つれづれ & Book byまいまいつぶり
(以下の内容は当センターの見解を代表するものでは全くありません、むしろ以下とは異なる見解のほうが多く存在します。執筆者がいつも同一とも限りません。異なる見解の共存---それは最高の価値だからです)
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世界最大のSL 2012.7.27
最近、中国の鉄道に大変お詳しい、何ろく氏(東京大学の学生さん)のツイッターで、中国国鉄が開発した世界最大の蒸気機関車が紹介された。
「それは前進型(略称:QJ)といって,中国国鉄が開発した世界最大の蒸気機関車です。軸配置は1E2です。汎用機関車でして,3000両以上生産され,全国で活躍しました。いまでも,山東省の専用線で最後の活躍をしているようすです。」(何ろく氏談)
どうも下の写真がそれらしい。
客車は、22型というらしい。確かに大きいと思った。
多くの調査団メンバーは、機関車の型式に目もくれなかったようだが、日本の蒸気機関車よりはるかに大きいと思い、カメラ小僧の私としては、先頭まで100m位走ってお顔を撮影! もっと乗り倒しておけばよかった。
写真は、第二回虎頭要塞日中共同学術調査団派遣時のもの。ハルピン-虎林線、終着「虎林」駅にて1997年5月 岡崎久弥撮影
(胴体は24ミリ広角でも入らないほどでかい−長い 25m以上か)
↑確か、右の赤い動輪が5論並んでいた。一個の直径は、横に立って簡易計測で150センチくらいだったか? この徹底的に走りこんだ、ひなびた感じがまた良い。パノラマ撮っておけばよかった。
2011.10.16
「満蒙開拓団」研究の第一人者による最新の意欲作。
「満蒙開拓団」研究の第一人者による渾身の一作。
2011.3.30
「カチンの森」虐殺事件に関する待望の学術書が刊行された。
著:ヴィクトル・ザスラフスキー
主題:「カチンの森」
副題:「ポーランド指導階級の抹殺」
訳:根岸隆夫
発行所:株式会社 みすず書房 →ホームページ
発行日:2010.7.9 第1刷発行 2010.10.5 第3刷発行
内容の詳述は省くが、ソヴィエト体制による驚くべき虐殺の歴史の一端が明らかにされている。
ソルジェニーティンの「収容所群島」とともに、いまだ十分に明らかにされていない共産主義・全体主義の恐怖政治を理解する上で、必読の書である。
同書の帯にはつぎのように記されている。
「虐殺の原因と経緯、ソ連に同調した連合国の隠蔽工作、ゴルバチョフの沈黙、歴史家の責任まで簡潔に分析する決定版。スターリン体制を象徴する事件の真相」
スターリン体制の別名・「民主集中制」を、党内統制においていまだに採用する共産党は世界に数党残存しているといわれる。この半世紀以上の歴史を振り返ると、結局、共産党とは、「人民の味方」を錦の御旗にして、数々の自然発生的運動に介入し、組織と利権の拡大工作をしているだけである。
その現実をよくよく直視すれば、別に共産主義云々ではなく、最終的には、党生活者にとっての潤沢な資金の確保と、閉じた城下町的組織を増殖させて、数々の現世の利権を確保する集団でしかない。
それでは、なぜ、共産主義的ネーミングを意固地に冠にかぶるのか? それは、独裁のエッセンスである民主集中制の統治スタイルを、組織乗っ取り工作とその後の統治支配に都合よく利用するため、それに疑問を生み出させない精神的土壌を自党全体に確保するためであろう。そのためには、マルクス主義のなんとなく難解な、インテリ受けする切り口、レーニン主義の党純化スタイルと、威勢のいい雄たけびは、いかようにも便利に使えるものである。疑問から怒り、怒りから感情的支配に自己陶酔する一部の人間には、麻薬的作用をもつ場合もある。だから、個々人のレベルでは「わりによい人」でも「組織となると豹変する」。そのわけは、資本主義の矛盾点を衝く共産主義の表向きの理論によるというより、金と人が結果的についてくると見たときの組織支配工作において、言論の自由をいとも簡単に破り捨てる凶暴な古典的意味での中央集権的手法にためらいを見せなくなる全体主義的イデオロギーのおかげである。だから「中央集権制」という言葉をあえて維持し、適宜強調するのである。
「政府が横暴な場合は、それに対抗する勢力も全体主義的にまとまってよし」とする「全体主義的正義論」は、目的が別のところにある。つまり自己の組織の支配権を無限に拡大しなくてはならない、というアーレントも指摘するところの全体主義運動の理念である。スターリン主義を声高に批判し、重箱の隅を「清算」することはいかようにも可能だが、このエッセンスが維持されれば、実質的に立派なスターリン主義である。それは「平和」や「理想的幸福世界」を掲げつつ、無自覚的に世界を復讐主義の連鎖に巻き込むもうひとつの思想的梃子である。この書籍を読めば、いろいろと思い当たる節が、わが社会の「革新」「毅然」「物言う」云々にもあると気づく。
2010.4.11 再度「カチンの森」 投稿
数日前、NHKの朝の全国放送でやってましたね。カチン事件でロシアのプーチン氏がポーランド政府主催の追悼式典に第2次世界大戦後初めて参加したっていうニュース。ポーランドとの経済交流の進展を目的に来たとの報道でした。
ところが、本日11日、衝撃的ニュースが報じられました。
カチンの森事件70周年の追悼式典に参加するため、ワルシャワからロシアへ訪問しようとしたポーランドのカチンスキ大統領の乗った専用機が、ロシア西部・スモレンスク空港近くの林の中に墜落したというのです。(朝日新聞一面トップ記事より)
スモレンスクは、カチンの森の直近にあります。なんとも言葉にならない不可思議な事件です。
同機にはポーランド政府高官や、カチンの森事件の遺族も搭乗しており97人全員が絶望とみられています。「機体が古かった」などという噂が流れているらしいですが、古い機体が全て墜落するわけではないでしょう。本当に事故なのかどうか、続報を見守りたいと思います。
その理由は以下です。カチンスキ大統領は、70年代から反共産主義の民主化運動に加わり、80年結成の自主管理労組「連帯」で副議長に就任しています。同大統領は、一貫してロシアと敵対姿勢をとってきました。そのため、「カチンの森虐殺事件」に関するロシア政府主催の戦後初の追悼式典(4月7日)には招待されず、秋の大統領選でカチンスキ大統領と争うことになりそうなトゥスク首相をロシアが招いたのです。そして、なぜかロシアは、10日にも別日程の式典を企画し、ロシアと対立する同大統領が参加「せざるを得ない」状況が生れたようです。こうして、二人の指導者が別々の機体でロシアへ向かうという事態となったわけです。
例えば、カチンスキ大統領の使った機体は古く、一方、ロシアから正式に招待されたトゥスク首相の使った機体がもし仮に新しかったのなら、そのほうが不自然でしょう。そして、もし二人の指導者の使った機体が両方とも古かったなら、今回の事故に関して「機体が古い」という情報だけが先行的に流れるのも、また不自然ではないでしょうか。
虐殺されたポーランドの側の二人の国家指導者が、「別々の日に開催される二つのロシア側の式典に別々に参加しなくてはならない」というシチュエーション自体がすこぶる不自然です。「カチン虐殺事件」の真相も、いまだ十分には明らかになっていませんし。
カチンの森虐殺事件とは、ソ連がやった、史上まれにみる他国の正規軍兵士(しかも戦いをやめた兵士=捕虜)へのアウシュビッツ的な政治的抹殺行為です。
NHKでは確か4万人くらい殺したといってましたね。ソ連は、ナチスドイツとしめし合わせて隣国ポーランドを侵略し、実際に街頭に宣伝カーを出して、「ソ連は平和のためにドイツからポーランドを解放しにきた。皆さんの味方だ。抵抗しても無駄だ。ま、ちょっと集まれ」っていう感じでポーランド軍将校を全部招集して、収容所へ押し込め、ベルトコンベアー方式で、その全部を虐殺したわけです。殺されたポーランド軍将校の捕虜は約5千人(正確には4千4百名超)ほどらしいですが、それ以外にも一般兵士も連行してだいぶ殺したらしいですね。ただ、この部分は逆に万を越え、多すぎてカウントできないらしく、連行された兵士と生還した兵士の引き算の差が10万をはるかに越えるという計算もあります。本当なら原爆投下並みの虐殺行為です。
つまり、戦闘上での死亡ではなく、捕虜として集めた他国の無力な兵士を政治的抹殺という手法でこれだけ大量にまとめて殺したのは、近現代では、ソ連共産党が唯一最大ではないでしょうか? 専門の施設までつくって、牛馬のように大量に処刑されたポーランドの将校達の無念の思いは、天空を覆い、あと数百年は消えることがないでしょう。ナチのアウシュビッツの犠牲者とも似た思いでしょう。そしてシベリア抑留の犠牲者とも…。
シベリア抑留でも、ジュネーブ条約を無視して60万人という捕虜に最高10年以上、極寒の地で違法に強制労働をさせ、一部に共産党員への洗脳改造教育を施して日本へ送り込んでいます。捕虜の1割にあたる6万から7万人を死なせていることをみても、共産主義は政権をとるまでは、「平和」や「人民・国民の味方」を腐るほど語り、歯の浮くような口だけ達者集団ですが、実際には、その行いの根底にある精神は、平和や人権とは程遠いです。独裁支配愛好の嗜好に関しては古今東西、ソ連型とか何とか型には関係なく、完全に共通してます。いくら綱領や政策の文言や内容を変えてみてもだめです。階級闘争史観、生産力至上主義的唯物史観など、歴史観や社会観といった根底部分に、自らの政治思想の絶対的優越性を妄信するところの独裁を是とするDNAが隠れていますから。まあ、簡単にいうと、自らの政治思想においては「謙虚さゼロ」という習性です。
2010.3.30 必見! 映画「カチンの森」
ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督の「カチンの森」。
戦史研究者には常識的なこの事件も、一般的にはほとんど知られておらず、少し極端な言い方をすれば、「忘れられた国家の悲劇」といいうか、ヨーロッパ史、いや世界史でこの70年隠蔽されてきた歴史の暗部を抉り出した大作である。この映画をみれば、一見勇ましく見える全体主義的イデオロギーに浮かれて快感を得たり、共産主義イデオロギーが反権力&反体制のカケラだと信じている一部の向きの底知れぬ愚かさが理解できる。共産主義は、権力を批判しながら、同時に権力への猛烈な野心を内に秘め、情勢に応じてそれを適宜発揮する。人々は、時に、憎しみのイデオロギーに洗脳され、その闘争に巻き込まれて残酷な運命を余儀なくされることもしばしばだ。
そういう意味で日本人は、ヨーロッパが先行的に経験した悲劇をもっと知らなければならない。
ソビエト(マルクスレーニン主義)とドイツ(擬制的な国家社会主義)に翻弄された国々の塗炭の苦しみを理解する上でも…。当センターがモンゴルのノモンハン事件調査とその国際シンポジウムで問題提起した、太平洋戦争と第二次世界大戦との連関を知る上でもっとも重要な事実の中のひとつであり、それを活写した必見の映画である。ノモンハン事件70周年は、第二次世界大戦70周年であるという事実を日本人はしっかりと認識する必要がある。
プロパガンダの嘘と恐怖、イデオロギーによる精神的コントロール下におかれた人々の悲しい姿。悲劇の民族を支配し、その最後の生き血まですすり続ける共産主義的全体主義イデオロギー。人々の間に監視と密告を持ち込み、裏切りを正当化するマインドコントロール、すでに70年前に出揃っていた冷厳な事実は、私たちに、民主主義のあり方を厳しく問いかける。
日本社会にもカチンの森がいくつもある。
ナチズムや共産主義、軍国主義など、様々な絶対的・原理主義的理念で、権力を分割せず、集中的に行使することを正当化する理論。共産主義者やその亜流勢力が信奉する「民主集中制」もその代表的なもののひとつだが、こういった一枚岩的な中央集権体制を組織内外で正当化する「全体主義的イデオロギー」の持つ麻薬のような力はいまも健在だ。民主主義の原理が「多数決」であるかのように平然と語られる幼稚化されたわが国の「理性」が、自ら全体主義を引き寄せている。「平和」や「解放」という美名を駆使して、卑劣な手段を正当化・自己合理化するところの、その奥に隠された凶暴な牙を見抜けないようでは、人類は今後も「階級闘争」や「正義」という名で、混乱と争いをやめることはできないだろう。
マインドコントロールを維持するカラクリは、経済的支配と、それによって可能となる「棒とにんじん」効果による事実の隠蔽という単純な手法が基礎にあるという普遍的教訓を教えてくれる。この点で、残虐な特異的資本主義者と共産主義者は、条件さえ整えば見事に融合する事例が映画の各所で出てくる。でも、それが実際にわが国で発生した場合、有効に対処できるとは思えない。その事例は日本社会でも随所に存在しているからである。
人間としての善悪の判断、真実とは何であるかの理性的判断能力が麻痺し、そして、それを支える根源的な部分での自己と他者との対話能力が欠如していけば、理不尽な環境でも、いろいろな理由をつけて居心地の良いコミュニティと思えるようになる。
日本が、歴史を軽視し、居心地の良さだけを考え、警戒心を怠り、「運の悪い人民民主主義国家」として「見捨てられる社会」にならなければ良いのだが…。
「カチンの嘘」が、日本でも大手をふっている。
現代の日本人に必見の映画だ。
2009.9.10【欧州議会とロシアの動向への所感】
第2次大戦見直しに反発=ノモンハン事件70周年−ロ大統領
【モスクワ時事】ロシアのメドベージェフ大統領は26日、モンゴルの首都ウランバートルで1939年の満州・モンゴル国境紛争、ノモンハン事件(ロシア側呼称「ハルハ河事件」)70周年記念行事に出席、第2次大戦の歴史の見直しを容認しない姿勢を強調した。
インタファクス通信によると、メドベージェフ大統領は演説で、「戦いで日本の関東軍は壊滅的打撃を受けた」とし、同事件でのソ連側の勝利が第2次大戦全体の行方にも影響を与えたと指摘。その上で、「この勝利の意味を変更するような捏造(ねつぞう)は容認しない」と強調した。
メドベージェフ大統領はエルベグドルジ・モンゴル大統領とともに、事件当時の現地司令官だったジューコフ・ソ連軍元帥の記念碑に献花。戦闘に参加したソ連、モンゴル両軍の元兵士らに勲章を贈った。
ロシアの国家元首がノモンハン事件記念行事に参加するのは初めて。ロシア政府筋は「欧州で第2次大戦の歴史を見直す動きが出ているため、メドベージェフ大統領はノモンハン事件記念式典に参加し、ソ連の正当性を主張することを決めた」と述べた。
今年は独ソ不可侵条約締結70周年にも当たり、欧州では同条約がナチス・ドイツのポーランド攻撃を可能にしたとして、第2次大戦開戦へのソ連の責任を問う声が高まっている。欧州議会は条約が調印された8月23日を「ナチズムとスターリニズムの犠牲者追悼記念日」に指定することを提案、ロシアが猛反発していた。(2009/08/26-21:20)
(時事ドットコム) (下線は当センターが追加)
当センターはNGOのため、関係国の政治的見解に関与するつもりはない。
だが、ロシア大統領の当日のスピーチは、「歴史認識」が持つ政治的影響力、或いは政治的意図に裏付けられるところの「歴史認識」というものを考えざるを得ない。またヨーロッパでの歴史再検討の動きに対して、「江戸の仇を長崎で取る」ような式典での発言は、あの戦争の事実を平和のために振り返り、各国が協調して検討しようという空気との違和感を感じる。
●ヨーロッパ戦線からみたノモンハン事件
日本が満州国を樹立し、中国大陸を支配したという前提にたてば、ノモンハン事件は「満州国支配に飽き足らない、更なる拡張主義による国境争奪事件」という、通り一遍の通説に落ち着いてしまうが、こと、ソヴィエトとの関係となると、当時の国際情勢が複雑に絡んできて、それほど事は単純でもない。
ノモンハン事件に限っても、事実経過を素直にみるなら、ソヴィエトは、二正面作戦をさけるための、不可侵条約による「盾」と、その対極側への主要打撃という「矛」の戦略を、見事なまでに交互に展開している。(年表参照)東アジアにおいては、そのベースとしてゾルゲ諜報ネットワークを通じて日本政府内部の情報を収集し、日本軍部の内部矛盾、植民地経営への方針の「揺らぎ」をうまく活用して、ソヴィエト独自の「利己的」とも言える防衛戦略を推進したともいえる。
また、スターリンが、独ソ不可侵条約をバックに、粛清対象者であったジューコフを「恐怖支配」して、日本側以上に兵士を消耗させつつ、第二次ノモンハン事件以降の関東軍との大規模な戦闘、とりわけ「8月攻勢」に集中したのは事実であり、それによって、ドイツがポーランド侵攻計画を加速させた事実、そしてそれがひと月もたたないうちに現実となり、ノモンハン事件の停戦直前に第二次世界大戦が勃発したことは極めて重要な歴史の脈絡である。
●ミュンヘン会談と独ソ不可侵条約
もちろん、ロシア(旧ソヴィエト)側にも言い分はある。その一つが1938のミュンヘン会談だ。
ナチスは1938年3月のオーストリア併合に続き、武力恫喝をもってチェコ領ズデーテン地方の併合を強行しようとした。当時仏ソと軍事同盟を締結していたチェコを武力侵攻すれば間違いなく大戦争になるため、英仏は急遽1938年9月にヒトラーらを交えたミュンヘン会談を開催し、ズデーテン地方のドイツへの合併を容認した。このナチスへの妥協会談にソ連は招待されなかった。
これをもってソヴィエトは独ソ不可侵条約を正当化してきた。
ただ、このロシア側の反論はあまり有効ではない。チェコ領ズデーテン地方は、確かにナチスドイツへ併合された。しかしこれは、戦争をさけるための消極的な譲渡という要素が強く(もちろんチェコにとってはいい迷惑だが)、ソヴィエトのように、隣国をナチスと仲良く軍事力で侵略し、分割したのとは、かなり性格が違う。これをもって帳消しにできるのは、せいぜい、独ソ不可侵の“暗黙の了解”程度までであり、ましてやソヴィエトによるポーランド進攻の正当化はとても無理である。
連合国側といいつつも、ナチスと同じ行動を積極的に採用したという意味で、ソヴィエトに特有の「帝国的」行動原理を表現してしまっている。「大祖国防衛」という主張は、ロシア国内では維持できても、欧州全体には通用しないだろう。加えて後述するコミンテルンの指示によるドイツ共産党の「社会ファシズム論」(社会民主党への主要打撃論)に基づく徹底したセクト主義的議会戦術は、ヴァイマール共和制を否定する「革命的転覆」を志向し、同時にファシストを喜ばせる準軍事闘争をも推進し、ナチスの登場に大いに手を貸した。コミンテルンは、ヴァイマール共和制を破壊しても、ドイツにおいてソヴィエト革命を断行させ、親ソヴィエト緩衝地帯国家にすべく大博打を試み、そしてあっけなく失敗したのである。独ソ不可侵条約締結後に、スターリンがとったような、すなわちソヴィエトに亡命したドイツ共産党の活動家をナチス政権へ送り返すなどの行為もその延長線上のことでしかない。他国の政党を傀儡としか考えていなかったわけである。
自国防衛の都合から他国の民主制の崩壊を招くような介入をしたという責任を捉えずに、ナチスを批判しても、むなしいだけである。もし、ロシアが、「ナチスに圧迫され不可侵条約は不可避であった」という主張を展開するとすれば、一種の歴史的欺瞞となるだろう。
近年のようなロシアの「帝国的行動」が目立つにともなって、旧ソヴィエトの過去へもまた、全面的な見直しが進むに違いない。
●第二次ノモンハン事件の背景
一方、戦史に関しても、ソヴィエトのみならず日本側も含め、これまでノモンハン事件の性格を開戦から終戦まで一枚岩のものとして表現する傾向が支配的であったが、最新の研究では、それらのミクロ的な再分析と見直しが進んでいる。
第一次ノモンハン事件の終結で関東軍側が戦闘継続を事実上あきらめていたところへ、約20日後のソヴィエト軍による奇襲攻撃によって再度戦端が開かれた経緯を考察すれば、一次と二次の間に、スターリンが大きく方針を転換させたことは想像に難くない。
(ただ、これはそもそも、宣戦布告なく始まった戦争で、しかも停戦に至っていないので、戦争途中の単なる応酬という言い分も成り立つが)
旧東側でスローガン的に連呼されてきた田中上奏文というツールは、このあたりのソヴィエトの巧妙な戦術、もっといえば、満州国と国境を対峙したあたりから、ソヴィエトの底流に存在した東アジア戦略を明るみにすることを妨げる効果を発揮している。
ただ、日本が満州国を通じてソ連と国境を接したこと、もともと日本がナチスドイツと連携して対ソ包囲網を模索し、実行したことを考慮にいれると、ソヴィエトの戦略や、ドイツと手を組んだ事実を、日本側は人ごとのように評論できる立場にあるわけではないだろう。また、関東軍による中国大陸への支配と中国国民に与えた苦しみ、下克上的統帥権干犯による軍の暴走体質は深刻な反省材料であるし、ノモンハン事件において、モンゴル国をして祖国を防衛するためにソヴィエトの力を全面的に借りざるを得ない状態にまで追い込み、その後の支配の継続をもたらした事実を考えると、戦争の悲惨とあわせて、心を痛めざるを得ない。
だが、我々は当時の共産主義者でもなければ関東軍でもなく、未来に平和と協調を求める戦後世代である。両者の影響が未だに今後の世界に悪影響を及ぼすとすれば、逆に、当然の義務としてそれらを問題にする必要がある。かつての日本が日独伊三国同盟側でファシズム体制であったからこそ、全てのファシズム・全体主義の残滓を問題にする義務を負っているともいえる
●「ナチズムとスターリニズムの犠牲者追悼記念日」の今日的意味
したがって、一方の全体主義であるスターリン主義の所業は免罪されるわけでもない。例えば、ソヴィエトは、戦争が終わったにもかかわらず、ジュネーブ条約を無視し、日本軍捕虜60〜70万人を厳寒のシベリアへ抑留。強制労働や共産党員への洗脳教育をもって虐待し、その1割近くを死に至らしめた。
ソヴィエトがモンゴルに対して行った粛清でも、おびただしい数の人々が殺された。これに関しては日本側が偉そうに言うべき事実ではないだろうが、ノモンハン戦争での犠牲者をはるかに越える「外国勢力の支配による」犠牲である。
モンゴルでは、粛清により、ほぼ全員が抹殺されたといわれる当時の仏教界の僧侶(1万7千名以上が処刑された)の白骨死体が近年、ある場所から大量に発見され衝撃を与えている。ウランバートルには「粛清記念館」というものもある。ソヴィエトによる支配をモンゴルの独立維持と近代化の代償として捉える向きもある。ただ、抹殺された側の死者たちはどう言うだろうか。「死人に口なし」なのだろうか。
いずれにしても、ソヴィエトが、結果的に直接ナチスと手を結び、隣国を分割しあう密約を通じて、ドイツの侵攻を積極的に助けたことは事実である。そしてソヴィエトは、まもなく、自らも隣国を軍事侵略した。ヨーロッパ諸国から、当時のソヴィエトの行動への歴史的総括が要望されたとしても無理はない。
といっても、我々は、ヨーロッパにおいてナチスとソヴィエトが二次大戦開戦の主要な責任を負っているという暴論を展開するつもりはない。第一次大戦後のベルサイユ体制などは、更に大きな背景事情としてあるし、当時の世界的規模による排他的経済圏構築=ブロック経済の進展や、金融システムの崩壊に対する各国協調体制の崩壊などの深刻な諸問題が複雑に絡み合って危機が進行した。
●ロシアへの警戒感が生む歴史認識論議
欧州議会の動機は現在のロシアの動向を警戒したものだろう。資源戦略をバックとしたロシアの帝国化の傾向や、旧勢力圏のNATO化進行に対するロシアの反発を牽制する向きもあろう。スターリン主義が旧衛星国へ与えた弾圧への責任とその源流の清算という歴史的要請が生れているとしても不思議ではない。
問題の核心は、ナチスと価値観を共有できる共産主義の反民主主義的本質と思想的原点が現実政治のなかであからさまになり、それらもまた、人類に不幸を招いたという事実である。当時のドイツ共産党が最終的にはナチスから弾圧されながら、闘争過程において社会民主党を攻撃するといったセクト的利害においては、ナチスとためらうことなく国会内外で共闘体制をとっていたという、日本の教科書には書かれていない事実とも共通する事項だ。
ファシズムと共産主義は一見、表向きには激しく対立するように見える。しかし、本質的に全体主義的内部統制(政権を奪取した際には国家統制へ波及)を志向する両者は、社会が矛盾を先鋭化させたときに、極めて似通った煽動手法を採用する。そのなれの果てとして、お互いを「自党の勢力の維持・伸張のために必要としあう」奇妙な連携を実現し、世論の不安と憤怒という感情を意図的に煽りつつ、それを先鋭化させる交互作用におぼれる。結果的に平和的で民主主義的な解決の手法を麻痺に陥れ、議会制民主主義を一気に消滅させる。
かつてソヴィエトは各国にコミンテルン支部を作り(例えば日本共産党の由来は、「コミンテルン日本支部」である)、ソヴィエトの利害のためにそれらをコントロールした。その後遺症は全世界に、いまだ残っている。「国際主義」などと鼓吹しながら、実際にはナチスと手を組んだのも、結局はソビエトの狭い国家的な利害のためであったことは言うまでもない。
