昭和30年(1955年)、西日本を中心に発生した、森永乳業の粉ミルクによる世界最大の乳幼児大量死亡被災事件。
猛毒のヒ素が混入した中和剤:第二燐酸ソーダ(アルミ精製工場からの産業廃棄物由来)を、製品が新鮮であるかのように見せかける目的で、赤ちゃん用粉ミルクに安定剤として添加したために発生した未曾有の砒素中毒事件です。
(中毒被害の実態については順次アップしていきます)
被害者への徹底的圧殺を開始した森永乳業
事件の悲劇は、中毒被害にとどまりませんでした。加害企業である森永乳業は、反省するどころか、逆に事件発生直後から、救済を求める被害児の親たちに対して、陰謀を駆使した激しい弾圧を加えはじめたのです。
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産・学・官が一体となって病苦に苦しむ赤ちゃんと親を封殺
更に悪質なことに、事件が発覚したあと20年弱にわたって、森永乳業は、国・行政と医学界、そしてマスコミ(は14年目から報道合戦)までをも、周到な計画で抱き込んだのです。その中で、「赤ちゃんがヒ素を飲んでも後遺症など発生しない」などという、現代ではおよそ考えられない非科学的な「結論」を、医学界を動員して流布しました。国、医学界、メディアを囲い込んで被害者家族の訴えを社会的に「黙殺」させ、「問題は何もない」「事件は存在しない」と、社会的抹殺という手法で徹底的に弾圧し続けました。森永によるあらゆる手段を動員した工作で、「被害児の親は、後遺障害で子供を病院へ連れて行っても、お腹をポンと一回叩かれて“風邪です”といわれ」、決して後遺症を示すカルテが作成されないという、今では想像しがたい状況下で放置されたのです。事件を「存在しないもの」として封殺する、非人道的な仕掛けが全国津々浦々まで張り巡らされたのです。
また、「問題は何も解決されていない」と被害の実態と救済を必死に訴える被害者家族へ、もう一方の被害者の親を買収して襲い掛からせ、「内紛」を演出して国民と切り離し、陰に隠れて糸を引きながら、被害者を自滅させようとする巧みな手法も、この事件から開発されました。
あきらめなかった岡山周辺・数家族の親。被害抹殺=14年間の暗黒時代
事件後、西日本のわずかな数の親は、社会の無関心に屈せず、運動の灯火をほそぼそと守り続けました。被害者圧殺の年月は10年を越え、世間は、森永ヒ素ミルク事件をすっかり忘れ去ってしまいました。もしかすると、その圧殺と封印は、20年、30年、いや40年にもわたっていたかも知れません。
しかし、少数の親たちは、孤立無援の中でも、「何十年かかってもかまわない。被害は厳然と存在する。この子たちの姿を見よ。それが唯一最大の証拠だ。森永がいかに正義と人道を踏みにじり、社会をだまそうとも、子を思う親の気持ちを奪うことは決してできない」と励ましあい、一歩もひるむことなく、社会への告発を続けました。
日本小児科学会へ押しかけた被害児の親。14年目からの激闘
14年後、あるきっかけで、事件が再び世の光を浴びました。
マスコミが森永ヒ素ミルク中毒事件を取り上げたのです。公害が許される時代から、許されない時代へと変化が始まっていました。しかし、それでも森永乳業は大企業。まったく親への弾圧をやめないどころか、より激しい攻撃を加えました。再度、医学界を使って、「後遺症なし」の発表まで企図しましたが、親たちは日本小児科学会の会場に百姓一揆のように押しかけて抗議しました。
「百姓一揆も辞さず」…
パンと水の飢餓状態、それでも、買収や甘言に乗らなかった、親のひたむきな愛
米を担いで野宿覚悟で請願に走り回りました。少数のリーダーたちは、私財を投げ打ち、家族と子供たちは、夜中まで機関紙の折込や発送作業、時には森永告発のマッチを売ったり、カンパの先頭に立ったり、ガリきりや謄写版印刷、ガリきりで肩や腰を痛める親の介抱などを手伝いました。人並の平穏な生活はついぞ不可能でした。会議会議の連続、膨大な通信連絡。連日、仕事を終えて帰宅してから、日付を越えるまでの激務。それに加え、生活費がなくなり、パンと水で飢えをしのぎながらの生活…。被害者家族が一丸となって、正義と人道のため死にもの狂いで闘ったのです。
