平成15年2月28日
第58号
NPO 岡山県自閉症児を育てる会
目次
目指せ「年齢相応の姿!」
木工教室
支援者養成講座報告
河島先生のお話をお聞きして
AAO活動のご案内 「ありがとう集会」について
キッズルーム報告
「おかやま自閉症・発達障害支援センター」 訪問記
勉強会のお知らせ
OHAの会、つくしんぼの会、ゆりかご講座
電話相談案内
サッカークラブ・水泳教室・女の子の会 からの お知らせ
私のお薦め本 『 自閉症児の「きょうだい」のために 』
「育てる会の活動に参加をさせていただいて」 中西 仁志
掲示板・事務局だより
西大寺の会陽も終わり「備前平野に春がやってくる」季節になりました。
会陽とは…毎年2月の第3土曜日深夜に西大寺観音院にて行なわれる日本三大奇祭の一つです。はだか祭りともいいます。
深夜12時に本堂上から「宝木(しんぎ)」が投下され、それを褌姿の男性が奪い合うのです。みごとGETした男性は福男と呼ばれその年はいい年になるぞ…ということになります。
春が来るとはいえまだまだ寒い日もあり、かぜをひきやすいかもしれません。それに今年のインフルエンザは猛烈でしたね。これもまだ油断できません。みなさまお気をつけ下さい。
今の学年もあと一ヶ月をきりました。月日のたつのは早いです
今年度を振り返ってみると、できるようになったこと、しなくなったこと(問題行動)など成長があったことと思います。
目に見えて変わらなくても内部にしっかり蓄えられていて、ある日ぼぼぼっと花を咲かせることがありますので、今がんばっている取り組みをぜひ続けてください。
私たちの会は「育てる会」です。
この会に集まっている皆さんは、子どもが将来どうなってほしいかを考えて一人前に生きていける力を育てる会だと思われているはずです。
「王子様」「王女様」を育てるのではないということ、私が言うまでもないと思いますが新しく入られた方も増えてきましたので、あえて書かせていただきました。
子どものために環境を整えることは大切ですが、子ども自身にしっかり力をつけさせるために働きかけることもがんばりましょう。
三月は新学年の準備の月です。
目指せ「年齢相応の姿!」(目標は高いほうがいいのです)
エイ・エイ・オ〜!
(文責:K..H)
木 工 教 室
お待たせしました。年度末になりましたが、皆さん楽しみにされていた木工教室を、下記の日程にて行います。
一つは、木工ボンドを使って、簡単にできるスタンド、糸のこを使いたい方には、ベンチを川月先生が、考えてくださいました。
どちらもステキです。
定員になり次第、締め切らさせていただきますので、お早めにお申し込みください。
スタンド 2000円
ベンチ (側板に絵を書きましょう。) 3500円
日 時: 3月30日(日) 9:30〜12:00
場 所: 生涯学習センター(木工教室)
申込み: 事務局 (3月10日締め切り)
定 員: スタンド 8名、 ベンチ8名
支援者養成講座 報告
去る2月12日に第2回支援者養成講座が、太陽の家で行なわれました。
今回もエネルギッシュな河島先生の講演に加え、高橋先生の課題学習の実際場面をみせていただきました。
ふたりの子どもさん(2月8日にPEP―Rを受けたお子さん)は、どちらも落ち着いて、課題をやっていかれます。しかし、先生の手にかかると、子どもの弱い部分が、鮮明に浮き彫りにされて、親ならずとも身の引き締まるような思いがしました。
以下に参加者の感想を一部掲載します。
これにより参加出来なかった方にも、この勉強会のことを少しでもお伝え出来ればと考えました。
毎回経験に基づいて話してくださるので良く分かり、自分の考えや子どもの接し方を考えることが出来るばかりか、楽しさすら感じます。絶望的な気持ちが、希望に変わる時間です。コミュニケーションの再現などを通してひとつひとつ先生の話を聞くと、ハタと気づくことありました。
山歩き、ほめること、笑顔で接すること心掛けています。心を育ててやらなければ、怖い顔に誰が近づくものかと思うようになりました。近頃なんとなく子どもの表情が良くなったように思います。(3歳男児の母親)
毎回の講義が、いつもその時の自分にとって必要なこと、欠けていたことを示してくださり、本当に行き届いて教えていただける幸せを感じます。
時に今までの自分の至らなさ無知や無為によって、子どもを適切に導いてこられなかったという後悔や、哀しみに向き合わなければならないこともあります。でも次のステージに進んでいく為には、辛いですが、乗り越えてなければならないプロセスだと感じています。