●旧東側戦勝史観がもたらす危険性
本家本元であるソヴィエトが雲散霧消したにもかかわらず、その各国支部を由来とする共産主義的政党が、いくつかの国で延々と続き、その内部統制に、未だに密室性や陰湿性が強烈に息づいている現状がある。
このような、冷戦型政治の復活を夢見る「自己純化型」党派スタイルを見る限り、前述の「悪魔的な相互作用」が将来に再来する危険性は否定できない。資本主義という制度は、様々な問題点を包含しつつも諸民族が自主的に採用し、独自の発展形態を実現してきたものだが、共産主義イデオロギーは、そのほとんどがソヴィエトからの暖簾わけで誕生し、その具体的援助で基盤が築かれたという歴史的経緯が、各国社会の片隅に未だに暗い陰を落としている。今を生きる現代の私たちも直面する具体的なテーマの一つでもある。
現ロシアはその点に関しては、ボルシェビズム、スターリニズムを世界に拡散させた歴史的責任をおっているし、ロシアが大国志向を強めるのなら、そういう自覚をしっかり持たないとバランスを欠くことになる。経済もある程度成長を遂げ、自信をつけつつあるロシアには、帝国的観念の払拭のためにも、過去の歴史的経過を再検証すべき時期が到来していると考える。それは、今後のロシア社会の健全な民主的発展のために不可欠の要素となるだろうし、そのような勇気ある歴史的精算を行えばロシアは一定の信頼を集めることができ、更なる経済的発展を遂げることができるに違いない。
あの戦争に参加した国々すべてが、それぞれの抱える問題点を解明していけば、豊かな教訓が得られるだろう。もちろん、「戦勝国側」の戦勝意識は当然、それを阻むだろう。ロシアにとってもまた、過去の歴史と向き合うことはなかなか骨の折れる作業のようだ。この点に関しては、我が国も例外ではないが…。
●勝敗型価値観からの脱却
ノモンハン事件を第二次世界大戦との連関で追求していくと、欧州戦線の動向が鮮明にあぶりだされ、第二次世界大戦の開戦期における日本の位置も分かりやすくなる。
ジューコフ記念碑での式典では「戦勝記念」と銘打たれていたが、シンポジウムでは「勝敗という視点にはあまり意味がない。日本側の報告でも、日本は負けた経験から多くのことを学び、成長している。このことに思いをはすべきだ」との意見が出された。
もし本当に、勝った、負けた、にこだわらないのなら、お互いの国が、二度とお互いを傷つけ会うことのないように、国境線の緊張をほぐし、当時の戦争や争いを招いた原点にまで踏み込み、それぞれの国に存在した光と陰、これまでタブーとされてきた国家戦略上等の問題点をあぶり出し、「戦争を絶対に起こさない具体的な努力とは何かを徹底的に考える」勇気が必要だろう。それは当時の戦闘当事国すべてに必要な作業であると思うのだが…。
かつての戦争で負けた側の国のいくつかは、原因追及や反省を通じて、結果的に、旧東側「戦勝国」からも「見事な成功」と表現されるような経済水準を築いている。
だが、更なる成長に必要なのは、市民的な発想と活動、それによる民主主義システムの更なる不断の改善だという見方もある。(ヨーロッパ社会に存在する「市民」は、なにものにも束縛されない自由な意志の存在。束縛されない自由な視点を共有して、初めて世界が見えはじめ、「より」的確で公正な判断が可能となる)
旧ソヴィエトの国家戦略に見出される問題点、それが各国の歴史観に与えている影響をも含めて、オープンに議論していくこともまた、市民社会のあり方、人類の将来にとって大きな教訓になりうると考える。
シンポジウムで当センターは、あえて異なる立場、異論前提で、現地調査を中心とした発表を行った。
発表時間は各国13分であったが、日本側のみ、結果的に40分以上のたっぷりとした発表時間を使うことができた。このことからは多くのことが読み取れると考える。
2008.11.3 映画 「MONGOL-モンゴル-」 (監督:セルゲイ・ポドロフ、主演:浅野忠信、2007/ドイツ・ロシア・カザフスタン・モンゴル)
劇場で見れなかったので、DVDで鑑賞した。
すばらしい作品!の一言につきる。
2008.9.21
当センターは、中国における軍事遺構や、戦史研究を進める一方で、イデオロギーや特定の思想の介入排除を明確にうたった市民研究ネットワークである。
中国側が、当センターのようなニュートラルな組織を敢えて招待したところに、今後の歴史文化交流への新しい視点が見え隠れする。当センターは、中国側へ遠慮のない提言を積極的に行い、時には見解の相違を明確にしながらも、しかし、「一皮むけば、みんな同じ人間」というシンプルな結論にたって、誠実な交流を長年にわたって続けている。
日本側の姿勢としては、本当に日本人の歴史認識の成長に資するのか、それとも個人的なヒロイズムを志向するのか、がとわれている。そうでなければ、真に国民の歴史認識というものは育たない。
日中問題では前述のように私的ヒロイズムを志向する55年体制の残滓が根強い。中国での経験を、様々な異論を受け止めながら、普通の市民が探求できる環境をつくることこそ重要であるにもかかわらずである。
旧日本軍の侵略戦争の事実。一方日本人は自国を「平和国家」だと思っている。「歴史の事実をいまさら掘り下げなくてもいいじゃないか」と考える人まで出てくる。「憲法9条があるのだからそれでいいじゃないか。大陸での戦争は、対日外交カードで使われているだけだ」と、内心、葛藤しながらも、そういう結論に落ち着かせている日本人はきわめて多い。では、大陸での事実を明らかにすることはどういう意味があるのか。日本が再び過ちを犯さないように、といっている勢力が、かれらが酷評する支配勢力よりも、さらに腐敗した組織風土のなかで独裁的運営を維持している現状をどうみたらいいのだろうか。まさに戯画的である。
「政府が戦争の事実を教育で教えないのは、許せない」と憤慨しているだけでは、その答えは簡単には得られない。現実の世界は、日々の経済競争と政治的駆け引きがうごめいている。それを肌で実感できないでいては、厳しい現実で必死で生き抜いている国民の認識にコミットできるはずがない。そこでは、歴史的教訓についての議論は、明日の生活にとってあまり必要がないのだ。また、国民の厳しい現実から遊離した政治的スローガンこそ、飯の種そのものかもしれない。どこもかしこもだ。ヒロイズムを飯の種にしている方々も多すぎる。そういう方々は格差社会の拡大や軍備拡張を内心歓迎している。自分たちの時代でもあるからだ。「怒りをあらわにしつつも、内心興奮に歓喜している」心が見透かせる。
歴史の教訓を明らかにするその目的は、現実に発生している関係各国の問題を円満に解決するという視点がなければ、単なる自己満足の自己陶酔だ。戦争や武力行使という誘惑を、すべての国がためらうような環境をつくり、平和な環境下での適正な競争関係と互恵関係を維持するために、過去の教訓を受け止めるどういったスタイルが必要なのか。至難の課題である。われわれは戦争犯罪であろうがなかろうが、事実は究明し、科学的に正しければ、堂々と認める。だが、日本が平和を志向し、相手国といたずらな感情的対立をさけるために必要なテーマを選んでいる。だから、中国の方々を前にして日本政府をこぶしを振り上げて批判する芸は演じることができない。関東軍の戦犯でもない一兵卒の名前を(たぶんご家族は生きているだろうが)呼び捨てにして犯罪者として糾弾する姿勢も、とても、とても真似ができない。そんな芸ベタな我々だが、最近の中国は、こんな我々と付き合いを深めようとしている。これは興味深いことだ。それを考える上で、今回は、大変有益な実地見聞となった。
2008.9.10 言わんこっちゃない。
8月24日に「中国の問題を他山の石に」「同じ問題ははわが国にも存在する」と書いたばかりだ。ところが、6日、メタミドホスなど有毒な農薬が混入した米原料(合板の接着剤などに転用される非食用の事故米)を、米販売会社・「三笠フーズ」が、酒類や菓子など、多くの加工食品メーカーに意図的に流し、実際に使用されていた、との報道が国民を震撼させた。巷では、あの酒を飲んだから病気がでるかも、などとと健康不安が広がっている。
この事件は、「農薬を食品にいれるなんて中国でしかやらないこと」と思っていた最近の日本の風潮を一気に覆してしまった。(ただし、まだギョーザ事件の真相は確定されていないが)
まず、わが国からしっかりしないと、とても他国の見本となる水準だと胸を張っていえないのではないか。もちろん他国がしでかした問題は、それはそれで、きちんと解明し、精算しなければならないことは言うまでもないが。社会と精神の疲労が目立つ昨今である。
今回の事件も、森永事件やカネミ事件と似た部分がある。歴史をおろそかにするこの国では、国民の口に入るものでさえ、教訓というものは、まったく、なおざりにされている。
日本は、かつて、赤ちゃんが飲む粉ミルクに砒素(正確には砒素混入の産業廃棄物から抽出された第二燐酸ソーダを安定剤代わりに使用)を入れて128人の幼児を急性砒素中毒症状で殺し、12000人の被害者を生み出した経験をもつ国だ。当時、この問題の第二燐酸ソーダは、旧国鉄の機関車のボイラー内部の洗浄用に流通しかけたが、その国鉄でさえ「国鉄職員に健康被害が出る」という理由で「使用しなかった」シロモノである。それをいたいけな乳幼児の粉ミルクに投入し、赤ちゃんの体内に摂取させたのだ。当時は、このMF印のドライミルクは健康優良児表彰をうけた幼児にプレゼントされるという最高級品クラスで売り出されていたものだから、品質管理のいい加減さに比した売り方の傲慢さのギャップは、表現の方法が見当たらないほどだ。
しかも、公害事件の深刻さは歴史的に第二段階にある。いまだに、その「被害者救済事業」をめぐって、いかがわしい噂が絶えないこの国の現状である。救済団体の発足当時からその問題点を指摘した運動の創始者である一部被害者の親たちは、「救済団体」から「除名」された。まるで、スターリンの粛清もどきの手法で見事に排除され、大本営発表の「歴史」からは綺麗さっぱり抹殺済みである。
つまり、毒物による世界史上最初で最大の大量幼児殺害事件は、表向き手打ちにはなったが、その後、救済組織は“民主集中制”的手法で何者かに掌握され、仲良しなのか、なんなのか、ある集団へ変貌した。つまり、当事者からして、ある時期から、何かに目がくらんで、反省と教訓を大切にする姿勢を失ったのである。こんな奇妙奇天烈なことが「ポスト公害事件」でおこるようになったのが、日本の第二段階の「病気」であり、いくら先進国を気取っても、そのような理不尽な状態の是正さえ実現しないのが、この国の民主主義のレベルなのである。ましてや、表向き、口先では政府批判にあけくれる勢力が、その噂の当事者だと言うのだから聞いてあきれる。「唯一の偽善」と看板を掛けなおしたほうが適切だ。「平和と民主主義」「弱いものの味方」「歴史の真実」を気取る偽善には、社会全体を停滞させる腐臭が立ち込めている。
企業は容赦なく叩かれるが、腐敗党派の一部腐敗分子が「万年野党」という隠れ蓑を利用して、財団法人や市民活動を乗っ取って私物化し不正義行為にあけくれても、なんら正されない、この国の状態では、二大政党制や、中身のある政策論争はむずかしいだろう。「弱者の味方」を装って行われる悪事を見抜けないようでは、その逆にぶれた場合をふくめ、どちらにしても、思考と判断力の停止に繋がるからである。 まだまだ「きれいごとに弱い」ところの、民主主義とは異なる風潮がある。
2008.8.24 雑感 米国のサブプライム危機、住宅抵当公社の破綻危機、ポスト・北京オリンピック、グルジア紛争、アフガン周辺での第二戦線開設の動き、…
1900年代初頭の様相?---
冷戦の崩壊、旧社会主義諸国の資本主義化による世界的商品経済への怒涛の参入、資源、勢力圏の全世界的で境界線のない争奪、テロという名の少数者的民族主義あるいはその分派のネットワーク的結合、それに対する軍事的対抗手段の蔓延による戦争の雰囲気の醸成、そして、日本人がおおかた平和だと思い込んできた戦後世界で、実は頻発していた戦争の結果による米国の支配力の低下と、エマージング諸国への依存関係を深める資本主義諸国の力関係の大幅な変化とG8構成諸国同士の関係の変化、地域経済共同体による域内経済の成長と自由貿易体制の動揺、世界は1900年代初頭の様相を呈してきているように思える。今改めて、歴史の教訓が問われ始めている。戦争への道を再び繰り返してはいけない。
私は東西の壁が崩れたとき、それまで、中距離核戦力を住宅街近郊にまで配備し、国境の美しい住宅街のど真ん中を最新鋭の戦車が走り回るような、一触即発の瀬戸際戦略の犠牲になっていた欧州や、同じく最前線に位置していたアジアにとっての朗報だと、うれしく思う一方で、正直な恐怖を感じたのを記憶している。その時感じた底知れぬ不安とは、世界がこれで再度フラットになった、これからは世界の隅々までの仁義なき経済戦争がはじまる。そしてその行き着く先には、また過去と似たようなことが起こりはしないか?というものだった。その数年後、90年代初頭に米国のブルッキング研究所の研究員が、「21世紀は再び、資源と勢力圏の争奪の時代となる」という見解を日本の新聞に語り、その記事を暗澹たる思いで切り抜いたことを記憶している。
迫られる民主主義の運営手法の改善---
もちろん、ステレオタイプ的な「歴史は繰り返す」論で悲観論に陥っているのではない。イデオロギー政党が好む「戦争の危機」の雄たけびは、冷静で具体的な実務対策への思考停止にも繋がる。
最近、資本主義の暴走といった視点も見かける。もちろん、資本主義のあり方についてはかなり改善が必要だろうが、、現代の危機は、どちらかというと、民主主義の危機のような気がする。民主主義の手法(人間社会のさまざまな意思を実現するプロセスのあり方、その思想と技術含めて)の改善がもっと検討されてもいいように思う。民主主義の危機や改善課題に対して、地道な取り組みではなく、見せ掛けだけの正義論やリベラリズム、ヒロイズムから闘争的に攻撃する傾向も、いまだに根強い。そのもっとも極端なものが、生産手段の所有形態をもって民主主義を論じる階級闘争理論であり、いまだに世界の暴力的闘争に形を変えて少なからぬ影響力を残している。現実には、社会主義を標榜しつつ超弱肉強食の資本主義を行う大国、超格差資本主義を実施しつつ国家社会主義的手法を志向する大国など、もはや、生産手段の所有形態を基礎に人類の歴史を解説する旧来のイデオロギーでは、世界を説明できなくなっている…。
世界を不幸にした「民主主義的中央集権制」---
余談ではあるが、そのようなイデオロギー(歴史的・社会的に制約され偏った観念形態−広辞苑-)の権化である旧ソ連社会主義体制時代の指導部がもたらした民衆への犯罪行為は記して余りある。民主集中制(中央集権制)の組織原則をベースに、ナチスドイツのユダヤ人虐殺にひけをとらない数百万人にのぼる「粛清」強行の事実は、近代の蛮行として歴史にしっかりと刻まなければならない。---(加えて、旧ソ連共産党指導部は、戦争が終結したにも関わらず、ジュネーブ協定を踏みにじり、日本軍捕虜60万人を極寒の地へ抑留・虐待し、そのごく一部を飢えと恐怖をバックに共産党員へ洗脳し、日本における共産主義運動と連携して選別的に送り(帰還)返した。ドイツ軍捕虜に関しては、100万人以上が抑留され、その多くが犠牲になったとも言われている。ナチズムや軍国主義も犯罪だが、国際協定を無視して憎しみを憎しみで報復するような、「怒りのはけ口としての共産主義」或いは「憎しみと憤懣をセクト的階級闘争へ昇華する装置としてのマルクス・レーニン主義」も本質的には同じ土俵のイデオロギーである。威勢の良いときは帝国主義と同じ行動をするに到り、威勢がなくなり霞を食うような状態へ落ち込むとると、今度は不満吸収剤の「必要悪」として体制からも暗黙のうちに利用され(現在の日本)、どちらにしても官僚的な腐敗の巣となる。ベルサイユ条約がナチズムを生み出したのではないかというような反省とは無縁の、憎しみに囚われたイデオロギーだ。)東欧諸国が経験した秘密警察による超監視社会も、戦前の日本と同じものだった。ツアーリズムや、戦前の特高警察を批判する精神も、いざイデオロギーの衣をまとい美名のスローガンに陶酔すれば、またぞろ別の形で同じ体制を再現してしまうという巨大な反面教師だ。現在の日本に一部登場しているように、格差社会のはけ口を旧来型のイデオロギーに求めるようでは、改善もすすまないだろうし、世界から血なまぐさい対立と争いはなくならない。
イデオロギーにこだわる限り、憎しみ、争い、戦争、から逃れることはできない---
イデオロギーの対立は、無数の戦争を生み出してきた。イデオロギーは、人々の憤懣や感情を一見、美しく説明し、まとめてくれるからだ。イデオロギーの存在は否定する必要はないが、それが社会を覆うと、かならず世界は不幸になる。あまりに明白な人類の過去だ。しかし、じつのところは、経済的格差や民族的対立から生まれる憎しみや怒りを暴力的闘争に収斂させ強力な政治的ツールとして活用しつつ、機あらば新たな支配体制にとってかわろうとする意図や勢力が、イデオロギーを利用して正義の名を勝ち取り、武力の行使を国内的に正当化してきたにすぎない。
今後世界は、怒りと憎しみを生み出すさまざまな格差を、ある程度まで抑えるための政策(言い換えるなら人種、生まれ、職業、性別、政治、経済、民族など、さまざまは運命的差異が人間としての尊厳や生命の再生産行為を毀損する口実にされないシステム)を注意深く連携して進める一方で、不幸にも生まれた怒りをどう解決するかの技術をもたないといけない。同時に一方で、社会の小さな改善の積み重ねを具体的に進めることをサボり、それを「目前主義」などどして本質的に嫌悪し、怒りや憎しみを顧客や支持票として囲い込み、自らの腐敗した官僚主義組織の維持を目指すイデオロギーやその集団の先鋭化に注意する必要もあるだろう。
調和のための新たな価値軸としての技術論を---
とはいえ、古典的な資本主義vs社会主義の構図は終焉した。今後、社会主義的なイデオロギーは、大国では正式採用されることはないだろう。現在は、一部の国の再び野蛮な帝国主義への成長が準備され、その対極としての民族主義の時代になろうとしているのかもしれない。今後、それが主に宗教的対立、民族的分離独立主義などが主なツールとして、利用されていくだろう。それが行き着くところまでいきつと、今度は突拍子もない新しいイデオロギーが生まれてくるかもしれない。資本主義が勝利の美酒に酔いしれて驕り、世界が新しい平和や改革への道筋を生み出す努力をサボっていると、各種の原理主義的組織は、共産主義イデオロギーの暴力的側面を焼きなおして、独自のカルト的思想を開発・発明し、世界に蔓延させる可能性もある。
しかし、イデオロギー的対立も、経済的政治的対立、民族的対立も、その元には、人間の欲望や排他的傾向があり、無知による恐怖と憎悪がそれに拍車をかけ、それが更に他の争いに循環する。そのさらに根源には、人間の相違性そのものがあるとする説もある。対立そのものは相違から生まれる要素でもあり、イコール悪ではないが、そこに他の利害関係が複雑に絡むから、処理の方法を誤ると、国民的熱狂を基礎に、憎しみが蓄積されてしまうこともある。現ロシアにおいても、格差と過去の国外からの漠然とした侮蔑感情への対抗から
旧共産主義「的」勢力が一種のネオナチのようなノスタルジックな懐古趣味で登場し、それがエネルギーの国有化など、国家社会主義ともいえるような頑迷な民族主義の背景思想にもなりつつある。そう、マルクス・レーニン主義は、経済的格差によって憤懣と怒りのとりこになった人間には、なんともカルト的なねっとりした思想的快楽を与えてくれる麻薬的要素をもっているのだ。かつてナチズムは国家社会主義運動と呼ばれた。もちろんアメリカもまた別の意味で覇権国家として君臨してきたが、ロシアが、政治の腐敗と経済のシンジケート化などで、軍事的な方向へ走らないよう、具体的アドバイスが必要かも知れない。ヨーロッパとアジアからの忠告は大切だ。隣国を隣国だからという意味で嫌うのは自由だが、直接火の粉が降るかかるのも隣国からだ。(まあ、グローバリゼーションの時代、遠方から来る火の粉にはさらに警戒が必要だが…。)
人間社会はそろそろ別の価値軸を開発しなければ、またぞろ、同じ道を進むことになりはしないか?日本には仏の思想も、やおよろずの神の思想も、日本的変容をとげたキリスト教もあるはずだが…。唯一の被爆国であり、戦争責任のテーマにはきわめて不熱心だが、ドイツと違い、今後、それが本格的に問われることになるかもしれない遅ればせの国として、そこから、新しい思想をつくることができれは、それは、それで世界の価値観の流れに大きな一石を投じることができるかもしれない。その前提に必要となるのが、「清算」ではなく、歴史的「和解」への努力だ。これは今後の若い世代こそが担当すべき積み残しの課題だ。ただし、それを冷戦的、55年体制的にやってはだめだ。
隣国との和解が第一歩---
戦争責任の問題で言えば、中国に関しても、朝鮮半島、東南アジアに関しても、日本が歴史的責任を負っているのは厳正な事実だ。中国侵略を元寇までさかのぼって帳消しする向きもあるが、学校でのいじめ問題を両家の家系図にさかのぼって議論するおかしさを感じる。いじめたんなら、それに関してはしっかり反省したらいいのだ。自虐的になる必要もない。潔い態度を「取り続けない」から、責められつづけ、「被害者意識」を持つに至り、自虐的になり、対応が幼稚になってくるのだ。また、当時中国大陸は、確かに帝国主義列強の草刈り場ではあったが、その最後に遅ればせに日本が乗り込んだのは消しようのない事実だ。欧米各国も、その過程を一通り経験し責任をとってきている。フランスの尻を追ってベトナムに侵攻した米国も、同じ十字架を背負っている。そして、またイラクという十字架を背負ってしまった。戦争というものが、いかに長い時間にわたって国民を苦しめ、記憶と歴史に刻まれていくかは、やはり同様に歴史を振り返らないと理解しがたい事実だ。 日本人がどのような願望を持とうとも、戦争の傷跡を彼らが忘れることはありえない。中国との関係でも、いかに「経熱」になろうが「経冷」になろうが、戦争の記憶は別問題である。それは日本人が、米国と同盟関係にあってさえも、空襲や、原爆の被害を主張し続けるのと同じである。それだけ傷跡は誰にとっても大きいのだ(戦勝国の連合国国民にとっても大きい)。この巨大な宿題をわすれ、日本が相対的に巨大化する中国をみて、畏れのあまり、いびつで、ぶれた態度をとっていれば、また、歴史の全体を見ずして、アジア世界全体に対して、身勝手史観に流されれば、少なくとも日本はアジアのみならず世界から尊敬されないだろう。
叩かれれば叩かれるほど、強くなる法則---
いま、中国はオリンピックを契機に、いろいろな意味で、世界から叩かれ、非難されているし、それは必要なプロセスだ。が、同時に、それをバネにナニクソ精神で成長している。批判をもっとも歓迎しているのは、中国の優秀な経済人であり、かれらは、将来必ず、ビジネス上の対等かつ強力なライバルとなる。実際、中国企業と付き合うと、批判大歓迎という企業はすごい成長ぶりだ。(それは日本でも同じだ。)人口の多さが、経済発展にリスクとなることも多いので、単純に相対優位から絶対優位への展開とはならないだろうが、個別では、そういう局面が多数でてくる。だから、日本人は、自国の行く末をしっかり考えていかないと、結局は自分に帰ってくる。
中国は一党支配の国であり複数政党制ではない。そこからくる経済、政治、或いは立法措置など、政策面における不安定な動きは、交流や投資を続ける資本主義諸国の関係者にはきわめてやっかいな問題である。しかし、私たちは中国を共産主義の国だと考える必要はまったくなくなっている。列強から独立を勝ち取るために社会主義を実地にやってみて結果的に失敗したから、もがきながら、資本主義へ移行しつつあるのである。中国の採用した戦略は賢い。ビジネスベースでいえば、イミティブクリエーションで、日本の戦後復興と発想は似ている。いまのところ、イミティブイミテーションなので、日本人はほっと一安心しているが、必ずイミティブクリエーションとなる。今年からの中国の経済戦略はその思想を表している。
まず、日本が品格ある国家に---
中国の負の問題は、日本国内にもある問題として他山の石にする覚悟で対処したほうがいいだろう。中国で進む環境破壊や公害被害も、日本は一通り目いっぱいやってきたし、食品偽装や食べ残しの使いまわしなど、隣国からも笑われるような恥ずかしい行いさえ明るみに出た。いまだに日本の公害被害者は苦しんでいる。自らの巨大な負の歴史を忘れるのは簡単だが、それは最終的に日本人に因果として戻ってくるだけである。中国をみて、汚いとか、行儀が悪いと口角沫を飛ばして非難する向きはおびただしいが、環境破壊や公害を防止することについて、その具体策まで含めて中国人と真剣に話をしている人をほとんど見かけないのはどういうことだろうか? 環境破壊や公害は、必ずしも資本主義が生み出した発明品ではないが、それを社会的問題として認識し、国民の側に立って救済する努力こそ、資本主義的民主主義の生み出した成果のはずだが、それを誇り高く語れないのはなぜだろうか?