「天使のマークで悪魔の所業」
「森永製品不買運動」全国へ拡大。倒産の危機に直面した森永乳業
一方、メディアが堰を切ったように報道を始めたことで、国民は、大昔に終わったと思っていた森永ヒ素ミルク中毒が、「存在」していることを知り、驚愕したのです。天使のエンゼルマークと正反対、悪魔の企業の悪魔の所業だと、多くの国民や心ある知識人・芸術家は、怒りに震え、論文、アピール、更に文学や、詩、小説、童話、写真などあらゆる表現方法で森永乳業を弾劾しました。森永製品全面不買運動が全国に広がり、森永は倒産の憂き目に。国に泣きつき、厚生省が突然仲介交渉を被害者組織へ打診、和解交渉がスタートしたのです。森永乳業は、被害者の親たちから、恒久救済を被害児の人としての復権に完全かつ惜しみなく支援をすることと引き換えに、存続をかろうじて許されただけなのです。
しかし、大企業森永は、絶えず大量の血が入れ替わる組織体、しかも構成員はビジネスという一点だけでの結びつき。本来、被害者団体の価値観とは正反対です。被害者団体と一度約束しても、それを組織体が、恒久的に守るかどうかは誰も保障してくれません。つまり被害者側に一瞬の油断も許されないわけです。被害者団体側が歴史に学び、被害者第一を考え、厳しいモラルと、真摯で開かれた心を持ち続けなければ、森永乳業との交渉などできるわけがありません。
運動のリーダーであった故岡崎氏は、和解と救済のスタート以降も、様々な状況から、森永が決して心を入れ替えているようには思えない、むしろ少しの隙とチャンスさえあれば、何事かを企図していることを肌で感じ警戒していたようです。
森永乳業は、“相当な”大企業ということなんでしょう。
(※1)
「救済事業」のスタート後、まもなく運動創始者の親へ排除策動
そのことと関係があるのか、ないのか…。
救済機関「ひかり協会」が設立され、多額の金銭が森永乳業から拠出されはじめると、にわかに、今度は、当の被害者救済団体の中で、おかしな動きが出てきました。
救済団体専従職に職業活動家的集団が入り込み、資金配分の方法に関して道義的に不健全な傾向が発生し、それが、本来の被害者団体にも影響をもたらし始めました。
運動の正史を伝える唯一の書籍、『森永砒素ミルク闘争二十年史』の刊行作業も、「守る会」の正式決定で開始されたにもかかわらず、にわかに、非協力的な動きが生れてきました。「歴史歪曲」を基礎としたマインドコントロールを基礎に組織統制権を奪取し、管理しようとするのは、イデオロギー勢力の常套手段でもあります。
救済事業の異変に気づき、それを指摘・是正させようとした故岡崎氏は、組織内から非常識な中傷と迫害を受け、機関紙編集権を良かれと譲渡した途端に、紙面を大規模に割いての徹底的な運動創始者への人身攻撃が開始されました。
運動を支えてきた親は、組織内の言論圧殺を悟り、正常化のため、最後のこころみをする過程で「除名」追放されてしまい、まったく異質な人々が組織統制権を牛耳ったのです。まことに鮮やかな政治謀略のプロの手法です。
公害被害者救済団体自身が、変質するという新たな問題
恩義も、親の苦難の歴史の継承もかなぐり捨て、金の取り分や権力のみに関心をもつ勢力が復活したとの見解があります。
被害者団体が、閉鎖的運営を基礎とした思想的なものにいったん乗っ取られると、見事な独裁的かつ画一的統制が長期にわたって可能となる悪しき前例もできてしまいました。とくに組織内への宣伝扇動は徹底しています。
森永は「立派な公害企業」???
森永が毎年億単位を資金を拠出しているのをみて、「森永乳業は立派な会社」と国民世論を誘導するキャンペーンが一部で試みられています。
森永はロゴに、天使を表すエンゼルマークを使っています。
では、公害企業のなかで、森永乳業だけは、それほどまでに賞賛されるべき例外的企業なのでしょうか?