PEP-Rで見えてくること、生活の場である家の中を整えること、スケジュールで生活リズムを整え、ルールを作ること、テーマを決めて付き合うこと、母子でパターンを作り出してしまうことが多いので、正常化を図るためにも、適切に不親切になること、書ききれないほどたくさんの事を学べました。 (10歳女児の母親)
コミュニケーション・シーンの再現と、実際にお子さんがこられてのセッションが、とても参考になりました。子どもに対するとき理屈では、私もにこやかな表情でほめてやらなければと思うのですが、忙しい時や自分の心に余裕のない時など、このお母さんのように、きつい口調で叱ってしまうことが多々あります。
セッションでは、難しい計算のできるお子さんが、文の読み取り等に苦労されている様子を拝見して、改めてこの障害の難しさを再認識させられました。(6歳男児の母親)
本当に多くのことを教えていただきました。親が見えていない部分を細かく丁寧に教えていただき、今後息子と関わっていく上で、大変勉強になりました。視覚的には強いと思っていましたが、マトリックスでひとつの指示にしか注意が向けられないこと、親が気づいていませんでした。また、自他の区別ができていないことも、気がついていなかったことです。生活していくうえで、もっともっと細かな視点で関わっていかなければ、と思いました。
思考力をつけること、判断力をつけることは、息子にとって言葉の課題同様大きな課題ですが、将来社会にでて生きていく為には、とても大切なことだと思いました。(11歳男児の母親)
先生がおっしゃった、「親がきっちり教えていないことは、入っていない」という言葉、まさしく私のことでした。中途半端なまま「まあ、大体分かっているからいいか」で終らせていました。私がわからなければ、きっちり教えていかなくては、ゆがんだまま成長していくのですね。
また、「母親の表情を子は良く見ている」とおっしゃった時、「うん、うん」とうなずいてしまいました。娘は私の顔色をよく見ています。真剣な顔やため息をつくと、すぐ「ごめんなさい」と言ってきます。(6歳女児の母親)
コミュニケーション・シーンの再現は、我が家の朝を見ているようで、大変参考になりました。私も本当にほめる事が少なく、怒ってばかりいたように思い反省しました。
タイル算の指導方法も、目からうろこでした。早速家でもやってみます。(9歳男児の母親)
高橋先生がこんな風におっしゃってくださいました。
「岡山のお母さん達が、段々きれいになっていかれる」
うれしいですね。でもこれは、どうしてでしょう? それは、きっと私達が、道しるべを見つけはじめているからだとおもうのです。
私たちは、子どもをどう導いていけばいいのか、「道はどっちだ!」とうろうろ出口を捜し求めていたのではないでしょうか。
河島先生とやっとめぐり合えて、しかも丁寧に教え導いていただける。それが私たちを少しずつ変えているのだと思います。
初回の勉強会から数えて4回。少しずつ会場には笑いが広がり、真剣な中にも暖かな雰囲気が生まれています。
「みんな同じ仲間」
先生も私たちの仲間。先を歩いていかれる先生の後からゆっくりとついていくことが、子どもの将来へ確かに繋がる道だと実感できるのです。
質問に直接答えていただく時間は殆どないのに、先生のお話を聞いていると、自然にどうすればいいのかがわかってきます。そして早く帰って子どもに会いたい。会ってこうもしてやりたい、ああもしてやりたいと思うの私だけではないと思います。
先生の講義の中に流れている想いは、ただひとつ「子どもへの愛」です。
「親にも理解されにくい子ども達を、救わないでおられない。」
そんな想いで先生は遠い岡山まで月に2回(講義とPEP―Rの検査)も来てくださいます。先生の想いに応えること、それは子どもとしっかり向き合う事だと思います。
「私が育てる」私しかこの子を育て得る人はいない。このあたり前の認識に立つことではないでしょうか。
自閉症児支援者養成講座は、今年度は30人の方しか受講できませんでした。その為、参加できた方とできなかった方との温度差ができそうで、とても悲しく感じています。ビデオは貸し出しますので、どうぞ、お問い合わせください。先生の療育に関する内容は良くわかりますので、ごらんになってください。
また、河島先生の講座の他に、勉強会を月一回くらい設けたいと考えています。この時は、講座参加者以外の方もいらしていただいて、少しでも話が出来たらと考えています。
第1回の勉強会は、以下の通りです。
日時:3月10日(月) 13:00〜15:00
場所:太陽の家
内容:考え中
申込:事務局
最後に、参加者の中のお母さんのお一人から、感想を書いていただきましたので、どうぞ。
河島先生のお話をお聞きして
H.T