私たちは自らの国を「先進国」などと自称してきた。まずほとんどの日本人がだ。しかし、冷静に考えると、これほど奢った、みっともない自画自賛も他に例がないかもしれない。なんでもかんでも頭に「先進国」という言葉をつけて喜ぶ癖はそろそろ見直したほうがいいかもしれない。自戒…。
環境問題、歴史問題のどれをとっても、私は、日本の側がまず、国際社会のなかで理性的かつ先駆的に行動し、政治的経済的効果に繋がる課題として考える癖をつけるべきだろうとおもう。日本はもっと大人の品格を持った国にならなければいけないように思う。品格といっても、威張ることではない。自尊心と虚栄心は、見分けるのは難しいが、明らかに違う。自尊心には他者を認め思いやる優しさや謙譲心がセットになっているからである。
資本主義の経験者としてもっとリーダーシップを発揮すべき日本は、しかし歴史的経緯への内省力の欠如から、他国から歴史云々と言われる前に、自身の内面での葛藤でもがいている。まさに日本が民主主義国家だからだ。その葛藤は歓迎すべきことで、国際社会も、「日本はもっと葛藤すべきじゃないの」と思っているはずだ。最近特に、米国の政権中枢からさえも、日本の課題が縷々述べられた最後に、「歴史認識を正さないとアジアのリーダーにはなれませんよ」と釘をさされている。これまでは防波堤として日本を使っていた米国も、いざ、アジアでの責任を少々バトンタッチしてもらおうと蓋をあけると、この部分が大きなネックになっていると感じているのだろう。
経済力で衰退したら、あとはあまり誇るものがないという感覚に国民が陥っているとしたら、そのほうこそ深刻だ。米国が、「ソフトパワー」という概念を持ち出してきたことともセットで考える必要がある。
一人ひとりが自立した「市民」として---政治に振り回されてはだめだ
東洋で最初に西欧化した国として100年以上の資本主義、近代化の歴史を持つ国として、米国のいうソフトパワーではないが、世界を冷静にさせる価値感を、苦労してでもつくらないといけないと思う。競争(適度な緊張感の基礎とでも言おうか)の一方で、和をもって尊しとなすという、おもしろい民主主義を開発した日本である。米国の核の傘に隠れて甘い汁を吸っただけとの見方があるが、そんな器用な芸当をする日本のこがしこさや、のどかさ、島国根性から生まれた偏狭な価値観もすべて否定する必要はない。欧州も多かれ少なかれ、そういう傾向はある。もちろん、これからはそれだけで通用する時代ではないかもしれないが、うまく舵取りしながら戦争だけは避けることができれば、よりましな状態だと思えるほど、過酷な時代が到来するかもしれないからだ。
今後、世界が直面する思想形成のテーマ、そのキーワードの一つは欲望や憎しみといった、戦争や紛争、優越感や劣等感の根源にある感情をコントロールする別の技術の開発だろうと思う。世界が多様性を発揮しつつある今日、世界はその複雑な力関係をコントロールする訓練ができていないのも事実であり、当面は多くの人間の欲望を代弁するいびつな民主主義が横行し、理不尽な抑圧やそれへの反作用としての括弧付きの正義論からの対抗手段の応酬が続くだろう。が、一方で、より公正な富の分配を志向し、相手の痛みを想像し、助け合いの精神を発揮する人間本来の善良さを増やしていきたいものだ。それは、ごく身近からできることだ。政党政治・普通選挙権も行使することは必須だが、「社会をよくするためにわが党へ」「わが党だけが唯一の○○政党」などの甘言には要注意。政党政治は社会へのコミットメントの一手段ではあるが、政党・党派がもっぱら主導的に社会を変えるのだと錯覚しrたら、その時点で思い上がりの「政治屋稼業」だ。政治総体は、、国民の日常生活と、そこから派生するバランス感覚によって支えられている。民主主義の基本理念とは、市民・国民の健全な意識への信頼と三権分立による牽制が機能していることにある。国家は今では、国民がマネジメントするべき対象であり、政党政治はその道具である。市民の日常的な目立たない社会参加こそが国政へのアプローチの重要な基本要素である。それがしっかりできている人なら、政党政治の中にある諸々の問題点、改善点は、自然と理解できるだろう。政治は道具として活用するという感覚が理解できると思う。
政治に振り回されてしまってはいけない。政治に過大な期待をかけず、耳障りの良いスローガン、高尚めいた特定の思想やイデオロギーに頼るのではなく、国民一人ひとりが市民の自覚をしっかりもって、自分たちの将来は、自分たちがしっかり考え、身近な活動から切り開いていくという視点が必要だろう。民主主義の基礎にそれがなければ、どんな政治も、どんな組織も形骸化し、一部の権威者による独裁に堕する。それに加えて、情報公開の価値観、他者の意見に耳を傾ける謙虚な姿勢が政党政治には不可欠である。先生とよばれて裸の王様と化し権威や名誉欲の虜になったり、一方で組織の衣に隠れて党内民主主義を否定し、政治カルト集団として市民活動での民主人士への排除と乗っ取りを繰り返す。このような、どの対極にも例外なく蔓延する腐敗した政治環境は、しかし、今に始まったことではない。歴史的教訓をしっかりと認識する市民の側の冷静でバランス感覚を持った視点が求められている。
安易な他力本願主義ではなく、自分の身の回りから、優しさや、或いは思いやりのある厳しさを、汗を流してはじめればいいのではないか。加えて、世の中とその歴史をイデオロギー的視点から単純化せず、多様な価値観を認める立場からバランス感覚をもって学び直すことも大切だろう。
民主主義と不確実性、そして変化---
高度な、或いは、成熟した民主主義は、社会の不確実性を加速し、流動・変化をもたらす。多くの自覚した民主主義者が、日常という膨大な時間のなかで少しずつでも、「一隅を照らす」ような活動をすれば、表向きいかに強固に立ち塞がる問題や障壁も、少しずつ変化せざるを得ない。世界の多くの構成者がそれらを始めれば、世界の行く末に絶望することはないだろう。人々が、みずから、特定の狭い枠や壁の内側に入ることを欲しなければ、安易に憎しみのとりこになったり、裏切りや嘘にまみれて生きる必要も少なくなる。仮に、押しつぶされるような苦悩や怒りに直面しても、それを他者への暴力的発露としてではなく平和的に解決しようとする技術、偏狭なさまざまなイデオロギーに埋没しない技術、そしてお互いに助け合う技術を世界が身につければ、国家や民族、思想の名においての抑圧や殺人も回避しやすくなるかもしれない。
2008.8.22
最近の「蟹工船」のブームをみて、かつての古典小説も否定はしないが、日本社会は新しい価値軸をつくりだせていないのだなとつくづく感じた。それはどうでもいいのだが、「蟹工船」の横に立花隆氏の「日本共産党の研究」の陳列をお勧めする。小林多喜二も当時の指導部の実態を知れば愕然とするだろうだろう。多くの日本人が、立花氏の著作を読んで、戦前の下部党員の生真面目さとは裏腹な当時の指導部の腐敗と堕落の現実に驚愕したと思う。これが現代ではどこまで「進化」しているかは押して知るべしだ。
「蟹工船」の横に、 現民主集中制党のちょうちん本をこれ見よがしに並べるトンチンカンな某書店の姿をみて、そのセンスのなさに力がぬけてしまった。本気で、かれらが、革新的な組織だと信じているのかしら?おめでたい話だ。 いまさら、あえて民主集中制の犠牲者を増やさなくてもよいとおもうのだが。
2008.7.10新刊紹介
『NHKスペシャル 100年の難問はなぜ解けたのか -天才数学者の光と影』 春日真人著 NHK出版
う〜ん、久しぶりに、知的好奇心をそそられる本に出会った。
皆さん、時間ってなんだと思いますか? 子供の頃、時間って何から生まれているんだ、と不思議に思ったことがある。人間はいつか必ず死ぬ。それを規制しているのも時間だ。寿命や老化といったものも、すべて時間のおかげだ。つらい思い出も、ときには時間が癒してくれる時がある。不思議な「時間」。
宇宙が膨張しているという本を中学生の頃夢中になって読んだ記憶がある。フレッドホイルという科学ジャーナリストの書いた本だ。そのとき、驚いたことがある。時間は宇宙が膨張していることから発生しているものであり、宇宙が収縮し始めたら時間は逆行するという理論だ。今考えると、すごく荒っぽい理論だとは思うが、当時の私には、「時間の製造元は膨張宇宙です」という説明は、衝撃的だった。
それから宇宙論に、はまりにはまって、毎晩天体望遠鏡で星を見る日が続き、天文バカといわれ、親からも「もっと地上のことを考えたら」と諭される有様。絶対、天文学者になると心に決めていた。しかし、高校生になって苦手な科目ができてしまった。数学である。しかも猛烈なスピードで詰め込まれる受験数学である。天文好きの数学嫌いは、当然ながら宇宙物理へは進めない劣等生となってしまったが、いまだに夜空を見上げると、宇宙と繋がっている感覚を覚える。
個人的な話はさておき、私たちが、物理的に宇宙に接していることは事実だ。だから、宇宙がどういう仕組みになっているか不思議に思うのは、人間として至極当然の、もしかすると、本能に近い感情である。
ただ、宇宙の姿を地球という一点からしか眺めることができない人類には、その構造を理解することは困難だ。宇宙の隅々を探検することも無理。ただ、最近は「見る」技術が進んできた。高性能の宇宙望遠鏡で、最果ての距離にある銀河集団などが驚くほど鮮明に解析されている。だが、見るだけでは形はわからない。やっぱり、探検が一番なのだが、それはとても無理な話…。
翻って、探検という手段で構造を理解できるもので、人類が試した最大の大きさのものは何だったのだろうか。
それは地球の形状だ。
ならば、地球の形を探るのとおなじやり方で宇宙の形を探ったらどうなの、なんていう面白い着想をした人がいる。アンリ・ポアンカレだ。
ただ、彼の提唱した、もともとの地球探検のやり方が、あまりに奇抜すぎた。それゆえ新たに、100年の難問を生み出すことになる。
とまあ、こんな、一見、数学とは関係ありそうにない話から、番組、いや物語が始まる
実は、この本の冒頭を読んでいて、いきなり個人的な「30年の謎」が解けた。それは、マゼランの話だ。
地球平面説の時代、人々はユーラシア大陸の西端、ロカ岬に立って、この先の海には何があるのだろうと不思議に思っていた。それをマゼラン探検隊は西へ航海に出て3年以上かけて東から出発地に戻ってきた。(マゼランは途中で死亡)これにより、地球が丸いことが証明された…。
マゼランの世界1周が地球の形を証明する旅だったのか、植民地征服の旅だったのか、よく覚えていないが、巷では、この話でとにかく地球が丸いということが証明されたことになっている。
しかし、昔、子供心に「待てよ」と思った経験がある、「すごくジグザグに、すみからすみまで航海したわけでもないのに、何でそれで、丸いってことになるの?」「タイヤのような形か、平面の厚みのある淵の部分かもしれないじゃないの」と思ったことがある。少し大きくなってからは、どうもこのマゼランの話は後からのこじつけで、西欧植民地主義の歴史から生まれた「探検(征服)美化物語」を科学的発見に後付けしているような気もした。とにかく、一周して元に帰ったとしても、地球はタイヤのような形で、その周囲を回っただけかもしれないって思ったものだ。だが、現在の私は、すでに形を知っているから、そんな疑問も頭の中に長くは定着はしない。まあ、丸いんだから、それでいいんじゃない、すでに証明されているんだから。丸いおかげで海外旅行もできる。めでたし、めでたし、だよ。
ところが、この話に納得しなかった人がいる。マゼランの話を、そのまんまに受け止めても、地球はタイヤならぬドーナツの形をしているかもしれない、したがって、航海だけでは「地球は丸い」って証明できないはずだ。もしドーナツの形をしてたら、どーしてくれるんだ。いや、もしそうだったら、ドーナッてたんだろう、と考えた人がいた。実に正直な、素直な性格の人だ。それが、アンリ・ポアンカレだという。しかもそのカレは、世紀の天才数学者だというのだ。え〜、ますますドーナッてんだ。ひょっとして俺も天才になれたのかも…、なんて思わせてくれる本なのだ。つまり、私のような数学音痴でも、それがもつ素直な疑問は、科学者全般に共通しているのだという。
物語は冒頭、ノーベル賞以上の権威をもつ「フィールズ賞」の受賞を拒否して姿を消してしまったロシアの天才数学者のミステリーから始まる。(この部分、昔みた映画『ロシアハウス』を思い出した。)世間的なイメージとはだいぶ違う、数学者の哲学的で人間くさい部分が全面開花している。人としての生き方まで考えさせてくれる一冊だ。数学って、人間そのものなのかも。読者が気がつかない間に、数学がどんどん映像化されていくのもすごい。さすが、最高に高度な数学の世界を映像にしてしまった著者だ。専門用語も少しでてくるが、それがあまり苦にならない。…とにかく、この冗談みたいな「ドーナッツの話」が、ものすごい理論になっていくのだ。
なんか、苦手な数学、もう一度勉強し直してみようかな、って思いはじめた。
(上掲書籍の内容は、
NHK・BSハイビジョン特集 『数学者はキノコ狩りの夢を見る 〜ポアンカレ予想・100年の格闘〜』
として、2007年10月1日放映された。)
2008.7.8
ここんところちょっとややこしいことばかり書いたので、当センター栽培の薔薇(といっても蕾)の写真をご覧下さい。
仕事のほうがパニクッてきたので、ますます書きっぱなしの傾向がありますが、このコーナーだけは
プライベート空間という位置づけですので、宜しくお願い申し上げます。
本体の学術コーナーのほうは、新しい成果報告、研究者からの追加等があり次第、更新、改稿させていただきます。
2008.7.5 再考 軍事遺構と、“戦争遺跡”表現
ある考古学者から次のような感想が寄せられた。以下掲載させていただく。
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軍事遺跡という名称については、私も賛成です。
飯田則夫著 『図説 日本の軍事遺跡』 の冒頭には次のように「軍事遺跡」を用いる理由が明瞭簡潔に述べられています。
「言うまでもないが、戦争は倫理外の絶対悪=B 巷では「戦争遺跡」という呼称が定着しているが、負の遺産≠ニいう前提で捉えたくないため、敢えてタイトルを「軍事遺跡」とし対象を限定した。「近代遺跡」のひとつとして、先入観を持たず接してほしい。手垢のない新鮮な歴史素材からは、さまざまな発見があるだろう。」
さらに続けてこうあります。
「我が国が関わった数々の戦争について猛省すべき点は多く、旧軍とその時代を断罪することはたやすい。しかし全否定は何も生まない。いたずらに賛美しても同様である。…後略」
私はこの文章に接してから、これを基軸として活動しているつもりです。
かたや「戦争遺跡」の表現を好む勢力は、最近はさらにこれがエスカレートして、「近代化遺産」という言葉まで日本の近代史を肯定的に捉えた言い方だ、とか主張して攻撃対象にしてきているようです。
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2008.7.4 社会活動
先日ある大学で、150人ほどの学生さんを前にお話する機会があった。本業ではなく、非営利活動に関する話なのだが、一応大半は、ロジカルな話に終始した。最後に一言ということで、学生の皆さんにメッセージを送った。
「仕事とは異なり、非営利活動は、人が個人的に自らの心のリフレッシュのために行うものだと考えている。一方で、“私は、こんなにいいことをしている、みんなついてきなさい”という姿勢や、そのことで、えらそうに他人に説教をしたり要求をする人も多い。こういう姿勢をとる人は私は嫌いです。人間一人ひとりの存在はとんでもなく小さなもの。これは厳正な事実です。だから、ともすれば思うようにならない、ままならない厳しい社会生活のなかでは、自分の生きる価値や存在意味がわからなくなりがちです。でも実際には、私たちは多くの人から生かされて生きている、大切な存在です。その価値に気づかせてくれることがあるのが、仕事とは違う価値軸で考えることのできる非営利活動(だけではないが)です。だからこそ、自分の生きる力のために、自分を励ますために、こういう活動をさせて頂いているんだ、という気持ちで、楽しくやっていってください」というような内容を申し上げた。
私は人前で話すのは基本的に苦手ではある。が、私のつたない話を、幸いにも、多くの学生が真剣な表情で、頷きながら聞いてくれた。
若い人はすばらしい感性を持っているし、大いに期待が持てる。唯一、人の心をもてあそんだり、金で人の心を買収したり、売名や権威を利用して勝手に優越感に浸ったりといったような、悪しき傾向性に彼らが毒されないように心の中で祈った。重要なのは、試行錯誤を経ながらも、誠実に謙虚に生きようとする大人の側の努力の姿勢、そしてそれは、自分自身の姿勢であると感じた一日だった。現実の世の中では、ついつい傲慢になったり、調子にのったり、えらぶったりすることは多い。それほど人間の心は弱いものだ。それはすべての人間に例外なく存在する傾向だ。生まれた時からの悪人も、逆に、善人もいない。人間は誤りをたくさんおかし続ける生き物だ。しかし、それ自体が悪いことだとは思わない。人間の心と頭脳のもつ、もっとも大切な力は、経験を記憶し、記憶を反復し、それを再解釈して修正反省再構築する能力だと思う。それは、すべての物事に対する、謙虚な気持ち、素直な気持ちだと思う。自己内省の力を大切にしたいと思うこのごろです。
2008.7.3 軍事遺構・軍事遺跡と、“戦争遺跡”の呼称について
要塞や陣地の遺構を私たちは軍事遺構、ときには軍事遺跡と読んでいる。それを考古学的手法をも活用して考察する領域を軍事考古学と呼称している。一方、これを「戦争遺跡」と呼ぶ人や団体、政治勢力も一部にある。一見するとなんでもない言葉の言い換えに見える。しかし、・・・である。
その違いを、そして、虎頭要塞研究における一部の人々の「ご乱心」を観察させて頂いたり、具体的に人物像や背景事情などを総合しながら、15年間、自問自答してきて、あることに、思い至った。
遺跡という呼称は便宜上はかまわないと思う。ただ、、一方で、つい60数年前の激戦の地や、遺骨が大量に眠っている戦闘地を簡単に「遺跡」と連呼してしまう感覚には自己警戒したい。「遺跡」という言葉は、遠い過去にあるものをイメージさせる。確かに第二次世界大戦の遺物は年月を感じさせるが、今も生きている戦争体験者という具体的な生身の人々を想像した場合、「戦争は過去のものだと、その体験の風化に拍車をかける」傾向と混同されやすい側面にはかなりの注意が必要だ。もちろん戦争体験者の強い感情から少し距離を置いて、形としての遺構の再現やそこからの発見や分析のために学術的手法を活用することはありうることだが、一方でその距離感を逆手にとって、軍事遺構をその社会に存在する価値観や戦争体験者と物理的に完全に分断してしまい、その後、「特定のイデオロギーでまとめ、思う存分料理する」ことに活用しようと、ある政治勢力が意図した場合はどうなるだろうか? 戦争の跡地には、そこで血を流した多くの方とその遺族がまだたくさんおられる。それを特定の政治的グループが国民の幅広い議論を経ずして「加害者遺跡」だとかなんとかと定義した上で、好みのスローガンや政治的解釈を付与しはじめたら、生身の人々はどう感じるだろうか。
ただ、もちろん、事物を解釈するさまざまな権利は完全に民主社会では保障されている。共産主義など、資本主義・民主主義を否定する政治勢力の構成員に対してさえだ。したがって、どう呼称しようが、どう叫ぼうが、どんな言論を展開しようが自由である。しかし、それが正確ではなかったり、本来の定義としてこういう呼称がある、ということをしっかり認識しないと、学術が簡単に政治利用されてしまう。
(どこかに利用される前に、スターリニズム的一部党派に学術が利用されて、いいものだろうか。実際こういうケースは日本のいくつかの学術分野や各種の一部被害者団体にはかなり深刻な弊害を与えていて、いまもその残滓がある。55年体制の名残といってもいい。)(関連参考用語:ボルシェビズム、スターリニズムの変容としての民主集中制)
厳密には、軍事遺構・軍事遺跡が、より本質的かつ本来的な呼び方であり学術的呼称であると考える。
(“戦争遺跡”の呼称を採用する人々のなかでの、一部党派系グループは、一般市民が使う『戦争遺跡』の呼称を、独自かつ勝手に定義している。ここに注意を要する。一部党派系グループか、党派系に擦り寄りたいグループ、あるいは党派系に支持してもらって自分たちのグループを大きく見せたい方々は、『戦争遺跡』を明確に「日本の侵略戦争」「加害者vs被害者或いは抵抗の戦争構築物」と定義している。一方的な侵略戦争の局面においては、それはいうまでもないことだが、広い世間では、それも一つの見解。世間には、そう認めない人もたくさんいる。対中だけなら可能としても、対ソ、対米英用の構築物になると、そう単純には、括り辛くなる。世間にはいろんな見方があるのだ。ただ、そんな議論以前、言葉の定義以前の問題として、もっとも肝心な問題はかれらが根深くもっているところの、「すぐに自分の言葉に陶酔して他者に傲慢になってしまう精神的な幼児性」「人の上に立ち、人の意識を低いと見下し、それを俺たちが導いてやるんだ」という奢り高ぶった考え方である。それがすぐに徒党を組み、そのなかでは全体主義的抑圧行動にさえためらいがなくなる。すでに、化石となった民主集中制という独裁執行体制をいまだに嬉々として採用している異常な精神的土壌である。それもまた、軍国主義や暴力的闘争を生み出す、まぎれもない精神的土壌だ。だから、ちょっと内情がわかると、とんでもない組織だとばれてしまう。民主主義の素養をもった圧倒多数からは本質的に嫌悪される)
以下長々、どうでもよいことですが^^…
細かいことを考えると、“戦争遺跡”は、戦争のための、あるいは戦争があった遺跡となるが、戦争は、その施設だけでするものではない。中にはその施設はまったく機能せず、別の地域で、平原の真ん中で行われることもある。戦闘では稼動していない施設もあり、場合によっては戦争遺跡と呼ぶにふさわしいのは、戦われた戦場の跡地にある平原そのものであったり、市街地中心部の大戦時の古い建物や道路そのものだったりするかもしれない。だが、“戦争遺跡”の呼称は、逆にそうであるかのような錯覚をもたらすこともある。これでは戦争の本質を正確には把握できないだろう。幅広い軍事、戦史の専門的知識や、戦略戦術の解明や分析力なしに、いつも砲台の大きさを測ってこれがあの戦争だ、というのは相当わかりにくいし、そもそもあまり重要な気づきや発見は得られないかもしれない。もちろん、いうまでもなくわれわれは、すでにあるものへの徹底的な実測は行うが、それはひとつの大きな、重要なデータベースであるという位置づけであり、その周囲では、あらゆる視点を総合して判断する姿勢が重要だと考えている。それを保障するのは、思想で縛らない多様な立場の知識人と技術者に参画して頂く意味での軍事考古学の分野である。
トーチカや、砲台や、地下陣地は、そもそも平時では一般名詞でも戦争施設とは呼ばれない。正確な呼称は軍事施設であり、軍事的構築物である。研究論文にそんな表現が使われれば、政党機関紙への投稿レベルとなる。たとえば、自衛隊のレーダー基地を戦争施設と呼ぶのは悪いとは言わないが、特定の考え方の人だけだ。
意図から生まれる要素をもった言葉は多い。戦争遺跡という言葉を使う意図には、戦争イコール悪であり(これは当然。戦争に賛成する人は当然いないから)、過去のものであろうが現在のものであろうが、「戦争施設」という呼称には、「戦争のときに使用する」という言葉の理屈のレベル以上に、イコールその施設は『加害者施設』であるという思想的定義づけが作為として先行している節があると感じるのは私だけだろうか。当然人を傷つける装置を保有する施設を善とはいえないだろう。大陸における日本の軍事施設はもちろん善の施設ではない。ただ、施設そのものを善悪の判断を優先して呼称し、戦争遺跡とするのなら、古代ローマ帝国など過去の古代遺跡の多くを「戦争遺跡」と呼ばねば論理は一貫しない。古代の城壁などは、ほとんど全部が「邪悪な加害の戦争遺跡」ということになる。なぜ近代だけに絞るのか?みずから「遺跡」だといっているのに。
戦争遺跡という呼称には、言葉の微妙な言い回しで、近代の軍事施設に対する、ある価値観を最初から注入しようとする意図とその背景にある具体的な「組織」や政治団体の動きが感じられるのだが…。逆に、メディアには、多くの軍事施設を研究している人々の実績を、安易に、「戦跡」「戦争遺跡」の呼称でまとめないようご注意願いたい。そうしてしまうと、多様な価値観で協力している人々を、ひとつの価値観でくくってしまうことになる。言葉ひとつ、の力によってだ。とくに言論をになう方々には、耳障りの良い言葉に注意を願いたい。
言葉の意味を厳密に考えていきたいものだ。戦争遺跡という表現を敢えて否定するつもりはまったくないが、学術の分野では逆に、言葉の定義は重要な議題になる。それに、こだわるのも実はどちらかというと特定の政治団体のほうである。
政治的「学術」団体でない限り、通常の学術的見地からは、まず、軍事遺構であり軍事遺跡だろう。
最終的に観光名所にするのが目的なら戦争遺跡とよぼうがなんとよぼうが関係ないのかもしれない。しかしそこから歴史の教訓を導きだそうとするなら、遺構を研究するときには思想的な背景と基準をつくらず、まったくフラットな出発点から、調査をしなければ、真実は解明できない。
と、まあ、長々のべたが、真剣に研究をした経験のある方なら、用語の重要性は十分ご理解いただけると思う。一方で過剰に言葉の問題にこだわるつもりもまったくない。まあ、結論としては、好きにしたらっ、ていう感じです。
ただ、平和愛好者であり、平和のためにさまざまな貢献をしている軍事専門家や軍事考古学者を、軍事知識が格段に優れていることに嫉妬し、かつ自分たちの影が薄くなるのを恐れて、「軍国主義者」であるかのような陰口をたたいて偏見を広げるような、某グループの傾向性を知っている。そういう人たちが「戦争遺跡を平和のとりでに」と政治的スローガンを叫んでいるのをみていると、自分の言葉に陶酔する前に、もっと人間というものに敬意を払う社会人としての礼儀の訓練をしてほしいと申し上げたくなる。こういう傾向は、どんなに美しい書籍をかかれようが、スローガンをまとわれようが、素直に共感できないから困る。
2008.7.2
当センターの特徴は、まったくことなる意見の共存である。戦争のテーマをもろに扱っているので、
一見思想バリバリの活動と思われる方は多いかもしれないが、、実際には正反対。高度な技術集団である。
むしろ、ごく普通の社会常識と良識が唯一の条件だ。
みんな自腹で活動している。だからこそ、演説ぶちかましたり、偉そうな態度をとったり、
一生懸命権威付けに奔走するような、社会経験に乏しく、常識にかける傾向の勢力の介入はサイアクだ。
たとえば、消去法でいうと、以下のような傾向がノーサンキューなのだ。
成果を独り占めする、あるいはその行為を合法的に見せかける仕掛け作りに、まい進する
党派や派閥のフロントとして市民活動の中で暗躍する
党員をひそかに市民団体の中で拡大する
勝手に特定の政党機関紙に市民団体の代表者であるかのような顔をして登場する
写真や著作物をこっそり盗用する
共同の成果を引用した著作物をお世話になった方々に秘匿する
思想が違うからといって戦争体験者を誹謗する
国内外に金をばら撒いていつのまにか、元締め然としている (しかも感謝もされないのに、ある意図のもと、無理やり金を押し付ける -
-; おそろし!)
