお願い申し上げます。
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以上、保護者からの意見(文書)




2.委員会との話し合い

9月27日、S学園にて、教育委員会と保護者の話し合いが持たれた。
以下、保護者記録・・・・・・・・・・・・・・・・・・

派遣学級についてのS市教育委員会の説明及び懇談会
平成11年9月27日(月)
15:00〜 S学園F教室
課長より
 学園の小中について、皆さんから色々な意見を頂いたが、平成11年度で小中を解消させ
て頂きたい。分校、派遣形式、広域的取り組みと、こちらも検討してみたが、ハードルがあ
って難しかった。これからは教育と福祉は、一緒とはいかない。この問題は、昭和54年か
らの問題で、学校にするにはそれなり(30〜40名)の規模が必要。障害児教育は地域で
が、こちらの考えです。昨年度は、I小・T小・S小に一学級ずつ増えた。来年度について
は、幼児部の6名は地元へ、中学部の2名は学園へ希望と聞いている。最大限の配慮をして
いかなくてはならない。H中へ特殊学級を新設し、トイレ・教室の整備をしていきたい。こ
こ(学園)以外の教育を選んで頂きたい。学園の小中に1人2人となると、教育の場として
ふさわしいのか。子供にとっても、これから先の事を考えて、集団の中の育ちが大切ではな
いか。向こう3年間先、学園の小中は存在する事はない。途中の転校は好ましくないのでは。
スタート時点での受け入れが良いのでは。学園の移転・改築の補助金が今年度中おりるとい
う計画だったが、無理となった。補助金を受ける条件として、法人化する必要・派遣学級の
整備の2つの事をいわれている。

○小中を本年度中に廃止する事をなぜ今の時期になっていうのか。という質問の回答
 来年度の学級数を調べ、それぞれの進路について把握したかった。学園だけでなく、市
全体として考えたかった。この時期来年の予算を出すギリギリの時で、こちらとしても
不手際があった。

教育長より
 教職員の力量が問われる時だが、これから個々にあたっていく。H中の特殊学級の整備は
勿論の事、先生方の理解・教育の在り方・友達関係(生徒に理解させる)等、やらなければ
いけない。本人の身体の状況を把握してから、施設の整備をしていきたい。屋外からでも入
れるトイレ・特別教室の場所等、考えている。N中の受け入れの整備もしていかなくてはな
らない。学園のムード・暖かさをもっていきたい。介助員が必要な場合、県の加配では難し
いので、市費を投入していく事も考えている。学校の理解を求めていく。学園の小中を廃止
する事については、市当局から学園を移転しなくては困るという話があり、教育委員会でま
とめた。皆さんの気持ちを受け止めた教育をしていかなくてはならない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以上、保護者記録より




保護者からの感想
No.1
来年なくするぞと言うだけの報告だった。
強制的な言われ方・・・・。
学園長は何も言わない。悪いと思っていない。
この前の保護者の資料に対して答えも何もない。
署名を1万人も集めたのに・・・・。
責任感全くなし。

No.2
今までの態度を見て、親をバカにしている。
何を言っても、納得のいく答えはなかった。
やっぱり見下している。

No.3
9月に言うのは遅すぎる。
学園長は知ってたんじゃないかな?
ある保護者が、「補助金がほしいから、私たちを追い出したいんですね。」と言っていた。
1万人の署名をどう思うかと言っても・・・・ごまかす感じ。

No.4
保護者の一部の人たちに、「なくなると決まって、それからどうするのか前向きの話をしたかった。」との発言。
まだ(進路の)決まってないのに「人数を把握してないから・・・・」と言われたんでは納得できない。
保護者のみんなの考えを出す時間がなかった。「1時間」と言われ、さっさと切り上げられた。
委員会、学園長、教頭は、何を言ってもダメなので、自分の子どもの行き先を一生懸命考えている保護者の人が多い。
(委員会、学園長らとの話し合いは、無意味。S市以外の施設や行き先を検討している保護者もかなり・・・・とのこと。)
「『(学園から小中の子どもたちが)出ないと補助金が出ない』という話をストレートに聞くと、
(委員会に対して)『ひきょう、いい子ぶって・・・・』と思ってしまう。」
「委員会、学園長、教頭も、あんなんじゃから、言ってもしょうがない。」
「このままで終わるのはくやしい・・・・。」
と保護者の感想。



以下、カメ吉解説・・・・・・・・・・

まず、『保護者からの意見』に答えるんじゃなかったのかな?
どうしたのかな?って保護者はみんな怒ってますぞ!