昨年夏に河島先生のセミナーをお聞きして、毎週通えたらどんなに勉強になるだろうかと思っていました。1月から勉強会という形で月に1回でもお話を伺えると言うことでとても張り切っています。子供は5年生で思春期にさしかかろうとしています。先輩のお母さんにお聞きしてもいろいろと問題が起こってくる時期だと思い、ますます勉強の必要性を感じています。
1月には知恵遅れの子供たちは学ばせてもらっていないという三次障害を持っているというお話だったと思います。
2月の内容を振り返ってみますとまず検査の重要性をお話くださったと思います。我が家のように低機能自閉症の子供たちは、検査によって可能性が見えてきますが、高機能の子供の場合には逆に、いかに曖昧な言葉の世界に住んでいるかいかに生きる力の希薄な子供たちかと言うことを知り、高機能のお子さんを育てられているお母さん方の大変さがわかりました。
早期発見によって早期教育が可能になりましたが、その前に大切なことは強固な母子関係を作ることです。我が家の場合は障害があることが分かってからプールに通って親子でゆったりとした気分でふれあいました。そのほかにちょっとした時間に顔を見てはにっこり笑ってなまえをよびかけたり、ほんのちょっとからだにさわったりして、心地よい気分にさせることをした結果、私のことを好きにさせることができたと思います。それと同時に問題行動も減りました。11歳になった今はテーマを決めた課題学習によって生きる力を身につけると同時に母子関係をより強いものにしていかなくてはならないと思います。
CSの再現やT君とH君の学習シーンについては高橋先生のりんとした指導態度と河島先生の鋭い観察眼にすっかり感心していました。
つくづく感じたのは教えなければいけないことがいかにたくさんあるかと言うことです。低機能自閉症の場合かわいいこともあって、この程度できればいいかと妥協してしまいがちですが河島先生はより高いレベルを求めてくださいます。それは自立した生活ができるようにという大切な目標に向かってこの子たちを育てていこうとしているからです。わたしも毎日の生活を学習の場と考えて、子供の自立に向けて、妥協することなく子供を育てていこうと思います。
「おかやま 自閉症・発達障害支援センター」 訪問記
鳥羽 美千子
会報55号の「掲示板」でもお知らせしたように、「おかやま自閉症・発達障害支援センター(所長 中島洋子先生)」が開設され、すでに3ヶ月が経ちました。一度お訪ねしたいと思いつつ機会を逃していましたが、今回やっと願いがかなってお話を伺うことができました。関心をお持ちの方も多いと思いますので、訪問記としてみなさんにも紹介します。
旭川荘の「バンビの家」の駐車場奥にある案内表示を目当てに玄関を入ると、明るい室内で副所長の土岐淑子先生をはじめスタッフの方々が迎えてくださいました。窓の外には祇園用水が流れ、静かで落ち着いた環境です。
土岐先生とは、息子の哲平がバンビの家でお世話になっていた頃からですから、もう10年来のおつきあいですが、「このセンターで、自閉症支援を行なっている組織をバックアップしていきたい」とおっしゃる先生は、今までにもましてやりがいのある仕事をできる喜びと、意欲に満ちて見えました。
また自閉症児をお持ちのお母さん方からの問合せに対しては、自閉症に関わる相談ならなんでも受けつけてくださるとの事です。
訪問しての相談(今回の私のような・・)には予約が必要ですが、電話相談は随時受けつけていますので、まずは電話してみてくださいとのことでした。
自閉症・発達障害支援センターは、平成14年度より始まった事業で、厚生労働省からの認可は、スタートは当初全国で8ヶ所の予定でしたが、最終的には12ヶ所となり、岡山でも全国に先駆けて作られました。その事業内容は、それぞれの県での実状や、そこに生活している方のニーズに添っていくかたちで、各県のセンターにまかされているそうです。
つまり、岡山型の発達支援センターがどのような形になっていくのかは、これからの私達親のニーズ(すなわち、子どもたちが真に必要としているニーズ)をいかに適確に伝えていくかということにかかっているということなのでしょう。
そして、この支援センターについて詳しくお話いただける機会を設けていただけることになりました。15年度の育てる会総会の後の講演会を土岐先生にお願いできました。
みなさん、センターについて知りたいことも多いと思います。この機会にお聞きください。
支援センターは常勤スタッフが4名だけのため、県下全域での個人への支援を細かく行っていくことは時間的にも難しいとのことです。そのため、個人が所属する組織への支援を中心にやっていきたいと言われています。そして育てる会は、親の会として、最も大切な組織の一つだと言ってくださっています。