面白すぎて、ひっくり返る方もおられるに違いない。そう、この世の中には、面白すぎる人が多い…。
ここでしつこく語っている「非常識性」とはこのレベルのことなのだ。
2008.7.1 落書き行為許すまじ 傍観者的評論も
邦人によるイタリア世界遺産への落書き行為をめぐって、騒がしい。ストリートギャングが常習的に繰り返すタギング行為(一晩で100箇所規模の犯行を連日繰り返す)とは少し形態の違う『アイアイ傘』系の落書きではあるが、精神的幼児性や他者の痛みへの想像力の欠如という意味では根っこが同じだ。また、こういった成人層で落書きをする輩は、ストリート系犯罪者の直接間接の傍観者・取り巻きとして存在していることを知っている立場としては、共通の性向があると考えている。
岐阜や京都の学生とあったが、最近、該当地域の街にも落書きが増えて、ほとほと困っている住民の声を知っているので、海外旅行での一時の気のゆるみの問題ではないと受け止めている。今回の活発な議論は、落書き行為がいかにモラルのない行為か、そして広域化常態化しているか、を知らせる上では一助と思い歓迎する。ただ、「イタリア人が日本の落書き行為者への厳しい処分に驚いている」といった内容や、また、それを面白く取り上げているところもある。こういうぶれた議論をする方は、アメリカ村や下北沢の落書き被害に苦しむ住民の気持ちを考えてほしい。この6年間、全国の住民が落書き消しという大変な作業に従事するなかで、せっかく盛り上がってきた「落書きゆるすまじ」の意識を、助けてほしい。
小さな問題の蓄積をおろそかにする傾向こそ、大きな問題を引き起こしている源なのである。他人の痛みを考えず、多くの人が大切に守り続けているものを安易に汚し、破壊し、それをはたからは、ああでもないこうでもないと評論する人のあまりの多さ…。「小さなこと」が「小さなこと」と放置される社会では、すべてがおおごとになって手遅れとなるのである。それは組織体の引き起こす不祥事や事故、地域でのさまざまな問題など、身近な事例に置き換えてみればすぐにわかることだ。いじめや不祥事や、それに手を染めるものを絶滅することは不可能に近い。しかし、それを安易に許す手助けをするのは、周囲の、「見てみぬふりをする空気」、「行動しようとするものをためらわせる効果をもつところの傍観者的議論を好む空気」である。誤解を恐れず表明すると、「いじめっ子」本人よりも、むしろ、「いじめをそばで傍観している」態度のほうがよほど悪質と思える。傍観者的評論は百害あって一利なしだ。
2008.6.29
サイトを多少まじめに更新しているからか、アクセス数が一日あたり100件ペースで推移した。ありがたいことである。このコーナーに関しては、かなり主観的で偏狭な思考方法にて綴っています。申し訳ありませんが、一億分の一の意見程度にお考え頂き、大目にみていただければ幸いです。
2008.06.28 情報公開
ある方の意見。「悪党は例外なく、すべての組織に存在する。すべての政治勢力、左翼含めてすべてだ。例外はない。その腐敗を是正する必要条件は一重に情報公開にある」
2008.6.27 批判の自由
中国人の友人がこんな意見を言っていた。一理あるので紹介したい。四川地震での日本人への一部メディアによる色づけである。まあ、報道は何を言おうが自由なので、それを規制することはまったく主義に反するが、内容に対する批判の自由はこれまた最大限必要なことなので、必要なクレーム情報として。
四川にいち早く駆けつけた中国首脳を紹介しながら、“四川現地住民の不満を抑えるためにやっきになっています”的な日本側のある映像報道のことで、あれは余計だろということである。私も確かに余計な一言だとは思った。これをみれば中国の大多数の人は怒るだろうなあ、と思った。自分の国に置き換えたらわかる。震災被害現場に駆けつけた日本の首相を、海外メディアが「○○首相は地震の被災者の反政府感情を抑えるのにやっきになっています」と外国の、しかも国営メディアが報道すれば、少なくとも政府間レベルの信頼関係には大きく傷がつくだろう。報道の自由を表向き最大限認める日本国民も、それには怒るかもしれない。
まあ、雲の上の報道合戦に関しては、私は門外漢だが、日中、お互い批判は旺盛にすればいいと思うし、必要で適正な批判は信頼関係の基礎にあるべき重要なコミュニケーション要素だと考えている。私も、中国の人々とは、友好も目いっぱいするが、批判も目いっぱいやっている。批判にはある程度感情が入るのも仕方ない。しかし一方、節度を逸脱したレベルでの感情的な応酬は、そろそろ抑える訓練をしたほうがいいと考えるのは私だけだろうか。それには日本人がもっと賢くならないといけないような気もする。
2008.6.22
アクセス4万5000件突破しました。感謝!
こんなマニアックなサイトを、これだけたくさんの方にご覧いただけていることに感謝します。もちろん、やってるほうはそれほどマニアックなつもりはないが。わが国では軍事を研究しているというだけで好戦的だとか、少々変な人と見る向きが少なくない。問題は軍事ではなく軍事の切り口から歴史の教訓を導きだしているだけなのだが。
それは別として、中国での軍事遺構の調査をしていると「日本の恥を公表して問題ないんですか」なんて真顔で心配する一般市民の方もおられる。私はこういう感覚のほうがどちらかというと自虐的に見える。軍事遺跡の解明を恥と思う根拠は、きわめてウエットで国際的には少々マイナーな感覚ではないか。なぜ恥だと思うかは、祖先がやった負け戦は家の恥という感覚だろうが、あなたの先祖が先頭で、好きではじめたわけではないでしょう。一億総ざんげの話ではないですよ。そもそも、なんで一億人が総ざんげしないといけないの。
戦後日本は、米国に追随して、歴史を真剣に清算せずして経済大国として成功した。かつての被支配国に対しては、米国の政治的軍事的バックアップを背景に、1.まともに付き合わない、或いは2.付き合うとしても経済大国として上からみる視点で付き合う、ということが「できた」ふしがある。だから日本人は隣国とコミュニケーションをしっかりとり、繊細な歴史問題にも嫌がらずに積極的にコミットして旺盛に議論をしつつ、歴史的事実に関しては厳密な科学的研究と積極的清算をしながら、それを逆に梃子にして、周辺国へ深く深く浸透し、付き合いを精神的にも深める、という訓練がまったくできていない。あるのはどこまで行っても加害VS被害論である。真実をドライに見ようとしなかったり、軍事的敗北の教訓である事象に目を覆う一方で、反対側へのぶれとして、被支配国の歴史記述に必要以上に噛み付くことも起こる。さらに、いろいろな政治勢力はこれを目いっぱいあおってきた。
一方で、鼻持ちならないのは、中国大陸に絡んだ歴史研究にあたって、「侵略者としての贖罪」を思想的踏み絵代わりに要求する傾向(たいていは党派的勢力が市民活動に介入し乗っ取りのツールとして使われることが多い)で、これは左翼(というより単なる不満吸収組織か)の悪しき傾向のひとつだ。
日本がかつてアジアに対して侵略戦争を行い、それに関して責任があるのは当然のことであるが、これを認めることは、もはや思想的範疇の問題ではない。日本はアジアで大規模な拡張政策を実施したが、当時、植民地主義を世界各地にもアジア全体にも実施していた欧米列強のなかで、最後にその仲間入りをしたのである。その結果、当然のことながら最後に追い出されたのである。日本の近代史は、欧米植民地主義全体の長い歴史のなかで位置づけて考察しなければその本質は見えてこない。日本固有の責任を、逆に贖罪という形で認めないからといって、簡単にレッテルを貼られるべき簡単な問題でもないのだ。全体の歴史を見ずして感情的な対応に終始する傾向もまた危ない。
一番えげつないのは、「侵略戦争を反省せねばならぬ」と表向き美しい言辞を操りつつ、その内面の人間性は最低!の輩がワンサといることである。こんなのに市民活動が関わったら最後、気が付いたら○旗党のメンバーが偉そうな顔をして居座り、機関紙で市民団体の名前がバンバン出され、いつのまにかフロント扱い。そのほうへの警戒が必要なくらいである。なかには、中国ビジネスのブローカーをしている輩が、価格交渉になると、過去の戦争への反省を持ち出して、「もっと金を出すべき」という論理展開をすることもある。こんなのが「友好企業」や「平和友好」を称しているから、真剣に真実を追究しようとする人々まで誤解される。要注意だ。
問題は、わが国において、戦争の真実を探求する作業が政治的対立軸のなかで語られることが多い現実である。歴史の責任に対しては、現実に与党も野党も角度は違うものの大筋過ちを認めているのであり、誰かれが得意げに語る話ではない。
ドイツでは戦後処理がうまくいっている、だが日本は反省が足りない、と声高に簡単にいわれる方もおられるが、問題は反省の度合いではないように思う。もっとも重要なことを隠しているのではないか。ドイツでは、「戦争の真実を思想信条によらず全国民が受け止め、探求しやすい環境づくり」に多大な努力と工夫が払われているようだ。それ自体が大変な努力だと思う。その点に関しては、すべての勢力は自己の勢力拡張のために感情対立を利用している側面に関して深刻な反省をすべき立場にあるのではないか。
どんな美しい言葉をあやつろうとも、誠実な心とバランス感覚、これを欠いたらすべては悪臭を放つ偽善者となる。
私たちは戦争をしらない。政治団体や、政治党派の衣を隠した偽装学術団体でもない。特定の思想ももたない。しかしきわめて旺盛に歴史的事実の発掘をしている。これに関しては妥協はない。それは、戦争を知らない世代、それだからこそできる歴史的事実の発見と分析、そして評価のやり方があると確信しているからである。戦争をしらないからこそ可能となる冷静な視点である。しかしもちろんそこには努力も必要だ。戦争体験者の思いを受け継ぐ作業である。その上で、戦後世代は、まったく新しい局面と時代を切り開くことができると考える。政治利用を目的としたものではない、普通の国民自身の編み出す歴史観だ。肝心なのはこころの問題。それは自分たち自身の国がどういう道を進んでいくかという課題でもあるのだ。
2007.9.5
瀬島龍三氏が逝去された。関東軍と満州国、シベリア抑留の研究をするものにとっては、大変身近な存在の人であった。故岡崎哲夫氏もシベリア抑留中に瀬島氏と出会い、「関東軍参謀のなかにも、こういう人物がいたのか」との率直な感想を、著書『シベリアの日本人』の中で記している。戦後はビジネスの世界に生きられたので、戦争のことは深く語れない条件性もあっただろうが、どういう立場であったにしても、10年以上にわたるシベリア抑留体験は過酷であっただろうと思う。日本の商社ビジネスに戦略性を付与した、戦後賠償のレール上で商売をした、戦争体験や戦争の教訓について沈黙を守ったと、評価はいろいろに分かれるが、彼が語りたくなるような歴史の継承者がいなかったのも事実だろう。瀬島氏に限らず、戦争の単純明快な教訓話に簡単に付き合ってくれるほど、戦争体験者は単純ではない。あいまいな戦後処理をするなかで経済的大成功を収めた我が国で、彼らの引きずる「立場」は、戦後世代が考えるほど、簡単ではないはずだ。氏に話を聞きたかった人は多く居られたに違いないが、皆、教科書に書けるような、あまりに明快な回答を求めすぎたのではないか。すでに前提としてある戦争責任論や、ありきたりの結論の補強証言として戦争体験者の証言があるのでは無いと思う。どちらにしても、教訓は私達が自ら歴史を紐解くことで生み出さなければならない時代に入ったのだろう。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
2007.9.2
先日、当センターの研究員が訪ねてこられて、一部資料の精査を行った。その結果、旧ソ連側軍事要塞の武装内容についての未発表のデータが出てきた。いずれ、報告書で発表することになると思います。
2007.9.1
報告集は引き続き、ご注文を頂いているが、戦後世代の方からの関心が高まっているように思う。問題意識が現実的であり、うなづけるところが大きい。こういう方から次世代のオピニオンリーダーが生まれてくれると面白いと思う。まだまだ残部余裕ありますので、ご入用の方はお気軽にご連絡下さい。
2007.8.31 故岡崎氏と森永砒素ミルク中毒事件、そして政治
故・岡崎哲夫氏は森永砒素ミルク中毒事件の被害児救済を第一線で担い、恒久救済対策案のモデルを創案しつつも、当の救済団体が設立されるやいなや、「そこに浸透してきた、“政治的センス”をもったある集団による専制的(集中制的?)支配、急速に進む組織の変質と救済理念の“変化”を指摘・批判・是正しようとする」なかで、「謀略的ともいえる手法」で「除名」された(関係者談)。以降、故岡崎氏が現・森永事件関連組織とまったく無縁となって数十年がたつが、最近、雑誌で、当の救済団体のまことに醜悪な内部問題が暴露、指摘された。
岡崎氏自身もかつて、「同僚に・対して敬称をつけずに呼び捨てにするようなことが急に始まった」異様なモラルハザード(みようによっては集中制的支配を注入するための権威構造醸成手段か)など、多くのジャックプロセスを指摘している。過去、純粋市民・社会運動を経験された非党派の一般の方、団塊の世代の方々にも思い当たる節のある方は多いのではないか。
現在は故岡崎哲夫氏の遺族によって、森永ミルク中毒事件文書資料館がほそぼそと運営されているが、実は、そこには今日では巧妙に隠されている事件史の正史とそれを裏付ける第一級の資料がA4用紙換算で30万枚を越える規模で残されている。128人もの赤ん坊の命を即時に奪い、12000人とも言われる膨大な規模の被害者を生み出した世界最大の食品毒物公害事件をめぐる動きに、半世紀たった今も、釈然としない問題が山積みであると公に指摘され、かつそれに対しても是正の動きすら見られないというのは、不思議な世の中になったものである。
一般論的に、被害者団体も組織化され、ランク付けされ、金銭の分配に差が設けられ、それを分配する担当者が一部の被害者ということになると、いろいろ黒い問題がでてくるのだ、とある雑誌の記事は厳しく指摘している。どうも、被害者団体は被害者で構成されているからといって、聖人君主の組織であるとはぜんぜん言えないということらしい。正すべきことを正すという意味ではすべてに問われるモラルの問題である。
ところで、話はまったく変わるが、今月号の「文藝春秋」(月刊)の立花隆氏の論文は大変うなずくところが多かった。彼は一環して、戦後の一部党派の体質、特に「民主集中制」とかいう、世界でももはや類例のほとんどない独裁的組織支配体制についての論稿を発表し続けているが、そこに書かれている諸事実は「現代の化石」と呼ぶにふさわしい組織のありようだ。前記の雑誌の話と、問題の根源が結びつく話だ。しかし、つくづく、「除名」というのはふるっていると思う。
2007.8.26
41p大口径榴弾砲の実弾、完全な形で出土か?!
中国黒龍江省虎林市で、旧日本陸軍の最大口径砲である41cm榴弾砲の実弾がほぼ完全な形で出土したという情報が伝わってきた。完全な形での陸軍41cm榴弾の実弾の回収は戦後初のことである。中国側も「天下第一砲」と呼ぶ41cm砲の実弾であり、大きな発見に興奮している様子が伝わってくる。重量1トンを越す砲弾である。現在、統括軍管区の専門家が安全性の検証をおこなっており、もう少し時間がたたないと詳細がわからないが、事実だとすれば、虎頭要塞共同研究における歴史的な出来事であり、14年間一貫して共同作業を絶やさなかった研究センター関係者のご努力による継続性の成果として大いに喜びたい。すでに日本側軍事専門家からも、鑑定・保存方法等について提言を行っており、詳細がわかり次第ご報告したい。
2007.8.23
おかげさまで、多くの方から報告書の感想を頂いている。その一部は新刊紹介頁に掲載してあるのでご参照いただきたい。
2007.8.22
つい1ヶ月前だろうか、大手商社がシベリア鉄道を使ってロシア国内への本格的な物流体制の構築に乗り出すという記事が日経のトップを飾った。日本企業がロシア市場に本格参入していく準備が整いつつあるということだろう。これを契機に極東地域と日本との交流が加速してほしい。もちろん交流が深まれば、摩擦も増えるが、深く交わることなくして真の相互理解も得られない。国境を接しあう国同士が対立関係ばかりでは情けない。
メディアの皆様のご支援もあり、報告書への問い合わせが全国から相次いでいる。同時に寄せられる戦争体験や証言が実はもっとも興味深い。また高齢の体験者にかわって、ご家族の方がメールを送ってこられるケースも多い。こういう機会を通じて、是非、ご両親の戦争体験や歴史体験をしっかりと聞かれて、家族の歴史として大切にしていってほしいと思う。
それにしても暑い。あと少しの辛抱だとは思いますが、皆様、夏バテに気をつけてください。
2007.8.18
関係者待望の調査報告書を送り出すことができて、ほっと一息ついている。準備から丸二年かかったが、実際に組版作業に取り掛かったのは、7月末からで3週間ほど。連日早朝4時頃まで編集と校正作業を続け(それでも不十分ですが。陳謝!)3〜4時間睡眠の時期を過ごした。仕事を抱えながらであるので、ちょっと異常な日々だった。(泣き言^^)。でも多くの方からご注文を頂き、また読後の感想を拝見するにつけ、やりきってよかったと思う。全国から多大な反響を頂いて、感動している。これも一重に、一流の執筆者に恵まれたことによる。心より感謝したい。全国から続々と新しい証言や情報が寄せられつつある。とくにご遺族からの情報提供が増えている。時代の変化を感じる。
2007.7.16
長年、国境要塞・満州国・日中戦争などについて研究を進めているが、しかし当センターの統一的見解は存在しない。歴史を一つの価値観で統一することなどできないからである。様々な見解こそ、生きた歴史的現実の反映であり、できるだけ多くの意見に耳を傾け、その意見の背景をしっかりと認識して、みんなが納得しながらより良い世界を築いていくことこそ、国際平和への真のスキルとプロセスだと思う。
2004.
6.16 「多国籍軍」参加はまずいでしょう
次の選挙の争点は年金問題を通り越して、いきなりこれになりそうだが、野党のギクシャクぶりにもブリがついているほどだから、その弱点をついているのだとしたら、小泉首相も相当戦術家?
というより、野党がイマイチすぎるのか、こういう事態は予想できたことなのに、驚いてみせるところなどは白々しい。「首相は勉強不足で、お話になりませんね」と皮肉ってみせる余裕があるのか・・・。
多国籍軍はいつも戦闘行為を行うわけではないが、軍は敵を想定し戦闘行為を前提として一元的に機能する強固なヒエラルキー組織であり、機能しないとしてもそれはたまたまに過ぎない。多国籍軍は特定の政治目的を共有する各国の決意を基軸とする連合軍であり、当然、指揮権があいまいであることはありえない。現状でも、イラクの自衛隊は制海空権を握る米軍の指揮権下にある。今後のイラクはますます混迷の度合いが深まるだけだから、自衛隊も予測不能の事態に直面することになるだろう。指揮権の問題をあいまいに答弁で行うことで、国民の間に、軍隊というものはかくもあいまいに捉えても構わないと受け取られるとしたら、それこそ、口先三寸ではすまされない問題になるだろう。
日本は米国とのお付き合いという形をとりながら、実は多国籍軍に参加したくて仕方のない積極的理由をもっているのではないかと思える節もある。対米従属はけしからん的野党主張も、「なし崩し」の片棒を担いでいるように思えることもある。
今回の事態は、集団的自衛権どころか、他国への積極的な介入行為である。まあ、すでに介入してしまっているのだが・・・。資源の領有をめぐる闘争を軍事力で遂行しても可という、将来の禍根につながる思想を着々と形作っていることは間違いない。
こんなことがすんなりいったら、日本は憲法規定など関係のない超法規の国ということになるだろう。自民党のいう憲法改正さえ必要がなくなり、与党も自己矛盾に陥るのではないか?もっとも、一番困るのはイラクに駐留する現場の自衛官かもしれないが・・・。説明責任を果たさず、ご都合主義で軍隊を動かし、兵隊を粗末に扱うこの国は、当然のごとく国民をも粗末に扱うことになりはしないか。兵士の多くはいざというときの覚悟について日々悩みつつ考えているだろうが、しかし、彼らにも、私たちと全く同じく、愛する家族がいる。「兵士は死ぬのが仕事」と思っている政治家がいるとしたら、それは大間違いである。兵力を保持している現状であっても、一兵たりとも血を流させない決意を政治家は持つべきであると私個人は思う。
6.4 新刊紹介 「つくられる命」 NHK出版
NHK出版の「つくられる命」ー。生殖医療についての迫真のドキュメントだ。
通称「不妊治療」と呼ばれる世界だが、本書ではその大半を「生殖補助治療」と厳密に定義。不妊で悩む親が、第三者から精子、または卵子、あるいはその両方の提供を受け、時には子宮まで借りて子供を手に入れるケースが増えているという。
私は恥ずかしながら、AID(非配偶者間人工受精)の存在さえ知らなかった。他人の遺伝子と交配させてまで、子供を得ようとする人々が存在することを知って、正直驚いた。だが、AIDはわが国でも戦後から実施されているかなり古い技術だというのである。これまで代理母出産と聞いても、人工授精と聞いても精子と卵子自体はカップル同士の物に決まっていると思い込んでいた。
本書は、AIDや精子・卵子提供といわれる「技術で生み出された子供たち」の自分の出生をめぐる悩みを克明に追跡している。自分の「遺伝上の親」(もしくはドナー)は誰か?・・・それを探し求め、顔の見えない親と、育ての親との狭間でさまよう多くの子供たち・・・近年急速に表面化しているこの重い現実から取材が始まる。
ちなみに私のこれまでの「生殖補助治療」へのイメージとは、“倫理的問題が議論される一方で、成功した場合には喜ぶカップルの姿が描かれ、第三者にとってはアンタッチャブルな領域”だった。つまり、「当事者であるカップルが喜んでいるのだから、それでいいじゃないか。子供に恵まれている君たちになにが分かるんだ」という雰囲気だ。そういう議論しにくい環境のなかで実施ケースと技術だけが先行しているようだ。
本書の冒頭、受精卵が医療材料として生産されようとしている現実など、驚愕の事実が列挙され、医療技術と生命倫理の相克というテーマを突きつけられるが、さらに読み進むと、実は不妊に悩むカップルだけの問題なのではなく、もっと身近な、私たち皆が抱えている親子関係の問題の一つなのではないか?とさえ思え始める。
子供に真実を隠すことによって得られる家族関係が、将来自我を確立した子供には通用しないものであるかもしれない、という想像力は、親には希薄になりがちだ。親は自分の影響下で育った子供は自分と同じ感覚に感化されると期待し、期待のあまり、その幻想を信じて疑わなくなることすらある。加えて、医療関係者による「生殖補助治療」の誘惑がそういう想像力を最終的に停止させているのかもしれない。
実のところ極端に社会的な処置をしつつ、一方で「夫婦の秘め事・プライバシーに、子供に恵まれた人は口を出さないでほしい」という思いにより先行しすぎた医療技術が、生まれてくる子供たち自身の将来に大きな衝撃と迷いを与える結果になる・・・。
もちろん、不妊のカップルの悩みもまた理解したい。語るに語れない様々な思いがあるに違いない。実は私自身はそのあたりを一番知りたいのだが・・・翻って、生殖補助医療に邁進する医師は、その悩みを本当に社会的にも人間的にも深く理解しているのだろうか。
社会には保護を求めている孤児もたくさんいる。養子という制度もある。しかし、親は、子供に「血のつながり」を求め、他人を介在させたくない、と考えがちだし、人格形成に100%関与したいという気持ちもある。
一方生殖補助医療でも、何らかの「形」で、「血」や「体」が関与し、一方で他人を介在させたという証拠を隠すことが前提になっている。隠してさえいれば、みんな幸せにいけるだろう、という思考。
「血のつながり」にこだわりつつ、逆に「隠すことによってしか得られない血のつながり」で行くことにゴーサインを出してしまっている社会が子供を苦しめる・・・。
それにもう一つ気になることがある。それは生殖補助医療ではドナーの遺伝病のチェックも行われるということだ。逆に自然な妊娠では受精卵診断が禁止されている現状では障害児が生まれることもかなりある。この障害者問題への逆転現象のような精神的な問題も、どう考えればよいのだろう。子供を持つって、親子って一体なんだろうと思ってしまう。
本書では、AIDを検討中のカップルが出生で悩む子供たちの声に接して、心境が変化するというシーンが登場するが、一つの救いのようにも感じた。やはりこの問題は「秘め事」で片付けてはいけないのだ。
AIDで生まれた子供たちには何の責任もない。彼らの真実を知りたいという願いを聞く事はこのようなことを認めた社会の責任だろう。それがたとえドナーの出現を抑える効果を持とうが、それは仕方がない。それは自然界が私たちの社会に軌道修正を求めるメッセージなのかも知れない。
著者たちはNHKの第一線で活躍するディレクター。それにしても、「遺伝上の親」をめぐるきわめてデリケートな子供たちの証言の数々に衝撃をうける。著者たちがタブーに挑戦し、懸命に取材した子供たちの叫びは、生殖医療のあり方に、しっかりとした社会的議論の必要性を求めているようだ。不妊に悩むカップルの「相談相手」が主に医師だという現実も、変わっていかなければならないだろう。
医療技術と生命倫理の問題のみならず、子供とは、親とは、社会とは、これからいったいどうあるべきかについて改めて考えさせる一冊である。
「つくられる命 〜AID 卵子提供 クローン技術〜」 阪井律子 春日真人共著 NHK出版 刊 1500円
6.2
新刊紹介 「難問解決!ご近所の底力」 大和書房
5.25
ここではちょっとはばかられるが、最近、本当に「進歩」を自称する集団の、聞くに耐えない醜聞が多い。
わが国国民は、「真実を直視してたじろがない強靭な精神」(故・岡崎哲夫氏)を獲得して初めて成熟した国家たりうる、との視点から、研究と調査を続けている。彼は、かつては軍国主義からも痛めつけれらたが、ソ連抑留においては、スターリン主義から、そして、最終的に、邪悪な野望をもった自称「リベラル左派」の人々からのきわめて陰湿な謀略的排除を何度も経験した。かつての軍国主義も真っ青の謀略である。かれは遺言に、かつてのファシズムと同等(かそれ以上)のモラル崩壊の現状を憂慮していた。
私たちは、このような現状を総合的に判断して、事実解明に関して、国家に加え、党派の利害から超越した科学的な視点から究明を進め、事実の感情的取り扱いには遠慮なく苦言を呈している。事実というものはそれほど重い価値をもつもので、政治的スローガンや、党派的イデオロギーで美しくまとめたり、誇張されたり隠蔽されたりする取り扱いとは、相反するものだ。事実を操作しても結局、しっぺ返しは当事者にやってくるだけだ。
いわゆる草の根市民運動といわれる平和団体や、公害被害者救済団体でさえ、しばしばイデオロギー党派によりのっとられ、私物化され、善意の当事者が「除名」されたり「排除」されたり、時には政治とはなんら関係のない普通の市民がいきなり「極左暴力集団」という(なにかキャンパス在学中によく某党派系青年フロント組織から耳にしたような)ステレオタイプ化したレッテルをはられて攻撃を受け組織内から一気に排除されてしまうことがある。なぜか表向きは体制批判の権化のように装っている党派が、組織内では、脚色された美辞麗句をカモフラージュにして、真実を隠蔽し、自主自立の市民団体を独裁的手法で支配し、救済されるべき人々や、善意の市民を食いものにしている現状はそろそろ暴露され清算されるべきだろう。政治の世界でも、もしもまじめに二大政党制を確立したいのなら、これは必須事項だ。表向き激論を交わしながら、ひそかに、不満層に対する「バルブの調整弁」という「あたたかい」庇護と位置づけを与えられて、「社会的弱者」の取り込みに専念する、形だけの「批判勢力」ほど醜悪なものはないし、そのような勢力がもし、最左派とイメージされている現状があるとすれば、日本の政治的貧困を別の意味で反映しているといえる。
問題というものは、解決されるために存在しているのであり、特定の党派の専従職員の永続的な飯の種にされるためではない。彼らも、本音では現社会制度の維持を前提に存在しているのなら、虚飾にまみれた批判のための批判ではなく、あるいは、自分たちが不満層からの会費とカンパを食い物に生活していくためでもなく、もっと具体的に社会を改善する努力に注力すべきだろう。社会は改善できるし、そのポテンシャルは政党政派にあるのではなく一般市民の知恵と情熱にあることは明らかだ。政治は奉仕者である。自主的活動をする団体のうえにたち、ましてやそれを支配しようという邪な考えをもつべきではない。「君らは無力だから私らに早く頼りなさい、カモンベイビー」の甘言には要注意だ。
われわれは美しい言葉はあえて使わない。付いて来いとも言わない。もともと聖人君主ではないからだ。腐った人間が聖人君主を装うほうが醜悪だ。
どこかの哲学者が言っていた。不正確だが、「最悪なものは、しばしばもっとも最善だと思われているものの中にある」
社会全体のあらゆる領域に例外なく腐臭がたちこめ、「リベラル」という言葉に、むしろ警戒を払わなければならない過渡期に入った日本である。
5.6 まだやってる自己責任論争・・・、あ〜もうやめたら?