この20年ほどの間の被害者団体の「奇妙な沈黙」、そしてあたかも「あの運動は私が指導したんだ」といわんばかりの「物語」を展開し、「森永乳業は立派」と吹聴する著名人の言説は、悪意があるとは思いたくないものの、国民に対しては、“ある”感覚を醸成させる効果を発揮しました。
当然のことですが、その話に耳を傾けた良心的な多くの方々には、何の問題もありません。報道・出版人とても、「奇妙な沈黙」の中で、「美辞麗句」を背景に20年以上隠されてきた森永ヒ素ミルク中毒事件の救済をめぐる陰惨な現状を正確に理解できるはずがありません。
しかしその文脈には「不十分な説明によるあってはならない誤解の誘発」という作用が含まれていることはご理解いただきたいと思います。現実の実態とかけ離れた「美談」やそれを補強するための「断片的事実の選択的羅列」は、事件の教訓化とは別次元の話です。
もちろん、運動は、弁護士が指導したのではまったくありません。
森永は仕方なく合意しただけ。
歴史の真実は違います。
今、森永乳業が毎年、億単位の金を出さざるを得ないのは、「恒久救済対策」(当時)という世界初の異例の政策を、加害企業が仕方なく飲まざるをえないほど、被害者の親の怒りと運動が激しく、赤ん坊を殺して更に反省の色のまったくない企業への国民の驚きと怒りが、親の運動を支援したからにほかなりません。(「森永告発」というネットワークで支援した多くの市民や学生も、国民的支援のなかでの大きな存在でした。当然の事実です)ありとあらゆる広範な国民とメディアが、森永を徹底的に弾劾したのです。
だから森永は、自ら和解のテーブルにつくことを望み、毎年金をだし続けるということに合意せざるを得なかった。ただそれだけです。
森永が和解のテーブルについたこと自体は、「付かないよりはまし」という程度に評価しますが、ついていなければ、森永は短期間の間に潰れていただけであり、おそらく、当時の情勢の中では、資産を解体処分され、それでは間に合わない分は、政府責任がさらに追加されて国民の税金も投入され、別の形で戦後最大規模の救済基金が設立された可能性のほうが高いにすぎません。なぜなら、当時の被害者の親と国民は絶対に、森永も国も許さないと心に決めていましたから…。森永が自然崩壊したからといって、救済運動はおさまるはずがありませんでした。「食品事件は公害には該当せず」との現在の政府のいい加減な食品行政への認識も、もしかすれば、その時点で変わらざるを得なかったかもしれません。
1万人以上の被害、被害者を14年以上にわたって弾圧した悪魔の所業は簡単には償えない。
更につけ加えるなら、その親と国民の怒りの激しさは、前述のように、赤ん坊を大量に死に追いやり、更に膨大な重症者を生み出しながら、一片の反省もせず、金の力を悪用し、非人道な弾圧を約20年にわたってやりまくったという悪魔の所業が招いたものです。
今、森永乳業が存在していること自体、心の中では許しがたいことだと思っている遺族もいます。それが肉親を奪われ、今も脳性マヒや半身不随で苦しむ子供を介護する年老いた親や、家族兄弟たちの真実です。「森永と被害者は、今では仲良し」???そんなことを口にし、公言する感覚には、あいた口がふさがりません。
逆に………この暗黒の事実と歴史を捨象すれば、すべての問題が主客転倒しても、変だと思えなくなる。そこが歴史の歪曲の恐ろしいところです。「歴史の学習」も内容こそが問題で、悪用すればマインドコントロールのツールです。こういった問題は公害事件にかかわらず、身近な様々な問題にも共通していることは、賢明な国民の皆さんには、ご理解頂けると思います。
歴史とはなにか?
苦悩の歴史を捨象すれば何が起こるか?
