し作ってみました。
9月中旬の写真です。4月末 同じ日の播種ですが
こしひかり(後方)の刈り入れ時に、ようやく花が
咲く赤米(手前)。穂が出るのは1ヶ月以上 遅い
古代に この遅い稲(晩生)が北日本でも作れた?
古代では、早生なら 二番穂も摘んだかも? (^_^)
今の作り方・肥料とはいえ 丈も普通の稲の 1.5倍
とかなり高い。古代でも 作りにくかったのでは?
現代では 普通の稲と自然交配をして遺伝子をばら
まいてしまう、白米の中の雑草?
お米をとる稲には、田んぼに田植えをして秋に収穫する「水稲」と普通の畑にもで
きる「陸稲」という種類があるのですが。
我々の世代が教科書で教わってきた「縄文時代=狩猟・採取の時代、弥生時代=水稲
耕作(稲作)の始まり」が、どうも 古くなっているようです。
以下、DNA 分析で有名な佐藤氏の「DNA で古代の作物を追う・JT生命誌」の項から
弥生期における低地の水稲耕作に先だって、焼畑農耕とともに伝来した陸稲耕作が行
われていた可能性が濃厚 と考えられています。
縄文時代のものとみられる米粒(あるいは籾)は 以前から報告があり、そのたびに
縄文稲作の可能性が語られてきた。が 縄文稲作論は日の目をみることがなかった。
その理由は、当時の水田が見つからないためだった。稲があるのに水田はない。
この一見矛盾した二つの事実を 同時に満たす答えは「陸稲」である・・・。
弥生時代の遺跡から出土した炭化した米の遺伝子を分析することで、古代の米の品種
を特定した。その品種とは「熱帯ジャポニカ」という陸稲に適した品種であり、現在
の日本の米の品種である「温帯ジャポニカ」とは 別の品種であった。
さらに現代の米に含まれた「熱帯ジャポニカ」の遺伝子の痕跡から、縄文時代に「熱
帯ジャポニカ」が 中国大陸から南西諸島を通ってやって来た事、さらにその後「温
帯ジャポニカ」が 朝鮮半島を通って日本にやって来た・・・。なるほど。
つまり、稲作りは 原始的な湿田から乾田開発へ移行していったのではなく、当初
から乾田耕作していたことが 明らかになりつつあるようです。
縄文時代も、約1万3000年前に始まり、2500年ほど前まで続いた 激しい気候変動の
先史時代とか。縄文文化は、弥生の稲作文化と そんなに異にしていたの?。或期間
この二つの文化は 併存したの?。将来 稲作起源を 1.000年位さかのぼる稲の細胞
化石も発見されるのかな?・・・。ロマンです。
ちょうど刈り入れ中の 陸稲の写真です。11月上
旬ですから かなり晩生です。岡山県の西部の棚田
(段畑)ですが、実際に陸稲を見たのは初めてでし
た。陸稲は「おかぼ」とも呼ばれます。丈は 思い
のほか低く、麦のように直播きです。熟れた株から
刈っていき、その場で立てて 干されていました。
味は 美味しくないそうです。でも 米が主食にな
ったのも戦後のことですし、十分 (^_^)。稲の伝来
以前、古代は 三穀(アワ、ヒエ、キビ)が主食?
全国農業協同組合中央会が 子供たちに「バケツ稲づくりセット」を無料配布して
います。小学校を中心に 昨年は全国約 2.400の学校で実施したとか。自宅でバケツ
稲に挑戦できるよう、個人の申し込みも受け付けているとのこと。いかがですか?
我が家の赤米作りも、刈り入れが遅いため 全て昔ながらの手作業になりました。
春の七草粥は この赤米(玄米)を使いました。少し暖かくなったら 赤米玄米酵母
の自家製酵母パンを作るのを 楽しみにしています。