総会後の講演会では、私達のニーズを、想いを、お伝えできる機会だと思います。
総会については、改めて3月末の次回会報にてお知らせいたします。
また、支援センターの事業内容は同封のチラシをごらんください。
電 話 相 談
今月から事務局が中継してくれることになったので、相談電話に対応することが出来るようになりました。
たとえ担当者が事務局にいない時でも、お電話を頂いて、時間を予約していただければ対応します。どうぞ、遠慮なくお電話ください。
この電話相談は、会員以外の方でも、相談に乗ります。
私たちの子どもが小さかった時、このような親による電話相談をしてくれるところはありませんでした。電話の向こうで苦しい想いをしておられるお母さんは、若かった当時の私です。何とか勇気付けたいと思って、一生懸命にお話を聞きます。私たちは、専門家ではありませんから、「こうすればよくなるよ」なんてことは言えません。でも、同じ母親として、その人の心に寄り添って、想いを共有することは出来ます。そして伝えることは出来ます。自分ひとりではないことを。たくさんのつらい道を同じようにくぐってきた仲間の存在を。
今年は、幸いにしてサン基金から助成金をいただけましたので、電話にかかる経費を出せました。NPO法人として、社会へ向けてほんの小さな貢献をしたいとがんばっています。
知り合いの方で困っておられる方が、ありましたらどうぞ、お電話してみてくださるようお伝えください。力になりたいと思っています。
電話相談専用:0869−55−3162 担当:鳥羽 美千子
育てる会の活動に参加をさせていただいて
川崎医療福祉大学大学院 中西 仁志
私が育てる会の活動に初めて参加をさせていただいたのは、私が大学2年生の12月(1998年12月)に吉井町の竜天天文台で行われた冬合宿でした。あれから4年以上も育てる会の活動には参加をさせていただきました。この3月をもって、私は大学院を卒業(予定)し岡山を離れます。それに伴って、育てる会の活動には今までのように参加をさせていただくことはできなくなります。
育てる会に出会ってから、私の学生生活は大きく変わりました。
私が大学の講義で自閉症のことを知り、育てる会の活動に出会うまでは、私は主に高齢者関係のことを中心に勉強をしていました。高齢者関係のことで本を読んだり施設を見学したりしていく中で、自分がしていることに悩んだりすることが多々ありました。そのようなときに育てる会の活動に出会い、もともと子どもたちと遊んだりすることが好きだった私は、自閉症の子どもたちに心を奪われました。
子どもが好きなのであれば、障害のない子どもたちと関わることができる仕事をすればいいのではないか、と思われるかもしれないですが、私は障害のない子どもたちと関わることを仕事としてはしたくはなかったのです。障害のない
子どもたちとはただ純粋に関わりたい、と思っていました。
冬合宿のときに私が担当をさせていただいた子どもさんと一定の時間を過ごしたときのあの衝撃は、まるで昨日の出来事のように覚えています。子どもさんの横で私が子どもさんに話しかけても全く応答がない、まるでその子は聞こえていないかのように走って行ってしまう、といったような、それまでに何十人もの子どもたちと関わってきましたが、その時に感じたこととは全く違うことを感じました。
それは「この子に自分のことを覚えてもらいたい」「この(自閉症の)子どもたちとコミュニケーションをとりたい」ということでした。
冬合宿が終わってからも、その時に感じたことは消えることなく、それからは高齢者関係のことを勉強していたということが嘘のように、自閉症のことを勉強する日々が続きました。
冬合宿終了後、毎月のように水泳教室やその他のボランティアに参加をさせていただきました。そして、子どもたちと関わっていく中で徐々に自閉症のことを理解してきたように思っていました(今になって思えばその当時は全然と言っていいほど知らなかったように思います。もちろん今もですが・・・)。
その後、私が大学3年生の頃(1999年度)の夏休みには夏合宿をするということをお聞きしました。その時には、川崎医療福祉大学で夏合宿のボランティアの募集を行い、20名前後の学生さんが協力をしてくださいました。あの夏合宿では私がリーダーをさせていただいたのですが、何がなんだかまったくわかっていなかったので、参加をしてくださったみなさんには大変ご迷惑をおかけしたのではないかと思っています。
この夏合宿終了後には、夏合宿に参加をしてくださった川崎医療福祉大学の学生さんを中心に「『岡山県自閉症児を育てる会』を支援する会」という感じでASCというサークルを作りました。ちなみにASCとは Autism Support Circle の略語です。当時は1年生から3年生まであわせて20名程度の集まりでした。