歴史学者のレオポルトランケの言葉
「歴史は明日の生活に役には立たないが、永遠の賢者にしてくれる」
これは、逆も新なりで、
「明日の生活しか考えず、歴史を忘れるものは、永遠の愚者になる」
というわけです。
(歴史を忘れるとは、歪曲歴史観の創作も同義)
一般的に、ずる賢い政治屋は、この傾向を逆手に取ります。管理対象を生かさず殺さずという状態、つまり敢えて「明日の生活にも窮するような状態において」その上で「歴史の断片的事実を膨大に羅列し、口にしながらも、もっとも重要な歴史的事実だけは徹底的に改ざん・黙殺・捨象し、結果的に歴史への記憶をゆがめ、いま行われている嘘が嘘で思えなくさせる精神的土壌を整備する」ことで、不健全な統制支配に対して骨抜きにし、月々の金銭支給や利益誘導に主な関心を持たせ、首輪を掛けたような管理支配をします。まさに重症者の弱みに付け込むところの、本来、加害企業の側が活用してきたあくどい手法です。
最近、新聞を見ていても“公害企業やイデオロギー党派は、何度被害者を食い物にすれば気が済むのか?”“美辞麗句を叫び表向き大企業と政府批判を売り物にする集団は、どこまで二重人格党派なのだ”、と暗澹たる思いになります。
(以上※2)
「美辞麗句と体制批判を売りものにして生活する政治集団」の党利党略と裏切りの病理
我が国から食品公害や食をめぐる不祥事があとを絶たないわけは、単に「悪党が存在している」だけでなく、「自党に都合のいい悪党とは取引し、国民に隠れて免罪符を与える極めて陰湿かつ巧妙な、弱者救済という名の弱者裏切りの病理」を含め、どうもこのあたりに源流がありそうです。つまり、こういう状況は、いくら「批判的言辞」が踊っても、真の牽制でもなければ、真の批判でもないという、危機と危険の進行を助ける効果です。
巧妙に演出される被害者と加害者の「蜜月」ドラマ。
今では森永乳業との「蜜月関係」を救済団体のほうが誇らしげに語り、一面的窓口取材で制作された森永乳業礼賛の番組も流れました。
一方、現実は正反対。重症被害者の親から、「重症者への人権侵害的措置が続いている」として、救済団体のほうが訴えられる事件が相次いています。内部告発や、第三者による厳しい批判も後をたちません。(以上※3)
(※1、※2。※3 故岡崎哲夫「重度障害被害者の切捨て等に関する告発文書」より。
森永乳業と救済機関の客観的な関係、守る会とひかり協会との関係については、『技術と産業公害』の最終章「2 残された課題」に重要かつ明快な指摘がなされています。
現団体が森永乳業をいかに持ち上げようとも、いかに美談のちょうちん番組が流されようとも、現実社会の関係ではシステム的に通用しない「ごまかし」であることが、ご理解いただける極めて精緻で秀逸な論文です。
したがって、現代の私たちにとって、森永を必要以上に持ち上げる姿勢は逆に、あることを証明してしまっている、と判断できることになるわけです。)
「被害者への同情心」を逆手にとって、運営姿勢への批判を排除する本末転倒のモラルハザード。
同事件は、世界史上類例のない食品公害として、いまだに戦後史を貫く大事件であり、教訓化すべき内容が膨大にあるはずです。
が、当の被害者団体が、まるで「寝た子を起こすな」とも見えるような姿勢からか、社会へ警鐘を鳴らす活動を積極的に実施しないため、国民への教訓の還元がほとんどなされていません。
巨大な国民世論のおかげで、かろうじて救済機関が設立されたにもかかわらず、受け取った果実にあぐらをかき、国民への恩返しをしない姿です。
このような状態が少なくとも1980年代初頭から20年以上続いています。かつて、森永ヒ素ミルク中毒事件の救済が、まことに円満に推移しているかのような話を美談にして流布する向きもありましたが、本人の主観的意図はともかく、現実に存在する深刻な問題を見事に隠蔽する奇妙な効果に繋がった、という指摘もあります。
「救済」開始から20年以上続く不可解な問題。公害被害者は何度圧殺されるのか?
この20年あまり、死亡被害者遺族や良心的な旧支援者は、心を痛め続け、食の安全を脅かす事態の再現をも心配していましたが、案の定、そうした中での、最近の類似事件の頻発です。
現在の被害者団体や「救済団体」を被害者自身がどう正常化するかは、彼ら自身の課題ですが、一般国民として食の公害事件の歴史教訓の継承に関しては、もはや当事者団体には期待できず、任せておくわけにもいきません。
森永乳業は、現在も全国的大企業として存在を続けている。
この意味するところは何か…。
表向きの「解決」と「恒久救済」という美名の裏で、およそそれとは正反対のドロドロした不可解で陰湿な動きが、未だに展開されている事件、それが森永ヒ素ミルク中毒事件であることを、痛恨の思いで国民の皆さんの前に明らかにします。
まさに、公害事件には、被害者と加害企業の間に「歯の浮くようなきれいごとや美談」はありません。それが、公害問題の真の深刻さと教訓かも知れません。
世代交代を繰り返す大企業の私的利潤追求原理と、「大企業批判で生活する」マインドコントロール型イデオロギー集団の融合。
一般的に申しあげて、日本の公害事件での企業側の反省のなさ、機あらば被害者を抱き込み支配し、圧殺しようとする傾向、問題の根深さ、公害事件をイデオロギー闘争に利用してきた55年体制の後遺症や、近寄ってくる思想政党の変節と退廃が企業との暗黙の癒着に行き着く奇異な現象、救済組織が仮に特定の党派に私物化された場合、一体、改革の可能性があるのか?