イラクの人質問題で、いまだ自己責任論が議論されているが、もうやめたほうがいいのではないか?と老婆心ながら思う。
解放された人質にカメラを向けるのもいいかげんにしたほうがいいとおもうし、彼らも少し冷静になり露出を控えたほうがいいのではないか。彼らは若いからそろそろ勘違いを始めるころかもしれない。
しかし野党は救出すべきといい、与党はほっとけといい、普通は逆だろうとおもう。それだけ日本は平和なのだ。「邦人救出」という言葉にこそ警戒をすべきなのに、いつから良識ある人々は、軍隊を送っている先の国内での国家による救出活動を堂々と要求する感覚を身に着けたのだろうか?
ある人質の家族は「誰も殺さずに助けて」、などといっていたが、「助けて」といわれた日には、米国などは、待ってましたといわんばかりに、あっという間に大規模な軍事介入に踏み切る場合がある。海外での邦人への攻撃は侵略とみなすというのが軍事介入の時に使われる口実の一つでもある。
パウエル発言を評価する人もいるが、それ自体ちょっと表層的ではないか?
あれはかなり?である。欧米列強はそうやって探検精神をあおり、その後に軍事介入してきたからだ。
年金問題でもしかりだが、与野党の議論には節操がなくなっている気がする。パウエル発言を絶賛する向きをみていると、年金未払い問題での「やぶへび」を思い出す。
人質なんてとられても騒がなければいいのに(とテレビ朝日のキャスターも言っていた)、自衛隊派遣の是非とむりやり結び付けて、与野党が大騒ぎをするから、きりのない議論にはまってしまう。今回、救出の名目で、大作戦がやられ、多くのイラク人が犠牲になっていたら、いったい両者、どうするつもりだったのだろうか?救出の方法論をめぐってまた大騒ぎをするのだろうか?
戦場で、しかも自国が軍隊を送って反感をかっている国で社会的な活動をしていて人質になり、それで殺されることと、戦場カメラマンが地雷で死んだからってだれも騒がないことの根本的な違いはなんだろう。結局、パスポートに記載されている国家の自国民保護要請であろうし、所詮その程度の問題なのだ。国家は救出と救出要請の努力義務はあるが救出しきれなくても仕方ないのだ。救出を求めて国中が大騒ぎするほど、紛争が拡大する場合もあることを考えないのだろうか?
また国家による庇護を求めたのなら、救出された人間は少なくとも反省し感謝しなければならないだろう。
パスポート記載事項程度の内容に政治的意味合いを付与して議論すれば、政府側も反政府側も議論は尽きないし、まあ、両者、そのほうがいいのかもしれない。人質になった国民の政治的見解なんて関係ないのに、人質側の周辺さえも政治的主張を絡ませる。そりゃあ泥仕合になること間違いなしだ。
遺書さえ書かないで、戦地に行けば、そういう政治利用に供されることは間違いないのであり、にもかかわらずテロリストの主張と同じ内容が会見で主張されれば、みずから進んで、自分のばつの悪い事態に、政治的意味合いをつけ、自己弁護をすることになるわけで、反発勢力からもいろんな糾弾や疑いもかかることを覚悟せねばならない。それで喜ぶのは左右の原理主義者で、失われるのは振り回される一般国民の判断能力と外交的センスである。少なくとも「軍隊を送っている先の国で国家による救出を当然のように要求する」という感覚自体に警戒心のなさを感じるのは、私だけだろうか?
4.14 ?
イラクで誘拐されていた日本人3人が解放されたが、その前に今度は二人が拉致されてしまった。あまり嬉しくない。解放された三人から「内輪の仲間へのお礼」は聞こえても、国民への感謝の声は聞こえてこない。自分のことしか関心がないといった感じだ。
いわゆる「自己責任」論は、ミクロとマクロの違いで、マクロ的に考えるとおかしい。紛争地域には様々な事情で滞在する邦人がいるわけで、渡航禁止だからといって、彼らが保護の対象外になるわけではない(し、まあ政府もそこまではいっていないが)。「自己責任論」はどちらかというとマクロ的な発想であり、賛成しかねるし、政府の方針に反したらあとは知らんというのは間違っている。(もっともマジメにに「自己責任論」を貫き通すなら、「邦人救出」を名目とした他国への軍事介入の口実がとれなくなるかも。政府や軍隊は危険地域の邦人は自己責任の原則にまかせ救出しない、と与野党が合意して法制化されたら、自衛隊の活動にタガがはまるかも。)
「自己責任論」は政府のあせりの裏返しに見える。与党にも覚悟がないが、しかし、政府を批判する側にも、まったく覚悟が見られない。それはとても情けない現状だ。互角の喧嘩にならないからだ。一番の課題は、批判勢力の覚悟のなさというか、あまりに子供じみた発想かもしれない。
「イラクの子が嫌いになれない」「俺はカメラマンなんだ、イラクに残っていい写真を撮りたい」・・・その気持ちは100%理解できる。個人的には戦火を恐れず、若者が現場に飛び込んでいくのはすばらしいことで、もっともっとそういう人が生まれることを望む。「今の若者は」といいつつリスクを負って挑戦を行い、リスクを回避できなかった事をただ馬鹿にして終わるだけでは、そのほうが情けない。
ただ、飛び込んでいく若者も、自分の前には大きな壁がいくつもあるということを自覚せねばならない。それが自覚できるかもしれない今回の事態は、若者たちにとってもいい学習の場になったと思う。
なにをやっても批判されるのは政府や与党だけではない。
NGOやボランティアをやっているから絶賛され、もてはやされるとおもったらそれは大間違い。市民団体や野党も、活動のあり方をめぐっては、体制以上に批判されることは十分ありうるのである。でなければお互い進歩がない。そこには謙虚さがもっとも求められるのだろう。
それと、NGOとして危険地帯に確信的に飛び込む者は、万が一の場合に自分の存在が政治利用されない最低限の対処をすべきだろう。(政治家としてなら政治利用されて当然だし、同情も不要)
今回は逆に、人質の周辺そのものから安易に政治利用された側面もあるやに聞くから、それゆえ政府も不快感を隠せないんだろう。
そういう話ができていないから、親もあたふたするし、そういう覚悟をさせずに行かせたとしたら親も問題ありだ。
いずれにしても一度、帰国して頭を冷やすのが普通では。なぜなら、あくまで日本人という特権と庇護のもとで、豊かな国の恵まれた人間が、貧しい国に係っているという自覚がない。その自覚こそが謙虚さの基本となる。救出費用の負担問題などは、誘拐された3人の本人と家族の覚悟の無さに対する、一種の感情的反応だろう。山岳登山にいく時の覚悟さえも見られないのだから。テロリストもまたそういう日本人の感覚をうまく掴んでいる。
誘拐されたジャーナリストの映像が報道されていたが、爆風が本人の宿舎を襲った瞬間に「すごい、すごい」(実際には「すげえ、すげえ」だったような・・・)とはしゃいでいる光景がビデオに映っていて、興ざめしてしまった。一発の爆風で何人ものイラク人が殺されているにも係らずである。
あの大騒ぎの発端となった若者たちの大半は戦場へ物見遊山か一旗上げにいったのだろうか。ある人質の母親が公言していたが「ここまで(息子が)馬鹿だとは思わなかった」・・・う〜ん、やっぱり、すこしレベルが低すぎたのか。
4.12 日本の課題
人質救出に関しては全力を挙げるべきだ、そして今後日本がやるべきことは、一つしかない。同じことの繰り返しになるが、政治的パフォーマンスも含めて、テロの連鎖を作ってきた米英など大国の独善的支配の手法を軌道修正させる努力である。大国から新しい道を探る努力を開始するきっかけをつくることである。三人の誘拐事件に手練手管を駆使して、いくらまれにうまくいったとしても、あるいはうまくいかなかったとしても、資源と支配権の領有をめぐる大国の独断専行を改めないかぎり、それにつながる国家群の国民の頭上に降りかかるテロは延々と続くだろう。仮に救出ができても、それ自体は嬉しいことだが、そのあとに、われわれが、国の現状を固定し、ぬか喜びしてしまうとすればそれもまた、問題かも知れない。テロの連鎖が続き、それへの対処技術大国になっても、むなしい。そんなことになっても犠牲者自体は増え続けるし、米国なみの、恐怖におびえる不幸な国になるだろう。くれぐれも「テロに屈するな」などというほとんど国内犯罪にしか通用しないようなフレーズに羽をつけて世界中を飛び回らせないように注意しなければならないと思う。
メディアの役割は大きい。メディアはこの問題を積極的に取り上げてもらいたいが、自衛隊派遣の是非はもちろんのこと、いまの事態の具体的事実を通じて、今後の日本のとるべき世界政治への戦略的平和外交の内容の議論への道筋をつけるレベルへと昇華させてほしいと思う。
テロの連鎖とはこういうものだ。東南アジアや中南米ではしょっちゅう発生してきたことだ。
この手の事件で、テロリストが緻密な計算をしている、と驚いてしまっているようでは、同じことが繰り返されるし、国民自身が大損をする。大して議論もせずに、長いものには巻かれろ式でやってきた国全体の責任であり、今後もこういう事態はどんどん発生するだろう。一方、個人レベルで考えた時、いざというとき、国民に公開できる遺書も書かずに現状のイラクに行き様々な活動している方々の状況判断能力も理解に苦しむところではある。遺書を書いて戦場にいく軍人のほうが覚悟ができていると言われても仕方ないという意見もある。しかし翻って、私たち自身の危機意識の程度と、誘拐されて狼狽する家族の意識と、どの程度の差があるかというと、そう大差はないのではないか?たまたま現地までいくほど、関心も共感も余裕も機会も無鉄砲さも無かったというだけの違いしかないということも冷静に自覚しないといけないと思う。
つまり一億総評論家時代なのではないか?劇場政治、劇場戦争にみんなどっぷりつかっている。観客である国民はたぶん、「三人がほんとうに燃やされるのかどうか」を密かに占っているかもしれない。こういう劇場政治に飽き足らず、現場にいく人間は当然のことながら、愚かな命知らずと言われ(命知らずはその通りである。それを覚悟でいくのだからどんな目にあっても仕方ない)、最終的に本土空襲を受けてから、傍観していた皆が我に返り、わが身を反省する。このプロセスは、またいつか来た道といわれても仕方ないかもしれない。(しかし、にわかに活気付いている勢力には、今度はまじめさが感じられないのも悲しい。だいたい、人質をとられてから活気付く批判勢力は、まず国内で命がけの活動をおこなったのか?人のふんどしで相撲をとっているとみられるような要素はないだろうか。)
人質の命がホントに三日以内の決断で左右されるとすれば、誘拐した側も解放するつもりなどはじめから無いとの推測もできるかも知れない。身代金目的でさえ、金の用意に三日くらいかかるかもしれないのに、ましてや1億1千万の人口を抱える国家が意固地になって派遣した軍隊を、三人の命と引き換えにたった三日で政策転換できると犯行グループがまじめに期待しているとは考えにくい。つまりテロリストが三人の命を奪うことで日本に報復するかどうかではなく、すでに報復されたのだと判断すべきかもしれない。
はじめから殺害するつもりで、「国民を見殺しにした国家」への責任追及の世論を誘導しているとも言える。それが直接間接に親米政権への打撃になり、米国への圧力になるという構図である。
テロリストがベトナム戦争時の民族独立戦線のようなスタンスと異なるのは、世界の世論と精神的な共感性がなく、恐怖と脅迫により政治目的を強引に達成しようとする考えであり、発生の経路をたどると、それは、古くは英国や米国をはじめとする大国が教え込んだことなのである。だからこそ報復の連鎖はお互いにとって不幸なことであり、大国から勇気をもって連鎖を断ち切る努力をしなければならないのだ。誘拐や個別のテロに感情的に対応することは、確かに誤っているというより、ベストなやり方ではない。テロに屈するなというロジックが説得力をもつことがありうるのはそんな部分だ。だが、復讐の連鎖がとまらない現状を冷静に分析し、それを断ち切る新しい道に大国が踏み出すことは、テロに屈することでも、恐怖におびえることでもない。それこそが恐怖を克服する真に勇気ある選択なのだと思う。
3.25 - 記念碑的作品 -
放送記念日特集番組
3月22日(月)19:30-22:00
NHKBSハイビジョンスペシャル 「遺された声 〜ラジオが伝えた太平洋戦争〜」
この番組は一昨年、中華人民共和国・吉林省の省都・長春市の公文書館から発見された、
旧新京放送局の放送記録音源(レコード盤)を基礎資料として構成されている。
新京(現・長春)とは旧満州国の首都で、新京放送局は満州国の国営放送のようなものだ。
発見されたレコード盤は2200枚という膨大な量にのぼる。
戦時中のラジオ放送の記録は日本国内ではほとんど残されておらず、
それらを豊富に記録したこのレコード盤は、当時の報道記録として一級の価値をもつと
言われている。
番組は記録音源の極めて限られたエッセンスのみをかいつまんで進行しているが、
記録が社会のあらゆる分野に及んでいるため、2時間半の大型番組に仕上がっている。
しかも全編にわたり抑制を保ちつつ、しかし衝撃的なメッセージを包含している。
放送記念日にふさわしい、メディアと国民への反省を促す貴重な番組になったと思う。
また、自らの負の歴史を真摯に見直し、こういう番組が作れる今のNHKを改めて見直した。
なによりも、番組制作を指揮・推進したスタッフの皆様の勇気と情熱、信念に心から敬意を表したい。
それにしても調査取材の厚みには感服した。
経済・政治・軍事・文化のあらゆる面で植民地経営が進められ、
その忠実な動員手段として放送行政が活用されたことがよくわかる。
砂上の楼閣でしかなかった満州を王道楽土としてイメージ付け、
100万邦人を動員するに役立ったラジオの巨大な力、
「弾丸は国民の体を貫くがメディアは国民の思考を貫く」の言葉は重いものだ。
録音版に収録された当時の声と、遺族の方々の血涙の証言の対照は、
戦争に協力したメディアのむなしさを一層際立たせるものになっていた。
再放送予定 NHKBSハイビジョン(3月29日(月)23:00〜翌30日(火)1:30)
3.24 −再び毒ガス兵器 -
昨年、中国にお邪魔したときに、遺棄化学弾に関する話が飛び出した。
中国での数百万発に上る旧日本軍の遺棄化学弾はこのサイトで歩平氏(中国社会科学院・近代史研究所)の記事として紹介してある。
http://ww3.tiki.ne.jp/~jcn-o/dokugas.jpg
毒ガス兵器の問題は日本が今現実に抱えている問題なのである。
毒ガスというとイラクのフセインのイメージが強烈だが、実はかつてのBC(細菌・化学)兵器、とりわけ毒ガス大国の一つはアメリカであり、細菌兵器大国は日本であった。私はその方面の研究家ではないので詳しいことはしらないが、米国は化学兵器禁止条約に加盟はしているが、毒ガスをもっていないわけではないと認識している。
確か、米国・ユタ州のトウエル陸軍貯蔵所には80年代まで100万ガロンに上る、サリン、VXガス、マスタードガスが貯蔵されていたし、米軍の化学兵器の40%が同貯蔵所に備蓄されていたと記憶している。恐ろしいほど大量の毒ガスのタンクが広大な敷地に整然と並べられている写真も目撃したことがある。
20年前のイメージでは米国は、先制攻撃で毒ガスを使用することはしないが、毒ガス攻撃への報復手段として毒ガスを使用する権利は放棄していない、と言われていたことを記憶している。
今現在までに、それらを解体しつくしたかどうかは知らない。もちろん解体されたことを願うが。どなたかご存知の方は教えてください。
3.23 -戦後世代の戦争責任-
戦場とは単純である。戦場で死なない方法などない。死にたくなければ最初から戦場へ行かないことだ。しかし戦争になれば、前線も銃後も次第に違いがなくなる。
戦場へ行かなくても空襲で爆弾を落とされて焼き殺され、勤労動員で体を壊したり、貿易封鎖で栄養失調で病死したり、餓死したりする。テロもある。
最近イラクへの自衛隊派遣で、あの指揮官は立派な人だから大丈夫、よくやってくれるでしょう、と評論家が言っていたりするが、何言ってるのかしらん、と思う。能力や人柄はそうかもしれないが、鉄砲の弾は人格者の部隊を避けて飛んでくれるわけではない。
昔から父がよく戦場の話を脚色抜きで教えてくれた。
刑事ドラマで、弾丸の発射音を聞いて巧みに弾をよけながら、なぜか相手にだけは弾を当て悪者を倒していく、絶対死なないカッコのいい刑事やヒーローが出てくる。
父は「あんなことは戦場ではありえない。弾は音速よりも早い。だから音が聞こえたときは、弾はすでにお前の体を通過している。当たらないのは、もとから照準がずれているからだ。もし照準が合っていれば、避ける間もなく死んでいる」と笑いながら語ったものだ。子供からしたら、せっかく盛り上がっているのにしらける話だ。
だが父の頑固な気持ちを後年納得したものだ。
「戦場で生きている人間を撃つなんて新兵にはできない。ましてや戦場で戦って動いている相手の兵士に弾をあてるなんて、人が言うほど簡単ではない。というかほとんど当たらない。だから雨あられのように銃弾を撃ちまくる。数うちゃ当たるというやつだ。だから資源大国で工業生産力の飛びぬけた側がだいたい物量作戦で最後は勝利する」「つまり戦場で生き残るのは、学力でも体力でもない、単に運が良かったからだ。運が悪ければ死ぬ」
私は旧満州の今も軍事的対峙が続く国境ラインで、半世紀以上前の兵士の靴や、弾倉、人骨があからさまに散らばっている惨状をみて、未だ未発掘の自爆現場の瓦礫をみて、改めて戦場の生々しさを仮想体験し、父の言葉を再認識させられた。
そして、これはイラクで米軍兵士が直面している現実とも、なんら変わらない。
厳しい訓練を受けた米軍兵士が、イラク領内で、古典的な曲射兵器である迫撃砲や、あるいは仕掛け爆弾で500人以上も死亡し、恐怖と精神錯乱から何十人と自殺している(負傷者と自殺未遂者はこの数倍以上になるだろう)。
この事実は、戦場の兵士が運を天に任せるしかないすさまじい日常的恐怖に叩き込まれるものであることを明確にしている。自衛隊さんありがとう、がんばって、と脳天気に言っている、ぬくぬくと暮らしている私たちの発言の軽薄さを反省しなければと思う。
イラク問題に関しては、日本の立場は微妙であり、明快にこうすべきだといいがたい側面もある。小泉さんの立場も良くわかる。彼もまた苦渋の決断を続けているのだろう。それは、奇妙な敗戦処理をしてしまった日本国家の宿命的なものかもしれない。
しかし、日本人は様々な教訓的体験をしている。戦争と平和に関する日本の心を、日本の政治家や官僚は世界に明確な言葉で伝えているだろうか?私が一番心もとないと感じるのは、われわれの先輩が血を流して体験した歴史の重みを、仮に日本人の精神的頑固さといわれようとも、わからずやと言われようとも、堂々と心から語る人がいなくなってきていることである。国会でにわか勉強か、本の引き写しのような知識で薄っぺらい議論をする与野党の姿勢にそれを感じることができないのが悲しい。
もちろん問題の根は深い。政治家だけが悪いのではない。気軽に人の家の壁に「反戦」などと落書きをする感覚で戦争を考える、薄っぺらい戦後世代にも大きな責任がある。
凄惨な体験をした戦争体験者が、若い世代に語る意欲をもてないほど、若い世代もぺらぺらになった。
「戦争のことを聞かず、考えなくてもいい環境にいることが平和」などと軽口を叩く人がいかにおおいことか。
戦争を理解するには、殺し殺されるものたちの苦しみや悲しみを深く理解することにある。かつて、この国では多くの学生運動や政治運動、市民運動が闘われたにもかかわらず、遺族や、戦争体験者の気持ちや感情がなんら解放されず、逆に萎縮し、鬱屈したやるせない憤懣のように宙を漂い、若い世代との悲しい断絶を引き起こしているのは、どちらかというと、やはり若い世代に責任がある。戦争を政治的評価の切り分けとしてしか考えず、戦争体験者の深い悲しみを静かに感じる努力を怠ってきた野党勢力の鼻持ちならない偽善もまた同じである。
戦争の責任や、その痛みは若い世代こそが、懸命な努力をして体験者から引き継がないといけない。戦争の責任を戦争体験者に押し付けてはいけないと思う。
3.22 −死の強制-
先日、あるセミナーに参加したら、「なぜ中国に援助をしてやらないといけないのか、日中関係の戦後決着はついており、なんだかんだといわれる筋合いは無いはずだ」と意気軒昂な80代のお年寄りがおられた。これに対し、ある自衛隊OBの方が、断定的なコメントをせずに、「例えば、中国には(旧日本軍による)遺棄化学弾という問題もあり、その処理に友人の隊員も行った経験があり話も聞いている。他の国にあのような兵器を残して帰った場合に、それではどうするのか、ということを平時からしっかり考えておく必要がある」と話されていた。この発言を軍事技術面での危機管理の問題として、あるいは政治的な補償問題として、民族的な感情のズレへの対処方法の問題として様々に解釈することは可能である。しかし、やはり現場にいってきわめて危険な化学兵器を処理する立場の人間として、思うところがいろいろおありなのだろうな、と受け止めた。
自衛隊と自衛隊員の間にも、組織と個人の関係にかかわるすべての問題が当てはまる。
企業と違う面は、事業内容の中に他人の死と従業員の死が正式に認められているだけだろう。
派遣される自衛官の父親を泣きじゃくりながら見送る娘さんの顔がテレビに図らずも映っていたが、戦争とはどんな条件性のなかでも、平和な環境でぬくぬくしている国民がまず、自分の国民(しかも概して身分保障を求めて入隊した多くの比較的低所得の前線兵士)と他の国民に、なんだかんだとお説教をしながら、死を強制するものであることを忘れてはならない。そしてその安直なお説教に基づく他人への死の強制が、憎しみの連鎖を基礎として、国際紛争の拡大や世界政治の不安定化促進により、更なる戦火となって、ぬくぬくお説教をしていた国民のちょうど子供か孫の世代に火の粉となってふりかかってくることがよくある。
12.20 - VCDというメディア -(中国よみでは「ウィ スィーディー」)
中国ではビデオにも勝るとも劣らずVCDが発達している。ビデオCDの略だが、大きさや外観は音楽CDと全く同じ。しかし我が国ではほとんど見られない。むかしグラフィックカラオケというようなジャンルで発売されたが、すでにすたれてしまった。
VCDが普及している中国では、当然のことながら、VCDの専用再生機であるVCDプレーヤーというのあるらしい。私は現物を見たことがないが、想像するに、たぶん昔のレーザーディスクの小型簡易版のような装置なのだろう。
しかしVCDは画質がいまひとつなので、VCDをより高画質で楽しむための、S-VCDという装置まであるとのこと。ところ変われば文化ならぬ媒体もかわり、ハードも変わる。その背景には国情まで見て取れるから興味深い。
最近、中国の国内線の空港では、VCDの映画ソフトなどが多数、陳列されているし、VTRより安価だということもあり、相当VCDが普及しているとのことだ。もちろん、その上のランクとしてDVDプレーヤーもあるが、まだ高価で、庶民には普及していないようだ。
しかし、DVDが量産され価格がダウンし、VCDの過去のソフトと互換性を取れれば、ユーザーのライブラリーが生きてくる可能性があるので、案外、普及が早いかもしれない。そういう意味で、中国でもデジタル家電の急速な普及の可能性は非常に高いといえる。ただしVCDにしても、中国市場でどの程度のシェアなのかは不勉強で分からない。また、ここがポイントだがVCDは簡単にコピーが作れる。だから海賊版天国にとっては、大変便利な媒体である。
家電製品の普及は、著作権など、ソフトへの「価値」認識という社会的背景に大きく影響される側面ももっている。文化的作品に貨幣価値の対価を与えるという意味では中国「資本主義」はまだ未成熟な部分があるということかもしれない。しかしそれは中国市場の巨大さの裏返しでもあるのだろう。
12.19 - 人材 -
最近忙しくて、世の動きには疎くなっているが、対イラク攻撃、国連査察問題、北朝鮮の拉致問題、核疑惑、そして、国内では野党の党内ゴタゴタ問題、またしても秘書の口利き疑惑等(少し古い?)、なにか、憂鬱な話題ばかりだ。
最近の明るい話題は、燃料電池車の世界初の量産化、つかまり立ちをしだした愛子ちゃん、ノーベル賞受賞ぐらいなものか。
それにしても、日本の社会状況は不可思議なことが多い。不景気というわりに、若い人たちは、結構、金をもっている。
どうも大半が親のすねをかじっているようだ。パラサイトというやつだ。とにかく困ったら親のところへ駆け込む子どものなんと多い国か。親もまた子離れできていない。年をとると子どもに泣き付く親もまた多い。孤独に耐えて、自己を見つめなおす力のない人間が多くなってしまった。
こういう国では、ベンチャービジネスなどが新しい経済の基軸として成長していくことは当面期待できない。お互いがもたれあって生きているからだ。今ある資産を食いつぶし、「昔の名前で出ています」ような国に転落していくのではないかと心配だ。
親もまた消費に金を使わずに、子どものために金を使う。結果、購買市場が偏ったものとなる。
