御影堂をクリックして誕生寺へご参拝ください                        

 浄土宗の開祖・法然上人の生家跡に建つ誕生寺は、上人が唱えた「西方浄土」の世界を形にしたものともいわれている。極楽界、安養界などともいわれている浄土は、阿弥陀仏が人々を救うために創造された世界で、そこにはけがれや迷いが一切なく、永遠の安らぎがあるといわれる。どんな人々であろうとも、念仏を唱えるならば行きつくことができる真・善・美の極まる世界。それが誕生寺なのだ。
 浄土宗では、上人の御誕生から御入滅に至る主な遺跡25ヵ所を「法然上人25霊場」と定めているが、誕生寺はその筆頭に挙げられる格別の聖地とされ、全国からの参拝者があとを絶たない。
 国の重要文化財の山門や御影堂のほか、境内には法然上人産湯の井戸,御誕生の奇瑞を伝える椋の木、敵将の定明が幼少の法然上人・勢至丸に弓矢で射られた目の傷を洗ったことに因む片目川、上人お手植えの公孫樹などがある。
 山門をくぐった左手の宝物館には、仏像・絵画・書物など仏教に関係した宝物や、太閤釜(天正7年安土の仏法問答の際、太閤秀吉公から承った茶釜)・5代将軍綱吉の御朱印状など、文化や政治的に興味深い宝物数十点が展示されている。

悲恋の恋娘
 宝物館には意外なことに、江戸の大火(振袖火事)を出して処刑された八百屋お七の振袖と伝えられる衣装がある。このめずらしい品が誕生寺に保存されているのは、元禄12年(1699)に江戸回向院に出向いた15世法主の通誉上人に、大火を出したお七の恋人・吉三郎とお七の遺族が、位牌と振袖を持参して供養を依頼したものとされている。
 通誉上人は、位牌・振袖を誕生寺に持ち帰り、境内の観音菩薩の前で、恋人・吉三郎との思いを成就できなかったお七を「当菩薩宝前にて今後、切実なる願いを持った祈願者あらば、その願い必ず成就される様」と開眼供養をした。観音堂は、以来「お七観音」として親しまれている。
 その後、この振袖は、寺で人目にふれることもなく保管されていたが、ある催しに展示したところ、八百屋お七の振袖を見た女性たちが、その情熱的な恋にあやかりたいと、振袖の糸を少しづつ抜いて持ち帰ったといわれている。現在も色、柄ともに鮮明な振袖が、燃える恋物語を今に伝えている。