それは公害の再開に近い苦悩を被害者にもたらすのに、先進国は、それを是正する力があるのか?など…、我が国の戦後史の抱える闇の側面が複雑に絡んで集大成された「問題の塊」それが、今新たな公害問題での「先進国病」ともいえる現象を生み出しています。 これが、「アンタッチャブル」として扱われ続けるかぎり、模倣犯が増えていくことは容易に想像できます。問題はわかりやすい「悪党」よりも、「悪党を表向き批判しているはずの偽善」の中にこそ、もっとも大きな嘘があり、それは、もはや無党派の市民主義の感覚でなければ浄化されないほど腐敗臭を撒き散らしているのかもしれません。
公害被害の本質はなにか?
歴史を振り返るときです。
「被害者は死に続ける
森永は生き続ける」
この資料館の冒頭のメッセージは、なんら感傷的なものではなく、現実に公害事件が解決されず問題が拡大再生産されていることを象徴的に告発したものです。
もっとも声を上げることが困難な、重症被害者にしわ寄せが集まり、何度も苦しみをよぎなくされるという、理不尽が蔓延しているのです。(以上※4)
恒久救済の名の裏で、被害者は恒久的には救済されていないという事実が、「慢心」を復活させる。
食の安全をめぐる問題がまったくあとを絶たないのは、被害者を生み出しても、大企業は解体されることはないし、国は救済事業の正常化への監督を発揮しないから、たいして困らないという「成功体験」が、日本の大企業に息づき?、それらの象徴的事例を他の企業が本能的に見習っているからではないか、との指摘もあります。
現状は「食の危険」を象徴する事態、との見方も
むしろ、このような「偽装的美辞麗句」が作為的に作られ、一部の心ある国民に対してさえ、問題の深刻さが隠蔽されることこそ、最大の問題です。
森永事件の「和解」後の救済機関をめぐる陰惨な実態は逆に、「食の危険」を象徴している姿だとする意見があります。
情報公開と透明性を否定し、独裁的支配と情報封殺を好む傾向こそ、企業の大不祥事の温床であることは、みんな知っているにもかかわらず、正義とか革新とか、まことに美しい言葉を羅列する勢力が、それを採用している。民主主義や平和の本当の危機は、そのほうにあるのかもしれません。
一部の日本の公害被害者が、一刻も早くそのような「欺瞞の呪縛」から解放されることを願っています。
日本人全体の正義と良識、自由と民主主義、公害を起こさない安全な未来をどう作るか、に係わる大きな意味をもった問題であり、黙認はできないと考えています。
【資料館の基本的立場】
当資料館は運動体ではありません。食品公害の教訓を、救済運動史含め、学術的見地から後世へ継承することが主目的です。
当館は、恒久救済対策案を創案した故・岡崎哲夫氏の遺志に基づき設立され、死亡被害者遺族によって運営されている非営利・非政府組織です。
※
なお、当館は、現「救済」団体とは組織的関係を一切もっておりません。
救済組織の運営にあたり、不偏不党・透明性と情報公開の原則を主張する故岡崎氏をはじめとする親たち、そして被害者本人をも大量に、政治的手法で次々に「除名」し、排除し、物言わぬ人間だけで統治し続けるところの現団体とは、公序良俗、社会的モラル、民主主義・言論の自由・救済事業のあり方等々などの全般に関して、理念を全く異にしております。
また、一般論になりますが、公害被害者救済運動及び市民運動に対する「民主集中制」的党派勢力の介入と、乗っ取り私物化、それによる組織の独裁化に関しては、不寛容の立場を取っております。加えて、目的のためには、それらのイデオロギー党派による独裁支配を利用する背景関係者には更に注意深い観察と分析を行っております。
写真:森永乳業と国、医学界が三位一体となっての14年間にわたる圧殺に屈せず、救済運動を守り続けた、少数の被害者家族たち(資料館所蔵) 横断幕には、「森永よ、子供を元に戻してくれ!」と書かれている。親の願いであり、恒久救済対策の原点といえる理念が、この時期に形成され、理論化された。
救済の現状は、資金配分に矮小化されたと言われるが、その配分方法一つをとっても、2級の被害者のほうが、より重症の1級の被害者よりも受け取り年金額が多いなど、主客転倒の深刻な道義的問題点が指摘されている。「恒久救済」の本来の理念や理論を見出すことはできず、公害被害者救済における先駆的な要素は救済機関設立後まもなく失われ、むしろ重症被害者の家族との矛盾が拡大している。また、一方では、「先駆性が既に失われたにも関わらず、“恒久救済という美名”だけが一人歩きし、加害企業の側を公然と美化し、被害者の声を封殺することに悪用されているのではないか」「逆に食品公害の教訓化の作業を阻害しているのではないか」との厳しい批判がある。