企業はどうか。我が国の企業は、最近、人材の育成にはすこぶる不熱心になってしまった。曰く、「人を育てている暇などない」。結局やることはリストラ以外なくなる。大企業はともかく、大企業の真似をして、そういうことを繰り返す中小企業はどうなるのだろう。日本には人材以外の競争力はないはずである。
12.9 - マイナス25度 - 寄稿・辻田文雄 -
風邪が流行りはじめた。風邪といえば、頭痛、発熱、咳、くしゃみ、痰。
痰は男性の行儀の悪さを象徴するような行為であるが、痰が出る以上、痰を出さないわけにもいかない。
痰が出ねばいいのだが、出るものは仕方ない。
最近は少なくなったようだが、中国の方は所構わず痰を吐く事は、多少気になっていた。
ハイラルで案内して下さった、現地の女性の方も、絶えず痰を吐いていた。
中国旅行記にも批判的に書かれていることもある。
一昨年の1月末に、吉林省長春に調査旅行に行った。
折からの寒波は、マイナス25度まで気温が下がった。
充分衣服を着込んでいたので、大した寒いとは思わなかった。
ところが日本に帰ってから大変なことになった。
まず、咳が止まらない。肺が飛び出すのではと思うくらいの咳が出る。
そして痰がひどくなった。1日にテイシュペーハー1箱を痰の処理に使う始末であった。
医者では治らなくて、2ヶ月苦しんだ。
満州国の軍医学校御出身の方に聞いたら、冷気で気管支が凍傷にかかったのではという事であった。
自分でかかってみて、中国の方が痰を吐く理由がわかった。あれは寒気で気管支を痛めていたのですね。
11.26 - 不発弾というもの -寄稿・辻田文雄 -
虎頭要塞には、多数の不発弾があった。砲弾全体が細長く、先端が切り落とされたようになっている。これは旧日本軍のずんぐりした砲弾と明らかに形が異なるし、発射された砲弾が日本軍陣地にあるので、ソ連軍と判定をした。ソ連軍のいかなる大砲から発射された、型式は何と言う砲弾かは聞かないで欲しい。ソ連軍の資料は少なく、これについてはお手上げである。
対要塞戦用 弾底信管
砲弾の信管は、頭に付いているだけでは無い。
弾底信管と言って、弾の底に付いているものもある。この種の砲弾は、厚いコンクリートのトーチカをぶち抜いて、中で炸裂をする。見つかったのはこの種類の砲弾が多かった。この信管は、まず発射されたときの毎秒数万回の回転で、遠心力で安全装置が外れる。後は、物にぶつかった時、慣性の法則で撃針が雷管に当って爆発する。このタイプの砲弾は、信管の安全装置は外れていても、通常ではまず爆発することは無い。
私は砲弾の寸法を測ったり、写真を撮ったりしていた。中国の研究者は一歩下がって、マニアックな私を不気味そうに見ていた。その時、砲弾の撮影は、比較対照のものがないと大きさが判らないことに気が付いた。通訳の女性に、「悪いけど、その砲弾の側に立ってくれる。比較で撮影したいから」「辻田さん、この砲弾爆発するかも知れないのでしょう。そしたら私、危ないじゃないですか」「ダイジョウブ、ダイジョウブ。その砲弾が爆発したら僕も一緒に死ぬんだから」「辻田さん、それって大丈夫って事にならないよ」彼女は苦笑しながらもカメラに収まってくれた。
危険な、砲弾内火薬の液状化現象
しかしマイナス30度の気温と、夏の暑さにさらされて、火薬の劣化が始まり、場合によっては火薬の液状化現象と言って、わずかな衝撃で爆発することもある。通常砲弾はハンマーで叩いても爆発はしない。これくらいの安定度が無くては、危なくて輸送が出来ない。ただし、劣化した砲弾は、指で弾いた衝撃で爆発することもある。
最も危険なのが時計式信管である。機械仕掛けで爆発する信管だか、金属の屑等が引っかかって不発になる事もある。
(写真:虎頭要塞周辺に遺棄されている大型不発弾群の一部 口径15〜30cmの旧ソ連製榴弾と思われる 右端が辻田氏 撮影:岡崎久弥 1997年)
もう40年以上前の話だから時効としてお話ししても良いだろう。自衛隊では砲弾は演習場で爆薬を使って誘爆させる。銃弾は飛び散って危険なので洋上投棄が原則である。基本的に信管を外す作業は行なわないし、米軍の爆弾の信管外しは、リモコンで行なう。
あるとき旧海軍の砲弾と思われる、今まで見たことも無い砲弾が自衛隊の爆発処理班に持ち込まれた。規定通り演習場に土嚢を積んで処理をはじめたが、珍しい砲弾なので職業意識から分解をしてみることになった。自衛隊の信管を外す工具は、静電気を帯びないように真鍮で出来ている。規定では1または2名で作業するのだか、皆興味があって4名で作業をはじめた。これが時計信管の砲弾であった。
突然、信管の時計が作動をはじめた。爆発まで2−3秒しかない。3人はいっせいに土嚢を飛び越えたが、この話をしてくれた方だけその場に残った。実は腰が抜けて動けなかった。幸い砲弾は爆発しなかったが、逃げた3人は腕を骨折したり大変であった。結局逃げなかった方は勇気があるという事になったが、「私は腰が抜けて動けなかったのですよー」と語ってくれた。もちろんその後は、通常の手順どおり爆破を行なった。
11.25 - 兵士の哀しみ -
先日(以下24日付 つれづれ)、軍装備研究家の辻田文雄氏から、レイテ作戦への従軍体験の聴き取りをお寄せ頂いた。短く簡潔にまとめられているが、そこにあっただろう生死を賭けた緊張感は想像を絶するものがある。
仮想体験としてなら、味方の兵士を射殺する命令を実行するシーンは、映画「スターリングラード」で画面に出てくる。ハリウッドはソ連赤軍のことだからと安心したように徹底的に描いているが、実はどこの軍隊でもありうることだ。兵士が前からだけではなく、後ろからも政策的に撃たれるという現実は、戦争の過酷な実態を如実に表している貴重な体験談であり、その勇気ある証言に敬意を表したい。
戦争と平和を巡る議論では、兵士によって殺される民間人の被害はよく語られても、兵士そのものが一人の大きな被害者であるという視点は欠落しがちだ。兵士を問題にすると、それを統制する軍と国家権力に国民の目が行くからだ。哀しいかな、多くのオピニオンリーダーが、そこを避けるようになった。どんな政治的な立場にあろうとも、この部分の議論は必要であるにも関わらず、だ。
兵士は死ぬのが仕事だと勝手に納得しているケースがいかに多いことか。
兵士は英雄か戦犯か、それ以外は、単なる冷酷な人間兵器として描かれる事が多い。
自分が戦地に送られたらどうするんだろうと考えれば、戦争はイメージしやすくなるのだが。
そういう視点を日本は意識的に排除してきたように思う。
だから戦争についての議論は、いきおい、評論家のような薄っぺらいものになりやすい。
兵士の問題を取り扱われる事は、軍にとっても非常にやっかいな問題である。
米国などは、ベトナムでの総括から、戦争を大規模かつ短期日の内に終わらせることを懸命に考えるようになった。
短期決戦方式は、長期の戦闘による軍隊の損傷によって国内に厭戦気分が拡大し、それが国内の反戦運動になり、政治運動と結びついていくことを防止する米国の経験的な「智恵」である。(だいたい米国は長期戦で勝利した試しがない。短期戦で自国軍隊の損傷が少なければ、戦術目標の達成段階で撤退しても強引に「勝利」を宣言してしまうことができる)
その結果、兵士は英雄としてメディアで流されるコマーシャルの宣材と化している。
故岡崎氏は、「無名兵士の真実の記録」という連載を新聞紙上で行なったことがある。
戦場の残酷な真実は、在る意味では、兵士にしかわからない面もある。
それを抜きにして、戦争を外側から気楽に評論していると、戦争の本質を見逃してしまうことが多い。
11.24 - 木造船でレイテ島へ - 寄稿・辻田文雄 -
10月、中華人民共和国の長春に調査旅行に行った。
同行のA氏は喉の手術で人工声帯のため、会話が苦しそうなので、今まで私のほうから話を遠慮していたが、今回は彼のほうから話し掛けてきた。
「辻田さん、私は戦争中、志願して戦車隊に入ったのですよ。そうしたら、訓練する戦車も無くて、船舶工兵にまわされたのですのよ」
船舶工兵とは、陸軍の兵隊であったが、輸送船を防衛する大砲や機関砲の配備に付いた。通称「暁部隊」とも呼ばれた。
私も軽い気持ちで、「暁部隊だったのですか。すごいですね。大砲を操作していたのですか」
「そんなものではないですよ。レイテ島へ木造の大発と言う、上陸用舟艇のような船で兵隊を80人載せてね。夜間にレイテ島へ、まっしぐらにはしるのですよ。夜は米軍の艦載機が出てきませんから…。私が艇長でね。私だけが拳銃を持っていました。なぜだかわかりますか。 ”
機関員が発狂して、船の航行に支障をきたしたら撃て ” と命令されていたんですよ」
「まさかレイテ作戦の真っ最中じゃないでしょうね」
「まさに、その時ですよ。私の場合は他と比べては、たいしたことは無かったです。セブ島からですから、100キロほどの距離ですから。島も見えてましたし。3回行きました。武装は軽機関銃1丁でした。しかし、3回目の後、輸送船でマニラに向かったのですが、艦載機に撃沈されて、私だけ3時間後、駆逐艦に救助されました。そのまま呉に直行して、上陸したら言われましたよ。”
お前の部隊は全滅した。所属部隊は無くなった ” と…。」
戦艦大和、武蔵が突入を図って、武蔵が撃沈された。その島へ、木造の船に、軽機関銃一丁の武装で、3回も輸送に行った方がおられたことを初めて知った。
11.21 − 「落書き調査隊」 -
少しローカルな話題が続きますが…。
岡山では市街地にはびこる「落書き」の追放を進める、「落書き調査隊」という市民ボランティアグループがある。
岡山県が全国初の罰則付き落書き禁止条例を施行するのに先立って、今年の3月に発足した。
すでに県内ではたびたび報道され、隣県でも経済誌に取り上げられたり、最近では日本テレビの全国放送で「日本一の落書き県」という(地元としてはあまり喜べない?)タイトルで報道されたものだから、一気に注目を集めるに至った。
この市民グループは、もともと落書きの実態を調査研究し、対策を考えようという目的で結成された非常に緩やかで広範なネットワーク型の活動だが、今では、消去活動が主になり、落書き「消去隊」と間違って呼ばれるようになったりしている。
「調査隊」の最近の成果は、綿密な調査・研究(?)の末生み出した、「落書き一斉消去活動」というスタイル。
「調査隊」は、この手法を一部地域で実験的に繰り返し、その効果を測定。
そのノウハウを応用展開し、これまで100人から150人規模での「落書き一斉消去作戦」を数度にわたって実施した。結果、半年の間に延べ100箇所以上の大型の落書きを中心に消去し、その壁への再犯は未だに認められない。
いまではそのノウハウを基に、様々な各種団体が、自主的に「一斉消去活動」を展開し始めた。したがって「日本一の落書き通り」と呼ばれる恥ずかしい通りや地域は、かなり減少している。これは地元住民の立ち上がりに呼応した、一般市民・県民、マスコミ、行政、警察、教育機関、各種ボランティア団体の皆さんが一致協力してがんばった大きな成果である。その果実は市民自身が手にしてる。なぜなら、市民一人一人が傷ついた街を自らペンキで修復することで、街づくりに参加したのだから。この時点で、街は市民の手によって実際的かつ具体的に再建・建設されたわけである。ペンキひと塗りが人の意識を大きく変えるのである。
まだ、県内の落書きは、数千箇所以上に上るといわれるが、とりあえず中間的な成果を上げているといえる。
「落書き調査隊」の本来の仕事は、調査・研究・対策が主である。その内容は、まずもって落書きの現場の現地調査であり、街全体を歩きまわって、落書きの分布や、生成過程、動向の把握、犯行グループの特徴の把握、落書き追放への効果的な対策の検討・立案、落書き増加傾向の把握による落書き注意報の発令、落書き一斉消去活動の普及に向けたノウハウ提供等、「事業内容」は結構広範囲である。
たかが落書きといっても、一過性の個別の重犯罪より規模・被害が甚大であるという点で、トータルハザードを考えた場合、<極>重犯罪であるともいえる。
なにより被害が全都市規模で発生しているから、潜在的(埋没)ソーシャルコストの損失は数千万円どころではない。完全な現状回復を行なえば一県規模でも軽く億単位の額になるだろう。
しかし、不景気のおり、そんなことができないから、このようなボランティアで対策や修復を進めることになる。ボランティアで行なう場合はそれなりのノウハウとマンパワーがあるので、それなりに(塗装業者さんには全く及びませんが)きれいに修復できるが、個別に消す場合は不完全な消し方になる。もちろん個別に対処するのが原則ではあるから、その努力をされる住民の方がもっとも貴重なのであるが、しかし、街全体が、とにかく汚く、しかも「くすんで」くる。
それが、観光資源としての街の美観を大きく劣化させることは言うまでもない。油性のスプレーペンキを大量に使用する現在の落書きは、都市の破壊、スラム化の推進という重大な性格を持つに至っているのである。
最近、落書き調査隊は、岡山市中心部のある地域に「落書き注意報 警戒レベル3」を出した。警戒レベル3(風力3)とは「落書きが多数見受けられる地域で新しく相当レベルで落書きが追加されている状態」をさす。
落書きは軽く見ていると、一気に街全体を侵食し、その次のステップでは青少年の荒廃(実は荒廃の裏返しなのだが)と、犯罪の増加、そして、重犯罪の多発、本来の都市機能の漸次的死滅という深刻な現象が待っている。落書きは社会のモラルハザードが最初に視覚的に現れるという意味で、危険信号なのである。
地域教育力の回復、街の自治能力の回復のためにも、まず、落書きという目に見える分かりやすい事例について、住民が自主的に考え、様々な機関と連携をして、対処していくことが大切である。
そしてなるべく早く「落書き調査隊」そのものが必要でなくなる、健全で美しい地域に戻ることが切望される。
11.20 - 紅葉狩り 爺婆パワー恐るべし -
仕事で県境まで出かけたので帰りに寄り道をして、紅葉をちらりと楽しんできた。岡山の豪渓という紅葉の名所(←左写真)である。もうだいぶ散っていたが、それでも十分美しかった。最近は異常気象で秋や春を飛び越すような気候だが、やはり四季の移ろいを見ると心が和む。
しかし、若い人が少ないのは残念だなあと思いつつ、ふと目を上にやると、50メートル以上うえの崖から爺婆軍団が、まるで日光猿軍団のように巧みな手足さばき(?)で降りてくるではないか。
沿道から、がけのような道を50メートル程、岩登り風に登ると、展望台があり、渓谷の全景が楽しめるというのだ。爺婆軍団に負けじとばかりに、スーツ姿で登り始めたが、革靴ではなかなかよく滑って結構危ない。
しかし意地を張って登りつめると、展望台には高齢者の方々がゾローリ。この人たち、足腰元気だなと感心した次第である。(ちなみに「爺婆」と、ご本人達が言っていたので、そのまま使わせて頂いた。)
11.19 − 調整弁? -
ある政治関係者と話をしていたら、某自称「進歩」勢力について「あれは必要悪で、社会の調整弁なんだ」と軽く言われたのを聞いて、ほおっと思った。その方の懐の広さというか、寛容の精神もさることながら、何に気付いたかというと、某勢力が、いまや、社会的にその程度の存在価値しか有していないという点である。
現体制に対して人畜無害だといわれているのだ。
もともと某勢力が進歩的であると本気で信じている日本人は絶無に近いが、しかし、「調整弁」とまでいわれたんじゃあ、カタナシだよなあ。昔は妖怪だったのに、今ではパイプのバルブですぜ。
11.18 - 「寄生→乗っ取り→排除」の共通プロセス −
故・岡崎哲夫氏への人身攻撃が、さる分野で20年ぶりに登場した。
美辞麗句と自己主張だけは大好きな自称「革新」勢力なので無意味な介入は保留しているが、ほんとに醜い姿である。
その勢力も人材難なのか、かなり機会損失をしている。
十年一日、毎度毎度懲りない面々である。
多数の国民からは失笑をかっているのに、当事者だけが気付いていない。
もっとも良心的で自己犠牲的な貢献をした人物を、死んだ後も背後から斬りつけて平然としている体質。死人に鞭打って、自己陶酔している姿。このような体質が多少とも見えている限り、この勢力は終生、日の目を見ないだろう。裸の王様とは、まさにこのことだ。
冷戦の終結と70年代以降の政治的結束軸や政治的価値観の多様化は、従来の政治勢力にとって、支持者の市場を極端に狭めた。
勢力基盤の核となる直接的支持者の拡大のために、まとまった組織をあまり持たない勢力は、新たな市場での勢力拡大に躍起となっている。ところが、独力での市場開拓をする気概も能力も無いものだから、行き着くところは、すでにあるものへのアプローチだ。
つまり、従来の運動や、社会的被害の救済活動に支援と称して近付き、寄生し、乗っ取り、その後、従来の活動家を排除し、自勢力のパトロンで周囲を固め、何がしかの利権を確立するというプロセスだ。
そのプロセスを同時に何箇所かで興味深く観察・分析させてもらっている。すでに多くの国民も見ている。だから必ず因果は巡ってくるだろう。
それにしても、故・岡崎氏がこういった勢力の特質を十分知りつつ、その上で、あえて活動への参入を拒否しない寛容さを発揮したことに対し、誠実な態度で応えることのできない幼稚な体質。
世間が狭いというか、視野が狭いというか、恥を感じないんだろうなあ。
←うちの猫でも恥を知っているニャ(本文とは関係ありません)
そういう勢力内にも一個人としてみた場合、いい方はいる。私も好感を持っている人は全国で二人もいる ^^;)シンパと思われる人は三人もいる (*o*) 日本全国で合計五人もいるではないか。すごいことだ。
しかし、一部の人品の低い者の行動で、そういう方のイメージまで、まとまって台無しになるから残念である。
いや企業や組織とはそういうもの。一人でも不届き者がいると、全体がそういう目で見られるのは現実だ。
美辞麗句を並べ立てれば並べ立てるほど、実際の行動が正反対だと、不信感は加速度的に募っていく。真の悪とはまさに偽善やへつらいのなかにある。
いろいろな活動に関わるほど、不思議とそういう人たちが近寄ってくるから、それはまた恐い。
できるだけ嫌われるようにしている。
寄るな触るな、しっしっ、と追い払い、わざと嫌われるように振舞うのも楽じゃない。
11.17 -ガリきり-
岡崎哲夫氏は、昭和38年の雑誌「文芸春秋」第41巻第12号に、後の「秘録 北満永久要塞」(秋田書店刊)の基礎となるドキュメンタリーを発表している。
ある出版社の編集者によると、昭和30年代に、広範な取材をもとにして客観的な立場から書かれた戦争記録というのは、極めて珍しいそうである。秋田書店の同書を手にして、「今でも全く遜色ない」と言われた。
同号の「文芸春秋」には松本清張や美濃部亮吉、猪木正道氏など、その後活躍する作家・評論家がずらり投稿しているので壮観である。氏も森永砒素ミルク中毒事件等が発生していなければ、間違いなく作家の方面に進んでいたことだろう。(まあその後十分、多方面で書いたが)
それにしても岡崎氏は出版するにあたって、相当綿密な取材活動を全国規模で行なったようである。それに先立って「絶滅の記録」「辺境の絶滅」というシリーズも刊行している。
←刊行といっても、自家製版である。しかも、すべてガリ版刷りの本である。
しかし、きれいなガリきりの字で、活字と同じような感覚で読める。ガリ版による、多色刷りの地図まで収められているから、驚きである。製本もシンプル(レトロというべきか)なデザインながら、しゃんとしている。ガリ版でもこだわればここまでしっかりした本ができるという見本のようなモノである。
現在、二部シリーズまで確認できているが、それぞれ200ページから300ページの分量がある。
部数が何部発行されたのか今のところ不明であるが、1回の孔版が何枚まで印刷に耐えるか、そのあたりから想像すると、一回一版で数百部程度の出版であっただろうと思う。
若い方は、ガリといってもピンと来ないかもしれないが、正式には謄写版印刷という。
仕組みは、蝋を薄く引いた極薄の和紙を、つるつるではなく、かすかに研石のようなきめ細かな表面を持つ鉄版の上に置き、その上に鉄筆で、字を書く。書くといっても、和紙の表面の蝋を削って(和紙までは切れないので不思議だ)インクが下にしみ出す「孔版」を製作するわけだが、削ると蝋がとれて白く見えるので、それを確認しつつ、筆(鉄筆)で書き進めるというものだ。
できた孔版を、スクリーンを張った木枠の下に注意深く、しっかりと貼り付け、謄写版の出来上がり。その謄写版である木枠を印刷用紙の上に置き、スクリーンの上からインクのついたローラーを一往復させて、スクリーンをもち上げ、印刷された用紙を取り出し、次の白紙の印刷用紙を置き、また、同じ動作を繰り返すというものだ。
私も幼年時代、この作業に従事したことがあるが、今の機械まかせ、電気まかせのスピード印刷機や、コピーと全く異質の作業で、大変手間のかかる仕事である。
ガリきりは、一文字一文字、ある程度の慎重さが必要なので、大量に行なうと、原稿用紙に万年筆で書くより、目や肩を痛める作業だ。しかも、印刷の時、失敗し、版を傷つけたら、もう一度、一から文字を書き直して、版を作り直さないといけない。
しかし、謄写版印刷には、ひとつだけ、効率では置き換えられない味や意味というものがある。それは、製作した者の情熱というか、息吹というか、執念が読者にダイレクトに伝わる点である。
文字は、視覚で見るものである。その文字に製作者の息遣いが感じられるのがガリ版印刷というものだ。その人の筆跡であり、その時々、往時の感情の起伏や、体調まで伝わってくる。
虎頭要塞記録や森永砒素ミルク中毒事件の救済運動における、岡崎氏の遺した膨大なガリ版印刷による書籍や文書類を見ているだけで、悲惨な戦争や公害による悲劇の真実を、懸命に同胞に伝えようとした氏の叫びが、天から聞こえてきそうである。それはまた、人間の情熱の歴史というものがどういうものなのか、を理屈ぬきで教えてくれているようにも思えるのだ。
11.16 − 2000件アクセス突破。皆さん、ありがとうございます!-
皆様のおかげで、当サイトへのアクセスが2000件を突破した。
只今、3000件を目指して快走中である。
9月11日の米国中枢同時多発テロ1周年を契機にサイトを開設していらい、
2ヶ月たたないうちに、で…びっくりである。
1日あたり30人以上の方が、見ていただいていることになり、感謝感激である。
また、この場をおかりして、サイトの制作・情報・資料提供にご協力いただいている、中華人民共和国黒龍江省虎頭鎮・虎頭要塞遺址博物館、黒龍江省社会科学院、日本側では、軍装備研究家の辻田文雄氏、旧日本軍の兵器研究における我が国の第一人者である佐山二郎氏をはじめ、その他多くの関係者の方々に、改めて、心より感謝申し上げる。当サイトの何よりの特徴は、誠実と良心に恵まれる、立場を越えた多くの謙譲と無私の精神の方々の幅広い協力によって運営されていることである。
私どもは、サイトの運営にあたって、次の点を重視してきた。
1.虎頭要塞をめぐる歴史的事実の啓蒙。
2.虎頭要塞が社会的に注目されるようになった、歴史的経緯、関係者の努力と功績への正しい理解。
3.要塞を一つのシンボルとしつつ、日中の歴史的関係を考え、今後の友好活動の豊かな発展に資する。
したがって、虎頭要塞問題を、暗に政治的に利用したり、売名に利用する動きとは、一線を画すことを決定した。
不偏不党の精神と、人間第一主義がモットーである。
11.15 −さすがノーベル賞・受賞者は違う −
ノーベル賞を受賞した島津製作所の田中耕一氏が、インタビューでコメントを求められた際、
彼の業績をほめちぎるアナウンサーの質問をあえて否定し、
「研究は自分だけがしたのではありません。多くの仲間のみなさんのおかげで、なんとかここまでこれたのです。そのことをよく理解してほしい」
という内容のことを、すこし厳しい表情をして言われていた。
その通り!それが優れた研究者の基本姿勢であり、研究という作業の真実でもある。
それは単なる謙譲の精神にとどまらず、人間として、研究者としての基本的モラルの重要性を指摘している。
多くの日本人が唸った、感動的にして偉大な発言である。
どんな天才も周囲の協力と先人の努力の積み重ねの上に、最後の積み木を一つ積み上げただけなのだ。
それを忘れない謙虚な姿勢だけで、彼は賢人である。
21世紀の学術のキーワードは「学融」だといわれる。新しい学問的価値の構築のためには、異分野の多くの人々の智恵を結集する必要がある。つまり「連携」が不可欠なのだ。そしてそのためには、広い社会的見識、深い人間性が研究者自身に不可欠となる。
ノーベル賞受賞者・野依良治教授は、現代の「精神汚染」に深刻な警鐘を鳴らす。「求められるのは、ごくまっとうで適正な自然観、生命感、そして社会観だ」と指摘され、「人間性への回帰を」と呼びかけられている。
11.14 −上海 リニアモーターカー −
上海で来年からリニアモーターカーが運行を開始する。
郊外の浦東空港から上海市内まで、現在、車で1時間半くらいかかるところを、約8分で結ぶことができるという。時速500キロ弱のスピードである。
諸般の事情から日本製ではなく、ドイツ製リニアモーターとなった。(ちなみに中国の新幹線は日本製にほぼ決定.)