「広域的取り組み」の話は、前記関連事項のところの通り、まったくやる気なしのくせに・・・・

「昭和54年から・・・・」と言いながら、これまで20年間放置しておいて、
しかも、一昨年まで「隣接別棟方式」でつくるとしていたものを
いきなり廃止と決定しておいてどういうこと?

最大限の配慮が、3月のI小のできごと?「就学希望とS市対応」のページ参照。

家庭の事情や、兄弟が学園にいてもう1年だけでいいから経過措置ができないか
という1人の保護者の希望に何も応えないの?

「途中の転校は好ましくないのでは」って言いながら、中学部の1人を中3から養護学校に転校させるって
どういうことかな?

「法人化する必要」って、現在社協に依託しているのを独立法人にしなくてはいけないって問題のこと?
これが、ほとんど何もできてなくて・・・・委員会の責任じゃなくて、市や社協、学園長の責任だと思うけど・・・・
(今年度中に法人化するとは言ってるものの、12月になっても理事も役員もまだ決まってないって
平気で説明してるね。今年補助金がおりなかったってのは、カメ吉は、独立法人化ができなくて
補助金の条件をクリヤできなかったのが原因じゃないかと考えてるよ。)

「なぜ今の時期になっていうのか」っての、議会答弁じゃないんだからはぐらかさないでほしいよ。
昨年12月に市長、教育長等との話し合いで、これからも話し合っていくとしたまま、その後9ヶ月間
何もなかったこと、
「9月までほっといて、今まで何やってたのか、遅いよ」って保護者のみんなが言ってるのに・・・・

H中の「特別教室の場所」って、一部1階にもあるけど、後全部2、3、4階で階段の上だよ。
どうする気?これまで長年障害児学級なかったから、施設の中は段差だらけで・・・・
かろうじて最近つくった体育館の一階に1個スロープがあるけど、体育館アリーナは2階で、
担ぎ上げる以外体育館にも入れないよ。

「介助員が必要な場合、県の加配では難しいので、市費を投入していく事も考えている」って、
ほんのちょっと前まで「1つでも加配をつけると、他もということになり、お金がないので1つもできない」って
平気で言ってたんだから・・・・いくらお願いしても「障害児学級に加配はしない」って・・・・
そして、学園とN小の間で大変な事態を引き起こして、一昨年からS市内で1人だけN小に市費の加配を始めた。
その事実を・・・・まるで考えてないんじゃないの?
カメ吉怒ってますぞ!ガォー!

学園小中の保護者は、過去にS市で小学校に就学しようとしたとき、
どれほどひどい扱いを受けたか・・・・そして、何人かの子は、S学園小学部へ・・・・
別の子は、S市はあきらめて、K市の通園施設へ・・・・。
(この話は、1998年12月、市長、教育長他S市の幹部とS学園保護者との話し合いで語られた。今後、HP作成検討中。)



3.保護者個人と委員会

ある保護者と委員会の話
(9月2日に委員会と話し、「私には教えてもらっていない」と怒っていた保護者の人)

委員会と話し合いのとき、「全体が終わってから謝りたいと言っていたのに、
どうなってるの」と学園に尋ねると、9月30日、学園で個人的に委員会の人と会うことになった。

委員会の人、
「小中がなくなるということは決定。」
9月2日には何も言わず、9月6日、別の保護者には、学園小中は来年度廃止と言ったことについては、
「すいません。」