川崎医療福祉大学でサークルができてからは、サークル主催で12月に「クリスマス会」を企画したり、6月には「ボーリング大会」を企画したりと、様々なことをさせていただきました。
サークルを作って1年も経たないうちに、私は後輩に引き継ぎ、その後は現在までサークルの一員として育てる会の活動に参加をさせていただいています。
私が育てる会の活動に参加させていただいて印象に強く残っている活動は、1998年の冬合宿と1999年の夏合宿、そして1999年のクリスマス会です。その他にも素晴らしい活動がたくさんありましたが、この3つの活動のときに感じたことは今でも深く心に焼き付いています。
川崎医療福祉大学でサークルができてからは、活動に参加をしてくださるボランティアさんの数も増え、育てる会の活動内容も「サッカー教室」や「キッズルーム」や「AAO活動」といったように増えてきました。
今、私が育てる会の活動に参加をさせていただくと、毎回10名以上のボランティアさんが来られています。
私が育てる会の活動に参加をさせていただいた当初は、毎回参加しているボランティアさんといえば私を含めて3名とか4名でした。
「3名しかボランティアさんがいなかった」という時の育てる会の活動を知っているので、現在の育てる会のボランティアさんの多さには正直とても驚いています。現在のこのボランティアさんの豊富さの背景には、育てる会の方々が「ボランティア交流会」を企画したりして、ボランティアさんの協力を求めたという努力があったからだと思います。
当時育てる会の代表であった鳥羽さんが「私たちの会はボランティアさんの協力がなければ何も活動できません。」ということを言われていました。鳥羽さんやその他の育てる会の方々の子どもさんを想う熱い想いが、毎回参加をしているボランティアさんの心に響いたのだと思います。私もその一人です。
私は、兵庫県から岡山県というところに来て、川崎医療福祉大学という大学に入学をし、勉強をしたりボランティアをしたりする中で「岡山県自閉症児を育てる会」という親の会に出会いました。とても素晴らしい出会いをしたと思っています。岡山県に来なければ、また、川崎医療福祉大学に入学をすることがなければ、「岡山県自閉症児を育てる会」に出会うことはありませんでした。そういった意味でとても運命的な出会い(?)をしたのではないかと思っています。そして「岡山県自閉症児を育てる会」と出会うことにより、自分の夢や希望を見つけることができ、大学院に進学をするまでになりました。私の夢は「親の会の方たちや子どもたちと一緒にその人たちが住み慣れた地域社会の中で生活をしていきたい。そしてその生活のお手伝いをしていきたい。」ということです。
「岡山県自閉症児を育てる会」と出会うことがなければ、今の私はこの世には存在し得なかったと思います。私に将来の方向性を見つけるきっかけを与えてくださって、ここまで育ててくださった「岡山県自閉症児を育てる会」の皆様には深く感謝しています。心よりお礼申し上げます。
私は来年度は愛媛県今治市にある「NPO法人コミュニケーションハンディキャップ研究会」という自閉症児の親の会で仕事をさせていただくことになりました。愛媛県の方でも岡山県で培ってきた知識や経験を生かして、頑張っていきたいと思います。そして子どもたちや保護者の方・ご家族の方・一緒に仕事をさせていただく方々・地域の方々、と協力をし、今治市や愛媛県が、自閉症やその他の障害を持つ方々と保護者の方・ご家族の方にとって生活をしやすい地域にしていきたいです。今治市や愛媛県がそのような地域になることが今までお世話になってきた方に対してのせめてもの恩返しになるのではないかと思います。
今まで4年以上もの間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。
以前は「育てる会会報」はHPにも全文をUPしていましたが、容量等の事情により、現在は一部抜粋にさせていただいています。
会の行事の予定は育てる会の「今月の予定」に、近隣の講演会等の案内は「案内板・伝言板」に、また特にみなさんにお伝えしたい記事などは「育てる会ライブラリー」に載せるようにしています。
容量は小さくなりましたが、ご覧いただければ幸いです。
なお会報は正会員・賛助会員の方へは郵送でお届けしています。
もしご希望の方がおられましたら、ぜひ賛助会員に申し込みをお願いします。年会費
3000円です。
応援よろしくお願いします。
申込み方法の詳細は「育てる会 HP」に記載しています。