←すでにリニア走行路の高架の大半が完成している。中国ならではの24時間突貫工事のおかげか、建築もすさまじいスピードだ。しかし、みたところ、日本の新幹線より華奢な高架なので、大丈夫かなあ。
まあ、中国は地震がないから…と言われそうだが。
しかし、このリニアは本場、ドイツでもまだ実用運行されていないそうだ。友人の上海人も、だいじょうぶかなあと心配している。まあ試験運転はちゃんとされるだろから。
しかし、運行が始まったら、訪問客がまず最初に利用する交通機関になるわけで、上海の顔である。またほとんどの方が、生まれて初めて、この超高速鉄道を体験することになる。
交通機関の最大の使命、絶対条件は、旅客運行の安全性確保である。
したがって、くれぐれもリニアが宙を舞わないように、ソフト・ハードの両面で、安全第一でお願いしたい。
11.13 - 香港ディズニーランド -
仕事で香港と深せんを何度か往復した。通関の手続きがかなり面倒だったが、旅行社まかせにせず自分達ですべてをやってみると、いろいろ勉強になり、「次からはバスガイドができるぞ」と妙な自信がついたりする。
それにしても香港の治安は良くなっていると思った。夜、街を歩いていても、よほど裏路地にでも入らない限り、なんら不安はない。「きれいになりすぎて猥雑さがなくなってしまったな」とは友人の弁。たしかにそうだ。
しかし、なんといっても、香港島の夜景は絶品です!→
ところでもう少ししたら、「香港ディズニーランド」ができるらしい。
その予定地も拝見した。
海岸沿いの巨大な盆地のようなところに、溜池みたいなものもあり、これはディズニーシーも一度にできるぞ、とおもった。
以下は、満面笑みの現地ガイド・ハリーさんの説明…。
「中国には13億の人口ありますね〜。それに、インドからアフガニスタンにかけて後ろに(それを言うなら西だろ…)はさらに10数億の人がいますね〜。この数十億がマーケットのディズニーランドですね〜。みんな香港のディズニーランドにやってくるね〜。」
だって…。
う〜ん、ということは、東京ディズニーランドには日本海より西の人は来なくなるということか。それは大変だ。しかし金さんの弟さんは危険を冒して東京に来なくてよくなる?
それにしてもアフガニスタンからディズニーランドに来る人っているの? ヨーロッパにはないのかしら。
インドもそのうち作るんじゃないのかなあ。ロシアもそのうち…。
シベリアにマンモスのお面をかぶらせた象を放し飼いにして、「アイスエイジ ワールド」なんてのもおもしろい。オセアニア大陸にディズニーランドが数珠つなぎで出来るかも。アジアの商魂、恐るべしだ。
しかし香港ディズニーランドができたら、日本からも観光客いくかもね。
ミッキーと一緒にパンダが踊ってたりして…。きっと面白いぞ。
11.12 - おくやみ -
「平和博物館を創る会」専務理事の岩倉務氏が亡くなられた。
故岡崎哲夫氏の「秘録 北満永久要塞」の文献的価値をいち早く認められ、復刻版「虎頭鎮を知っていますか?」を世に送り出すのにご尽力いただき、虎頭要塞日中共同学術調査団を立ち上げて下さった功労者である。
この場を借りて、謹んでお悔やみを申し上げるとともに、氏の遺された事業の一層のご発展をお祈り申し上げる。
11.11 - 栄光ある孤立 -
市民運動や住民運動の私物化をはかるための「蚊帳(かや)の外」という手法がある。
つまりある勢力が自分の気に入らない人々を姑息な手段を使って排除し、
外に向かって一人芝居を演じるやり方である。マッチポンプという手法も使われることがある。
蚊帳の外に置かれた人は、活動から疎外されたり、排除され、
一時的には「非協力者」なるレッテルを知らないうちにコソコソと貼られる場合もある。
(私たちはこのようなレッテルは大歓迎だが。)
普通の市民運動は、無私の精神だから、いろいろな立場の方とや出来るだけ多くの人々とともに動こうとするから、こんな手法をとることはまずない。
この手法を用いるのは、
えせ平和団体や偽知識人が市民運動に寄生して、その後、活動の主導権を独占しようとするときだけである。
極めて不純な動機のもとに行なわれる行為である。
このような行為が国際交流と称して行なわれる場合は悲惨な結果が待っている。
なぜなら、片方の当事者や、一般の参加者はそういうことを知らない場合が多いからだ。
海の向こうの関係者や、メダカ社会に馴れた日本人には、理解できないことが多い。
だから、芝居をみて下手にのめりこむと、躍らされ、利用される。
悲惨な結果に気がつかず、窒息していく場合が多いから、なおさらかわいそうである。
ただし、私たちは蚊帳の外に置かれることはない。
なぜなら、そういう手法を知っているから、敏感に感じ取って、自ら進んで蚊帳の外に出る。
そして、そういう人たちとは金輪際、お付き合いをおことわりするだけだ。
こういう方々とのお付き合いは「百害あって一利なし」。
私たちは市民運動である。様々な信条の方々と広く共同の仕事を進めるのが目的だ。
非常識かつ不純な「お山の大将」は不要である。
またそういいう不純な方が、一人でも跳梁している企画には、いかに素晴らしい「進歩的言辞」や「お題目」が付いていても、一切協力しない。謹んで辞退申し上げる。
特に、国際友好や、それにからむ複雑な歴史問題への取組みは、内輪で盛り上がっても全く意味がない。
絶妙のバランス感覚が必要な分野であり、こういう類の勢力の跳梁は、逆に善意の市民を遠ざける。
市民運動では、多くの名を求めない市民の方々への敬愛と尊敬の念が不可欠である。
そういう市民を冒涜するものへは、少なくとも我が国では、厳しい目が注がれる。
そこでは「進歩的言辞」や「美辞麗句」は一切通用しない。
もっとも重視されるのは、個々人の人間性への評価である。
私たち市民が、ある企画に対し協力を意識的に拒む場合、そういう事情が背景にある。
このことに関しては、一切の妥協はない。
時と場合により、積極的に「栄光ある孤立」を選択する。
11.7 − ロブスター?否… −
先月の訪中の際も本場の中華料理を堪能させていただいた。
長春では旧大和ホテル(日本が満州国時代、将校や政府要人の宿泊用に建てたホテル-現在名:春誼賓館)に宿泊したが、夜、市内をぶらぶらしていると、長春シャングリラホテルの前に、きれいなレストランを発見。入ってみると完全に現地の人のお店で、英語も日本語も通じない。
メニューをみていると、いちばん上になにやら面白そうな名前があるではないか。たぶん、この店イチオシの品だと確信。これは何だ?と、メニューを指差して友人がいろいろ聞くが、どうも話が通じない。かなり中国語が出来る友人だが、ボキャブラリーにない中国語のメニューのようだ。延々やり取りしていると、対応した二人のウエイトレスさんが、ごうをにやしたのか、諦めたのか、ふっとどこかへ消えてしまった。
「あ〜嫌われたよ、別のにするか」とボソボソいいつつ、別の、かろうじて想像できる品を物色していた。そしたら、さっきのウエイトレスが、またまた、ふぅ〜と戻ってきた。そして、両手にもった何かを不意に私たちの目のまん前にかざした。
目の視野一杯に「不恰好なエビ」がジタバタもがいている。「うわっ」と、びっくりしてこけそうになった。友人がすかさず、「こりゃザリガニだ!」
即、食うことにした。ザリガニは日本の田んぼに繁殖しているが、もともと食用に輸入されて、居付いたモノと聞いている。
しばらくすると辛い辛い唐辛子のなかで油であげたテカテカのザリガニが十匹も出てきた。
「こんなにザリガニばかり食えるかなぁ」と、ちょっと不安に思いつつ、甲羅をむきはじめたが、身がなかなか出てこない。一体どこにあるのかしら。
こりゃ、甲羅ばかりで食うとこがないぞ、なるほど、それで10匹か…。
全部解体すると真ん中より少し尻尾の方に、およそ外見に似つかわしくない、きれいな身が発見できた。
それを唐辛子醤油に漬けてパクッといくと…これが結構イケるのです。
少し甘味もあり、おいしかった。味付けもあるのだろうが、芋虫のようにこじんまりとした形でぷりぷりしていて、下手な安物のエビより美味い。しかし、身が1.5センチくらいしかなく、5匹食べても酒のつまみ程度にもならなかった。それから調子にのって、わけもわからないメニューをたらふく食って店を後にする。外に出たら、店のいちばん上に馬鹿でかい、しかしどことなく愛嬌のある立派なロブスターが、いやザリガニが、真っ赤なネオンサインの体で踊っていた。ザリガニさんごちそうさまでした。
私はだいたい何でも食べる。15年ほど前、フィリピンで、孵化寸前の鶏の卵(最近ナントカという名前で有名らしい)を無理やりに食べさせられてから、だいたいのものはOKとなった。中国側から「中華料理大丈夫ですか」と聞かれて、「全く大丈夫」と答えると、先方は「珍しい日本人だ」と顔を見合わせ、次の瞬間、にんまりした表情になる。毎度の事ながらエスカレーション戦略のスタートだ。
中国の方は、これも食えるか、と挑戦してくるが、何が出てきても意地でも食う。そうすると、およそ食えないものは出てこないと確信する(安心する?)に至り、訪問する度に段々ゲテモノ派になっていく。これがまた結構おいしかったりして、次はどんな?と期待しだすから恐ろしい。
これまで、亀やら、蛇やら、豚の脳みそ(握りこぶし大のかわいい脳みそだった)やら、いろんなものをごちそうになったが、このたびは、面白い三種類のお酒をごちそうになった。カエルの酒、アリの酒、鹿の血の酒…。アリの酒は元のビンの中に本当にありんこが浮いていた。脱出しようとしてビンの壁面にへばりついている奴もいた。が、お酒のほうは甘酸っぱくておいしかった。昔子どもの頃、ありんこをつぶしたら、きまって手に甘いにおいが残ったものだが、そういう味?がした。
カエルの酒は、まあ普通であり、おいしい。ただちょっと日本のカエルとは違うような。これは大型ヤモリではないか? いや、アルコール漬けで、お腹がしぼんでそう見えるのだろう。しかし酒に漬かったカエルの目はギョロギョロしてて恐い!
鹿の血の酒は、少し血ッポイ味もしたがコクのある赤い色をしたお酒という感じで、どれもおいしかった。とにかく精力剤としてもってこいだ。
中華料理は脂っこいと思われる方も多いが、実際にはどうなのだろう。中国人には米欧人のような極端な肥満体型はあまりみない。料理には確かに油がふんだんに使ってあるが、そもそも、接待用の食事は量がむちゃくちゃ多い。実際の中国人はかなり質素な食生活をしている。ときたま香港のギャング映画などみていると、チラッと日常生活の食事風景が出てくる時があるが、品数が一品か二品だけだったりする。ホテルにとまっていても隣のアパートの台所が見えたりするが、そんなに回転テーブルにのせるほどつくっていない。そりゃ当たり前ですよね。
実際、深センでも、屋台みたいなところで炭焼きの焼き鳥かなんか、バーベキューみたいな昼食をしていた現地の人もいた。仕事で動いていたのでおつまみできなかったが、とても楽しそうだったので、仲間に入れてもらいたかった。
しかし某市の経済特区の職員食堂はよかった。15元(約250円)でバイキング!
本場中華料理でデザートつき。しかも短時間で微妙にメニューが変化する。なかなかのこだわりだ。食べ終わった頃には別の料理が出ている!これはついつい食べ過ぎてしまうぞ。
いやあ、何度いっても中華料理は奥が深い、恐るべしだ。
(注:上記の類は付き合いの席とはいえ中国人でも顔をしかめている方が時々いる。人によってはアレルギーが出たり、ひっくり返ったりする方もおられるかもしれないのでご注意ください。)
11.3 − 映画「ブラックホークダウン」 -
一国への武力介入を米国流価値観で描いている点で、あまりお勧めではないが…。
1993年の米国によるソマリア介入を描いた映画。
9.11のテロ以降、世界中で対テロ掃討作戦と称して介入を続ける米軍は、93年の失敗にもかかわわらず、再度、アフリカの角といわれたソマリアへの介入までほのめかした。実は正確には、ほのめかしたのは米国ではなく、米国の意図を掴んだドイツの閣僚によるマスコミへのリークである。このリークに米国国防総省は激怒したようだが、それと同時期に、この映画が封切られたので、関心をもって見た。
映画はソマリアへのかなりの偏見も感じられるし、アイディード派へは敵意剥き出しである。もちろん中身は米国の失敗への自己弁護の羅列である。介入の意図を米国流の正義感でカモフラージュしようとする視点も感じられる。
で、鑑賞後の感想は、「ソマリア介入なんてもう止めようよ」「もう一度介入して雪辱を果たせ」の割合は7対3ぐらいかなとおもった。それは日本人の感想で米国人はその逆かもしれないから怖い。微妙な作り方をしている映画だ。「米兵引き回し事件」など、あまりリアルに描かれているとはいえない。しかし、米国の失敗を迅速に映画化した作品として、米国の世論誘導の手法が良く分かるという意味で注目に値する。「転んでもただでは起きない」米国のしぶとさも、また良く分かる。
ところで、何度か見ると、映画「エイリアン」と同じ雰囲気やカラーを感じる。ロケーションが砂漠でなく、雨がふっていて、宇宙船のなかだと、「エイリアン」そっくりだ。
米国の指示に従わぬアメリカの政権や、イスラム教を「エイリアン」のように描いているといえなくもない。兵士が次々に倒れていくところへ、襲い掛かるアイディード将軍一派は米国とその兵士にとってまさにエイリアンなのだ。アメリカ人は負け戦の負け惜しみとして、多分そうみせたいのだろう。ちょっと辛口かもしれないが、映画から得られる厭戦気分も、また、しょせんその程度かもしれない。したがって「エイリアン退治」がいつ復活してもおかしくはない。
しかし、国際司法裁判やそれに基づく証拠の提示も判決も前提になく、民族紛争は道義に反するといいつつ介入して、どつぼにはまり、同胞救出と称して、実は片一方の勢力の兵士や民間人を殺しまくるって、一体なんなの、と思ってしまう。まあ、そんな不条理の固まりが戦争っていうものかもしれないが。
それにしても、毎度映画に出てくる、「戦争したくってうずうずしている若い兵士」って、実際には米国軍隊にどれほどいるのだろうかしら?
戦闘シーンは毎度おなじみの「ハリウッド流リアリズム」である。
11.1 − 映画「インサイダー」 -
毎度、(少し)古い映画でお恥ずかしいかぎりだが、愛煙家には天敵の映画である。
米国で実際にあったタバコ産業をめぐる内部告発事件と、その周囲の人間ドラマを描いている。
被告となったタバコ会社や、告発の手助けをした放送局が全て実名で出てくることで大きな話題となった。
主演はアル・パチーノ、ラッセル・クロウ。この、キャラクターも体型も異なる二人が、実にハードボイルドな、渋い味を出している。私はアルパチーノはこの映画で「ゴッドファーザー」を超えたと思ったほど。ここ数年の社会派映画のなかではもっともリアルで上質の作品だと思っている。ハリウッド映画につきもののアクションや暴力シーンは全くない。むしろ平和な日常生活の中で起伏する鋭い緊張感が淡々と描かれる。
この淡々と進む、ある意味で「地味」な精神的苦闘を、二人のベテラン俳優が見事にドラマティックに演じきっている。
「真実は小説よりも奇なり」ではないが、実は、この手の事件は身近にもよくある。その、よくある現実と格闘する男達の変化する心理や家庭の問題、ひいてはいくつかの夫婦のありかたを含めて、丁寧に描きあげている点で、この映画は秀作である。
この映画のテーマは「プライド」だろう。人は、どのレベルまで妥協し、どのラインから妥協できないか。しかも現実社会は複雑で流動・変化しており、人々の出会いがそれをさらに錯綜させる。
だから誰も妥協と非妥協のラインを簡単に引けない。それは実は極めて主観的で、人それぞれ、その場その場のぎりぎりの選択がある。しかもその選択は様々な犠牲を伴うもので、時間は後戻りもできないし、失うものに関してもだれも慰めてもくれない。この世の中、厳しい決断の連続である。この映画の言わんとするところは、企業人のみならず、多くの方がよく理解できるのではないか。
160分を超える映画。最後のアル・パチーノの後姿が男のダンディズムを誇り高く歌い上げている。こういう生き方が今の日本人には減ったなあと思う。
まだご覧になられていない方には是非一度お勧めしたい。
10.31 − 中国ビジネスツアーを終えて -
仕事で香港から深セン、長春、北京、天津、上海と短期間でハードな旅をしてきた。
秋の観光シーズンとぶつかり、私たちのような単独ビジネスツアーはオーバーブッキングの連続。チェックインカウンターに詰め寄ることがしばしばあった。
(←長春空港にて筆者)
華南地域は委託加工分野、材料加工分野ですでにあまりに有名な地域であり、北に行くほど合弁、独資が多くなるような気がしている。これには地域特性の違いや、歴史的背景が色濃く感じられるし、なにより中国の戦略がよく見て取れる。(が、長くなるのでここでは省略する。)
で、感じたのは、日本企業が中国に進出し、生産をするのはいいのだが、中国の文化や歴史をもう少し深く感じて欲しいとおもった。華南でも委託加工を実際に軌道に乗せるのは大変な努力がいるのだが、表向きの話がとっつきやすいので、中国での県と市の行政区分が日本の逆であるということすら知らなくても、企業家として魅力を感じてしまう誘惑がある。それはそれで入り口として否定しないし、いいのかもしれないが、中国に多く友人をもつ私としては、少し物足りない、というのが正直なところ。 (深セン縫製工場の検品工程を視察する筆者→
←電子部品組立ライン)
最近、私の友人の友人(といっても大先輩であるが)が中国で事業を始めることになった。もともと彼は人格者なのであるが、やはりというか、彼は周恩来記念館を二回も訪れたことがあるという。事業の相手先の国の歴史や文化、気質を良く知り、それに敬意を払うことが大切であることを実際の行動で示されている。
今回も私と友人二人を記念館に連れて行って下さったが、大変勉強になった。おまけに私の名前の由来を記念館で発見できて(郭沫若が周恩来に贈った書にでてくる)勝手に舞い上がってしまった。
国や民族というものを体制や思想の違いで区別するのはたやすい。気質ももちろんかなり違う。しかし、らっきょうの皮をむいていけばそこに残るのは、やはり生身の人間である。他人と他国に対する尊敬と謙譲の念を忘れてはいけないとつくづく思う。
10.30 − 北朝鮮の「核開発疑惑」? -
核兵器は原子力発電所の稼動結果によるプルトニウム生成とその運搬・起爆技術(弾道ミサイル技術)があれば、たいていの国が保有できる。確かに兵器として効果的な起爆技術は高度なノウハウが必要となるが、その技術的ソースはかなり流出している。
日本もまた例外ではない。日本には沢山の原発があり、人工衛星を地球周回軌道に載せる技術がある。日本にとって核兵器の製造などは簡単である。あってはならないことだが、理論的可能性として、今度世界がいざ戦争になったら、世界中の国が核兵器を短期間の内に開発してしまうだろう。
では北朝鮮や、イラクがなぜ、ことさら核疑惑で騒がれるのだろうか。もちろん、核開発をすることはそれ自体が絶対悪である。しかし核兵器を保有しているのは小国ではない。教育水準の高い日本国民の多くは、実はそれを不思議に思っている。実際不思議な話だ。ではなぜ大国がまず非難されず、核大国がそれを非難するのだろうか。皆が不思議におもいつつ、皆が議論を避けたがるテーマである。
超大国が小国の核を問題にするのは、核兵器保有をバックボーンとした世界政治への影響力の行使に支障が出るからだろう。
大国は核兵器を独占して独自のパワーを発揮したいがために、他の国が保有しようとすると反対する。決して世界平和のためではなく、世界支配の枠組みの構成に変化が起こることへの異議である。
また、世論の側も、マスコミも、核開発疑惑で騒いでも、核兵器を放棄しようとしない大国の現状を「おかしいと」騒ぐことはほとんどない。つまり、一端保有して、開き直ったら、「まっ、しかたないか核保有」が大方の傾向なのだろう。こういう世論があるから、孤立した小国が独自の政治的パワーを発揮するために核兵器を持ちたがるのだろうと思う。つまり、ここでも、問題は私たちの意識なのだろう。
理論的には、北朝鮮の核開発がだめだと叫ぶのなら、アメリカもロシアもインドも中国もイスラエルも核兵器を放棄すべきだと叫ばないと、フェアではない。でも、そんな世論がおきたこともほとんどないし、悲しいかな、たぶんこれからもおきないだろう。
人類は核の綱渡りを永遠に続けていくしかないのだろうか?
