東日本大震災 ─
復興への努力は、まだまだ続く…。

広大なエリアが津波で流された岩手県・陸前高田市の中心部

 昨年3月11日に、わが国を襲った未曾有の大震災。
 私は昨年8月、岡山県の60名の青年たちと、1週間、岩手県陸前高田市へ赴き、ガレキ撤去のお手伝いをさせていただきました。参加者は岡山市内の高校生・大学生・社会人。

 片道17時間をかけて翌朝到着した現地…。バーチャル
35度を越す猛暑日の中、津波で塩漬けになった田んぼのガレキを撤去する100人以上のボランティア。
な画面で見るのとは全く違う光景がありました。休む間もなく作業に突入した青少年たちは、みな、現実に打ちのめされました。

 連日、33度を越す猛暑日の中、熱中症と怪我に備え、看護師が2名付きました。釘やガラス片が散乱する状況の中、全員の長靴に鉄板製のインソールをセットして釘の踏み抜き事故に備えました。重いものを運び、汚れることをいとわず、骨の折れる作業を率先して、生き生きと行う若者たちの姿は感動的でした。 未来は若者が担う。人づくりが今ほど大切になっている時はない、そして、一人ひとりの人間の質が今ほど問われている時はない…そう実感しました。
猛暑の中、リーダーの指導のもとガレキ撤去に向かう岡山県の青年ボランティア

 被災した現地に立つと、全く違う現実が見えてきます。暑い時期や寒い時期では、ただでさえ足りないボランティアの数も少なくなります。広大なエリアを埋め尽くす瓦礫も、実際には、人々の生活の痕跡ばかり。しかも表面を取り除いても、その下に更に、深く深く、痕跡が埋まっています。過去の震災が地層として確認できるという科学者の指摘も納得がいきます。海岸から樹林の奥深くまで津波がおしよせ、塩漬けされた森林は枯れ死を待つだけとなっています。塩をかぶった田畑の再生を誰がするのでしょうか。
「忘れない」と言われつつ、忘れられる被災地の現状。仮に大型のガレキが撤去されても被災者の故郷の復興には程遠い。

 映像と現実との乖離はあまりに大きく、表現が困難なほどです。しかし、その乖離を直視することが、私たちにはもっと必要だと思われます。実際、被災地では、復興ビジョンなどは、まだ程遠いように見えます。石巻モデルといわれるシステマティックな救援復興活動が展開されている地域もあれば、忘れ去られたかのように原始的な対処を強いられている地域も存在します。

 私たち、市民、青年が担うべきテーマは無数にあります。
 多様な人々が、問題意識を旺盛に持ち、得意分野を深めて、お互いに広く緩やかなネットワークを形成し、それぞれのスタイルを持ちながら多元的に社会にかかわっていけば、大きな改善が可能となります。
樹林の奥まで流れ込んだヘドロの中から被災
者の生活用品を掘り出す高校生ボランティア


このような「一隅を照らす」活動を市民社会的視点から再定義すれば、旧態依然の政治がなしえない、それとは本質的に異なった、未来志向の市民のテーマが無限に発掘されてくるでしょう。
 本年が、わが国の精神の再興にもつながるよう、研鑽を積んでいきます。









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森永ヒ素ミルク中毒事件の概要は、以下の文献、当サイトの学術論文アーカイブからも、ご覧頂けます。

↓現在の問題点にまで踏み込んだ能瀬英太郎氏のレポート



↓能瀬レポート 英語版  (Nose Report)
The Morinaga Milk Arsenic Poisoning Incident  50 Years On   by Eitaro NOSE


表向き「公正中立」を偽装して登場した「第三者委員会」が、被害者を無視して勝手に作った不正な「診断基準」。その文中に使われた「原病」という表現についての解説つき。↓
能瀬レポート日英対訳版 
まだ解決を見ない日本の戦後初の産業公害 
PDF:136KB 
(著作権Free: 英語教育の教材等ご自由にコピーしてお使い下さい。)

(日本における第三者委員会方式は森永事件以降、常用され、水俣病でも被害の隠蔽に活用されるようになるという要注意なもの。)

東電・福島第一原子力発電所事故を考える(事故後1ヶ月までの考察)
東電・福島第一原発事故粉ミルク放射性セシウム汚染問題と森永ヒ素ミルク中毒事件の教訓

↓救済システムでの問題発生を学術的視点からすでに予期している秀逸な論文。




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