「N養護学校ならば、バスを検討・・・・H中希望なら、H中へ」との説明で、
「思われているとおりにします。
H中に障害児学級ができるということ、望むのであれば(S市外であっても)H中でも受ける。
どうしたらいいか考えています。」との説明もあったが・・・・。
保護者の気持ちが分からないのか、委員会の人から、
「何が問題なのか言ってくれ」という質問まで出たとのこと。
保護者が、次々に問題点、疑問点を列挙すると、
委員会の人は、「はー。そうかー。」で終わってしまったとのこと。



別のある保護者と委員会の話

もう1人の保護者は、「家庭の事情や、兄弟が学園にいてもう1年だけでいいから経過措置
(何らかの方法で1年だけ学園に通わせてもらうこと)ができないか」と言っていますが、
委員会からは、「できない」とのみ回答。

10月、その保護者は、農繁期に入り、家庭の事情、仕事等で時間がとれなくなったこと、
また、自分の希望は、学園を通してきちんと伝えていること、
きちんとした対応が示されないままであること、
「保護者からの意見」の回答が得られないのであれば、委員会とこれ以上話し合う気はないと言っていました。
そして、自分の子どものことも大事だが、
今後同じような子どもたちが少しでもいい方向へ行くように・・・・と言われていました。

その保護者の方は、子どもが小学校入学時(6年前)、S市の委員会と3月までもめにもめて、
結局、対応の悪いS市をあきらめて、K市の施設に通園することになったのです。
そして、また途中からS学園小学部へ入りました。
そのいきさつもあって、委員会のやり方にとことん怒っておられる様子です。
それだけに、少しでも自分の気持ちを伝えておこうとか、
今後の子どもたちに良い結果が残っていくようにと、一生懸命考えられているようです。

その後、10、11月は、「委員会から何の連絡もない。いったいどうするつもりなんだろう。」と言われていました。

12月に入って、やっと委員会から話がしたいとの連絡があったそうです。
今後どうなっていくのやら、カメ吉不安・・・・。




4.補足 1999年10月28日

ある医院の先生から知り合いのS学園保護者へ質問された。
「相談にくる子どもたちが多い。S学園の療育相談には行っているが・・・・、
保健婦さんが『学園をすすめるのは御法度』になっていると聞いたが・・・・。
学園の状態はどうなっているのか。状況を知りたい。」

10月28日、保護者の人と一緒に学園を訪れて質問すると、学園長は、
「(学園のことを)聞かれたら言うが、保健婦さんからは言わないかもしれない・・・・。」と答えた。
「学園は、入りたい人がいるのに、入れようとしてないんじゃないのか?」の質問に、
学園長、「先生の人数がどうのこうの・・・・」
実は、S学園30人定数で、園児が30人に達してないとき、希望者を断ったことがある。
さらに、以前にも似たようなことがあったと聞いている。
相談にくる子どもたちが多いという医院の先生や保護者の間で疑問が出てくるのは当然である。
定数までは受け入れなければならないし、
そして、学園の先生の数は、子どもの人数が決まってから決まるものなので、学園長の発言はまったくおかしい。

その後も学園長の意味不明な話が続き・・・・
「学園は地味だがよくやっている。」と自慢し、就学のときも学園からの子どもはいいということを話す。
新しい学園について、「平成13年にできるかどうか(わからない)・・・・」と、学園長。
新しい学園は、消防署のところと聞く、「サイレンの音とかどうするんですか。」という保護者の質問に、
学園長、「徐々に慣れてもらいます。」
地元の学校への就学について、「 I さんのときのように、急に入れんとかいうことはないですよね。」
という保護者の質問に、
学園長、「もしそんなことがあったら、ぼくが許しません。」

    3年前、学園幼児部の子どもが、就学についてN小からいろいろ言われ、
    最終的に、学園小学部へ入学した。そのとき、学園長は、何をしたのか・・・・。

    また、2000年4月就学についてのページ参照
    今年、K小学校の情緒学級就学希望が出され、情緒学級新設の話が進んできていた中で、
    委員会が「K小学校の情緒学級は新設しない」という意向であることが伝えられたとき、
    学園長は、何をしたのか・・・・。