ならば、唯一の被爆国・日本の果たす役割は人類の将来にとって、とても大きなものになるのかもしれない。
その意味でも「核疑惑」という騒ぎに対する日本人の姿勢は、他の国のそれに比べてもう少し違ったスタンスになるよう期待したいものである。
10.29 -映画「スターリングラード」-
この映画は第二次世界大戦中の最も熾烈といわれた独ソ攻防戦である「スターリングラード攻防戦」を舞台にした旧ソ連赤軍とナチスドイツとの狙撃部隊の兵士同士の確執と戦いを描いた戦争映画である。ソ連兵が英語をしゃべる不自然さ以外は、当時の情感を上手く描き出しているハリウッド映画の大作であると評価は高い。
この映画に登場するのは、数百メートル先から高性能ライフルを使って敵将校を次々に狙撃していく当時実在したソ連軍の歩兵特殊部隊の話である。一発必中、職人技の狙撃部隊が、ナチ将校を血祭りにあげていく。映画では狙撃部隊のルーツはドイツ陸軍にあるとされている。
ところで、故岡崎哲夫氏が著した「秘録 北満永久要塞」には、ソ連赤軍のコサック狙撃兵の話が出てくる。実は関東軍第15国境守備隊の兵士達も、これと似た部隊の狙撃によって多くの兵士を失ったのである。
これはソ連軍と交戦した日本兵しか体験していないだろう事実で、ほとんどの日本人には知られていない。
岡崎氏の著書の中でも、「頚動脈を打ち抜かれ」大出血して死亡したおびただしい数の兵士の死体に関する記述があり、昔読んだ時は本当にそんな狙撃部隊がいたのだろうか、とにわかに信じがたい話であった。しかし、「スターリングラード」を見て、逆に驚かされることになった。著書からは、映画さながらの風景が想像できる。作品のリアリティは未だに健在である。
ただ、なぜソ連兵が「頚動脈」を狙ったか?
塹壕から顔を出す日本兵は鉄兜をかぶっており、頭は銃弾をはじき返す可能性がある。そこで鉄兜の直下に露出している首を狙うという。
しかしなぜ首の真ん中ではなく端の方の難しい位置にある「頚動脈」なのか、については、諸説あり、いまだ明快ではない。
しかし戦闘状況を想像した場合、一発の銃弾による攻撃である「狙撃」で相手を確実に倒し、逆に相手方からの報復を無力化するには、頚動脈しかないともいえる。しかし、それはまた、かなりの錬度を持つ狙撃技術を保有していることの裏返しである。同時に相手方を恐怖に陥れる十分な脅迫力を持っている。
軍事研究家の辻田氏によれば、コサック兵は子どもの頃から狩猟のための狙撃をしており、商品としての皮を傷つけないために頚動脈を狙う癖があったのではないかと指摘されている。
映画「スターリングラード」と「秘録 北満永久要塞」の不思議な接点である。
10.24 -きな臭い動き-
拉致被害家族を帰さないという家族の声が国を動かした。家族の方の気持ちは察して余りあるし、なにより被害者本人達の苦しみは想像に絶する。
目の前に現れた自分の子どもや兄弟を、拉致した国に絶対におめおめと帰したくないといのは、当然の気持ちである。国家と政治が犯した誤りがこれほど大きい傷跡を残すとは。
今回の問題が起こるまで、我々日本人は拉致問題を真剣に考えただろうか。
しかし、目を世界へ転ずると、きな臭い動きが目に付く。
ドイツでの事件、バリ島でのテロ、アジアで第二戦線を開くと言われていた米国の動き。対テロと称してフィリピンに入国した米国軍事顧問団とその部隊が、なぜかジャングル奥地で希少金属のボーリング調査をしているという奇妙な実態。ロシアでのチェチェン武装勢力の人質事件、パレスチナの動き。
一連のテロは、大方、アルカイーダからみ云々といわれるが、米国中央情報局とアルカイーダはもともと蜜月関係にあったことも広く知られている。諜報機関が作り上げたその種の人的関係などは簡単に決別できないし、むしろ半永久的に続き、上手く使い回されることは周知の事実である。
米国の世界戦略にストレートに追従しない国の周辺で「アルカイーダからみといわれるテロ」が発生することに、なにか作為的なものを感じるのは私だけだろうか。
10.22 -小島よしゆき氏-
小島よしゆき氏という方からお便りを頂いた。虎頭要塞に関して現地にも足を運ばれ、生前の岡崎哲夫氏とも連絡を取られたことがあると聞いた。
小島氏はご自身のホームページ(小島よしゆきのページ)を運営されていて、当サイトのリンクからもご覧いただけるようにしたが、旧満州密山で少年期を過ごされたという方である。密山は満州開拓団の悲劇の地として、知る人ぞ知る地である。
詳しくは、小島氏のサイトをじっくりご一読いただきたい。きっと胸に熱い物が込み上げてくるはずである。ご自分のルーツを探る旅と、中国への奥深い愛情がじわじわと伝わってくる。そして小島氏もまた、時代のなかでもまれた被害者であったにもかかわらず、曇りのない目で謙虚に歴史を直視するご努力には敬意を表したい。多分、まだまだこういう方が日本には多くいらっしゃることだろう。こういう方々がもっと多く出てくることを切望する。日中友好活動の発展に最も貴重なのは、こういう熱いハートをもち、かつ謙虚さとバランス感覚を兼ね備えた方々の存在である。
10.20ー問われるステロタイプ化する「加害者」論の行方ー
中国への日本の侵略戦争はいまさらいうまでもない歴史の事実である。
ところがである。
狭い集団のなかに入ると、中国への侵略戦争犯罪を必要以上に声高に叫ぶ人がいる。「加害」を声高に叫ぶか否かを踏み絵のように強要し、それを躊躇する人々を「対外的に」愚か者とか「保守」として演出し、排除を始める輩もいる。そういう者がいる市民運動はたいてい空中分解し、一部の狭い集団のサークルと化す。
日中友好活動や市民運動では、哀しいかな、しばしばそういう人が横から侵入し、最後は、前面にしゃしゃり出てきて、自分だけが聖人君主になった気分で、自己陶酔し、最後は独裁者のように振る舞い、みんな逃げ出していく。
そういう人の「加害の歴史」なる言葉が、全くハートのないスローガンと化していることのいかに多いことか。
「侵略のシンボル」とか「加害の歴史」というスローガンを振り回すことで、自分の株が上がったと錯覚し、日中間の歴史問題に取組む人々に多大なる腐敗臭を撒き散らす自己陶酔的「論客」が多いことを、そろそろはっきり指摘し、一線を画すべき時に来ていると思う。
そういう建前の旗を振り続ける人の存在が、多くの良心的な人々の心の変化と、広範な人々の日中友好活動への参画を阻んでいる側面が極めて大きいと私は見ている。日中友好活動において障害になっているのは、右翼的な潮流ではない。禍根は身近にあり、だ。
虎頭要塞や関東軍の存在自体が、中国大陸への侵略であることはいうまでもない。しかし実際の戦争体験者や日本人の認識は、ドイツなどとは大きく異なる戦後処理の歴史的背景も絡んで、非常に複雑で繊細なものになっており、それを理解する高い精神性がなければ、日中間の歴史問題の取組みの将来性は危うい。中国側の被害感情への受け狙いは達成できても、これからの中国にとっても大したものにはならないだろう。
少なくとも日本国内で、自己中心的立場から戦争体験者に暴言を吐きつつ、中国側の関心が高いとみるや態度を一変させるような売名主義的ご都合主義は、多くの人々を辟易とさせる。建前と本音を使い分ける二面的姿勢である。
ましてや、それが学術という衣を羽織るとき、そういう「学術」ならいっそ無い方がましだと明言しよう。そんなものなど、なくても誰も困らない。共同調査は、特定の任意団体のために市民が汗を流したのではない。ましてや、特定の勢力による政治的利用や、売名行為は醜悪以外の何ものでもない。
10.19 - 極狭精神 -
おおっと驚いた。ある記述を見ていて、頭のめぐりが悪い私も、二日ほどしてようやく気がついた。どう考えたらいいのか、不可思議な感覚が宙を泳いでいたが、他の方から「あきれた」と指摘を頂いた。
ある人?が、2回にわたる多くの関係者の共同作業を自分のサークルがしたことにしてしまっているではないか。危ないなと思っていたら、やっぱり案の定だ。
一見すると、これは記述者の誤認と思われがちだが、しかし実は正反対だろう。
これは記述者の責任ではない。もちろん記述者の表現が結果的に、厳密には事実と違っていたにしても、記述者が指弾されるような社会的問題は全く発生しない性格の部分であるから、記述者には落ち度はない。
むしろ困難な問題を取り上げた記述者の姿勢は絶大なる賞賛に値する。
協力した私も記述者の優れた人格は承知しているし、今後も協力を惜しまない。
この点は特に強調しておきたい。
問題は、何者かの密かな意図に基づく誘導である。
なぜ、この「些細」な一部分に問題を感じるかだ。
実は、この部分は、分量は「些細」でも、様々な立場で参加した関係者の「善意」を踏みにじる重大な意味をもつ「些細」だからである。
私が問題だと感じる理由は、この動きが、無私の精神で多くの市民が営々と続けてきた共同作業の成果を、「公」から「私」にさりげなくすり替え、特定の集団で「窓口」を気取ることで、その品性の低さに辟易とした善意の人々が、「なんだ所詮こんなレベルの関係か」と離反していく点である。これは特定の勢力が民主的組織や運動を私物化する過程で常用する手法とも酷似している。
モラルを軽視し、たてまえの旗を振れば振るほど、真の交流活動から多くの市民を遠ざけていく。
善意の市民が撮影した写真を無断で複製して、使いまくっているから、著作権問題ですでに基本的な信頼を失ってはいる。だが関係者は、活動そのものへのイメージが悪くなってはいけないと遠慮し、あえて波風は立てずにきた。
でも、それも限度の問題である。
実際、このような問題の連続で、熱心に研究しようとする良心的な人々が、交流事業そのものへの嫌悪感を抱くようになるのがいちばん怖い。
「新時代」とはおよそ逆行する立場である。
9.28 - 人間性というもの。精神性というもの -
最近、よく「他力」という言葉について考える。
これまで、自力という言葉が力強く唱えられてきたが、最近は五木寛之氏などの著作の影響もあってか、
「人は他人によって生かされている」ということが見直されてきた。
ある方から次のようなお話を聞かされた。
「先人達が血と汗を流して築きあげてきたもの、そしてその先人の努力によって多くの支援が集まって出来上がった果実というものがある。
その果実が見え始めた時、人間は、概して二つの種類に分かれる。
1.その果実は、豊かな土壌に支えられて成長したものであり、その果実を受けたことを天に感謝しながら、みんなと喜びあい、平等に分け、更に多くの人々のために果実を実らせようと努力する人。
2.一方、その果実に「寄生」し、を自分の手柄として一人占めしたいばかりに、土ごと果樹を自分の庭に「移植」する人。
市民運動や住民運動、果ては学術の分野でも功績主義、お手柄主義、売名主義が蔓延しているから困る。共同調査の成果まで一人占めをはかり、皆が逃げ出す。
弱者を救済したり、平和のための活動でさえ、それを利用して、名声を追い求めたり、社会的地位を得ようと画策する人も多い。自分の個人的なコンプレックスを市民運動の中で、売名行為として発散し、結果、多くの市民に腐敗臭を撒き散らし、吐き気をもたらすこともある。結果は社会的支持の低下とイメージダウンである。
先人や功労者の苦闘の歴史、そのプロジェクトに協力している多くの方々の努力を、「意図的に語らぬ」ことでしか、自己を浮かび上がらせることが出来ない愚かさのいかに多いことか…。
時には歴史の改ざんを批判しながら、民主的な活動の歴史を改ざんする場合もある。
とくに後者のような場合は、人の歓心をひきつけようと、そればかり考えて、全てをそれに従属させ、時には、金と利権をばら撒くから、一時的に踊らされやすい。」
そういう話を聞くにつけ、なぜ運動というのは、こうなりやすいのかな、と想う。
いや大体においてこういう愚かさは多くの人が集まれば集まるほど生まれるものだ。
名声を求めず、協調と協同の精神で良心的にやればやるほど、「寄生」や「移植」に精を出す者に果実を持っていかれる。いや果実は枯れるのだ。
たぶん精神性だと思う。社会や平和を語れば、だれでも素晴らしいと思う。しかし、そこに高い精神性が備わっていなければ、多くの人々の共感は得られない。
なにより、そういう「寄生」と「移植」の最後に待っているのは、信念の喪失から来る、精神的孤立と後ろめたい感覚だ。
それが人々の幸福を追求する分野であれば、その客観的な損失は計り知れない。
問題はイデオロギーではない。本質は人、個々人の人間性、精神性だろう。
平和を語りつつ独裁を始めた指導者、
救済を語りつつ金にしか関心のない指導者。
この偽善がまかり通る時、果実は腐敗をはじめ、人々はそれに吐き気をもよおす。
父が公害事件の被害者の親で、かつ運動の先頭に立ちながら、「被害者エゴ」という言葉を敢えて使っていたことを思い出す。虎頭要塞遺跡保存活動に関しても決して個人的な手柄や名声を求めはしなかった。そこには一般的な意味ではない、もっと深遠な意味があったように思う。父はその精神を少しでも失ったときに、再び歴史の審判が訪れると指摘した。
プラトンは人生にとって最も重要なのは「廉恥心」だと言った。つまり「恥を知る」ということだ。歴史を直視しようとする、まさにその作業のなかに、この精神性がなければ、どんな美名を並べようとも、それは全て腐った果実の展示会でしかない。多くの人々の無私の支援や協力を無視して意図的に手がらを追い求めるような精神性は少なくとも、我が国ではもはや鼻つまみものだ。革新でも進歩でもなんでもない。逆である。少なくともそういう勢力を認めるほど日本人は愚かではない。日本人の歴史観や認識にコミットメントしようとするならば、まず、「廉恥心」が前提に必要だ。
日本の小市民的売名行為は、パリコミューンの市民、ジョージ・ワシントンや、毛沢東や朱徳、周恩来のように、革命に身を捧げた精神とも全く無縁だと思う。近代化をすすめるために奮闘する今の中国の精神とも無縁だ。自己の仕事の評価は後世の歴史家や国民がするもので、自分がするものではない。ちんけな売名行為はどんな体制にとってもいいことにはならない。
平和や救済という美名に酔いしれた時、人は過ちをおかし始める。
平和や救済の名のもとに不正義がまかり通ることは、実はかなり多い。
腐敗し「裸の王様」と化した果実を、懸命に支えている多くの良心的な人々もいる。
いつも自己を振り返らなければならないと自戒する。
人生、潔く生きなければ、最後には笑えないなあとつくづく思う。
自分の内なる良心に正直に。
人間必ずしもいつも正しく生きていけるとは限らないが、自浄能力だけは大事だ。
9.26 - 「友よ遠方より来る」 -
北朝鮮を巡る話題で、こういう側面も押さえとかないといけないなと一つ勉強になった。「北朝鮮は戦時(意識)の中にあった」ということだ。これは北朝鮮を少しも弁護する意見ではない。冷静な時代認識から来る一言だと直感し、ハッとさせられた。
拉致問題に関しての今後とるべき日本政府や北朝鮮の責任はいうまでもない。
被害者の立場に立てば、逆に拉致してやりたい気持ちさえ起こるかも知れない。
拉致問題で被害者の怒りや悲しみは底知れないものがあるし、理解しなければならない。
とにもかくにも不正義には毅然たる対応が必要だ。
ただ、北朝鮮という国家は(38度線を挟んで)軍事的緊張状態にあり、これまで、あの国は戦時の意識だった。
もっと言えば今でも冷戦を続けており、時には瞬間的だが、本当に戦闘もする。
だから、やってはいけないことだが、誘拐でもなんでもする。
ではそれに対して日本はどういう対応をせねばならないのか。
その点がみなこれまで不明だった。
日本も戦争中、朝鮮半島から何十万人も拉致同然につれてきた。
それを毅然と清算しなかった後ろめたさが、拉致被害者を放置した冷たい国民感情の裏にあると思うのは私だけだろうか。
我々日本人自身の因果の問題でもあると感じた。
今は北朝鮮が白旗を掲げているから日本は勢いづいているが、なぜ彼らがそういう状況になったのか、そして、そうなっているのか、歴史的経過を含めて冷静に理解する必要がある。拉致被害を受けたことで、日本が、忘れてはならないことまで忘れ、考えなければならないことについて思考を停止するなら、これもまたひとつの危機だ。
フェアプレイとジャスティスは、あの米国でさえ、いつも国内向けのサービスでありがちだ。では政府だけが悪いと言えるのか、その政府を支持するのは国民だ。だから最後は国民にしっぺ返しが来る。まさしく自由と自己責任の原則だ。
少し冷静すぎるかもしれないが、こういう視点は、未来の悲劇を避ける上で不可欠だと思う。他民族を憎しみの一点でとらえ続ければ、その先に何が待っているか。最後は自分達に帰ってくる。
北朝鮮のやったことは決して許されないが、それはあくまで、あの国の特異な支配者の行動である。もちろん、極めて奇怪で嫌な政府だが、昔の日本もあれとほとんど同じ。
民衆や文化や民族性まで「悪の国」としてまとめてしまわないように注意が必要だ。
日本政府だって、他国の国民から嫌なやつと思われているかも知れない。実際、日本軍の残虐行為をいまだにののしり続けている欧米人も結構いる。
米軍のサイパン攻略戦を扱ったハリウッド映画「ウインドウ トーカーズ」でも、未だに「ジャップ」だ。9.11テロの時も、一度は「カミカゼアタック」と呼ばれなかっただろうか。
北朝鮮を他山の石にしなくてはならない。日本人の冷静さには期待できるが、
くれぐれも報復と称して爆撃まで突き進む某国と同じ轍を踏んではいけないと思う。
因果は巡るからだ。
それともう一つ、拉致問題での動きに思う。
北朝鮮からの帰国者を暖かく迎える度量が、この国にはあるのかという問題である。
彼らが、我が国に帰りたくなるような、そして彼らが、万難の困難を排して生死を賭けて、日本に帰国して、彼らを絶対に後悔させない懐が、この国にあるのだろうか。
中国残留孤児を帰国させて、あとは冷たく放置しているこの国のご都合主義を、これからもう一度、考え直さねばと思う。自国民であるはずの満蒙開拓団さえも見捨てた汚辱の歴史が未だに息づいていることに危機感をもたねばとも思う。
彼らを帰国させるのなら、その家族達のためにも、北朝鮮を本当の友人として、絶対にいい付き合いのできる国にするための、日本側の命がけの真剣さが必要だ。米国の戦略でもなく、国民のご機嫌とりでもなく、支持率アップという目的でもなく、それは、我々日本人一人一人の信念と決意にかかっている。小泉首相を批判するのはたやすいが、とにもかくにも彼は一つだけ壁をぶち抜いた。それは評価すべきだろう。あとの政治を決めるのは最終的には国民である。全て自分達の責任だ。
北朝鮮の問題が発生する度に、毎度、毎度、朝鮮学校の生徒をいじめるような、そんな、幼稚な歴史観では、とてもじゃないが、そんな芸当はできない。
まずは身近な自己変革が求められている。まず変わらねばならないのは日本人自身、しかもそれは日本の他人ではない、自分自身である。
9.25-平和とはなんだろう-
珍しく、ふと、平和とはなんだろうかと考える。
岡山県教育長・宮野正司氏が9月の岡山県議会で、岡山ピースミュージアムの設立と高校生の自主的な平和活動(岡山子ども平和の声)の推進に関する佐藤真治県会議員の質問に答え、次のように答弁していたのを思い出す。
「平和とは単に戦争のない状態を言うだけではなく、平和を築くためのふだんの努力をいう」
なかなか良い内容だと思った。
たぶん、平和とはカテゴリーを決めて、それを認めるか否かを迫るものではない。
いろいろな人々のいろいろな意見を尊重しながら、絶望的な貧困や、憎しみや、暴力を避けていく、地道で営々と続けていくべき努力なのだろう。
私はそういうふうに受け取った。
9月議会でもっとも印象に残った行政府の答弁でした。
9.23-躍る言葉-
北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)をめぐる報道が盛んだ。それは当然だろう。
拉致問題での被害者とその家族の苦しみははかりしれない。
拉致の被害者が、加害者とその政府を非難するのは当然だし、犯罪に対する制裁や処罰は当然のごとく必要である。それを厳しく求めていくことも国民としての義務だと思う。
一方で、被害者の感情や声なき声を理解することは極めて難しい。
私がいつも考えるのは「死者の声」である。死者は、その後の世界にどういう状況を望むだろうか、ということである。そのためには被害者や死者が、どういう経過でいかにして苦難にあったかを冷静に見極めることが大切だと思う。ついつい、被害者の感情を簡単に分かったつもりになって、言葉を躍らせる誘惑を感じるのは私だけだろうか。
翻って北朝鮮をめぐる「冷静な議論」は決して活発とは言いがたい。逆に朝鮮学校の生徒への陰湿ないじめが復活したりしている。
私としてもこれまで北朝鮮との関係改善を具体的にどのように考えただろうか。
北朝鮮がひどい状態の国であることは、よくわかる。しかし、そうなったのはなぜ。
これまで厄介な問題はすべて他人事、政治家まかせ、それをなんとかしようと政治家が動いたら、今度はそれが完璧でないと批判に終始する。内省的な意見はほとんど聞こえてこない。
確かケネディは、かつて「国が何をしてくれるかではなく、国に対して何ができるかを考えて欲しい」という内容の発言をしたが、そこんところが問われていると思う。この言葉は決して「滅私奉公」を求めた発言ではない。国民一人一人が国の未来を考えていかないと社会はよくならない、国民も救われないという戒めだろう。
同胞が拉致されたことへの無関心を決め込んでいたことこそを、まず反省しなくては。
さらに一歩進めて、なぜ無関心かつ無策だったのか? なぜ、なぜ、なぜ。
たぶん、やったこともやられたことも、全てに無関心なこの国の無責任主義の辿った帰結なのだろう。
その無責任主義の原点はどこにあるのだろうか?むずかしい。
しかし在日朝鮮人へのイジメが行なわれている現状は、はなはだ情けない。
報道機関はこれを重大な問題と捉えて警鐘を鳴らす必要があるだろう。国民的モラルの問題だ。
彼ら在日の二世三世の多くは日本がかつて朝鮮半島から強制連行してきた人々の子孫だと聞いている。
このイジメは、まったく筋違いで残酷な仕打ちだ。
逆に「拉致の歴史」そのものへの、日本人の感覚が鈍いことをあらわしているような気もする。
もしかすると、これまで拉致問題の解決を先延ばしにしてきた感覚と同根かもしれない。
そのことを私たちはしっかりと認識すべきだと思う。自戒。
9.20-米国型民主主義への尊敬は続くか-
世界最大の軍事力を保有し、全世界で大型空母を運用した軍事的プレゼンスをとり続ける米国。
確かに今のところは勢いがあるが、米国の軍事力を支えるのは、国際社会の自由と民主主義という理念への尊敬の念だろう。しかし米国は戦後、戦争を起こすたびに、その理念への国際社会の信頼を低下させているようにも思える。
米国が余りに一国主義を進めすぎると、政治理念と物理的力の相互依存のバランスが崩れ、結果的に米国の地位が低落していくのではないか。そのことを米国の均衡論派などはよく心得てはいるようだが、なんかそれもおしつぶされそうな勢いを感じる。
そうなると結局、テロリストの思うつぼかもしれない。
米国にとっては難しい舵取りだが、米国の真価が問われているし、日本は米国との同盟関係を重視するのなら、緊張緩和のための具体的アプローチをとる必要があるだろう。
朝鮮民主主義人民共和国との関係「改善」(?)へむけた動きは、拉致問題は別として、米国の均衡派の影響が色濃く感じられるが、それもまた、あながち誤りとはいえないかも。
9.12-演出される戦争-
マスコミ各社がこぞってテロ特集。
世界初で公開されたというWTC内部の「衝撃映像」。
たぶん米国は初めて空襲を受けたのだろう。
あまりに突然の空襲なのでとまどっている。しかしそこには何らかの理由がある。
その因果関係を考えることも、今の米国には必要かもしれない。
やられたからといって、世界中に攻撃を仕掛けるとなると、しかもそれが米国の既定の方針となると、
なにやらすべてが演出のように思われてくるのは私だけだろうか。
9.11 -素晴らしい! 全国初「岡山子ども平和の声」-
米国中枢同時多発テロ1周年の日
「岡山子ども平和の声」プロジェクトに取り組んできた高校生が、6.29の岡山空襲記念日での平和を考える集いの報告集と、そこで採択された「こども平和宣言」を宮野正司岡山県教育長へ手渡しする。
付き添いで県庁にいく。
最初、高校生は緊張しまくっていたが、それがまた初々しい。
宮野教育長との懇談で、教育長は高校生全員に取り組んでの感想を発言する機会を与えた。
「いろいろな意見をまとめるのが大変だった」
「いろいろ大変なことがあったが、勉強になった」
「全て高校生の自主性にまかせてくれたのがよかった」等々。
困難をひとつひとつ乗り越えて成果を結実させた高校生の努力と感想に、
いろいろあったが、よかったなあ、としみじみ。
2002↑