(以上※5)
(※4 ※5 ルポルタージュ「紙のいしぶみ」他サイト内紹介論文より)
以上の解説でのご注意事項
現在資料館では30万ページ以上にのぼる膨大な事件資料の解読作業を実施しつつあり、新しい事実の発見にともなう新しい解釈が日々、付加されつつあります。
上記の解説は、当サイトへのデータアップロード時点での資料館としての知見であり、今後少しずつ変化発展する可能性を含んだものであることをご承知おきください。
以上
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精神状況はこの時代に逆戻り
全森永製品不売買運動の訴え(1973 森永ミルク中毒のこどもを守る会)事件の前半について4ページほどで簡単に紹介されています。
現在、当時の御用学者を、再度社会の表に登場させ、礼賛するといった、歴史改ざんの動きが各方面で進められています。
戦後日本初の御用学者組織
西沢委員会(6人委員会)
『砒素ミルク1』前編
9頁-23頁 + 71頁-74頁
『砒素ミルク1』後編
173頁-186頁
森永ヒ素ミルク中毒事件
発生から50年
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上掲レポートで紹介されているように、森永ヒ素ミルク中毒事件では三つもの強力な御用組織が作られ、被害者抹殺を実行した。
「5人委員会」7P
「赤ん坊が砒素飲んでも後遺症は無し」+「森永は被害者」論発明で、加害企業を無罪へと導き、世論を完全に誘導し切った。
「6人委員会」10P
御用小児科医師グループ
後遺症もみ消す「診断基準」作成し、後遺症の表面化を阻止。
「森永奉仕会」11P
大学への研究費ばら撒きで、医者の口封じ(現在も存続している)
事件の詳細は
学術論文Tコーナー
所収
「森永ヒ素ミルク中毒事件50年目の課題」
「食品のリスク評価と専門知の陥穽に関する歴史的考察
─森永ヒ素ミルク中毒事件を中心に」
学術論文Uコーナー
所収
国連大学「技術と産業公害」が簡潔にまとまっています。
デジタルアーカイブコーナーには、
事件当時の重要文献の無料公開のほか
現在進行形の歴史歪曲の動き、被害者団体や救済基金による被害者家族への不当な言論抑圧など、救済資金や政党政派の絡んだ、金と権力をめぐる深刻な問題点についての所収論文が多数あります。
当資料館は運動体ではありませんが、森永事件に関しては、歴史の全体像を偽造・歪曲しようとする行為が数十年以上にわたって、長期に続いており、看過できません。
また過去の歴史的検証を通じて、「現在の問題」すなわち、「和解したから事件は終わった」「救済基金ができたから現在は問題ない」「円滑な救済が実施されている」「被害者は喜んでいる」というような、誤った言説の流布へも、その背景意図を含め、具体的事実を基にした分析的アプローチを続けています。
現在生起している事象も、次の瞬間にはすでに過去的事象となるという歴史学上の視点です。
【再考】
2009年の奇妙な報道
「どこかでシンポジウムが開催されます」
知る権利のないシンポジウムが読者に告知されている。「会議の開催場所を「非公開」にしなくてはならない理由とは一体何なのか?」とのコメント有り。
何に口を閉ざし、何を語っているか?
問題点は、
1.歴史的事実として明確になっている幅広い国民と諸機関からの多大な支援の存在に敢えて触れない。
2.現在の「救済」団体の異常な実態、厳しい被害者の現実と極めて不十分な処置のカラクリに関しては完全に黙秘し、「美辞麗句」で埋め尽くされた断片的な過去物語を語り、救済機関の現状賛美で締めくくられている。
3.熾烈な戦いで得られた成果を私物化するために、基金設立後、「既得権益化」を批判する被害者団体リーダーを邪魔者として徹底攻撃、追放したことについては、一切口を閉ざしている。
昔「何をしたか」以前に、現在「人としてどうなのか」といった次元の話です。
「歴史は繰り返す」ですが、ある歴史学者の言葉によると
「歴史を繰り返す時、絶対に古いやり方では繰り返さない。昔とは違った新しいやり方を開発して繰り返す」とのこと。
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